或る日の午後
何だ? 何だ?? 何だ???
クッソォー! もう、何故こんなにデスクワークが溜まるのだ?!
不機嫌そのものに腹立たしく目の前の机の上に山積みされた書類を睨み付けているのは
デスクワークをもっとも苦手とする麗しき近衛連隊長オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ。
ベルサイユ一の若手軍人、さすがのオスカル・フランソワも書類には太刀打ちできない様だ。
こんな時の彼女の機嫌はすこぶる悪い。
かと言ってヤツ当たりするとか・・・と、言う事ではないが言葉数はかなり少ない。
普段から近寄り難い彼女ではあるが別の意味でいっそう近寄れない。
暫く、書類の山を見詰めていたが観念した様に書類を取り出した。
目を通し、サインをして行く。
パラ、パラ、パラ・・・。
かなりの集中力を要しているのかこんな時、彼女に声をかけても必ずと言って良いほど
返事は返ってこない。
それを心得ている部下達は近寄ってこない。
コチ・コチ・コチ・・・。
静寂な司令官室の時計の音だけが微妙に響いていた。
そう、時間だけが過ぎて行く。
そよ風がいたずらに部屋の中を駆け巡る時、サイン済みの書類が羽ばたきかけた。
あわてて紙押さえで止め、一息つく。
朝の静けさから打って変わり燦々と輝く太陽は司令官室の真上に顔を出していた。
「暑いな・・・」
漸く口を動かした。
人の気配を感じ振り向くとそこにはアンドレが佇んでいた。
いつもと変わらぬ優しい笑みを浮かべてそっと手にしている物を差し出す。
「・・・なんだ?」
オスカルが受け取るとそれは冷たく冷やしたタオルだった。
広げて顔を拭くとなんと気持ち良いのであろう。
疲れが冷たいタオルに吸収されるように引いていく。
「う〜〜〜ん、アンドレ! 生き返る〜〜〜!!」
気持ちよさそうに顔を拭き、軍服の襟を外し首筋を拭く。
黄金の髪が零れ落ちる白い項を垣間見て思わずドキリとするアンドレ。
アンドレは一つ咳払いをして照れた様に後ろを向く。
「オ、オスカル、後どれくらいの時間が掛かりそうだ?」
「う・・・ん、確実に言える事は今日中には終わらぬ・・・と、言う事くらいかな」
「そ、そんなに掛かるのか?」
アンドレは大声をあげてしまった。
その様子を見てオスカルはシニカルな笑いを浮かべアンドレの鼻先をツンツンと突ついた。
「ああ、今回は溜め過ぎてしまったようだ」
オスカルはアンドレに向かってお手上げ・・・と言う様に両手を上げて降参のポーズをとった。
おどけたオスカルにアンドレは「ガンバレ!!」と親指を立てた右手を差出しエールを送った。
オスカルはそれを見届けた後、少し歩いて窓際の所で立止まり下を眺めた。
下はベルサイユ宮殿から“恋人達の語らいの小径”と呼ばれる森に続く道となっている。
貴婦人達が色とりどりのドレスを纏い優雅にうごめいているのが見える。
暫くは様子を見入っていたオスカルの口から思わぬ言葉が零れ落ちた。
「わたしも・・・普通ならあの様にドレスに身を包み、優雅な散歩を楽しんだのであろうな・・・」
この言葉にアンドレが、そしてオスカル自身が驚いた。
二人は一瞬、顔を見合わせ息を呑んだ。
「・・・い、今の台詞・・・聞かなかった事に・・・してくれ・・・
どうか・・・していた・・・」
絞り出すような声だ。
「あ・・・ああ・・・!」
そして、アンドレも返事をするのが精一杯だった。
アンドレは悩んだ。
オスカルは悩んでいるのだろうか・・・!
後悔しているのだろうか・・・!
苦しんでいるのだろうか・・・!
どうすれば良い?
どうすれば楽にしてやれる?
苦しみを除いてやれる?
お前は女だ! 素晴らしい女性だ!
いっそ俺は女としてのお前を愛していると告白してしまおうか!
その芳しい唇を奪ってしまおうか・・・!!
あ・・・あ・・・!!
アンドレの胸中は葛藤で渦巻いていた。
その動揺を今度はオスカルが見抜いてしまう。
そして、彼の苦しみにならぬ様に言葉を続けた。
「アンドレ! わたしは今とても幸せだ!!
平凡な人生ではなく普通の女性では経験できない事をいっぱい経験できた!
父上の後継ぎとして・・・!!
そして、それはアンドレ! おまえがいつも傍にいてくれたからだ・・・」
そう言うと右手を差出し、アンドレがそれに応える。
『ふふ・・オスカルの奴、俺の気持ちなんか解かっちゃいないな
アンドレ・グランディエ!
まだまだ、耐えねばならんぞ!!』
「さあ、早く終わらないと本当に帰れないぞ!」
アンドレが突っつく。
「やれやれ、またデスクワークか・・・
これからは溜めないゾ! ぜったい!!」
オスカルとアンドレの笑い声が司令官室にいつまでも響き渡った。
FIN