Noёl balnc
――――あいつの様子がおかしい。
そう気付いたのはここ最近のことだ。
あいつは旦那様からのお言いつけであったはずの縁談を断ってしまった。
相手はかつて近衛隊であいつの部下だった男。
あいつの後任として現在では近衛を率いており人望も厚く家柄も良い。
しかも家を継ぐべき長子ではないという。
この上なく良い条件であったはずのその話をあいつは自分の独断で断ってしまった。
旦那様が怒ったのは当然だったろう。
だが、以外にも旦那様は何もおっしゃらなかった様子だ。
あいつは花婿選びと称する舞踏会をはじめとする一連の騒動について初め俺になにも
言わなかった。俺も尋ねなかった。
どうやら何処へも嫁ぐ気がないらしい、と落胆まじりに聞かされたのはおばあちゃんからで、
あいつの口から直接利かされたのは大分後になってからだった。
それからということではないのだろうが、あいつは確かに変わったように思う。
俺に対してどこかぎくしゃくしている....ような気がする。
苛々と俺に当たることがあるかと思えば,子供の様に甘えてみたりして。
些細なことで瞳を潤ませたりすることもあった。
あいつはいつもと同じように振舞って見せているつもりなのだろうが俺の目は誤魔化されないぞ。
何せあいつとは二十年以上のつきあいなんだから。
始終一緒にいてあいつの変化に気付かない俺だと思ったか!
だが、流石の俺もその理由にまでは思い当たらない。
縁談を断ったからか?いや、だかそれはあいつがあいつの意志でそうしたわけで相手から
破談を申し渡されたわけではない。
兵士たちが反抗するから?いや、最近はどちらかというとその逆だな。アランはともかく、他の
兵士たちは露骨にあいつに擦り寄ってくる。
俺が毎日どれほどはらはらしているかなんてあいつは全く考えてもいないに違いない。
では、何故なのだろう?
昨夜だってそうだ。
ここ数日の出来事であいつの神経は鋭く尖ってしまっている。
脆くも崩れ去ってしまいそうで、思わず手を差し伸べずにはいられなかった。
だが昨日のあいつは今までとは違っていた。
妙にとげとげしていて、素直さがなかった。
俺の方もそんな不機嫌なあいつと始終一緒にいるわけだ。疲れてもいた―――というわけで
俺もついついつっかかってしまったのだ。
結局俺はそれこそ頭から湯気が出るほど腹を立てて自分の部屋に帰ってきた――――そして
今猛烈に後悔している。
翌日は今にも泣き出しそうな空模様だった
まるで昨日のあいつの表情そのものだ。
縋るような、それでいて理性を保とうとした何ともいえない青い瞳。
そういえば昨日出かけるとき、あいつは「雪が降ったらいい」と言っていたっけ。
何故、と俺が聞くとそれこそ20年前の子供の頃とまるで変わらないような答えを返していたなあ。
あいつは常日頃毅然としている、とか凛としている、なんて噂されるけれど、本当はひどく
子供っぽいところのある奴なんだ。
そんなあいつの本当の姿だけはさすがのアランたちにも見せたくない
俺だけが知っているあいつ....でももうそうは言っていられないのかもしれない....。
俺はいつもの朝の日課である厩の掃除に行こうとしたが、生憎おばあちゃんに呼び止められて
しまった。
全く...あの人と来たら、このジャルジェ家で誰よりも元気なくせに妙に年寄りぶって俺に
重労働を言いつける。
奥様は「ばあやはアンドレに甘えているのね」なんてお笑いになるけれど、俺にはどう贔屓目に
みても素直にそうとはとれない感がある。
あの人にとって大事なのは手塩にかけてお育てした「お嬢様」であって、実の孫である俺のこと
なんていっつも二の次なんだから。
とはいえ何と言ってもただ一人の身内には違いないんだから、しょうがない、まあ言う事を聞い
ておくとしようか。
結局そんなわけで、俺の日課はめちゃくちゃになってしまった。
やっと人心地ついて台所へ入って行ったらあいつは一人で遠乗りに行ってしまったと聞かされた。
「この天気の中を?」
気が付くとしとしとと雨が降り始めている。
言い出したらきかないのは小さい頃からちっともかわっていない、しょうがない奴だ。
俺は子供じゃないんだからとはじめそ知らぬ風を装っていたが、やっぱり心配になってきた。
ふと空いた雑事と雑事の合間を見計らって俺はこっそりと屋敷を抜け出した。
あいつの行きそうなところなんてお見通しだ。
この間隊からの帰り道に見つけた森の小道。緑の木々の中にまるで妖精たちの広場の
ようにぽっかりと空いた空間。森の中なのに太陽の光がそこだけ燦々と注ぎ、それでいて静か
なまるで隠れ家。
きっとあそこに違いない....。
俺は最近とみに脆くなったように見えるあいつの細い肩を思い出した。
一見華やかで薄っぺらいように見えてもその実は陰謀と権力闘争が渦巻く貴族社会。男だけの
軍隊、そしてこのところの世情の動き....あいつを取り巻く環境は日増しに厳しくなっていく。
そんな中であいつは精一杯虚勢を張って生きている。
守ってやりたい、ささえてやりたい。そして、抱きしめてやりたい.....。
だが俺は二度とあいつを傷つけないと誓ったのだ
あいつがいつになく艶めいて見えるときも、潤んだ瞳で俺を見上げるときも、縋りつく腕を
無意識のうちに求めているときも...俺は己の心の葛藤と闘いながらもただあいつをみつめ
続けることしか出来ない。
「オスカル.....」
俺は無意識の内にあいつを呼んでいた。
きっとあいつには俺の声が届いている....何故だかそんな気がしていた。
雨はいつしか雪にかわり、辺りは一面静寂が支配している。
――――― いた!
思った通りの場所であいつは外套も羽織らずに雪を見上げていた。
あいつの頬に雪が落ち、結晶がやがてその白い肌に溶け込んでいく様を俺は感極まる思いで
見つめていた。
――――― 愛している。
例えお前がどう抗おうとそれは偽らざる俺の気持ち。
永遠に変わらぬ只ひとこと。
胸が熱くなる想いを心の奥深くに閉じ込めて俺はあいつに歩み寄った。
ぱさり、とその心もとない肩に外套をかけてやる。
あいつはゆっくりと目を開け振り返った。
「アンドレ.....」
小さく俺の名を呼ぶ。
「ここだと思った」
俺はその瞳に魅了されないようにぎこちなく微笑んだ。
「うん.....」
「雪、降ったな」
「うん.....」
あいつの返事は段々小さくなって雪の中にかき消されていくようだ。
しばらく並んだままただ黙って空を眺めていたが、あいつの背中がいつもより小さく見えて、
俺はたまらず手を伸ばしてしまった。そのままそっとあいつの両肩を抱く。
驚いたことにあいつは振りほどいたりはしなかった。
ほんの微か、ほんの一瞬だけ触れたところがぴくりと反応したような気がしたが、それは俺の
思い上がりだったのかもしれない。
「さあ帰ろう、このままでは凍えてしまうぞ」
「うん.....」
だが、あいつは動こうとはしなかった。
肩を抱く俺の腕にそのまま身を預けてあいつは目を閉じた。
俺は驚かなかった。その動作はごく自然で、なぜだか今の俺たちに相応しいような気がした。
触れた腕の先からあいつの体温が伝わってきそうで、俺はうっとりと目を閉じた。
この至福の時がいつまでも続けばいい.....天から舞い降りる白い宝石に願いをこめながら。
FIN