アンドレにっき


ジャルジェ家にごやっかいになって数ヶ月。
もうほとんどの字も とまどうことなく書けるようになったし、
ちょっと にっきでもつけてみようかなあと思って、きょう、いっさつのノートをもらいました。

○月×日 天気:くもり

きょうからアンドレにっきのはじまりです。
きねんすべき第1にちめにふさわしく…はない天気だけれど(ちょっとさむい気がするなあ)、
はりきっていこーう!

えーと、まず、きょうはとってもはやく起きました。
オスカルが あさはやくから剣のけいこをするというので、このぼくがねぼうをするわけにはいきません。
もしねぼうなんかしたら、おばあちゃんにこてんぱんにやられちゃうもんね。
…というわけで、ちょっとねぶそくぎみなぼく。…ふあぁ〜ぁ。

でも、やっぱり はやおきなのがおばあちゃん。
ぼくが起きたときにはもうすっかりおしごとたいせいで、びっくりしちゃったなあ。
いつもがんばろうって思うんだけど、なかなかおばあちゃんよりはやく起きられないんだよねぇ。どうしてだろう。
そしてそのたんびに、ぼくはおばあちゃんに「おそい!」ってどなられるんだ。
あ〜あ、きょうこそは…と思ったのに。

それからよていどおり、ぼくはオスカルの剣のあいてをしました。
あいてといっても、ぼくがいっぽうてきにやられてばかりなんだけどね。
なさけないぞって、よくオスカルに怒られるんだけど、ほんとにちょっとはてかげんしてほしいよ。
おじょうさまのくせに、ものすごく強いんだもん。
でも、ぼくはいつかきっとオスカルをまもってあげられるくらいに強くなるんだ。
そのためにも、今はつらいけど、がんばってけいこをつづけよう。
そうすれば、きっとだいじょうぶだよね?

それからぼくは朝のおきゅうじをして、そしていつものようにべんきょうをはじめました。
もちろん、オスカルといっしょにね。
オスカルはほんとうに あたまがいいんだけれど、ちょっとわからないことがあるとすぐに紙をぐしゃぐしゃにするんだ。
せんせいもこまっちゃって、だからぼくがなんとかオスカルをはげまして、そしてわからないところをおしえてあげるんだ。
あれ?なんでぼくがおしえているんだろう。へんなの〜。
でもま、いっか。
だってオスカル、かわいいんだも〜ん。
そっぽむいたまま「ありがとう」、なんて、ちょっとぶっきらぼうだけど。
でも、それって てれてるしょうこだよね。えへへ〜。

べんきょうがおわると、まちにまった じゆうじかんです。
ぼくはさいきん、おやしきのてつだいもはじめていたんだけど、
じゆうなときはオスカルさまのおあいてをしてさしあげなさいっておばあちゃんが言うから(じゆうじかんじゃなくても あいてはしてるのにね)、ぼくはオスカルといっぱいあそびました。
ぼくはオスカルが見たこともないような あそびをたくさん知っていたから、まいにち まいにち オスカルはたのしそうでした。よかった!

いつもはすぐ そとに出てあそぶんだけど、きょうはオスカルがどうしても本をよみたいと言うから、いっしょにおなじ本をよみました。
オスカルは女の子なのに、ぼくたち男の子がむちゅうになるようなのばっかり、よみたがるんだ。
でもおかげで、たいくつしなくてすむからいいんだけどね。
きょうもそんな本をオスカルがどこからかひっぱり出してきて、ぼくに見せてくれたんだ。
ぼくもオスカルもわくわくしながらその本をよんだんだよ。
とってもおもしろかった!
だけど、ぼくは思ったんだ。
この本にでてくる、強〜い ゆうしゃにぼくもなりたいって。
だって、今のままじゃ、どうかんがえてもぼくよりオスカルのほうが ゆうしゃらしいんだもん。
そうしたら…ぼくはたすけられてるこのおひめさま…?
ええぇ〜っ!!そんなのやだあっ!
ぼくもぜえぇったい強くなるんだ!
それで、オスカルをわるいやつから守ってあげるんだ。
うん、だから、まっててね、オスカル!
すぐにぼくもすご〜く強くなって、それでオスカルをまもってあげるんだから!
よしっ、がんばろーう!

あれ?え…と、どこまで書いたのか わすれちゃったなあ。ん…と、あ、そうだ、そうだ。本をよんだところまでだったね。

それで、本をよんで、そのあとは ついねむくなって…、それで…あ、そっか、ぼくたちねちゃったんだ!
きづいたら おひるのじかんで、ぼくはまたおばあちゃんにどなられたんだよ。
しかも ごごはず〜っと剣のけいこ、けいこ、けいこで…。
ああ〜、なんでこのおやしきにはこんなに怒るひとがふたりもいるんだろう。
おくさまやだんなさまよりも、ずっとおばあちゃんやオスカルのほうがこわいよ。ぶるぶる。

でも、さすがのオスカルも、だんなさまにはなかなか かてないみたいだ。
あれだけぼくと剣のけいこをしたのに、そのうえだんなさまとも、なんて…。
ちょっとオスカルがかわいそうになっちゃった。
オスカルはだれよりもすてきな女の子なのにね。

ああ、いま かんがえてみれば、ぼくのなやみなんてちいさなものなんだなあ。
だって、ぼくよりもず〜っとオスカルのほうが くろうしているんだよ。
そう思うと、ぼくはなんだか じぶんもがんばらなくちゃって気になるんだ。
だから、きょうはきのうよりもいっしょうけんめい はたらいたよ。
オスカルがだんなさまにけいこをつけてもらっているあいだだけだけどね。
あしたはもっとがんばってはたらくんだ!
はやく いちにんまえになりたいなあ。

それから よる、きょうもやっぱりオスカルが へやに来ました。
だめだって言ってるのに、なんど言ってもわかってくれないんだ。
おばあちゃんに見つかりでもしたらたいへんなのに!
なんとか きょうはじぶんのへやにかえってもらったけど、こんどはオスカルがきげんわるくしちゃって、たいへんだったなあ。
あしたになればまた、わらってくれるかな。
うん、きっとだいじょうぶだよね!

さて…と、きょうはこれくらいにして。
そろそろ ねなくっちゃ。
ねぼうなんかしたらたいへんだ。

それじゃあ、おやすみ、だいすきなオスカル。

                    
                       ※

寝台に寝そべりながら、アンドレは月明かりと小さなろうそくの火を頼りに、昔に思いを馳せていた。
夏の夜は、静かなようで、しかし小さな虫達が楽しそうにおしゃべりに興じている。
幼い頃につたない字で書きつづった日記をめくるうち、アンドレの中には、もうずいぶんと前に失ったような子供の心がよみがえってくるように思えた。

何もかもが輝いていたあの頃。
難しいことなど何も考えずにただ笑っていればよかったあの頃。
懐かしさに胸がふるえ、自然と表情はほころんでいった。

「(この頃からおれはオスカルのことしか考えていなかったんだなあ)」

そう思うとまた笑みがこぼれてくる。

愛しい幼少時代。
もう二度と戻らぬかけがえのない日々。
すべてを胸に刻み込み、命尽きるその瞬間まで大切な宝物として守ってゆこう。
若葉の青い匂いも、
燃え盛るような夏の花の色も、
かさかさと音をたてて散る朱色の木の葉も、
めくるめく銀世界も、なにもかも!

「アンドレ…」

小さく扉をたたく音がして、返事もしないうちに彼女は部屋に入ってきた。

「オスカル!どうした、こんな時間に」

突然の訪問に驚いて、跳ねるようにアンドレは起き上がった。
残暑の涼しい風が開け放しの窓から滑り込み、二人の頬をそっと撫でる。
扉の前に立って俯いたまま、恥ずかしそうに言葉を紡ぐオスカルを、アンドレは不思議な気持ちで見つめていた。

「おまえが部屋を出ていってから…さびしくて…眠れなくて…」

寝台から立ち上がると、わずかに気のきしむ音がした。
照れ隠しに、長い金髪をかき上げたり、後ろ手を組んだり、どうも落ち着かないオスカルの肩を、歩み寄ったアンドレがそっと抱き寄せると、彼女は遠慮がちに彼の背に腕をまわした。

華奢な体を抱きしめながら、アンドレはぼんやりと考えていた。
彼にとってオスカルは、いつまでもあどけなさを残す可憐な少女であり、また尊敬にあたうるような凛々しい軍人であり、そして…愛するよろこびを知った、艶やかな女でもある。
この夜の闇に光をもたらしてくれる人。
心から愛する人。
誰にも譲れない。
自分だけの美しい女神。

…おれは…強くなれただろうか…。

幼い頃からずっと、それだけを願っていた。
愛する人を守りたい、助けたい、いつもそばにいて支え続けたい!

昔読んだ武勇伝のように、か弱い「おひめさま」ではなく、
愛しい人を命がけで守れるような、強い「勇者」になりたかった。
20年以上もたった今、それは叶ったのだろうか…。
彼女は、自分を必要としてくれているのだろうか…。
おれの望みは、ただひとつだ。

今、光は影に絡めとられ、よりいっそう輝きに磨きをかける。
恥じらんだくちびるは控えめに愛を語り、濡れた瞳が幼なじみの心を狂わせる。

過去よ、懐かしい過去よ、今のこのひとときだけはもう振り返るまい。
新しい幸せを胸に、ただ現実だけを見据えていたいのだから。
はやぶさのように世情が変わる時代だからこそ、一瞬たりとも見逃すことはできない。

しかし、前だけを見つめているのに疲れたならば、たまに夢を見るのも悪くはなかろう。
今宵のように、時には昔の日々を思い出し、そして自らの意識をきらめく幻想の中に引き込むのだ。
そのときは…ひとりではなく、ふたりで…。
素晴らしい夢は、愛する人とふたりで見ればなお幸せなのだろうから。


×月△日 天気:はれ

優しい夢を見た。金髪の少女が、おれに手を振っていた。