『古城』 1. 寄せては返す波。太古からの大自然の単調作業を飽きる事無く見つめていると心が落ち着いた。潮の香り、海鳥の声。紺碧の海を臨む古城。それにきらめきを添える金の髪。 どこかで見た光景・・・。 オスカルは馬車の窓から絶壁の上の古城を見上げた。馬車は古城を目指して進んでいた。崖の上の古城に上がる道は1本しかない。古城の名はエクストン城と呼ばれていた。 由緒ある家柄で中世の騎士の時代に城は無敗を誇ったという。城に攻め込もうとすると一本道を行くか絶壁をよじ登るしかなかった。絶壁は、さすがに命が惜しいのか誰も試した事がなかったようだ。兵達は、城の城壁から一本道を来る敵を順番に狙って戦った。篭城するにはもってこいの城だった。しかし欠点もあった。一本道は城の者達の食料調達のための道でもあった。それを何ヶ月も敵に塞がれたら飢え死にするしかなかった。改善策として城の者は抜け道を作った。自然の空洞を利用して城の地下牢から海へと続く階段状の抜け道だった。抜け道は、崖下の洞窟へ下りられるようになっていた。洞窟の中は天然のドックになっていて常に船が停泊していた。いつでも脱出でき るようにドックには船の整備士と見回りの者が交替で待機していた。 それもまた昔話・・・・。今ではそんな通路があったことはエクストン家の直系の者が自らのルーツの一部分として知っているだけだった。 「おい、アンドレ。相変わらず迫力のある風景だな」 「ああ、怖いくらいだ」 崖下に視線を下げると、己を砕くようにして崖にぶつかる波しぶきが見えた。まるで天にまで轟きそうな勢いだと彼女は思った。激しい波間とはうらはらに、空からはのんびりとしたうみねこの鳴き声がきこえた。馬は足並みを乱す事無く無事に坂道を登り終え、古城の前で歩みを止めた。そこは古城というよりは絶壁に立つ要塞のようだった。 ここは、オスカルの美しい母が生まれ育った城だった。オスカルは母から彼女の生まれ育った城や海の話を聞くのが大好きだった。 アンドレは御者台から降りると馬車の扉を開け、女主人に手を差し出した。 「気をつかわずともよい。自分で降りられる」 「しかし、今日はいつもと勝手がちがうから」 そう言ってアンドレは譲らなかった。 「よい!」 オスカルは、ブルーグレイのドレスの裾を持ち上げしずしずと馬車から降りようとしたが普段の軍靴からは程遠い華奢な靴に戸惑いバランスを崩した。 「ほら!言わんこっちゃない」 アンドレは笑いながら恋人の体を抱き取った。顔を上げたオスカルはいつもと違う格好をした事への新鮮な気持ちと、恋人の顔を至近距離で見た興 奮とで胸が高鳴った。 「アンドレ・・・」 キスをねだりたいのを我慢してオスカルは彼から身を離した。 「だから、別荘からドレスなど着ずにこちらで着替えをさせてもらえばよかったのに」アンドレの言葉を聞き流しながらオスカルは思った。 うっとりと自分に見とれるアンドレの顔が見たかったからだ。まるで阿呆みたいな顔で見つめていた。 その時の情景を思い出すと笑いがこみ上げてくる。そこへ古城の主人が声をかけた。 「これは、マドモアゼル・オスカル。ご機嫌が麗わしいようでなによりじゃ。ようこ そわが城へ」 「その呼び方は、ご勘弁いただきたいですものな叔父上」 「いやいや、こんな美しい姿をみせられては、准将とは呼べまい」 「やめてください、叔父上」 オスカルはほんのりと頬を染めた。その様子を見ていたアンドレの心臓が跳ね上がった。 今すぐこの場で抱きしめてしまいたい! しかし、いかに当人同士が想いを通わせたところで、貴族と平民の恋は貴族社会ではご法度だった。表立っての行動はスキャンダルを呼びこんでしまう。アンドレは自分の手をズボンのポケットにぎゅっとねじ込むと強固な精神力で己を抑制した。笑いを含んだ声でオスカルに向き合う男は、黒髪に白銀が混ざる容貌だが背筋がしゃんと伸びて軍人家系というのが見てとれた。 「お久しぶりです。エクストン伯」 「おお、アンドレか?見違えたぞ」 アンドレは腰をかがめて優雅に挨拶をした。 「これ、そんな堅苦しい挨拶は抜きだ。どれ背筋を伸ばしてみろ」 アンドレは断りを入れると背筋をピンと伸ばした。 「ああ。これがあの小さかったアンドレ坊やか?」 その言葉を聞くとアンドレは耳まで真っ赤になった。 「叔父上!」 小声の中に怒りが込められたオスカルの声に伯はぎくりとした。 「アンドレにちょっかいをだすのは昔から変わりませんな」 「いや、何のことかな?オスカル」 「叔父上!」 「それはそうとアンドレ。お前、葉巻はやらんかね?どれ一本とってこよう」 そう言いながら伯はふたりから離れていった。 「アンドレ。すまんな。また叔父上の悪い癖がでた」 「構わないよ。しかし、そんなに似ているのか俺?」 「ああ、似ている。幼少の頃に亡くなったわたしの従兄弟にな・・・」 しんみりした空気がふたりを包んだ。 「今でも忘れられない。暴漢に襲われて従兄弟のアンドリューが崖から足を踏み外し海へまっさかさまだった。誰も動けなかった」 オスカルはその光景を思い出し瞳を曇らせた。 「気の毒な出来事だったな」 アンドレはそれしか言葉が見つからなかった。 「シャンパンでも取ってくる」 アンドレが気を利かせてその場を離れた。オスカルはぐるりと辺りを見回した。若い貴族の男達が値踏みをするようにオスカルを見つめていた。その中には、見た目は 貴族のなりをしているが胡散臭そうな連中が紛れ込んでいるのがみてとれた。招待状を偽造して潜り込んだことは一目でわかった。長年、人を統括する仕事をしているオスカルにとって人間を観察する事など朝飯前だった。向こうがオスカルを値踏みす るように、オスカルもまた彼らを値踏みしていた。その中の二人連れがオスカルに近付いてきた。一人はずんぐりむっくりとした赤毛の男。もうひとりは背の高い砂色の髪をした男だった。 「お嬢さん。貴女のような美しい方をほおっておくなんてお連れの方はなんて情が薄いのでしょう」 余計なお世話だっ! オスカルは軽く会釈をして場を離れようとした。 「おっと、恥かしがる歳でもあるまい」 オスカルはむっときた。腕っ節なら負けないぞと闘志が湧き上がってきた。盆にシャンペンをのせて歩いてきたアンドレは今にも火がつきそうなオスカルの姿を見てこれはいかんと足を速めた。 「なぁ、いいだろう?俺たちと海の風にでも吹かれにいこうよ。あんた海は初めてだろう?」 あまりにもぶしつけな相手の態度にオスカルは言葉を失った。あきらかに貴族ではなさそうなこんな男達がなぜ貴族の集まりにいるのかわからなかった。アンドレはつまずく振りをしてオスカルのドレスの目立たない部分にシャンパンをこぼした。驚いたオスカルがアンドレのほうを見ると彼はいかにも女主人に無礼を働いたすまなさそうな従僕の姿を演じてみせた。 |