ブルーグレイ

VOL..2


「……これは。」
次の言葉が出てこなかった。フェルゼンも、アントワネットも、ただ呆然とオスカルと
ジェローデルを見ていた。



ジェローデルに対して特別な感情があったわけではない。単なるあてつけ。あの後
、自分とジェローデルは、いかにもバツが悪そうに、2人の前を去ってきた。自分の
ことなど、本当は何も分かっていない2人…。私に恋人がいるなんて発想はないか
ら、ジェローデルと私を交互に見ては、目をぱちくりさせていたっけ。思い出すと、笑
える。
嫌いだ、フェルゼンなんて、アントワネット様も…。女同士、友人だと言いながら、自
分を変わった女とどこかで見下しているアントワネット様。自分達の悲恋に陶酔しき
っている2人を見るのも嫌だった。今まで、こんな風に考えたことは無かった。フェル
ゼンも、アントワネットも両方好きなはずだった。でも、それは、やはり、表面だけだ
ったんだ。気がつけば、自分はこんなにも悲しくて、2人に対する怒り、嫉妬、そうい
うどろどろしたものが渦巻いている。なんて、嫌な自分…。
帰りの馬車の中、ジェローデルは何も言わない。さっきのおかしな行動についても、
何も聞かない。ただ、オスカルの横に黙って座っていた。それは、それで、彼の優し
さだと思った。
「では、おやすみなさい。」
屋敷に着き、ジェローデルが恭しく頭を下げた。結局、彼は何も聞かなかったし、言
わなかった。あの情熱的な口付けだけは、今でも腑に落ちないが、今夜はもう、そ
んなことはどうでもよかった。ただ、とても疲れていて、はやく休みたかった。



「オスカル、昨夜は本当にびっくりしたわ」
翌日、アントワネットに呼び出された。案の定、昨夜の話だった。本当に、このお方
は直球だ。暫く様子を見てからとか、そういう発想はないらしい。
「で、結婚するの?」
「は?」
「いやねえ、私と貴方の仲ではないの。ねぇ、オスカル、ジェローデル大尉とはいつ
から?私、気付かなくて、あ、でも、最近、貴女がとみに美しくなったような気はして
いたのよ。ジェローデル大尉のおかげだったのね。貴女もようやく、女の喜びや幸せ
を味わうことが出来るのね。私、密かに心配していたのよ、貴女が、せっかく女とし
て生まれたのに、その喜びも知らずに終わってしまうんじゃないかと…」
「………」
この方は、こういう方なのだ。いつもは、自分は不幸だ、愛する人と結ばれることが
できない、世界一かわいそうな女、と言って嘆き悲しんでいるのに、こっちに男が出
来たとなれば、自分は女として幸せだ、喜びも知り尽くしている、男性を知っていると
いう意味では、自分の方が上なのよ、とでも言いたげな口ぶり。自分の勝手な想像
のもと、事を運ぼうとする。ほんの少しを見ただけなのに、私の全てを知っているよ
うな口をきく。本当に、傲慢な方…。
「いえ、彼とは結婚はいたしません」
ぽん、と口をついて出た言葉。アントワネットが目をむく。
「何を言っているの、だって、貴女とジェローデルなら、結婚するにしたってなんの問
題もないじゃないの」
「問題がないのと、だから結婚する、というのは話が違います」
「じゃあ、愛していないとでも言うの?」
「いいえ、それも違います」
「…じゃあ、なぜなの?オスカル、貴女は長いこと男として生きてきて、だから、そん
な風にねじれた発想をするのかもしれないけど、女は、愛する人と結婚して、子供を
産んで、それが幸せなのよ。それが一番幸せなのよ!」
つい、語気が強まった。最後の方は、アントワネットが自分に言い聞かせているよう
にも思えるのだが。
「私は、普通の女と違います」
オスカルがぴしりと言った。
「男に依存しなければ生きていけない女たちとは違うのです。私は、どんな男性とも
、対等に話し、対等に恋をするのです」
言ったあとで思った。これは、王妃への痛烈なあてつけだ、と。
「どんな男性とも、とは?貴方の恋人はジェローデルでしょう?」
そっちの方にいくのか。私が強調したかったのは、対等に、の方なんだけど…。教
養の無い女と話をするのは難しい。しかし、売り言葉に買い言葉。次に口をついて出
た言葉に、自分自身、びっくりした。
「今の恋人はジェローデルですが、それは、あくまでも、今の、という意味です。これ
までのように、また変わるかもしれませんし。今すぐ結婚とか、どうとか、考えており
ません」
「これまでのように、って…」アントワネットが青ざめる。男性との恋愛、という意味に
おいて、明らかに自分の方が勝っていると思っていたアントワネットは、ただ、信じら
れない、といった様子でこちらを見ている。そして、最後にぽつりと言った。
「貴女がそんな女だとは…」
なんて情けない捨て台詞だ。その言葉、そのままそっくり貴方にお返ししますよ、ア
ントワネット様。もう、知った顔をされるのも、見下されるのも、フェルゼンとのことを
見せ付けられるのも、まっぴら…。
オスカルはすらりを踵を返すと、マントを靡かせながら、アントワネットの前を辞した。
アントワネット様を好きなのは本当だ、嫌いじゃない。だけど、全てが好きというわけ
でもない。昔は可愛らしいとさえ思ったませた知ったかぶりが、憧れていた無邪気さ
が、今は、ただ、憎かった。



目を潤ませながら司令官室に着くと、ジェローデルが待っていた。
「…ああ、昨夜は、すまなかったな。全て忘れてくれ」そっけなく背中を向ける。その
背中を見つめながら、ジェローデルが続けた。
「貴方の気持ちは、分からないでもありません」
オスカルの肩がぴくり、と動く。
「恋人役が必要でしたら、いつでも。貴方が私を愛してくれているとは、とても思えま
せんが、カムフラージュにはなりますよ。…人は、たまには弾けて理性では抑えきれ
ない行動を取ることで、気晴らしもしているのですから。今度は、あの2人の後をつ
いて、ドレスをお召しになって仮面舞踏会へでも参りましょうか?」
最後はおどけたように言う。彼一流の気遣いだった。
「…ああ、そうだな。そのうちな」
それには生返事だけをして、ジェローデルを下がらせた。ぱたん、とドアが閉まる。
「なんて、嫌な自分…」つい、声が漏れた。
自分がどこに行きたいのか分からない。このまま突っ走って、どうするのだろう。危
険だということは分かっているのに、それでも後には引きたくない自分の心が、今は
よく分からなかった。