琥珀色の愛




その愛は、ただひたすらわたしを守り抜く、そんな愛だった。

わたしが十になった年、そろそろわたしにも何か宝石を身に付けさせようと、母が宝石商を呼んだときのことだった。十歳と言えば、貴族の女の子なら社交界にデビューする年だったから、母は、そうできないわたしに、せめて宝石だけでも身に付けさせてやりたいと思ったのかもしれない。
「母上、参りました。」
「いらっしゃい、オスカル。」
 母の部屋に着くとわたしは、後ろでもじもじしているアンドレを目で示しながら母に言った。
「母上、アンドレにも宝石を見せてよろしいですか。」
「もちろんですとも。さあ、アンドレ、遠慮しないで。」
 父も母も、ばあやの孫のアンドレをとてもかわいがっていたが、特に母は、息子がいなかったせいか、アンドレが大のお気に入りだった。
「さあ、オスカル、アンドレ、ご覧なさい。美しいでしょう?」
「わあ……。」
 母に促されるまま宝石商が持ってきた宝石箱を覗いたわたしたちは、二人して感嘆の声を上げた。そこには大小様々な宝石がきれいに並べられていたのだ。
「母上、このアンドレの瞳のように黒くてキラキラしている石は何というのですか。」
「ああ、それね。それは黒曜石というのよ。」
「ふーん、黒曜石かー。」
「黒曜石はね、割ると鋭い刃物のようになるから、遠い昔の人が武器として使ったのですって。」
「へえー、そうなんですかー。」
「奥さま、このオスカルの瞳のように青くてキラキラしている石は何というのですか。」
「ふふ、やっぱりアンドレはその石に目を付けたわね。それはね、サファイアっていうのよ。」
「ふーん、サファイアというのですかー。」
「きれいでしょう?」
「はい。でも……。」
「でも?」
「オスカルの瞳のほうがもっときれいです。」
 その言葉にわたしが驚いて赤くなっていると、母が
「まあ! アンドレは大人になったら口説き上手になりそうね。」
と言って、嬉しそうに笑った。
「?」
 当のアンドレは、なぜ母に笑われたのか、全くわからないといった顔で、きょとんとしている。そんなアンドレは無視して、わたしは気を取り直すように母に尋ねた。
「母上、この、中に何か入っている、飴色の透明な石は何ですか。」
「あ、それね。それは琥珀というのよ。」
「コハク?」
「ええ。琥珀はね、遠い遠い昔の木の樹脂の化石なのよ。」
「樹脂って?」
「うーん、松で言えば、松やにね。」
「松やにの化石ー?」
「ええ、そう。だから琥珀には、中に花や虫が入っているものもあるのよ。これもそう。入っているのは花びらのようね。遠い昔の花や虫を抱いたまま、樹脂は長い年月をかけて宝石になるの。」
「何だかすごいな……。アンドレもそう思うだろ?」
「うん、オレ、あ、ぼく、びっくりしちゃった。」
「あは、アンドレったら。」
「でも、琥珀ってオスカルの髪の毛みたいだな。」
「なんで?」
「だってほら、こうしてお日さまに当たると金色にキラキラ光るでしょ? オスカルの髪の毛もおんなじ。お日さまに当たると金色にキラキラ光るんだよ。」
「ほほ……。やっぱりアンドレは口説き上手だこと。」
そう言って、母がもう一度笑った。
「……それでオスカル、どの宝石をいただくか決めましたか。」
「いえ、どれも素敵な宝石ばかりで、まだ……。」
「そうですか。それでは、少し考えて明日返事をくださいな。」
「はい、わかりました。」

 母の部屋を出ると、アンドレが言った。
「……オレも琥珀みたいになりたいなあ。」
「琥珀みたいに?」
「うん。琥珀みたいに、自分にとって一番大切なものをずーっとずーっと守って、最後はいっしょに宝石になるの。」
「また、アンドレのロマンチスト癖が始まった。」
「悪かったな。」
「でも、そうだね。琥珀みたいに、自分にとって一番大切なものをずーっとずーっと守れたらいいね。」
「そうだろ?」
「で、アンドレにとって一番大切なものって何なの?」
「え?」
「あるんでしょ? 大切なもの。」
「う、うーん。あるにはあるんだけど……。」
「教えてよ。」
「いや、それはちょっと……。」
「何だよ。教えてくれないの?」
「今は無理。」
「じゃあ、いつになったら教えてくれるんだ?」
「うーん、オレたちが大人になったら、かな?」
「何だよ、それ。」
「まあ、いいじゃないか。大人になる楽しみが一つ増えたと思えば。」
「もう! いつもそうやってはぐらかすんだから! わかったよ! 大人になるまで待てばいいんでしょ!」
「うん! 楽しみにしててね!」 
 アンドレの言葉を聞きながら、わたしは宝石商から買う宝石を、あの花びらを閉じこめた琥珀にしようと決めていた。

「え? 琥珀にするのですか。」
「はい。そう決めました。」
 翌朝、母の部屋に行くと、わたしは早速母にそう告げた。
「あの花びらを閉じこめた琥珀ですか。」
「はい、それです。」
「何か訳があるのですか。」
「ええ。」
「まあ、何かしら?」
「今はちょっと申し上げられません。」
「ほほ……。まあ、いいでしょう。あなたがそう決めたのであれば。」
「ありがとうございます。」
「……ところで、オスカル……。」
わたしの笑顔を嬉しそうに見ていた母が、ふと何かを思い出したように話しかけた。
「あなた、宝石にはそれぞれ石言葉というものがあるのをご存じ?」
「いいえ、今、初めてうかがいました。」
「そう。石言葉というのはね、石の特質によって当てはめられた象徴的な言葉のことなのだけれど、琥珀の石言葉は、『祈り』なのですよ。」
「『祈り』ですか。」
「ええ。……長い長い、それこそ気の遠くなるような年月を、琥珀は何か大切なことを祈りながら宝石になっていくのかもしれませんね。」
 母の言葉がアンドレの言葉と重なる。
(琥珀みたいに、自分にとって一番大切なものをずーっとずーっと守って、最後はいっしょに宝石になるの……。)
「……それでオスカル、琥珀は何に仕立てますか。」
「え?」
「琥珀を何に加工したいか訊いているのです。指輪とかブローチとか、あなた、何にしたいのですか。」
(そうか。昨日の宝石はまだ何にも加工されていないものだったんだ。)
 しばらく考えてわたしは言った。
「では、母上、あの琥珀はペンダントにしてください。」
「ペンダントに?」
「はい。中に入った花びらを損なわないようにして、できるだけ細い鎖を付けた、余計な装飾のない、男物のペンダントに。」
「男物の?」
男物と聞いて、母は少し驚いたようだったけれど、男物の服ばかり着ているわたしが、装飾品も男物にしようとしているのだと思ったのだろう。それ以上、何も訊かなかった。
「わかったわ、オスカル。では、そのように宝石商に注文しておきましょう。」
「ありがとうございます。」

 それから何日かして、わたしのもとに琥珀のペンダントが届けられた。わたしはアンドレをすぐにわたしの部屋に呼んだ。
「どうしたの、オスカル。わざわざ部屋に呼ぶなんて。」
 わたしの部屋に入って来るなり、アンドレが言った。
「おまえにちょっと用があってな。」
「用って?」
 アンドレの問いには答えず、わたしはアンドレに言った。
「アンドレ、ちょっと後ろを向いて目をつぶれ。」
「え? 何するの?」
「いいから、いいから。」
「ホントに大丈夫? こういうときのおまえって、絶対怪しいんだから!」
「大丈夫、大丈夫。」
そう言いながらわたしは、アンドレの首に手を回すと、用意しておいた琥珀のペンダントをかけた。
「アンドレ、もういいよ。目を開けて。」
「?」
「はい、これ。おまえにやる。」
「え? これってこの間の琥珀じゃないか!」
「そう。」
「そうって……。もう、オスカルったら、こんな高価なもの、オレがもらえるわけないじゃないか!」
「そうか?」
「そうだよ! もう! ホントにオスカルはわかってないなあ!」
「だって、アンドレ、なりたいんでしょ?」
「え?」
「この琥珀みたいになりたいんでしょ? この琥珀みたいに、自分にとって一番大切なものをずーっとずーっと守って、最後はいっしょに宝石になるんでしょ?」
「だからって、こんな高価なものもらえるわけ……。」
「もう! ぼくがいいって言ったらいいの! ぼくはアンドレにあげたくてこの宝石を選んだんだから!」
「オスカル……。」
「だから、ちゃんと受け取って。おまえが一生身に付けていられるように、ちゃんと男物に作ってもらったからね。」
「でも……。」
「ちゃんと受け取って。そして、大人になったら教えてね。アンドレが、琥珀みたいにずーっとずーっと守りたいって思ってる大切なもの。」
「……うん。わかった。」
「きっとだよ。」
「うん、約束する。」
 アンドレが胸の前の琥珀を両手で握りしめながら言った。
「アンドレ、それ、おまえにとっても似合ってるよ。」
「ありがとう、オスカル。」
 そして、それから二十三年もの年月が流れ……。

「痛っ。」
 アンドレに抱きしめられたら、鎖骨のあたりに何かが当たって、わたしは思わず声を上げた。
「あっと、ごめん。これが当たったんだね。」
 そう言うとアンドレは、胸元から小さなペンダントを引き出した。
「……アンドレ、それ……。」
「ああ。おまえが子どもの頃くれたやつだ。」
 それはわたしが子どもの頃、半ば強引にアンドレにやったあの琥珀のペンダントだった。
「……ずっと身に付けていてくれたんだな。」
「もちろん! おまえがおれにくれた大切なものだからな。」
「……おまえが肌身離さずそれを付けているなんて知らなかった。」
「いつもはシャツの中だしな。それに見つかったら大変だ。」
「ふふ。それもそうだな。」
「だろ?」
「……アンドレ、ちょっとそれを見せてくれ。」
 言ってわたしは、琥珀をつまんだアンドレの指先に、わたしの指を絡めた。
「……あの時のままだろう?」
「うん……。」
アンドレの首にかけられたままの琥珀をろうそくの火にかざして見ると、その中にはあのときの花びらが今も大切に守られていた。
「……アンドレ。」
「ん?」
「おまえ、琥珀の石言葉を知っているか。」
 アンドレの胸にかけられた琥珀を指先でもてあそびながら、わたしは尋ねた。
「琥珀の石言葉? さあ、知らないな。」
「このペンダントを作るお願いをしたとき、母上が教えてくださった……。」
「へえ、初耳だな。……それで、何なんだい? 琥珀の石言葉って。」
「『祈り』だそうだ……。」
「『祈り』か……。」
「ああ……。」
「何だかわかる気がする……。」
アンドレの瞳が、はるか昔の見果てぬ夢を思い起こすかのように虚空に向けられた。わたしはその、子どもの頃と変わらぬ黒曜石の瞳を見上げながら、二十三年にも及ぶ彼の「祈り」に思いを馳せた。長い、本当に長い時をアンドレは、まさに祈るような思いで過ごしてきたのだろう。こんなにも想いの丈を込めて人を愛することを知った今なら、そのことが痛いほどわかる。
しばらくそうしているうちにわたしは、琥珀に別の石言葉があったことを思い出した。たしか、それは……。
「……アンドレ、今思い出したんだが……。」
「ん?」
「母上に教わってから、後で琥珀の石言葉を自分でも調べてみたんだ。そしたら、『祈り』の他にも琥珀には石言葉があったんだ。」
「石言葉ってそんなにいくつもあるものなのか。」
「うん、そうらしいな。」
「で、何だったんだい? 琥珀の石言葉って。」
「琥珀の石言葉はね、母上が教えてくださった『祈り』の他に、『誠実』、『抱擁』、『大きな愛』、そして……。」
「そして?」
「『長年積み重ねてきた愛の成就』……。」
「……す、すごいな……。」
「な? 偶然とは言え、すごいだろう?」
「ああ、驚いたよ。まさにそのとおりだ。」
 そう言いながらアンドレは、わたしを抱いていた腕にもう一度力を込めた。その瞬間、わたしの指先から琥珀が零れ落ちる。アンドレに抱きしめられながらわたしは、まるで自分が長い長い時を琥珀に守られてきた一枚の花びらであるかのように感じていた。

 それから二週間ほど経った夜……。
「……で、結局あれって何だったのだ?」
「え?」
 愛を交わし合った後の荒い呼吸が収まると、わたしはアンドレの胸の琥珀を指先でそっとつまみながら尋ねた。
「おまえが琥珀みたいに自分の中で大切に守っていきたいものって。」
「ああ、それか。」
「そう、それ。大人になったら教えてくれるって、おまえあのとき言ったろ? こうして二人とも大人になったことだし、そろそろ教えてくれてもいいだろう?」
「はは、それもそうだな。……あれはね……。」
 そう言うとアンドレは、勿体を付けるように言葉を切った。
「あれは?」
「お・ま・え。」
「え?」
「おまえだよ。今も昔も、おれが琥珀みたいに守っていきたいのは。」
 そう言いながらアンドレは、昔のままの黒曜石のような瞳でわたしを愛おしそうに見つめた。
(……まったくおまえってやつは……! これだからわたしは参ってしまうのだ……。)
「……アンドレ、おまえ、母上がおっしゃっていたとおりになったな。」
「え?」
「口説き上手だ。」
「はは。」
「ふふ。」
振り返ってみれば、おまえが言うとおり、わたしは子どもの頃からずっと、おまえに守られて生きてきたのだ。そのことにわたしが気付きさえもしないほど、自然に、さりげなく、おまえはわたしを守ってきたのだ。
「オスカル……。おれはおまえを守るよ。今までもそうだったし、これからもそうだ。たとえこれから先、何があっても。この琥珀にかけて……。」
 そう言ってアンドレは、わたしをこの世の全てから守るかのように抱きしめた。アンドレの琥珀のように限りない愛の中でわたしは、運命の七月十三日を迎えようとしていた……。

その日、アンドレは死んだ……。銃弾からわたしを庇って……。最後までわたしを守って……。
 静かに横たわるアンドレの軍服のホックを外す。血に染まったシャツが現れる。そうしてわたしはアンドレの胸元から、あの琥珀のペンダントをたぐり寄せた。
 アンドレ……。この琥珀の中の花びらはわたしだ。この花びらのようにわたしは、おまえの中で大切に守られていたのだ。おまえに守られるのは、わたしにとって当たり前のことだった。でも、それは、おまえのわたしに対する聖なる「祈り」だったのだね。そうして気が遠くなるほど長い時をおまえは、わたしを守ることだけに費やしてきたのだね。今ならわかる。おまえのその「祈り」が、どれほどおまえに犠牲を強いる大変なものだったかということが……。
 琥珀のペンダントを握りしめながら、わたしは心の中でつぶやいた。
(だけど、アンドレ……、おまえは馬鹿だ……。わたしより先に死んでしまったら、もうわたしを守れないじゃないか……。)
 おまえは知っていたのだろうか。琥珀の中の花びらが、琥珀に守られたまま化石となっていくことを……。おまえは考えたこともなかったのだろうか。琥珀の中で守られた花びらが、琥珀を失ったときどうなるかを……。そしてわたしは泣き崩れた。
 琥珀の石言葉は、祈り、誠実、抱擁、大きな愛、そして、長年積み重ねてきた愛の成就……。それは、偶然と言うには不思議なほど、おまえと重なり合っていた。でも、今振り返ってみれば、それは偶然なんかではなかったのかもしれない。なぜなら、おまえの生き方は本当に琥珀のようだったから……。琥珀のようにおまえは、自分にとって一番大切なものを長い間守り通して死んだのだから……。
アンドレ・グランディエの短い生涯。そこには琥珀のような、わたしに対する永遠の愛があった。



FIN