恋の予感



それはある冬の朝のこと。
兵営内の食堂では、アラン・ド・ソワソンら第1班12名の兵士たちが声高に喋り散らしていた。
話題は専ら、今日赴任してくるという新隊長についてだった。
それまでの隊長は身分こそ貴族ではあるが、大貴族ではなかった。
だいたいフランス衛兵隊自体が、貴族の子弟ばかりでなく、
平民出身の者の方が多いくらいなのだから、その隊長になる人も、
そんなに毛並みのいいのが来るはずもなかった。
ところが、今度の新隊長は、あろうことかついこの間まで近衛連隊長という、
超エリート階級に属していた人間だというのである。
この超エリートは半ば伝説の人物であった。
このベルサイユにおいて、その人の名を知らぬ者はないというくらいの人物なのだ。
しかもその人物というのは女性なのである!
彼女は国王の信任も厚いジャルジェ家の令嬢なのだが、
男子に恵まれなかった父・ジャルジェ将軍によって、男として軍人として育てられたのだった。
彼女は武勇誉れ高く、その剣の腕では並の男共に引けをとらぬどころか、
彼女に敵う者はいないと専らの評判であった。
そしてそれ以上に人々の目を引いたのは、彼女の美しい容貌であった。
もちろん、フランス衛兵隊の連中は本人を見たことはないのだが、
こういったことは、彼らも噂として知っていた。
だからこそ、自分たちの元へ上官として赴任してくる伝説の女隊長に
彼らは興味津々なのだ。
「いったい何だってそんなお偉いさんが、俺らの隊に来るのかね?」
かったるそうにそう話すのはラサール・ドレッセルだった。
「なんでも、本人の希望だって話だぜ。」
ジュール・ロセロワが呆れたように肩を竦めた。
「どっちにしても、余程の物好きだな。大貴族のエリートに、俺たちを御するなんて出来るものか!」
第1班の班長にして、衛兵隊一のツワモノ、アラン・ド・ソワソンが不貞腐れたように言い放つ。
彼は一応貴族であり、仕官学校も出ていた。
しかし貴族とは名ばかりの下層貴族である故、平民と同じように、
いや、時として平民以下の暮らしを余儀なくされて育ったため、大貴族を目の仇にしていた。
新しい隊長が大貴族であるということはもちろん、それが女であるということは、
アランにとってまさしく言語道断なことであった。
「し、し、しかも女だってんだろ?」
「女のくせに俺たちを指揮しようってのかよ!バカにするにも程があるぜ。」
普段おとなしいジャン・シニエとフランソワ・アルマンも不快の表情を露にした。
「おい、どうするよ、アラン?」
「俺、やだよ、女の隊長に命令されてるなんてヴィヴィアンヌに知れたら、カッコ悪いよ。」
涙ながらに訴えたのは、メルキオール・シャロンだ。
ヴィヴィアンヌというのは彼の婚約者なのである。彼女は気の強い女性で、
気の弱いメルキオールは、すでに彼女の尻に敷かれているのであった。
「何だ、メルキオール、お前、今更だろう?」
呆れたようなピエール・モーロワの言葉に、
ヴィヴィアンヌのことを知っている皆から一斉に笑い声が上がった。
「そんなぁ〜」
メルキオールが泣き笑いのような表情になる。
「何とか言ってよ、班長〜!」
「ま、見てろって。そんな大貴族のあまなんかすぐに追い出してやる。」
アランが自信満々に答えたその時、食堂のドアが開かれ、ダグー大佐が入ってきた。
「皆、直ちに練兵場へ集合するように!」
「お!お出ましだぜ。」
「いよいよか。」
「ひゅ〜っ!」
皆ある種の期待と好奇心に騒ぎながら着衣を整え、練兵場へと急いだ。
アランたちが整列して待っていると、司令官室のある方角から、
ダグー大佐と共に馬を並べ何か会話を交わしながら近づいてくる黄金の髪と、
その後方に黒髪の男が控えているのが見えた。
「隊長、皆揃ってお出ましをお待ちしておりました。」
「ありがとう、ダグー大佐。衛兵隊のことは私はまだまだ不案内だ。よろしく頼む。」
「はっ。」
三人は皆の前へやってくると、隊長を真中に横一列に整列した。
隊長が伏せていた睫毛を上げると、それまでざわついていた隊員たちは、
驚きのあまり皆一瞬にして沈黙した。
何という髪!何という瞳!何という肌の色!
ゴクン・・・ 隊員たちは息を呑んだ。
びっ、びっじーーん!
そんな彼らの様子には目もくれず、ダグー大佐は新しい隊長に、
最前列中央にいるアランを紹介した。
「この者が第1班の班長、アラン・ド・ソワソンでございます。」
ダグー大佐の紹介を受けてオスカルは、馬にまたがったまま、ゆっくりとアランの前へと歩を進めた。
そして馬を下りようとするオスカルに、ダグー大佐が慌ててそれを制そうと、
「ジャルジェ准将、どうか騎乗のままで・・・」
と言いかけたが間に合わず、すでにオスカルはアランを前に着地していた。
アランも、他の隊員たちも新隊長のこの行動に少なからず驚いたようだった。
隊長御自ら、部下と視線を同じくしようとするこの隊長はいったい何者なのか・・・
「アランか。私はオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェだ。よろしく頼む。」
オスカルがそう言って手を差し出すが、アランはポカンとしていた。
「アラン・ド・ソワソン!何をボンヤリしておるかっ」
ダグー大佐のゲキが飛んできてやっとアランは我に返った。
「ア、アラン・ド・ソワソンです。」
そう言って慌てておずおずと手を差し出すアランに、オスカルはニコっと微笑んだ。
ドキン!
この時アランの中で何かが弾けた。
それは恋の予感だったのかもしれない。
アラン本人も気づかぬうちに、この時確実に何かが動き始めたのだ。
オスカルはアランの手をぎゅっと握り締めた。
精一杯の友愛を込めての握手であることは、オスカルの表情を見れば分かる。
(よろしくな!)
そう言っているかのようなオスカルの輝かしい表情に、
これは礼儀ってもんだ、とアランも慌てて強く握り返した。
途端・・・
オスカルの手の感触に、アランはたじろいだ。
白く優しい手・・・
自分の節くれ立った無骨な手とはまるで違う。
その指は白くほっそりとしていて、強く握ったら壊れてしまいそうだった。
そう、まるで触れたらシュッと消えてしまいそうな、儚い砂糖菓子のようだとアランは思った。
女なんだ、この人は本当に。
「アラン、お前のリーダーシップはなかなかのものだと、ダグー大佐から聞いているぞ。
これからも隊のために力をつくしてくれ。」
オスカルはそう言うと美しいブロンドを翻し、再び馬にまたがった。
「は・・・」
アランはそう言うと一礼した。これも礼儀ってもんさ。
それからオスカルは各班の班長と、握手とちょっとした会話を交わすと、
再び隊員たちの前に来て言った。
「本当なら一人一人と握手を交わしたいところだが・・・
幸い今夜は私のために新任祝賀パーティーを開いてくれるとのことだ。」
オスカルは言いながら横にいるダグー大佐をちらりと見やった。
ダグー大佐がそれに気付くと言った。
「はい、僭越ながら私が幹事をやらせていただきまして・・・
久しぶりにパリにでも繰り出して皆でパーッとやろうかと・・・」
ダグー大佐の言葉に満足したオスカルは
「というわけだから、時間のある者はぜひ参加してくれたまえ。
その時に一人一人とじっくり親睦を深めたいと思う。よいな?」
皆一様に目をパチクリさせながら、頷くばかりだった。
そしてオスカルは笑いながら、
「あっと・・・それから言っておくが、パーティーの参加費はただだ。
皆安心して参加するように!」
と付け足すのを忘れなかった。
「ではダグー大佐、点呼を。」
「はいっ。」
点呼が済み、新任の閲兵式も滞りなく終わった。
先ほどとは打って変わって、隊員たちはすっかりオスカルを歓迎したい気分になっていた。
ただ一人アランを除いては・・・
訓練が終わり兵舎へ引き上げると、皆堰を切ったようにおしゃべりになった。
「すっげー美人じゃん!」
「それに色白〜!」
「俺、隊長に乗り換えようかな〜」
「わははー。マジかよ!」
「あんな見事な金髪、見たことないぜ!」
「お、お、俺、隊長の微笑みに、ノ、ノ、、ノーサツされた。」
「毎日の訓練、がんばっちゃおう〜」
「祝賀パーティー、何着てく?」
「俺、ヒゲ剃っちゃおう。」
皆オスカルの印象やら何やら一斉に話し出し大騒ぎとなった。
するとずっと黙りこくっていたアランが一喝した。
「るっせーな!」
その場は一瞬シーンと静まり返ったがすぐに元通りになった。
「な、なんだよ、アラン、どうしたんだ?」
「そうだよ、パーティー行かないのか?」
するとアランはギロッと皆を睨んだ。
「お前ら、あの女を追い出すんじゃなかったのか?!」
すると皆冷や汗を拭き拭き答えた。
「あ、いや、そうだったんだけどさー、事情が変わっちゃったからね。」
「そ、そうなんだ。それに隊長、いい人そうだったし。」
「威張り腐ってた前の隊長とは大違いだしな。」
「そうだよ。それに今夜のパーティーの経費も隊長のおかげで
隊から出してもらえることになったんだってさー。ダグーのおやじさんが言ってた。」
「だから俺たちはただ酒飲めるってわけ。」
「俺たちの懐具合を分かってくれてるんだ。」
「心遣いがありがたいじゃないか。」
「へへ・・・それに美人だしさぁ。」
「そう、実はそれが一番の理由だったりして」
皆どっと笑い転げたが、それがアランの怒りに油を注ぐ結果となった。
「ああ、そうかよ!勝手にしろ。俺は行かないからな!」
アランはそう言い捨てるとプイと背を向けてその場を立ち去ろうとした。
「お、おい、アラン!」
「何怒ってるんだよ?」
「待てよ。ただ酒飲めるんだぞ!」
裏切り者の奴らの声が後ろから聞こえたが、アランは構わず歩きつづけた。
バカヤロウ!
あいつらときたら!
そう簡単に前言を撤回できるもんかね。
いくらただ酒飲めるからって、いくら美人だからって、
そう簡単にあんな大貴族のあまに尻尾振ってたまるかってんだ!
いくら美人でも・・・
アランの心に、昼間のオスカルの美しい笑顔が蘇ってきた。
口の端をちょっと上げるだけの取り澄ました笑顔などではなく、心からの微笑だった。
うっすら薔薇色に染まった頬、少し細めた青い瞳がそれを物語っていた。美しい・・・と思った。
大貴族だっていうから、ツンととりすました魂の抜けた人形のような女を想像していたのに、彼女はまるっきり違っていた。
下っ端の隊員のためにわざわざ下馬して、握手を求めてきた隊長なんて初めてだ。
上官なんてものはだいたいが威張り腐っているものなのに・・・
おかしな人だな。
アランは思わずふっと一人笑みを漏らした。
そんなことを考えているうちに、怒りが消えていきそうな自分自身にハッとしたアランは、そこで無理矢理思考を停止させた。
だから何だってんだ!
あいつが大貴族の女だってことに変わりはないんだ。
大貴族は俺たちの敵、女は軍隊の敵・・・だ!
そう結論付けて安心したのか、ホッと一息ついたアランはまた新たな苦悩の種に気付いてしまった。
そう言えば・・・
隊長のそばにべったりくっついていやがったあの男、
隊長から「アンドレ」と呼ばれていたが、いったい隊長の何なんだ?
任務の最中にも関わらず、隊長とは親しげな口調で話していたし
(何しろ、彼女をオスカルとファーストネームで呼んでいやがった!)
司令官室にも堂々と入って行きやがった。
俺たちと同じ制服を着ていたから、あいつも俺たちと同じ「下っ端」であるはずなのに・・・
しかもあの片目は何だ?
「アンドレ」は、左目を髪で隠してはいたが、
髪が風になびき左目をさらけだした格好になった時、
偶然アランは彼の目に深い傷痕があるのを見てしまった。
その痛々しげな傷痕とは裏腹に、彼の印象は初夏の微風のように爽やかで優しげだった。
特にあの女隊長に接する時は殊更優しいようにアランには思われた。
ふん!色男め!
さてはあの女に惚れてるな。
アランは「アンドレ」が何とはなしに目障りな存在のように感じ始めていた。
彼がなかなか端正な面立ちをしているのも気に入らなかった。
そして何より、自分とは違って女に対して臆面もなく優しくできる点も気に食わなかった。
それが嫉妬によるものだとアランが気付くのは、まだまだ先のことなのだが・・・
ただ今までの退屈な日常に、ある種の楽しみを見つけたような気持ちになり、アランは一人ほくそえんだ。
「さーて、明日から忙しくなるぞ。」
アランは宿舎の自分の部屋で、一人声に出して言ってみた。
彼は、新任の女隊長を衛兵隊から追い出し、ついでにあの目障りな男を苛めるという、新しい遊びを見つけたのだった。
アランは一人この暗い情熱に身を委ねながら、
まだ右手に残っている女隊長の柔らかな手の温もりを思い出していた。
恋はもうすぐそこまで来ていた。
木枯らし吹き荒れるこの冬の間に、彼の想いはこっそり地面の下で根を張り始めるのだ。
そしてやがて春が来たら・・・

外はすでに夕闇が迫ってきていた。


FIN