Much ado about nothing 前編 (嵐・その後)



二日ぶりに復帰した衛兵隊ではすれ違う者みなに労わりの言葉をかけられ、ダグー大佐のお陰で仕事もそれほど溜まってはおらず、病み上がりだからと周囲から半ば強制的に帰宅を勧められたオスカルが家路についたのは、まだ午後早くであった。
勤務中はそれなりに気を張っていたが、こうして帰宅の路についてみれば屋敷に残してきたアンドレが気になって仕方が無い。
ラソンヌ先生が手配してくれた看護婦が既に来て、アンドレの面倒を見てくれているはずだから心配はない、と思いながらもついつい御者を急かしてしまう。
早い帰宅に驚きつつも喜ぶばあやに手伝ってもらいながら着替えをすますと、オスカルはアンドレの部屋へ向かっていた。

扉を開けてくれたのは白い肌に黒目がちの瞳が印象的な若い女だった。
頭にかぶったボンネットと胸元までのエプロンで看護婦だとわかる。
オスカルより頭ひとつ分ほど背が低い、柔らかな雰囲気をたたえている女だった。

だが看護婦といえば年のいった、たくましさのかんじられる女性を想像していたオスカルは、目の前の若々しい女性に戸惑っていた。
そんなオスカルの背後から、足の早いオスカルにようやく追いついたばあやが声をかけた。

「オスカル様、こちらがラソンヌ先生の紹介で来てもらったアンナでございます。
 アンナ、このお屋敷のお跡継ぎであられるオスカルお嬢様だよ。」

美しい金髪の人の登場に頬を赤らめていたアンナは跡継ぎと聞いて慌てて膝を折った。

「よろしくお願いする。アンドレの具合はどうだ?」

湿布の匂いがきつくするベッドの中で、アンドレは蒼ざめた顔を枕に沈めて眠っていた。
穏やかに、とはいえない眠り方なのは眉間にかすかによった皺のせいだろうか。
疲れきった戦士が束の間の眠りについている、という風だ。

アンナが告げる。

「痛みが酷いらしくなかなか眠っていただけなくて・・・。
 今やっと寝つけたところです。
 今日はスープに浸したパンを少しだけ食べられました。
 痛みによる体力の消耗が一番気になりますわ。」 

怪我による痛みはオスカルも知っている。
肩に傷を負った時の気を失いそうな縫合による痛みや、その後の脳天に抜けるような継続的な痛みには効く薬がなく、ただじっと耐えるしかないことも。

改めてアンドレに怪我を負わせる原因となった自分の認識の甘さが恨まれた。

「側についていてやってもいいだろうか?」

オスカルの申し出に暫く考えていたアンナだったが、アンドレを起こさない様に少しだけなら、という。

付き添うオスカルに問われるまま、アンナは自分のことを語った。
行儀見習いで修道院で働いていたこと。
そこで看護を学んだこと。
たまたま尼僧がラソンヌ医師を知っていて、今まで何回か看護婦として出向いたことがあること。

看護婦としては若いのではないか、と言うオスカルにアンナは
「まぁ、もうとっくに婚期をすぎたいかず後家でございます。若いなど・・・」
と、恥ずかしげに笑った。

その年でいかず後家なら私はなんだ?

おもわずオスカルは己の年をふりかえり、むむっ、となる。

改めて観察してみれば、アンナは20代始めというところだろうか。
黒目がちの瞳に長い睫毛が合わさって可愛い印象をうける。
ボンネットからのぞく黒髪の後れ毛が、雌鹿のような白い首筋にやわらかなコントラストをみせていた。
はちきれるような若さをたたえた彼女だが、肘までまくりあげた袖からみえる白い腕は引き締まっていて、看護の肉体労働的な面を熟知していることを伺わせた。

低く息を吐く音が聞こえ、アンドレが起きる気配がした。

「すまん、起こしてしまったか。」

枕もとに身を寄せてそっと問うオスカルの声は優しい。

「お帰り、オスカル。」
アンドレが、優しい微笑を浮かべながらかすれがちな低い声で、今日はどうだった、と聞いた。
「ダグー大佐のお陰でとどこおり無い。お前こそ具合はどうだ。」

指先で脂汗で額にはりついた前髪を除けてやる。

「痛みはまだあるが、こればかりはどうしようもないからな。」

疲れるのだろう。一言いうたびに深い呼吸をしながらアンドレが言う。

「でもアンナが頻繁に湿布を取り替えてくれるのでたすかるよ。」
最後のほうは功労者に向けるべく、恐縮して足元に立つアンナにアンドレは微笑んだ。

「眠れないと聞いたが?」
「やっぱり痛くてな。まだ痛みに疲れきってまどろむって感じだ。」

短い会話でも残存する体力を使いきってしまったように、アンドレの頭が枕にしずんだ。
早い帰宅にアンドレと過ごせる、と安易に考えていた自分をオスカルは恥じた。
見舞いがてらに話をして返って彼の体力を消耗させてどうするのだ。

先程から心配げに自分を見ているアンナの視線もあった。
恐らくやっと寝付いたアンドレをそっとしておけ、といいたいのだろうが、主人である自分にそう言うのも、と躊躇しているらしい。

名残惜しさはあったが、また様子をみに来る、ゆっくり休め、と弱々しく微笑むアンドレに声をかけるとオスカルは出て行った。


滞在日数が増えるにつれ、アンナの屋敷内の評判は上がっていくようだった。
ばあやによれば、実に勿体無いくらいにアンドレの面倒を見てくれているらしい。

「もう本当に分不相応なくらいに世話を焼いてくれましてね。ええ、もう3時間おきに湿布を変えるだの、包帯を洗うだのって。
あたしの体の心配までしてくれて。勿体無いったらありゃしませんよ。」

オスカルとて安心してアンドレの看護を任せられる人物がいるのは頼もしい。
帰宅すればその日の様子をかいつまんで話してくれるのもありがたかった。
介護される側のアンドレもまめに世話を焼いてくれるので感じ入っている。
「文句のつけようがない働きぶり」
あのばあやでさえ感心する位だ。
オスカルに文句があろう筈がない。

筈がないのだが。

心の隅にとげがささったように釈然としないことがあった。
アンナがオスカルをアンドレと二人きりにさせないようにしている気がするのだ。

オスカルがアンドレを訪ねるたびに彼女がそこにいるのは不自然なことではない。
オスカルがアンドレと話しているときに傍らで湿布の包帯を巻いたりしながら座っているのも、不自然とはいえないだろう。
彼女はアンドレについているのだから、常に看護の目を光らせている必要があるはずだ。
だがお陰で、オスカルはアンドレと日常会話以上の話ができないでいた。

アンドレが死ぬかもしれないという時に切実に感じた想いを告げたいのに、第三者が在席していたのでは語れない。
いかんせん、そういう雰囲気にならない、というものである。

誰かが聞いたら、なんとばかばかしい、と思うだろう。
彼女がそうしているのは仕事だからで、自分がどうこう詮索するような理由からではないのだから。 

「アンドレが治るのが第一優先だったのではないのか。
 私の自分勝手にもほどがある。」

彼女に感謝こそすれ、邪魔に思うことなどないのだ。
だが何度そう己にいいきかせても、ささった棘はぬけそうになかった。


アンドレ不在の日がたつにつれ、衛兵隊でのオスカルの仕事は始めは初雪がうっすら積もるように少しづつ、だが次第に雪だるま式に増え始めていた。
いつもならオスカルまで行き着く前に、優先順に仕事を振り分けてくれるアンドレが居ないため、手元にあるものから取り組んでしまう。
期日直前になって取り掛かる書類も出てきはじめ、次第に執務室は混乱を極め始めていた。
ダグー大佐もアンドレの穴埋めばかりをしているわけにもいかない。
優秀な補佐を失った上司独特のストレスを感じつつ、オスカルはやむをえなく屋敷に仕事を持ち帰ることが多くなった。

寝てばかりいては退屈だ、とアンドレが進んで手伝ってくれるのをいいことに、お屋敷にまで仕事を持ち帰らなくても、というばあや始め、アンナの忠告も無視しオスカルはベッドの上に書類を広げた。

「これではアンドレの怪我の治りが遅くなりますよ!」

万事控えめなアンナにまで、いつになくきつい口調でそう言い渡され、罪悪感はぬぐえない。

「気にするな。これでもかなり体調は良くなったんだ。」

相変わらず起き上がれないが、両手の自由はきくようになったアンドレが頭上に書類を掲げながら言った。

「すまん。こんなに仕事が溜まるとは思ってもみなかった。」

ベッド脇のテーブルで羽ペンを走らせながらオスカルが言う。

「お前の優秀さが改めて身に染みる。」
「なんだ、今日はやけに素直じゃないか。」

これは今でなくていい、と一読した書類を脇にやりながらアンドレが笑った。

「怪我人のお前に手伝わせるなど上官失格だと反省しているからな。」
「気にするな、と言ったろう。俺こそ寝てばかりでお前の役に立っていないことが歯がゆくてたまらないんだから。」

いつになく素直なやり取りができるのが嬉しい。

仕事を持ち帰ったことによる思わぬ恩得はアンナが退室しなければいけないことだった。
「一応軍事機密の書類だから。」
オスカルが書類をベッドにぶちまけようとするのを制してアンナにそう告げたのはアンドレだった。
そのアンナが去り際に残していったのが上記の言葉である。

思わずペンを走らせていた手をとめて、含み笑いをしてしまう。
ちくり、とする罪悪感があるが、それはこの際無視することにした。
なにより仕事という形にせよ、アンドレと二人きりで居られるのが素直に嬉しい。

「なんか楽しそうだな。」

オスカルの笑みに気付いてアンドレが言った。
そういう彼の声にも笑いがこもっている。
自分に向けられる優しい笑みを見て、オスカルの心のどこかですとん、と納得するものがあった。

ああ、自分はアンドレを独占したいのだ。

屋敷にアンドレが引き取られたばかりの頃を思い出す。
男の子というのが珍しくて、姉たちにアンドレを取られることもままあった。
その度に、アンドレは僕のものです、と主張し続けたものだ。

「私も意外と成長がないな。」
「仕事が遅いことか?」
「いや、いろいろだ。」

アンドレがワケが判らん、という顔をしている。
ふふ、と笑うとオスカルは羽ペンを走らせ始めた。


その日もオスカルは定時どおりに帰宅した。
一人で残業するよりはアンドレと屋敷でやったほうがはかどるとばかりに、相変わらず書類を抱えている。
女中にお茶をアンドレの部屋まで運ぶように指示しながら、勝手知ったる他人の部屋、とばかりにノックをせずアンドレの部屋の扉を開けたオスカルの目に飛び込んできたのは、裸のアンドレの背中だった。

右肘をベッドにつき左腕を完全にアンナの肩にまわした抱きつくような格好のアンドレは、掛け布から見える限りでは少なくとも上半身は裸だった。
そのアンドレの背中にアンナの手が回されている。

かーっと頭に血が上ったオスカルの目には一瞬二人が抱きしめあっているように見えた。

ばさっ、と手から書類の入った包みが抜け床に落ちる。
その音にアンドレが振り向く。
途端、やわらかいベッドに右肘が沈み体のバランスを崩した。

「わっ」

アンドレを抱えていたアンナもろとも、もつれ合ってベッドに倒れこむ二人。
右肩にかけられていたアンドレの腕に引き寄せられ、小柄なアンナが両足を浮き上がらせつつ上半身をもろにアンドレの顔に乗っける形となってしまう。

「っ・・・」

アンドレの声はアンナの胸に遮られ、くぐもった音にしかならない。
慌てて顔を上げたアンナとオスカルの視線があった。

二人がベッドに倒れこむ様をスローモーションのように呆然と見ていたオスカルの視線が、アンナの顔より少し下のところで止まった。

アンナのモスリンの衿のV字の谷間に丁度当たるようにしてアンドレの額が見えていた。
コルセットで調えられた胸のふくらみの丁度ど真ん中にアンドレの顔がある。
アンドレの頭に沿ってあらわになったアンナの胸の線を見て、以外にふくよかなのだな、など関係ないことを一瞬考えてしまう。


オスカルの視線に気付いたアンナが、真っ赤になって慌てて身を起こすのと、オスカルの鋭い目がアンドレの表情を読み取るのは同時だった。

痛むのだろう、すぐにしかめ面に変わったが、その一瞬前の困ったような嬉しいよな目じりの緩んだアンドレの表情をオスカルは見逃さなかった。

胸元と裾の乱れを直しながらアンナがアンドレの上から降りてベッド脇に立つ。



オスカル様、お見苦しいところを・・・」

あいてて・・・、とうめきながらアンドレが再び肘を使って上半身を起こした。
慌ててアンナが裸の背中に腕をやって支える。

「・・・何をしていたのだ?」

我ながら感情を隠すのが下手だと思いながら、苛々した口調を隠せない。

「湿布を変えてもらってたんだ。お前こそ急に入って来て驚かすなよ。」
「アンドレ、シャツを・・・」

アンナがアンドレの裸の肩にシャツをかける。
全てが気に食わなかった。
アンドレの背中に回された彼女の手も、自分を責めるような口調のアンドレも。

彼女の前では平気で裸になるのに私の前ではシャツを着るのか。

よくわからない議論だが頭に血が上っている今、そんな余裕はなかった。

「湿布を変えるのであればそうすればよかろう。
 私の為にシャツを着る必要はない。部屋を出て行く。」

滅多にださない腹のそこから響くような声でそう告げると、床に落ちた書類を拾って勢いよく部屋を出ていった。
バタン、と大きい音を立てて扉が閉まる音が後ろで聞こえる。
すれ違う召使が何事かと振り向くが気に留めない。
バン、とこれまた乱暴に自室の戸をたたき閉めると書類をソファにたたきつけた。

「なんなんだ、あれは!」
鼻息も荒く、室内をぐるぐると歩き回る。

(湿布を変えていただけではないか。)

オスカルの理性が激昂する感情に説く。

それならばあんな裸で抱きつくような形でなくとも良いだろう!
アンドレだって彼女の胸にあんなだらしない顔をして・・・!

(あれは不可抗力というものだ。
 まだ起き上がれないアンドレの湿布を変えるのに、抱きかかえるのは仕方ないことだろう。)

武官は感情で動くものではない、と呪文のように繰り返しながら深呼吸する。

(冷静に、状況を、判断するのだ。)


一言一言を区切りながら、自分に言い聞かせるようにして気持ちを落ち着けようと試みた。

改めて、アンヌの黒目がちの色白の顔を思い浮かべた。
若々しさの香り立つような頬に、睫毛を伏せると黒目しか見えなくなるその顔はオスカルでさえ可愛いと思う。

ロザリーやアントワネット様とはまた違うタイプだが・・・。
だが、自分は可愛い、というタイプではない。
幼い頃こそ言われたが、物心ついてからは凛々しい、というのが自分に対する形容詞だったように思う。

女らしさでいえばあちらに軍配があがる。
胸は・・・コルセットをしてみなければ判らないが、自分よりはあるだろう。
加えて甲斐甲斐しく世話を焼く。

(彼女の女らしさを分析してどうするのだっ!)

では仕事面では、といえばそれだってちゃんとこなす。
まめまめしく包帯を変え、傷口を洗い、食事の面倒を見る、と評判はいい。
大の男のアンドレを若い女の腕で支えるなど大変だろうに。

瞬間、先程みたシーンが脳裏によみがえった。
抱きあうようにしていた二人。
彼女の胸から開放された直後のアンドレの表情。

(だめだ、また苛々してきた。)

ベッドに大の字にねそべると、まんじりとせずオスカルは天井を見詰めていた。





つづく