Much ado about nothing 後編 (嵐・その後)



「機嫌悪そうっすね。」

渡さなければならない書類が見つからず、机の上に散乱している書類の山をかき分けていたオスカルは、アランの言葉に顔を上げた。

「どうしてそう思う。」

さっき確かにサインをした書類をその後どこに置いたのか。
頭の中で思い出しながら、オスカルは机の前に立って自分を見下ろしている黒髪の男を見た。

「いえ、なんとなく。」

ばさっ、ばさっと書類をひっくり返す音が大きくなる。
あれを渡すためにアランを呼びつけたのに見つからないのでは困る。
眉間にしわをよせ、苛立たしげに貧乏ゆすりを始めたことに本人は気付いていない。

「ほら、やっぱり機嫌悪いんじゃないっすか。」

隊長の機嫌が悪い時は皆できるだけ近寄らないようにするのだが、アランはどうもへそ曲がりなのかちょっかいをだしたくなってしまう。
普段は上官らしく感情的にならないこの美しい女性が、時たまみせるこういう一面が、アランには可愛らしく思えてならない。

「フランソワなんて、今日は怖くて近づけないなんて言ってましたぜ。」

その言葉に思わず柳眉をひそめてアランを睨みつけてから、オスカルは思い直したようにちいさく息をはいた。

「すまないな。できるだけ面に出さないよう気をつけていたのだが。」

おや、今日はやけに素直だ。


やっと見つけた書類をオスカルから受け取りながら、アランはこの美しい上官の顔を観察した。

自分より年上にしては、しわも染みもない磁器のような白い肌と整った顔立ちには、触れれば切れてしまうそうな凛とした美しさがある。
生来の美しさに加え、寄せ集めである衛兵隊をまとめ上げるような統率能力の高さ、上官として頼りになる管理能力がオスカルの美しさを身のあるものにしていた。

普段ならアンドレが側にいて滅多に隊長と口もきけないんだが、奴さんパリで怪我をしたとかで休養中だ。
自然、隊長とダイレクトにやりとりをする機会が増え、悪い気分はしない。

「フランソワにまで気付かれるとは。
 こんな風に個人の感情で隊の空気を乱しては上官失格だな。」

参った、という風に肩から力を抜いて椅子にもたれかかるオスカルの言葉には、さびしげなトーンがあった。
おや、というようにアランの表情が変わる。

てっきりアンドレの野朗がいなくて仕事が溜まってるのが苛々の原因かと思ったが、こりゃ違うようだ。

「さては、アンドレと何かありましたか。」
「何故そう思う。」

打てば響くように帰ってきた返事に、こりゃなにかあったな、とアランの口角が上がった。

「いえ、ただなんとなく。」

とぼけてはいるが、顔のにやつきが明らかに自分をからかっているようだ。
暫く黙ってアランを見返した後、オスカルは口を開いた。

「アラン、お前の女性の好みはなんだ?」
「はぁ?」


予想外のオスカルの問いに間抜けな反応しかできない。

「男ならあるだろう。痩せてるのがいいとか、金髪がいいとか。」

そりゃあんたのことじゃねぇか。
胸の内でつぶやいた。

「例えばだ。巨乳と貧乳とどっちがいい。」

(ぶっ。)

麗しの上官の口から予想もしなかった単語が飛び出し、アランは言葉を失った。

「きょっ・・・。」

慌てるアランに比べオスカルは表情も変えずアランの返答を待っている。
じぃっ、と自分をみるオスカルの視線にアランは言葉を捜した。

(そりゃないよりはあったほうがいいに決まってるが・・・。)

ちらり、と気付かれないようにオスカルの胸元に視線をやる。

(そんなこと言っちまった日にゃぁ・・・)

結局はぐらかすことにする。

「そういう大きさっていうよりかは、やっぱり気立ての問題じゃないっすかね。」
「ほほう、見た目は問題ではないと。」
「いや、やっぱり性格がよくなきゃ。」

(おお、優等生的な回答だぜ、俺。)

「で、どういうのがいい。」
「一般論でいいっすかね。」
「勿論だ。」

自分からとりあえず矛先をずらしておいて、アランが続ける。

「そうっすね。やっぱり優しくて気が利くのが男一般の好みじゃないっすか。」
「ほほう。」
「俺なんかは多少勝気な方が手ごたえがあっていいっすけどね、俺の周りじゃ尽くすタイプってぇのが人気があるかと。」

(さり気にアピールしてんですけどね、隊長。)

組んだ両手にあごを乗せて面白そうに自分を見上げるオスカルを、アランも見返した。

「うむ、なかなか参考になった。礼をいうぞ、アラン。」
「で、なんでそんな事を気になさるんで?」

アピールが通じていないような上官にますますからむべく、アランは聞いた。

「まぁ、いろいろとな。」

先程のセリフでこの話題を打ち切るつもりだったオスカルは、アランの質問をはぐらかす。
こうみえてもアランは勘がいい。

聞く相手を間違えたか。

一般に男性の目からみてアンナのようなタイプは魅力的かどうか聞き出したかったのだが、他の一斑のメンバーではあまり経験がありそうな者はいないし、ダグー大佐は現役を退いて長そうだ。
結局、女性経験がありそうで一番現役っぽいアランに聞いてみる気になったのだが、やぶへびだったかもしれない。

「アンドレがどういうタイプが好みか気になりますか。」

いきなり的を射た発言をされてオスカルの笑顔が凍りついた。

「な、何を・・・」

(ははっ、図星っすね)

うろたえて視線をそらすオスカルになおも絡もうとしたアランは、はた、と思いとどまった。
一瞬オスカルの瞳に不安な色が浮かんだのを見たからだろうか。
アランは胸の内でため息をついた。

(アンドレ・・・お前も可哀想な奴だよな。あんだけ積極的にアピールしてんのに隊長はわかっちゃいない。)

あんたが奴のタイプですぜ、と言いかけてやめる。
なんで俺がアンドレの恋路を手伝わなきゃならねえんだ。

「奴に直接聞いてみたらどうです。」


アランに言外に、そんなこともわからないンすか、と言われたような気がする。
オスカルは、急にこんな話を持ち出した自分を恥じた。
公私混同はしない、常に軍人らしく規制の取れた行動を、と訓示している自分はどうしたのだ。

沈んだ面持ちで、そうだな、と頷くオスカルがアランの男心をくすぐる。

(隊長は気付いてるんだろうか、こと奴に関してだけあんたの冷静さが欠けることを。)

自分にオスカルがおよそ上官らしくない表情を見せてくれていることに舞い上がってしまうような嬉
しさを感じつつ、そんなかおをオスカルにさせる原因に自分が成り得ない事も承知している。

(不毛だ・・・。)

オスカルとはまた別の理由で落ち込む気分を隠しながら、アランは敬礼をして出て行った。



数キロ離れたジャルジェ低でもまた、落ち込む気分を隠せない人物がいた。

「アンドレ、私やっぱりくびかしら。」

朝から何度聞いたかしれないセリフに、その度に大丈夫だよ、といってやるアンドレにもあまり自信はなかった。
昨夜帰宅したオスカルに、事故とはいえ、あんな醜態を見せてしまったのはまずかったと思う。

(怒ってるんだろうな、やっぱり)

それは持ち帰ったのであろう仕事をアンドレに見せる気配もなく、今朝は立ち寄って挨拶することも無しに出仕していったオスカルの行動から安易に想像できた。

「私、オスカル様にはあまり気に入られていないようだったから、もうあんなことをした後では絶対首だわ。」

意気消沈、という風にアンドレの包帯を変えながらアンナが呟く。
オスカルがアンナを気に入っていないようなのはアンドレも薄々感じてはいた。
彼女が若いことから看護を任せられるか不安なのだろう、と時が立てば解決するぐらいにしか考えていなかったのだが。

常にプロフェッショナルな仕事を要求するオスカルの目には、裸で(下は履いていたが)ベッドに倒れこむような看護ぶりが奇異に写ったに違いない。
その一方で、不可抗力で起こったことを理由に解雇されては、アンナにとっても理不尽というものだ。

「その辺りはオスカルもちゃんんとわかっているさ。」

慰めてはみるがあまり効果はなさそうだった。

「私、オスカル様に毎日お会いできるのが楽しみだったのよ。」
あなたにだから言うけれど、という前置きで告げられて、アンドレはああやっぱり、と思わずにはいられなかった。

おかしいとは思ったのだ。
いくら看護のためとはいえ、アンナだって自分につきっきりのわけではない。
それがオスカルが見舞いに来るときには決まって、包帯を巻かなければならないだの、湿布の用意をしなければならないだのと理由をつけて在室している。
軍事機密だから、と退室を余儀なくされた時には実に恨めしげにこちらを見たものだ。


男っ気の無い修道院で暮らしてきた彼女には、関わる男といえば生気のない病人しかいなかったのだろう。
それがオスカルのような女とはいえ神々しいまでに凛々しく美しい人物に出会ってしまえば虜になるというものだ。

仕事が手に付かないという風の彼女に、俺から話してみるから、としかアンドレは言えなかった。



(要は素直に向き合えばよいのだ)
腹を決めて帰宅後アンドレを訪れたオスカルは、部屋の中にアンナの姿が無いことに驚きを禁じえなかった。

「アンナはどうした。」

別に今日は仕事を持ち帰ったわけではないから、いつもの彼女なら指定席のベッド脇の椅子に陣取っているはずだ。

「お前と話があるからと、席を外してもらったよ。」

いくつも重ねた枕にもたれるようにして上半身を起こしていたアンドレが告げた。

「もう起き上がっていいのか?」
「大分痛みが引いたからな。かなり体力もついた。」

思わず、という風に枕元に駆け寄ったオスカルにアンドレは微笑んだ。
ほっとした表情で椅子に腰掛けながら、オスカルが、話とは、と尋ねる。

「昨日のことだ。」

思わず表情がこわばるオスカルを見ながらアンドレがつづけた。

「アンナが俺の湿布を取り替えようとしてくれていたのは本当だ。
 俺の方にまだ力がないから、あんな格好になってしまったが、あれに他意はない。」
「・・・わかっている。」
「ベッドに倒れこんでしまったのだって不可抗力だ。
 それがわからないお前ではなかろう。」
「わかっている、と言っている!」

冷静に、と努めていたオスカルの声が荒くなる。

「判っているなら、何故怒る?」

ワケが判らん、といった感じのアンドレを見ていたオスカルは、こみ上げてくる苛ついた感情を抑えられなかった。

「お前が・・・!」

言いかけてやめる。
最後までいうのはあまりにも恥ずかしい。
急に自分が幼い行動にでているように思えた。

なにも目くじらを立てるほどのことではない。
そうだな、と一言いってしまえばすむことだ。

「俺が・・・何かしたか?」

見に覚えがないが、という風に自分を見詰め替えすアンドレが癪にさわった。

「彼女の・・・!彼女の胸に挟まれて嬉しそうにしていたではないか!」

ああ、言ってしまった。
言った瞬間、火を噴きそうなほど顔が火照るのが判った。

「あ・・・。」
ぽかん、としていたアンドレの顔が、合点がいった、というように変わる。
成る程ね。
お前が怒っていたわけはそこか。

「あのね・・・」

笑顔を浮かべて口を開きかけたアンドレの顔がぎょっと強張った。
下唇をかみながら自分を見返すオスカルの目に浮かんだ涙。
まずい。

「性格の良いのが好きなのだろう?」

突然そう問われてアンドレは戸惑った。

「オスカル、何を・・・。」
「アランが言ってた。男は気が利いて尽くしてくれる優しい女が好きらしいな。」

あいつ、何をオスカルに吹き込んだんだ!

「悪かったな、私が勝気な性格で。まあ中にはアランみたいにそういうのも好きな奇特な人間もいるらしいが。」

あの野朗、オスカルと何を話したんだ!

心でアランを罵りながら、アンドレは表情はあくまでも穏やかに、部下に告(コク)られたことなどまったく気付いていないような様子のオスカルの手をとった。

「あのね、オスカル。」

今にもこぼれんばかりに涙をたたえた目でオスカルがアンドレを見た。

「俺には、気が利くとか、尽くすタイプとか、関係ないの。」

だまって自分をみつめるオスカルの手を愛しげになでた。

「俺が好きなのは、自分の信念を持って信ずるところをひたむきに進んでいく人間だ。幼い頃からそういう奴の側に付いて共に育ってきたから、俺はそいつが、勝気で、優しくて、公平で、燃えるような情熱を内に秘めた人物だと知っている。」

「・・・もういい。それ以上言うな。恥ずかしい。」

掴まれた手を引っ込めて、下を向くオスカルの頬に、アンドレはそっと触れた。

「わかってくれた?」

返事の変わりに、オスカルが顔の向きをかえ、アンドレの掌に顔を埋める。
ばかだな私は、という声がアンドレの掌に遮られてくぐもって聞こえた。

「お前でも焼き餅を焼くことがあるんだと初めて知ったよ。」
「やっ、焼き餅など焼いておらん!」

アンドレのセリフにオスカルは慌てて頬の手を掴むと、勢いよく振りほどいた。

「っ痛!」

腕をいきおいよく振られて、アンドレが腕をかかえて上半身を折り曲げる。

「すまない!大丈夫か?」
「平気・・・だ。気にするな。」

痛みに涙をうかべながら顔をあげたアンドレの目の前に、心配げに覗き込むオスカルの顔があった。

こつん、とオスカルのおでこがアンドレの額にぶつかる。
すまない、と低くオスカルが呟いた。
「お前の言うとおりだ。私は彼女に嫉妬していたのかも知れない。」

自分にとってアンドレはなくてはならない存在なのに、彼の看護を他人に委ねなければいけない事実。
なにより、自分にはアンドレの面倒をみることなどできないだろう。
女性が自然に行えるような優しい労わりが自分にできないことは、まめまめしくアンドレの世話をやくアンナを見ていて身に染みるほど判っていた。

それなのにアンドレに近づく女性が許せなくて、看護婦にまで独占欲丸出しで接してしまう自分が醜くて。

アンドレの顔が動き、オスカルの額にそっと口付けが落とされた。
愛しくてたまらない、というように。

「落ち込むなよ。」

ふたたびおでこ同士を付き合わせながら、オスカルの目を覗き込むようにしてアンドレが言う。

「お前にはお前しかできないことがあるだろう。俺はそんなお前を何時までも支えていたいのだから。」

優しくそういってくれるアンドレに急に甘えたくなって、オスカルは両の腕をアンドレの首にまわした。
急にかかった重みにアンドレの体が悲鳴をあげる。
叫ぶところをじっとこらえて、アンドレは右手をオスカルの背中にそえた。

「・・・お前が死ぬかもしれないと思った時、気が狂うかと思った。」

オスカルが言葉を発するたび、開かれた唇から吐息が首筋に当たり、アンドレの心を震わす。

「底なしの絶望の淵に立っているようで・・・もう二度とあんな思いはしたくない。」

思い出したのか、不安げにオスカルの腕にこもる力が強まる。

「誓ってくれ、どこにもいかないと。私を一人にはしないと。」

あまりにも弱々しくすがるようなオスカルの言葉に、アンドレは背中に回した腕に力をこめた。
けむるようなオスカルの髪に顔を埋めるようにして、オスカルの頭に口付けを落とす。

「誓うよ。お前を置いてどこにもいかない。」

首筋にアンドレの吐息を感じてオスカルの全身が粟立った。
思わず背中に回されたアンドレの腕に力がこもり、胸がアンドレの胸に押し付けられる。
けれど、息ができないくらい苦しいのはそのせいではない。
お互いの息遣いが首筋に暖かい。


目の前にある、意外とすべすべしたアンドレの首筋に誘われるように、オスカルはそっと唇を当ててみた。
びくん、とアンドレの体が反応する。
背中を規則的になでていたアンドレの指先の動きが、戸惑ったように宙に浮いた。
今自分が抱きついている男への愛しさと、少しの悪戯心があったのかもしれない。
もう一度、今度はよりはっきりと口付けと判る形で、オスカルはアンドレの首の筋に唇を当てた。
こらえきれないように、アンドレの息遣いに甘い吐息がこもる。

アンドレの体が少し震えているのが判る。
オスカルの肩甲骨の辺りに当てられた、アンドレの指先が熱かった。

再びついばむようにアンドレの首筋に口付けた瞬間、オスカルはアンドレに両腕で抱きすくめられていた。
そのままオスカルの首に、熱い口付けが落とされる。
ぞくっ、と電流が全身を走った。
背筋をつーっと羽根でなぞられた時の感覚に似て非なるのはそれが神経の隅々にまで熱をともなって広がっていくことだった。
しびれたような、という表現を初めて体験した。

アンドレ、怪我が・・・と言いかけて、位置を変えて今度はあごの付け根に落とされたアンドレの口
付けに、そんな言葉は吹き飛んでしまう。
押し付けられた胸がお互いの鼓動を伝えていた。
アンドレの心臓の音が右胸を通して感じられる。

心臓がふたつあるみたいだ。

耳たぶにかかったアンドレの唇から逃げるようにして、顔を深くアンドレの首筋に埋めながらオスカルは思った。

閉ざされた扉の向こうで廊下をこちらへ向かってくる侍女達の話し声が聞こえた。
びくっ、と凍りついたようにお互いを腕の中に抱えたままで固まってしまう。
そっと、首筋から唇をはなすと聞き耳を立てた。
熱っぽく荒くなっていた呼吸がおちついてくる。
部屋の前までさざめき声はくると、そのまま立ち止まることなく去っていった。

どちらからともなく、ほーっと息をついた。

そのまま力なくアンドレの肩に頭を乗せていたオスカルの頭をアンドレの左手がなでた。
そっと、頭の後ろ首の付け根に手を添えられて上を向く。
自分を見つめるアンドレの漆黒の瞳は熱っぽく潤んでいる。
何かを確かめるように自分を見詰めるアンドレの眼差し。

当然与えられる、と予感した口付けが、見詰め合うにしては長すぎる時間のあとにも与えられないことを、オスカルが怪訝に思った時。

ああ、そうなのだ、とオスカルの内なる声がささやいた。
彼は自分を待っているのだと。

性急な告白をしたあの夜、二度とあんなことはしない、と誓ったアンドレ。
彼は今、同じ過ちを犯さないよう、自分の気持ちを確かめるべく躊躇しているのだ。

耐えるに耐えるべく、彼にその想いを表すことすら禁じたのは自分ではなかったか。
その冷静な普段の様子からは想像もできないほど内に込めた情熱を、封じ込めるよう仕向けていたのは自分ではなかったか。

罪悪感がこみ上げる。
同時に今まで感じたことの無い、比類なき愛しさも。
腕(かいな)に抱きとり、もうよいのだと、言ってやりたい衝動にかられる。

アンドレの首にあらためて腕をまわし自ら顔を近づけると、オスカルはかすかに震えているその唇
に己の唇を寄せた。
唇の端が軽く触れ、あえぐように開かれたアンドレの唇をオスカルのそれが捕らえる。
次の瞬間、アンドレの腕が力強くオスカルを抱きしめた。
アンドレに熱くしっとりと忍び込むような口付けを与えられて、息がつまりそうになる。
心臓が早鐘のように打っていた。
体が熱い。

貪る様に、まるで20年以上耐えてきた想いのたけをぶちまけるかのように唇を合わせてくるアンドレに、どこにこんな情熱が隠れていたのだと、オスカルは心臓を貫かれる思いだった。

愛してる、と言う隙も与えずに口付けが振ってくる。
ああ、そもそもそんな一言で片付けられるような想いではないのだ。
もっと深く、このまま抱き合ったまま、鉄が熱で溶けて合わさるように、溶けて、混ざって、お互いの心を融合させて、心の臓まであわさってしまいたい、と思う。
それがかなえられないのなら、せめて口付けして抱きしめあうことで、その想いを伝えよう。
今までこらえてきた分。
今まで気付かずに過ごしてきた分まで。

溶ける。
アンドレの唇が触れたところから私は溶けだしてしまいそうだ。
溺れる。
お前の愛に溺れてしまう。

溺れてしまえ。
溶け合って、もとの形もとどめないほどひとつになってしまえばいい。
そうすればお互いを失うことも離れることもない。

もう離さない、とばかりに回された腕の中で、二人はお互いの愛だけを貪っていた。



どのくらいそうしていただろうか。
やっとアンドレがオスカルを離し、だるそうに枕に体を沈めた頃には部屋は暗くなっていた。
呼吸も荒く、片手を腹に添えて目をつむるアンドレにそっと触れる。

「大丈夫か?」
「はは、勿論だ。」

アンドレの右手が、愛しくてたまらない、というようにオスカルの頬をなでた。

「アンナを呼んでくるか?」
「いや、もう少しこうしていたい。」

少々蒼ざめた顔をしながら、アンドレはまるでオスカルがそこに居るのを確かめるように何度も頬をなでた。

「少なくともコレだけ痛けりゃ、これが夢で無いのは明白だな。」
「無理をさせたか?」
「こんな思いができるなら、何度だって怪我するさ。」
「冗談では無いぞ。私の身にもなってみろ。」
「ははは。」

ついに力尽きた、という感じでアンドレが右手をベッドに投げ出した。
オスカルがその手を愛しげにさする。

「愛しているよ。」

砂漠の砂に水がしみこむ様に、アンドレのその言葉はオスカルの胸に染み入った。

「愛している、私も。」

アンドレの目を見詰め返しながらオスカルも告げる。
これから何度この言葉を言うようになるのだろう。
わかっているのは何度言葉を重ねても言い尽くせない想いが、自分の中に息づいていること。

もう少しすれば私を探しに侍女がやってくるだろう。
アンドレの様子を見にアンナも来るかもしれない。
だがそれまで。
もう少し。

指先を絡めあい、お互いを見詰めながら、けれど二人の間の沈黙は万の言葉にも変えがたく、ほとばしるような想いを伝えていた。



* * * *


夜もふけて様子を見に来たアンナが見たのは、ベッドに上半身を投げ出すようにして眠るオスカルと、それを愛しげに見詰めているアンドレだった。
アンドレの笑顔で万事良好、と悟ったアンナがオスカルをそのままの格好で寝かせたことで、後々アンドレともどもばあやから小言を食らうことになるのだが、それはまた別のお話。
一ヶ月して衛兵隊に復帰したアンドレがアランをボコボコにしたかは・・・さぁ、筆者は知りません(笑)。



終わり