| 小さなかわいいあたしのオスカル様
オスカル様が結婚のお話を蹴っておしまいになったと聞いた時、
あたしはホッとしたようながっかりしたような、複雑な気持ちでした。
今更オスカル様を結婚させようとなさる旦那様を、自分勝手と思いながらも、ではオスカル様はこのまま一生お独りでいらっしゃるのかと思うと、それはそれでまた心配の種なのでございます。
最近のお嬢様は以前よりも随分と酒量も上がっているようですし、
ご本人も何かお悩みなのではないかと、気がかりなのでございます。
お嬢様は周りの人間に心配かけぬようにとのご配慮から、
あまりひとにご自分の悩み事などをお話にならないたちですから、
不躾とは存じながら、ここは一つあたしの方からお尋ねしてみようと思い立ったのでございます。
「お嬢様。」
あたしは早速、お嬢様の大好物であるショコラを運んでお部屋にお伺いしました。
ショコラはいつもあたしが手ずからお入れするものでございますが、
オスカル様はこれをことのほかお気に入りのご様子で、
「おいしい、おいしい。」を連発なさるほどなのでございます。
誠に身に余る光栄でございますわ。
あたしがお部屋に伺った時、お嬢様はご本を読んでいらしたようでした。
あたしがお部屋へ入ると、栞を挟み入れた本をパタンとお閉じになりました。
「ばあやか。」
そうおっしゃると、あたしに優しく微笑んでくださいました。
ああ、この誰をも虜にしてしまいそうな、オスカル様の爽やかな笑顔。
お小さい頃と少しも変わらぬ笑顔を拝見していますと、
あたしは涙がこぼれそうになってくるのでございます。
オスカル様は、いつまでたっても、あたしにとって大切な大切な、
あのお小さかった頃のオスカル様のままなのでございます。
こんなことを申し上げたら、オスカル様はきっとお笑いになるでしょうけれども・・・
「本を読んでいらしたのですか?お邪魔をしてしまって、申し訳ありません。」
あたしがそう言うと、オスカル様は首を横にお振りになりながら
「いや、少し読み疲れた。今ちょうどショコラで一休みしたいと思っていたところだ。」
と笑っておっしゃいました。
こんな風に、いつもオスカル様はあたしなんかの事を気遣ってくださるのでございます。
あたしはティー・テーブルの上にショコラを置きました。
その時、ティー・テーブルの端っこに何気なく置かれた本の背表紙が、あたしの目に飛び込んでき
ました。
オスカル様は大変な読書家でいらっしゃいますから、
常にあらゆる類の本を読んでおられました。
詩、小説、歴史物、伝記、冒険物、占いの本...
以前はルソーとかいう人が書いたという本をお読みになって、
旦那様から取り上げられたりなさったこともおありでした。
とにかく、オスカル様のお部屋にどんな本が置いてあっても
決して不思議ではなかったのでございます。
ところが、その時あたしの目に映ったのは、あたしが首を傾げるようなものでございました。
「お嬢様、その本は・・・」
あたしがそう言うと、お嬢様は何やら恥ずかしそうにもぞもぞと、
それをご自分のお膝元に隠してしまわれたのでございます。
「ん、いや、これは・・・」
ヌーベル・エロイーズ!
それは今、パリ市民の間で流行している恋愛小説でございました。
確か孫息子のアンドレも読んでいたと思います。
オスカル様は今まで色々な本を読んでおいででしたけど、
まさか恋愛小説をお読みになるとは、あたしは想像だにしたことはありませんでした。
そういったことに、オスカル様は今まであまり関心をお持ちではありませんでしたから。
やはりご結婚のことでお悩みなのに違いないと、あたしは確信を持ちました。
オスカル様がショコラを一口お飲みになり、カップをテーブルに戻した時、あたしは思いきってオスカル様にお尋ねしました。
「あの、オスカル様、ご結婚のお話をお断りになったというのは、本当でございますか?」
「耳が早いな。もう知れ渡っているのか。」
オスカル様は笑いながらそうおっしゃると、またショコラを一口お飲みになり、
「ああ、本当だ。」
とあっさりとお答えになりました。
「では、さぞお気落としでございましょうね、ジェローデル様は。」
あたしがそう申し上げると、オスカル様はいたずらっ子のような笑みを浮かべながらおっしゃいました。
「はは、ばあや、これでせいせいしたぞ。もう結婚などごめんだ。」
ウィンクまでなさってみせる始末でございます。
あたしはお嬢様の言葉が気になって、お尋ねしました。
「まさか、まさか、お嬢様、もう一生、ご結婚遊ばさないおつもりじゃ・・・」
少しの沈黙の後、オスカル様は静かにおっしゃいました。
「その通りだ、ばあや。私は一生嫁がない。」
その固い決意は、あたしが何を言っても揺るぎそうにはありませんでした。
それでもあたしは言わずにはいられなかったのでございます。
あたしはオスカル様がお生まれになった時からずっと、
オスカル様のお幸せを願ってきたのですから・・・!
物心もつかないうちから旦那様に剣の稽古をさせられていたオスカル様が不憫で不憫でならなかったのでございます。
6人姉妹の中で一番お美しくお生まれのオスカル様ですのに・・・
ですからあたしは何としてもオスカル様に、女の幸せを掴んで頂きたいと願っているのでございます。
それなのに、どこへも嫁がれないなんて・・・
「そんな、お嬢様、いけません。オスカル様は女なのでございますよ!
どうかオスカル様に相応しい殿方の元へ嫁いで、お幸せになってくださいまし。」
あたしはまさに祈るような気持ちでございました。
「ありがとう、ばあや。でももう決めたことなのだよ。」
オスカル様は静かにそうおっしゃいました。
いつのまにか外は黄昏ていました。
あたしは蝋燭に火をつけ、テーブルに置きました。
オスカル様の美しい横顔が、ほの暗い部屋の中、蝋燭の炎に照らされました。
とても穏やかなお顔でございました。
「どうかそんなことをおっしゃらずに、女性として平和な家庭をお持ちくださいまし!
ばあやのたってのお願いでございます!オスカル様!」
あたしはオスカル様に詰め寄りました。
オスカル様はちょっと困ったようなお顔をなさいましたが、
すぐに元の笑顔に戻っておっしゃいました。
「分からないかい、ばあや?」
「は?」
あたしは何の事かとオスカル様を見上げました。
するとオスカル様はあたしから何気なく目をお逸らしになって、こうおっしゃったのです。
「愛している人が・・・いるんだ。」
あたしはもうびっくり致しました。
まさかオスカル様が心に決められた方がいらしたなんて!
オスカル様はお恥ずかしいのか、あたしの方を見向きもなさいません。
「まぁ・・・!ではその方と?」
あたしの胸は期待に膨らみました。
するとオスカル様は少し悲しげに目を伏せられて、こうおっしゃったのでございます。
「いや、その人とは、結婚は出来ない・・・のだよ。」
「ええっ?結婚出来ないって、それはどういうことでございますか?」
あたしが詰め寄ると、オスカル様はそれにはお答えにならずにお話をお続けになりました。
「彼は・・・私をとても大切に思ってくれているんだ。」
「ですけど、結婚出来ないなんて、いったいどういうご身分の方でございます?」
あたしが詰め寄ると、オスカル様はこうお答えになりました。
「彼は、幼い頃からずうっと私の側にいて、私を守ってくれていたのだよ。」
そうお答えになるオスカル様の頬は、ほんのりと赤みを帯びていました。
「そ、それは、ま、まさか、お嬢様!?」
オスカル様とは反対に、あたしは青くなりました。
お嬢様は恥ずかしそうなご様子で、こっくりと頷かれました。
おお、神よ!あたしは悪い夢を見ているのに違いありません。
「お、お嬢様、いけません!それは、それだけは、どうか・・・」
あたしは祈るような気持ちでした。
「こんなことが許されるはずがございません。旦那様に知られでもしたら、それこそ、あたしはお暇を頂かなくてはならなくなります。」
オスカル様は冷めたショコラのカップを両手で愛しむようにお抱えになりました。
そしてカップを左右に揺らしながら、中の液体が揺らめくのを、
じっとご覧になっていらっしゃいました。
「私はね、ばあや、彼が・・・アンドレが、私にとってどれだけ大切な人かが、やっと分かったのだよ。」
アンドレ、と私の孫息子の名を口にした途端、オスカル様の頬が真っ赤に染まったのでございます。
それはとてもおかわいらしくあたしの目に映りました。
まさにあたしが長年望んでいた、オスカル様のお幸せなお姿そのものでございました。
でも、まさか、こんなことがあってよいものでしょうか?
オスカル様はいやしくもこのジャルジェ家のお嬢様。
片やアンドレは、あたしの孫息子は、そのお嬢様の従者で平民の身分でございます。
アンドレがお嬢様を密かに想っていることは、あたしも察しがついていました。
でもお嬢様までもが、アンドレを慕われていたなんて、夢にも思わなかったのでございます。
そんな畏れ多いこと!
あたしは生きた心地がしませんでした。
二人がどうやってお互いの想いを知ることになったのか・・・
さすがにそこまでは問いただすことはできません。
ああ、あたしはいったいどうしたらよいのでしょう?
こんなお幸せそうなお嬢様に対して、これ以上二人のことに反対するなど、とても残酷に思えて出来なくなってしまいます。
二人の仲を裂いたらきっと、オスカル様は深く心に傷を負ってしまわれることでしょう。
それはオスカル様のご様子から容易に察しがつきました。
二人の仲がどれほど進展しているのかは分かりませんが、
もう後戻りできないほどになっているのに違いありません。
あたしはアンドレを恨みました。
お前がしっかりしてさえいれば、お嬢様をこんな目に合わさずに済んだのに!
オスカル様はあたしにとって特別な方なのでございます。
まさに、あたしにとって宝物のような存在と申せましょう。
オスカル様がお生まれになった時から、あたしがオスカル様のお世話をして参りました。
オスカル様にミルクを差し上げ、おしめを取り替え、あやして差し上げ...
ええ、本当にお美しくおかわいらしいお姫様でございました。
それなのに、旦那様ときたら、「オスカル」などという男名をおつけあそばされたのです。
そんな特殊な境遇から、あたしにはオスカル様がより一層大切な方に思われたのです。
このお嬢様に幸せな結婚をして頂きたいというのが、それ以来あたしの悲願となりました。
もちろん孫息子のアンドレのことも大事に思っておりますけれど、
あの子は男ですから、少々放っておいてもだいじょうぶでございましょう?
とにかく、このことが旦那様や屋敷の者に知られないことを、祈るばかりでございます。
「も、申し訳ございません、オスカル様。」
「なぜ、ばあやが謝るの?」
オスカル様はその白い手をあたしに差し伸べてくださいました。
「オスカル様をこのような目に・・・」
あたしは感極まって、もうそれ以上言うことが出来なくなってしまいました。
お許しくださいまし、旦那様、奥様!
大事な大事なお嬢様をこんな目にお合わせして・・・
あたしはオスカル様の胸の中で泣き崩れました。
畏れ多い気持ちと、もったいないという気持ちがないまぜになっていました。
ああ、あたしはお手討ちになっても構いません。
神様、どうか若き二人をお守りください。
あたしは祈らずにはいられませんでした。
FIN
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