宝石箱


数日前にアンドレから贈られた宝石箱。小さいが、精緻なつくり。並んでいるのはサファイアと黒曜石。
「アンドレ・・本当にもういないのか、私を置いて・・・・・どうして?
 どうしてだ?!」
涙が止まらない。この涙を受け止めてくれたのは、アンドレ、お前ではなかったか?溢れ出すのはもういない彼への愛しさと悲しみ。涙で潤んだその瞳のうつるのは小さな宝石箱。
「・・・・手紙?」
数日前には気付かなかった白い紙。綴られていたのは自分への言葉だった。
最後の彼の、言葉。

―― 我が愛の女神、“神と剣”へ。
オスカル、お前がこれを読むころはきっと俺はもういない。本当はもう俺の右目はほとんど見えていない。だから読み難いかもしれないが、読んでくれ。
生きろ。何があっても、だ。お前が胸を患っているのは知っている。隠していたつもりなのだろうが、知っていた。けれど、治療すれば治るはずだ。もし、俺が死んでも、生きろ。生きてくれ。旦那様や奥様やロザリーや衛兵隊のみんなのために。なによりもお前のために。俺の分まで生きてくれ。お前がいる限り、俺はお前の側にいると誓おう。必ず側にいる。我が愛しい人のもとに。俺の想いと共に。魂が在る限り。            アンドレ・グランディエ ―――

「アンドレ・・・・」
何故お前はここにいない?どうして冷たくなったお前の体しかない?どうして生きている間にこの手紙を綴った?死んでしまうことをわかっていた?
アンドレの遺体はオスカルの願いによって、ベルナールの家の、オスカルのいる部屋で棺の中で眠っている。湧き上がるのは悲しみと愛しさ。だから。
「アンドレ、私は誓おう。お前の分まで生きると。軍神マルスの子として。
 戦乙女― ヴァルキリー ―としてでもいい。戦場を駆け抜け、生きてみせよう」
だから。明日になる前に。最後にお前の胸で泣かせてくれ。

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「アンドレ、アンドレ」
「・・・母さん?」
「あなたがここへ来るにはまだ早いわ。お帰りなさい。あなたが心から愛する人
 のもとへ。泣いているわ」
「オスカルが・・・?」
「今ならまだ間に合うわ。さあ」
「・・・母さん」
「そうだ、あなたの目を治してあげましょう。わたしの力では片目が精一杯だけ
 ど、あなたが愛する人がよく見えるように。素晴らしい人なのでしょう?」
「ああ。俺の・・・女神だよ」
「まあ。おほほ。さあ治ったわ。さあ行きなさい。まだあなたは天界に足を踏み入れていないわ。だから大丈夫。さあ」
「母さん・・ありがとう・・・」

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もう生きていないはずの彼の胸で泣いた。心臓も動いていない。そのはず、なのに。心臓が動いた?胸に頬を寄せてみる。空耳かもしれない。だけど。
違う、空耳なんかじゃない。微かに、本当に微かにだけれど、動いている。
彼が、アンドレが生きて、いる。ならばいい。二人で生きていける。明日になればわたしはバスティーユへ行かなければならない。死んでしまうかもしれない。
けれどアンドレがいるならば。生きて、生き残ってみせよう。
そしてふっと自嘲する。人の心は弱いものだと。死んだはずの彼に生きると誓ったばかりなのに、心のどこかで死ぬことを考えていた。けれど今は違う。彼が生きている。だから生きる。ふふっと笑いがこみあげてきた。不思議なものだ。

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バスティーユの襲撃から七年。オスカルは重傷を負ったものの、無事でいる。アンドレは一度仮死状態になったものの生きている。周りの人々からは奇跡の二人だといっている。フランスの王家に仕えてきたオスカルは、今、軍人としての地位も、貴族という身分も捨て、一人の人間、妻として、母として生きている。そう、母として。二人の間には娘が一人。色は母親から、髪質は父親から受け継いだ髪と、母親によく似た顔立ちと父親と同じ瞳を持つ美しく、愛らしい娘。この激動の時代に生まれた娘。彼女はあの小さな宝石箱のように喜びを与えてくれる。
「マリー」
「なあに、父さん」
国のために、政略結婚をし、革命の犠牲となり、それでもなお誇り高く生きた一人の女性。それは革命というもののもとに散った華。その名と同じ名を持つ娘。何かの犠牲にはなってほしくない。自分から望んだのでなければ。けれど誇り高く生きてほしいと思う。父のように、母のように。多くの散った華のように。
               Fin.