フランスの民話より〜穀物商人〜

第一話


昔々、フランスのとあるところに、その地方ではわりと裕福な穀物商人がおりました。
彼には息子がひとりいます。名前をアンドレといいました。
商人は彼を学校に通わせ、立派な商人とすべく、あらゆることを学ばせました。

アンドレは学校を卒業すると、すぐに父の仕事を手伝うようになりました。
父親も彼の働きぶりにとても満足したようでした。

しかし、大変よく働く息子を実地で試してみたくなった父親は、彼に小麦を山ほど積んだ船を任せ、
海の向こうの小さなある国に行って売ってくるように言いつけたのでした。


そこでアンドレはその船に乗って出航しました。
なにしろ初めてのことですので、緊張と不安とが彼に猛威をふるって襲いかかります。
押しつぶされそうなプレッシャーの中、しかし舵取りもたくみに、また全てにおいて失敗もなく、
順調そのものに航海は進んだのでした。

上陸してから、アンドレは商人としての腕前を発揮して、
なんと目が飛び出るほどのいい値段で小麦を売りさばいていきました。
売上金は全て金貨で払ってもらい、十日もすると山のようにあった小麦が消えて、
代わりに彼の財布がパンパンに。
後はもう、帰国をするばかりとなりました。


アンドレは小麦を売っていた町から船の待つ港へ急ぎました。
このすばらしい成果を早く父に見てもらいたいあまり、ついつい安全な舗装道路を避け、
薄暗い森の中へと踏み入っていったのです。

思ったとおり、森は大変危険でした。
暗くて、足元は悪くて、おまけに存外広いのです。
だんだんと陽が傾いてくると、さすがにアンドレも心細くなってきました。
しかし、なんとか太陽が完全に沈んでしまう前に森を出たかったので、
それでも必死に歩みを進めるのでした。

しかし、悪いことは突然に起こりました。


森の真ん中くらいにまで来たころでしょうか。
三人のごつい顔をした強盗に出くわしてしまったのです。

背丈は長身のアンドレよりも抜群に高く、まるで全身が筋肉でできているようで、
真っ黒に日焼けした皮膚がその不気味な迫力を何倍にも膨らませておりました。
やつらは捕らえたばかりの人質を連れていました。

その人質の姿はアンドレの目を釘付けにしました。
男とも、女ともとれるその容姿は、この世のものとも思えぬほどの豪華な金髪、
まるでサファイアのような青い瞳、
冬の雪を思わせる真っ白な肌に薔薇のような赤いくちびるがたいそう魅力的で…。
かつて、これほどまでに美しい者を見たことがあったでしょうか。
いいえ、あるわけがありません。
アンドレは危機に瀕しているにも関わらず、高鳴る鼓動を抑えることができずにいたのでした。


「ああ…待って、待ってください…!」

暗い木々の奥から人影がちらりと見えました。
その声色から、年老いた老女であることが確認できました。
ひいひい、はあはあと息を荒げながら現れたその老女に、アンドレは度肝を抜かれました。

「お、おばあちゃん!!」

なんとそれは、アンドレの実の祖母だったのです。

実はこの老女、十年程前からこの国で使用人として働いておりました。
いったいどこのお屋敷で奉仕しているのか、それはいまだに知らされていなかったので、
まさか会うことになろうとは思ってもみなかったアンドレは思わずびっくり仰天です。

「おばあちゃん…どうしてここに!?」

「あ…ア、アンドレ…アンドレなのかい!?」

彼女もアンドレ気がついたようでした。

この十年間の空白に、積もる話はたくさんあります。
しかし、今は再会を喜んでいる場合ではありません。
そう、強盗が二人の前に立ちふさがっているのです。
それも、人質を連れて。
どうやらアンドレのおばあさんは、この美しい人質に仕えているようでした。
気丈な性格の彼女は、その小さな体で一生懸命に主人を取り戻そうと追ってきたのでしょう。
もしこの場で大切な主人が命を落とすようなことがあれば、
たとえ死んでもやりきれない気持ちでいっぱいになること間違いなしです。
そうなればアンドレだって悲しいし、
そもそも彼は、この強盗どもにただならぬ嫌悪感を感じておりました。
自分以外の誰も血を流すことはなりません。
勇敢なアンドレは人質を助けることを決心しました。

「なんだ、ばばあ。まだついてきてたのか」
「おまえのような老いぼれにゃあ用はないと言ったはずだぞ」
「命が惜しけりゃ、とっとと失せな!おれたちにはこのお綺麗な娘さんで十分よ」

強盗どもはおばあさんに罵声を浴びせかけ、
そしてひとりの、一番図体のでかい男が彼女を力の限り蹴り飛ばしました。
誰かがものを言う前に、おばあさんは太い木の幹にぶち当たり、うずくまってしまいました。

「おばあちゃん!」

慌てて駆け寄ろうとしたアンドレでしたが、
哀れ、彼もまた筋肉質の男によって弾き飛ばされてしまったのです。

何とか気を失わず、ふらふらと立ち上がったアンドレは、剣を抜きました。
強盗どもはさすがに緊張に身を構えました。
しかし、とっさにやつらの一人が短剣を少女(そうです、あの人質は女性だったのです)の喉元につけ、
今にも切り裂こうとするのです。
逃がすくらいなら殺してしまおうとでも思ったのでしょうか。

このままでは彼女の命が危ない。
アンドレはそう考えるやいなや、財布の中にぎっしりと詰まっていた金貨をぶちまけました。
そして地をしっかりと踏みしめて、ありったけの大声で怒鳴ったのでした。

「その娘を放せ!そうすればおまえたちにこの金をくれてやる!!」

強盗どもは目を見交わしました。
そしてほとんど時間をかけることもなく、そのかわいそうな少女を解放したのでした。

アンドレは散らばった金貨をさらに一蹴りして、
強盗どもが躍起になってそれをかき集めているうちに懐かしいおばあさんを背負い、
そして少女を連れて走り去ったのでした。


港に着いたのは夜もふけたころ。
今日の夕方までには戻るといわれて待っていた乗組員たちも、
さすがにアンドレが心配になっていました。
しかし彼が戻ると、今までの心配はなんのその。
それよりも背負われていた老女と輝かんばかりの美貌の少女に目を奪われ、
誰も帆を揚げようとはしないほどでした。

アンドレの合図で慌てて出航の準備がなされると、船はまたたく間に陸を離れ、
故郷フランスへと戻っていったのでした。


「おお、お帰り、アンドレよ!予定よりも少し遅れたので心配をしていたのだ。それで、どうだね。小麦はうまく売れたかな?」

家に着くなり、彼の父親が満面の笑顔でアンドレを出迎えました。
彼の後ろにはにこにこしながらこちらを見ている母もいます。

「もちろん、とてもよく売れたよ」
「そうか、それはよかった!では、おまえの財布には大金が入っているのだね?」

「いいや、それが、一文も」

アンドレはあんぐりと口を開けている父に、かの国での森の出来事をすっかり話しました。
捕らわれていた少女を、そして必死で主人を助けようとしていた老女を、いかにして救ったのか。
金をばらまくことで大切な命が二つも救えるならば、なんとお安い相談でしょう。

そしてそれから、彼は玄関の外で家に入ることをためらっていた二人を優しく招き入れました。
彼の父親も、また母親も、これ以上の驚きがあるだろうかと目をまん丸にして、もはや何も言えません。
なにしろひとりはもう十年も会っていない自分たちの母、
そしてもうひとりは天使のように…いいえ、それよりももっと美しい少女だったのですから。

アンドレの父親は言いました。

「よかった。おまえはとても良いことをした」

そしてついつい、涙をぽろりとこぼしたのでした。

アンドレの母は涙ぐみながら祖母と抱き合いました。

「どうして連絡のひとつもくださらなかったのです。とても…とても心配しておりましたのよ」

おばあさんは涙を流したまま、ただ謝っておりました。
理由は言いません。
アンドレの母もそれ以上は追求したりなどしませんでした。
深い愛情でつながれた親子には、余計な言葉など必要なかったのです。

「それで…娘さん。あなたの名前はなんというのかね?」

所在なさげに扉の前に立ったままの美しい少女は…なるほど、
よく見ればとても強い眼差しをもっていました。
白桃のような頬は、今は少し紅潮して、彼女が少女であることを高らかに告げています。
しかし、すらりと伸びたしなやかな手足は男性が着るような衣服によって禁欲的に包まれ、
その整った顔立ちも影響しているのでしょうか、
彼女を見た人々のうち、いったい何人が彼女を「女」として認識できるといえましょう。
彼女の美は、男も女も超越していたのですから。

「わたしは…オスカルと申します」

不思議でした。
アンドレはあの森で出会ったときから、
この美しい少女を見るたびに心が高ぶってしまってどうしようもないのです。
まるで酸素不足の魚のように息が吸えなくて、瞬きすることすら忘れてしまう…、
または心臓の機能が著しく向上して大砲の弾のように体中の血液が撃ちまわる…そんな感覚でした。


彼の父親は、次の週からアンドレをもう一度学校へ行かせました。
良い心根を持つことは結構なのですが、アンドレは商人としてはまだまだ未熟です。
教育に限っては厳しい父でしたから、容赦はありませんでした。
もちろんアンドレも、そんな父のことをきちんと理解しています。
しかし、学校に行けば寮での生活が始まるのです。
アンドレは憂鬱でした。
寮に寝泊りする、家に帰れない…つまり、オスカルに会えないのです。

アンドレが学校へ通っている間、彼の父親はオスカルとそのばあや…つまり自分の母の面倒をみました。
二人を引き取って、食べ物から着る物まで、何ひとつ不自由しないようにしたのです。

「おじょうさま、おじょうさま、ほら、これをご覧くださいまし!綺麗なドレスでございましょう。息子 が用意してくれたんですよ」

ばあやが手にしていたドレスは、たいそう立派なものでした。
まるでオスカルの瞳の色のような青と、そして彼女の美しい肌をいっそう際立たせる白、さらには銀色の鮮やかな刺繍が品のよさを物語るようでした。
しかしオスカルは、悲しそうに首を横に振りました。

「すまないが、ばあや…これは着れないよ。お父様にお返ししてきておくれ。オスカルはわけがあってド レスを着ることはかなわないのだと言ってな。くれぐれも、わたしがこれを気に入らなくて着ないのだ とは思われないように」

ばあやは悲しい目をしながらドレスを手に、引き返していきました。
オスカルは服装だけではなく、その話し方も、振る舞いも、なにもかもが男のようでした。
理由はいまだ明かされてはいません。
アンドレも知りません。
ただオスカルとばあやのみが、そのわけをご存知なのです。
美しい少女の正体は謎に包まれていました。


半年ほどたって、アンドレが家に帰ってきました。

「アンドレ、もう一度、おまえに船一杯分の小麦を任せる。学んだことをしっかりと頭に置いて、商人としての腕前を父さんに見せておくれ」

アンドレはすぐに出航の準備を進めました。
何もかもがすっかりそろって、いざ乗船…という前に、彼はオスカルのもとへ挨拶に参りました。
彼の心がそれを望んだのです。
オスカルは半年のうちにますます綺麗になっておりました。

「オスカル、おれはもう行かなくてはならないんだ。きっと、成功してくるよ。約束する」
「まだ帰ってきたばかりなのに…また会えなくなってしまうんだな」
「ごめん、オスカル。でもおれ、早く一人前になりたいんだ。だから…」

オスカルはアンドレのくちびるに細い人差指を当てて、それ以上は何も言わせませんでした。
それから、ほんの少し寂しそうに微笑むと、向き合ったアンドレの肩に手を置いて、
ちょっとだけ背伸びをして、そしてかすめるようなキスをしました。
一瞬、高貴な香りが鼻をくすぐりました。


「このハンカチを持っていってくれ」

自分の口元に手を当てて、顔を真っ赤にしているアンドレに、
オスカルは恥ずかしさを紛らすようにして言いました。
ごそごそと取り出したそのハンカチは、彼女の肌のように真っ白で、清潔感があって…。
それから端の方に金の糸で小さな刺繍がされているのでした。
それは、なにかの紋章のようにも見えました。

「もしまたあの国のあの森を通るようならば、城に立ち寄って国王に謁見するといい。そしてこのハンカチを手にして、小麦をお買い上げしてもらうよう話すのだ。きっと信じられないくらいの高い値段でお買いになるはずだから」

アンドレはそのハンカチを受け取りました。

「わかった、そうしてみよう。…おまえへの愛にかけて」

二人は弾かれたように抱き合うと、何度も何度もくちづけを交わしました。


さて、アンドレは例の国に到着いたしました。

森に入る前に城への行き方を人に尋ね、それから荷馬車に小麦を全て積み込んで、
なるべく良い道を選びながら王様にお目にかかりに行きました。
もちろん、白いハンカチを大切に手に持って。


謁見の間に入り、王様の御前にひざまずくなり怒声が響き渡りました。

「おい、商人よ、正直に答えろ!さもないとギロチンをこの場に用意してみせようぞ。おまえの首を槍に突き刺し、高々と掲げてやるのだ!さあ、申せ。そのハンカチはどこで手に入れた!?」

「はい、陛下。これはとある美女のものでございます」

「それはわしの娘のものだ!!」
「!!?」

なんだって!?オスカルがこの国王陛下の娘!?

アンドレは暴れ馬に思い切り蹴り飛ばされたような衝撃を受けました。
一瞬にして目の前が真っ白になり、そして次の瞬間には暗闇に閉ざされました。

オスカルが…オスカルが…この国の王女!?
あの凛とした男装の少女が…、
いつも背筋をピンと伸ばして遠くを見据えていたあの少女が…、
美しい金髪の少女が…、この国の王女!王女!!

アンドレの膝が、がくんと折れました。
手をついて、王様の前でへたり込み、顔を上げることもできません。

オスカルが王女だって?
はっ、そんな馬鹿げたことがあるものか。
ではいったい、あのくちづけはなんだったのだ。
あの狂おしいまでのくちづけは、おれたちの愛の証ではなかったか!
ああ、いったいおれは、どうしたらいい?
こんなことがあってよいものか…。
おれのただひとり…生涯をかけて愛したいと願うただひとりの女性が…王女!
この国の…王女だと!!

「この半年の間、わしは娘の消息を知らぬのだ。半年前、あの森で姿を消して以来、妻も五人の娘たち も…いや、それどころか家臣も召使いも国民でさえも、皆あれを心配しておるのだ。オスカルは今どこにいる!?」

しかし、アンドレに王様の言葉は届いていませんでした。
遠くのほうで吠えるような何かを感じ取りながら、
ただその場で喉を打ち抜かれたように放心しているのでした。