告白



今こうして傍らで眠っている貴女を見て幸せだなどといったら、不謹慎だろうか。

ルイ16世は粗末なベッドで薄い毛布をまとって眠る美しい妻の横顔を眺めて思った。

ベルサイユを追われ、人民の敵という名目で捕らわれ牢獄におしこめられてはや数日。
日のろくにささない陰鬱な湿気のこもる牢獄では子供達の健康が心配だった。
豪奢で贅沢だったベルサイユの暮らしと比べなんと惨めなことか。
自分も含め、王妃も妹も自分達で服ひとつ着た事のない暮らしをしてきたから、手探りで始まったこのかび臭い部屋での生活。
乳母や家庭教師まかせであった子供の世話からはじまり、いくらかでも心地よく暮らせるようにと家具の位置を変え掃除する。
妹は箒を握る王妃が不憫だと涙を流していたが、気丈な王妃にたしなめられていた。

「生きていくうえであれば必要なことではありませんか。」

牢獄に居ても王族の誇りと教養を忘れてはならないと子供達にラテン語の勉強を施すのも王妃であった。
遊ぶことが大好きで勉強は嫌いだった貴女がこうして子供達にラテン語を教える日が来るとは!
母と24時間共に過ごしたことなどなかったルイ・シャルルは朝から行われるラテン語の勉強に閉口し
「もう僕は充分お勉強しましたよね、とうさま。」
と私の元に逃げてくる。
子供達とこうして触れ合うことがなかったのは私とて同じ事。
厳しい母から逃げるシャルルをつい甘やかしてしまう。

満月の光が狭い牢獄内を照らしていた。
顔をめぐらせば、私達の寝台と衝立をはさんだ向こう側に妹と子供達が寄り添うようにして眠っている。
このような境遇に陥って初めて一家水入らずの時を持つようになろうとは!

再び傍らで眠る王妃に目を移し、頬にかかる髪をそっとどけてやった。
30を超え3人の母だというのに彼女は相変わらず美しい。
輝かんばかりの金髪は不幸にして失われてしまったが、透き通るような白い肌、活発に輝く瞳などは初めて会った頃と同じだ。
こうして貴女を腕の中で抱いて朝を迎える日がこようとは思わなかった。

ベルサイユにあって国王夫婦の夜の営みは私事ではない。
そういうことをしようという意を私が女官長を通して王妃に伝え、王妃が支度を整えてやってくるまでに数時間。
ことは早くても長くてもいけない。
これまた定められた時間の間国王の寝室に留まったのち、王妃は朝を待たず自室に戻る。
私は妾を持たなかったから、朝まで誰かとベッドを共にするのは皮肉にも牢獄に移されて初めて体験した。

う・・ん、と王妃が寝返りをうった。
顔には微笑みすら浮かべている。
なんの夢をみているのやら。
あまりにも幸せそうに微笑むあなたの寝顔に私もつられて微笑んでしまう。

フェルゼンの夢でも見ているのだろうか。

その名が自分の中でもはや痛みを伴わないことに驚く。
フェルゼン。
私達を助けようと最後の最後まで危険を顧みず奔走してくれた男。
彼に感謝こそすれ、私の中にもはや彼への嫉妬はなかった。
嫉妬というのは相応しくないかもしれない。
私は初めから諦めていたのだから。

フランスに嫁いできたばかりの貴女は眩しくて輝いていた。
コケティッシュに笑うあなたは愛の女神の祝福を身一杯にうけ、さながら蝶のよう。
それにくらべ私のなんと愚鈍なこと。
太って口下手で気の利いたこと一つ言えない私は彼女にとってなんと退屈な存在であっただろう。

加えて私の性的な欠陥。
初夜の寝床が汚されていないと知れ渡ったとき貴女に与えた屈辱に、私は許しを請う術がない。
臆病で手術の痛みから逃げていた私はベルサイユ中の笑いものだった。
祖父には酷く叱られ笑われたが、包茎など経験していない者にその辛さがわかりようもないと、私は落ち込むばかりだった。

その勇気のなさが私の愚かしさだと気付くのになんと時間がかかったことか!

口さがない貴族から宮廷から、なにより貴女から逃げ出すために私は鍛冶場に入り浸っていた。
鉄は文句を言わない、などとうそぶいて見せたが、なに、現実と向き合うのを避けていただけだ。
そんな頃だ。貴女がスウェーデンの貴族と恋に落ちていると私の耳に入ったのは。
それに何の感慨も浮かばなかったのを覚えている。
この世からいっそのこと忘れられてしまいたいと願う平凡な男には、華やかな貴女が他の男と恋に落ちるなど至極当然に思えたから。

謁見の間で会ったフェルゼンは私の想像していた通り、顔立ちの整った聡明そうな青年だった。
貴女と彼と、ああそしてもう一人、貴女付きだった近衛仕官オスカル・フランソワ。
若々しさに溢れ、美しく、美と知の女神の祝福が天から下っているような貴方達。
貴方達3人が談笑している場には、私の入る余地などないように思えた。
その時、私は初めて痛みを感じたのだ。
自分に自信がなく世界と向き合うのを恐れて逃げていてばかりの私が、目の前に輝かんばかりの貴女方3人を突きつけられて。
憧れて止まない世界に決して手が届かないという現実を知った痛み。

貴女に相応しいだけの美貌もなく、
男性としての欠陥を抱え、
あのオスカルのような知性にも恵まれていない。
平凡な、ごく平凡な男。
そんな私には貴女の寂しさなど思いやるゆとりもなかったのだ。

ポリニャック伯夫人、夜会、賭博、プチ・トリアノンにとエスカレートしていく貴女の行状。
どうか王妃様をおたしなめに、と忠言してくれるものはいたが、私には貴女の行動の真意がはかりかねていた。
なにより未だ夫としての勤めを果たせていない私が貴女に忠告などできる立場にあっただろうか。

満月に照らされて眠る妻を見詰めるルイ16世の目に涙があった。

今ならわかる。
何故貴女があれだけ派手な遊びにふけっていたのか。
夫に背を向けられたままの妻がどれだけ惨めであったか。
国同士のために嫁いできたのに、なにかといえばオーストリア女と陰口をたたかれ、夜会では、王太子妃陛下はまだフランスのしきたりをご存じないのですから、とやんわりと侮辱されることもあったと聞いた。

本来なら私がそのような侮辱から守ってやるべきだったのだ。
なのに私ときたら鍛冶場にいりびたりで。
異国の地に嫁いできた不安な心情を計ってやろうともしなかった、愚かな私!
そんな中、真の愛をもって貴女を支えるフェルゼンを愛するようになったとて、私に責めることができるだろうか。

私は知っている。
革命前も今もことあるごとに悪者に仕立て上げられているのは王妃だということを。
やがて始まるであろう法廷で私は言うだろう。
全ては私の罪。
夫として勤めを果たさず、あなたの浪費を止めることも、まして国政に興味を持つこともせず長年ベルサイユをデカダンスに放置してきた国王たる私の責任だと。
それが証拠に貴女の浪費はマリー・テレーズが生まれるとぴたりと止んだではないか。

もっと早く夫としての勤めを果たすべきであった。
もっと早く現実と向き合う勇気を持つべきであった。

ルイ16世は石壁にかかったシンプルな木の十字架を見上げると静かに頭を垂れた。

神よ、お許しください。
平凡な男に国王という大任をお与えになったあなたを恨むだけだった私を。
あなたは負いきれない重荷はお与えにならないというのに、
それを長い間忘れ、重責から逃れようとあがいていた私をお許しください。

妻よ、許して欲しい。
夫として国王として立ち上がることから逃げた結果、貴女をこのような目にあわせることとなった私を許して欲しい。
貴女を愛していながらそれを真の形で表すことのできなかった私を許して欲しい。

国外への逃亡が失敗に終わってよかったと思う、と言った私に貴女は頷いてくれたね。
フェルゼン伯には申し訳ないが、私はあの時逃げおおせていなくてよかったと思うのだよ。
国王としての務めから逃げていたばかりの私。
最後の最後で同じ過ちを犯さなくてよかったと。
国政に怠慢であった罪から私は逃げてはならない。
人民に裁かれ断罪されるのが私の運命であれば、国王たるものとしてせめて最後だけはその務めを果たしたいと思う。

心残りは子供達。
しかし彼らにはなんの罪もないのだから人民会議も裁きはくだすまい。
神よ、罪なき子らをお守りください。
私の罪で彼らが裁かれることのなきようお願いします。
全ての責は私にあるのですから。


「眠れないのですか。」

王妃がやさしくささやいた。
横たわったまま優しく私を気遣う。

「満月が綺麗なのでね、目が覚めてしまった。」
「まあ。」

そっと枕元に広がる王妃の髪をなでた。

「ふふ、あなたの髪、月光に照らされて白金のようだ。」

黙ってされるままになっていた王妃がふと微笑んだ。

「夢を見ておりました。」
「うん?」
「楽しかったベルサイユの夢。ルイ・ジョゼフがいて、オスカルがいて、フェルゼンがいて・・・。」

皆もう遠くに行ってしまいましたけれど、と呟く。
ベッドに横たわるとルイ16世は温もりが逃げないよう気をつけつつ毛布をまとった。
寂しげに目を閉じる王妃をそっと抱き寄せる。

「もう一度眠りなさい。満月は楽しい夢をみせてくれるという。もう一度幸せな夢を見られるかもしれないよ。」

素直に夫の胸にアントワネットは顔を埋めた。
牢屋に移されてから始まった二人の間の儀式。
眠れない夜はお互いを胸に抱いて眠る。
それはアンドワネットに思いがけない安らぎの場を与えてくれた。

夫の手がぎこちなく背中をなでる。
その不器用な優しさに涙がでそうになる。


神よ・・・。

呟いたのはどちらであったか。

神よ、どうか愛するものたちをお守りください。
私の罪で愛する者達が苦しむことのないように。

壁の十字架が月光を浴びて銀色に輝いていた。