『古城』 2.



「そんな無礼なヤツがいたのか?気がつかなかった」
すまなそうに言う伯父にオスカルは笑顔を向けた。
「実害があったわけではありませんから」
「しかしなぁ、なぜ貴族の集まりにそんな不自然ななりの者が紛れ込んでいたのだろうか」
「念のためにアンドレに似顔絵を描いてもらいました」

オスカルは二枚の人物画を差し出した。
「アンドレは絵も描くのか?」
「はい、彼ひとりで10人分は働きますので」
オスカルは冗談めかして返事をした。
「いや、これだけ描ければたいしたものだ。とにかく今日は疲れただろう。わしが自慢の姪を連れまわしたからな」

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ドレスの替えが無い。という理由で部屋に引きこもっていたオスカルに伯父が代わりのドレスを用意したと侍女を送り込んできた。
「お前のドレス姿など生きているうちに見られるとは思っていなかった。美しい宝石を見せびらかすのもまた楽しい。なぁ、そうは思わんか?アンドレ」

控え室でだと、オスカルとふたりっきりになれる。しかも、ちょっとシャンパンで汚れてはいるけれど『ドレスのオスカル』を誰にも気兼ねすることなく至近距離で見られる。そう思って内心手をたたいていたアンドレはエクストンの『美しい宝石』という表現に同意しながらも気落ちする気持ちを持ち直すだけで精一杯だった。

アンドレが何も言わないのは暗黙の了解だとかん違いした伯は上機嫌で知り合いに美しい姪を紹介して回った。相手に会釈するたびに「まだ軍服での正装姿の方がましだ」とオスカルは思った。

  わたしは、男性を相手にするよりも女性の扱いのほうが慣れている。

オスカルは心の中で悪態をついた。だいたい、男性の前でしなを作ったり目をしばたたかせたり、そんな芸当はできないしする必要もない!あのブルーグレイのドレスはシンプルでよかったのに、伯父の用意してくれたドレスのきらびやかなこと。それでなおさら注目を浴びてしまった。

「アンドレ。伯父上の行き過ぎた行動、見逃してやってくれ。もし、アンドリューが生きていれば、わたしは彼の花嫁になっていたかもしれないのだ。おおかた伯父はドレス姿のわたしを見て昔の夢を見たのだろうよ」
「どういうことだ?」
「わたしが生まれる前に、父と伯父が約束をしたらしい」

もしも6番目の子も女の子だったら婿をとって家督を継がせたい。

「いかにも旦那様が考えそうな事だ」
「だろ?」
オスカルは苦虫を潰したような表情をした。
「お前が屋敷にきた時は、すでにアンドリューが亡くなった後だった。その時は、父は本格的にわたしに軍人になるための英才教育を行っていたから、お前は男のなりをしたわたししか知らないだろうけど、実はドレスを着て過ごした時期もあったのだよ」
「・・・・・見たかった!」
「ははは。世間一般的には父は豪傑親父と言われているが、母上に言われてわたしの教育方針を数年迷っていたらしい」
「へぇ・・・」
「もしアンドリューに武人としての才があれば、自分の所に引き取って仕込むつもりだったとか。なのでそれを見極める間は、わたしは男にも女にも通ずる教育を受けた。たとえば楽器演奏とかラテン語とか。そういうものは教養になるだろう?」
「なるほどね。でも彼は死んでしまった」
「だから、途中から予定変更でわたしは剣を持たされる事になった」
「それで剣の相手が欲しくて俺が引き取られたってワケか?」
「そういう事」
「じゃ、アンドリューには悪いけれど感謝しなくっちゃな。お前が彼の花嫁になっていたら俺達出会えなかった」
「アンドレ。なんて不謹慎なことを言うんだ。お前らしくないぞ」
「俺らしいってどういう意味だ?俺だって生身だ」
「もしかして妬いてくれているのか?」
「いない相手に嫉妬しても仕方がないだろう?」
「でも・・・」
「もういい。他の男の事はもう話すな」

アンドレの熱い口付けにオスカルは夢の世界を漂っているようだった。
「ああ、アンドレ。このまま・・・・」
アンドレはオスカルを押し倒したくなる衝動を我慢した。恋仲でもやはり身分が違う。いつかオスカルはきちんとした貴族の男と一緒になるかもしれない。自分はそれを望まないが先の事はわからない。いざその時になって、オスカルが純潔でなければ相手にどういう仕打ちをされるかわからない。その考えが、いつもアンドレの決断を鈍らせた。

「オスカル」
アンドレの嵐のような口付けで息も絶え絶えになっていたオスカルは、潤んだ目で彼を見上げた。想いが通じあった頃、彼の女性関係に悩んだ事もあったが、自分達が関係をもつ前の事だから仕方がないと割り切る事にした。
「なぁに、アンドレ」
いつもとは違う甘くかすれた声。他の男の前ではこんな風にはならないのにアンドレと、オスカルは思った。アンドレの前では、本当の自分を出すことができた。
「そろそろおいとましようか?」
「ああ、これ以上滞在を引き伸ばすと晩餐をご一緒するようになるからな。今日は慣れないドレスで疲れた。早く別荘に帰って手足を伸ばしたいぞ」

ふたりは、引き止めるエクストン伯を振り切るようにして馬車に乗った。
「オスカル。まだ休暇は残っているのだろう?」
「はい、叔父上。またベルサイユに戻る前にお伺いします」

アンドレが鞭を振り下ろすと馬達は走り始めた。が数十メートル馬車が進んだ所で車輪が嫌な音をたてガコンと外れた。アンドレは素早く御車台から飛び降りたがオスカルは中に閉じ込められ呻き声をあげた。

エクストン伯の声で使用人の男達が集められ、馬車の中からオスカルが助け出された。彼女は肩を打撲し腕が上がらない状態だった。
「医者を呼べ!早く」
アンドレに抱きかかえられ古城に戻るオスカルの姿を、物陰から見ている者がいた。
「いい金ズル。みすみす逃してなるものか。なぁ、サイラス」
サイラスと呼ばれた砂色の髪の男は、赤毛の男と視線を合わすと狡猾そうに頷いた。
「今夜、忍び込んでパリへ輸送するぞ」

オスカルの怪我で、古城はにわかに忙しくなった。

つづく