うたたね 2


その日、アンドレは、司令官室で、書類の整理をしていた。

( そろそろ オスカルが、会議から帰ってくるころだな・・・)

と思っていたら、司令官室のドアが開き、案の定 オスカルが疲れきって 入ってきた。
「我々と入れ違いに 休暇にはいるはずだった隊が、休暇取り止めになったそうだ。」

そして、手袋を机に バサッと投げつける。
「会議場のまわりの警備を増やせ との命令だ。 まったく!」

その動作は、命令を下したブイエ将軍に向けられた、いらだちでもあった。
そして、彼女は軍服の襟を緩めると 大きくため息をつき、ソファーに行儀悪く その身をあずけた。
「 つかれ・・・た・・・ 」

アンドレは、滅多にきくことのない、彼女の 泣き言めいたつぶやきに、ふと、胸を突かれて、
近寄ると、ソファーの 肘掛部分に座った。
警備におわれて、会議の進展具合など 肝心な事は きっとまだ 耳にしていないだろう、と思い、
今日の午前中に手に入れた アジビラを 読み上げてやることにした。

しばらく、オスカルは それを聞いていたが、ふうっとめまいのような、眠気が訪れた。
アンドレは、胸元に 彼女の重みを感じて、はっとした。
彼女は軽い寝息をたてて、眠り込んでいる。

( かわいそうに・・・つかれきっているのか・・・女の身で なぜこうまでして・・・)

アンドレは、その いとしい女の顔をみつめた。
( おれで 代われることなら、なんだってしてやるのに・・・オスカル・・・ )
安心したように眠り込んでいる顔を見つめるうちに、彼の左手からは、アジビラが カサリと落ちた。

オスカルが、ジェローデルとの結婚話を蹴った、という事は 屋敷中の話題だった。
彼女の口から、直接 聞いたわけではなかったが、もちろん アンドレの耳にも入っていた。

( なぜ・・・こいつは結婚を 選ばなかったのだろうか・・・?
ジェローデルは、本気で こいつに惚れていた。 そのくらい、見抜けないおまえではないだろうに・・・)

結婚すれば、こんな厳しい軍人の生活から、抜け出し ゆったりと 貴婦人として・・・

アンドレは、そこまで考えたが どうしても オスカルが家庭に収まっている姿を、想像できなかった。
まして、ジェローデルに 抱かれている 彼女の姿など・・・。

( 結局、こいつは 武官の道をどこまでも 貫きとうすつもりなのか・・・
  だが・・・もしかすると・・・少しは・・おれのせいでもあるのか? オスカル? )

最近、彼女がアンドレに 向ける視線には、そう思わせる なにかが 混ざっていた。

( もし・・・いま、おれが 触れたら・・・おまえは、やっぱり拒むのか? )

紅を差しているわけでもないのに、 ぷっくりと色付いた 唇に 目を奪われるアンドレ。
左手が自然に 吸い寄せられるように オスカルの 顔にのびた。
そして、そっと 触れるか触れないか というところで その唇を 人差し指の爪の滑らかな面で、なぞった。
彼女の 規則正しい 寝息が アンドレの 指に まとわりつく。

その感触に、思わず理性が 飛び、
(  このまま・・・めちゃくちゃに 抱いてしまいたい! )
脳髄が白く霞みかけたが・・・・
そんな自分を嘲笑するように、ふっと笑い 冷静にもどる アンドレである。

時計に目をやり、
(  次の訓練まで、あと・・・40分程度か・・・ )
こんな所ではなく、一分でも 寝台で横にしてやりたいと、彼は思った。

振り返って、仮眠室のドアを見ると、いい具合に開きかけている。
アンドレは、そおっと オスカルを抱えあげると ソファーから立ち上がり、そのドアに向かった。
 
自分の体がふわりと 浮く感覚で オスカルの脳は部分的に覚醒した。
が、連日のつかれが染み込んでいる体は、いまだ眠りの落ちたまま、指いっぽんだに 動かせない。
そのまま 夢とも現ともつかない状態で 自分の体が横たえられるのを感じた。


アンドレは、寝台に そっと彼女を 横たえると、しばし考えた。
硬い軍服の襟は、いかにも苦しそうである。
寝台の脇に 膝をつくと できるだけそうっと 上着の留め金を はずしてゆく。
(  袖を抜いてやれば、ずいぶん楽になるはずだが・・・起こしてしまうな。それでは。 )

留め金をはずし始めた時の アンドレの気持ちには、なんのやましいところがあったわけではなかった。
けれど、全部はずし終えて、両側にはだけさせ、ブラウスの胸元が、あらわれた時。
アンドレの 心拍数は 早くなってしまった。
軍服の下から ほのかにたちのぼる、彼女の甘い体臭。

そして、彼女の鎖骨の上に、ちいさなホクロがある。
それは、ブラウスの襟から 角度によって、わずかに見える位置にあった。
オスカルが 呼吸で 胸を上下させるたびに、それは、見え隠れを繰り返す。
そのホクロそのものは、アンドレにとって、見慣れた存在であった。
屋敷で、ブラウス一枚で過ごしている彼女の胸元には いつでもこれが 見え隠れしている。
子供の頃から変わらず。
変わってしまったのは、それを見る アンドレの心持だった。

(  触れてみたい・・・ )
そう思うようになったのは、思春期のころだった。
女性は男性より はやく大人になる、といわれているが、オスカルに限ってはそうではなかった。
ジャルジェ将軍や、使用人の前では 大人の顔を作っていたが、
ひとたび アンドレとふたりきりになるや、子供じみた遊びをいつまでも、仕掛けてきた。
剣の相手なら、問題はなかった。
けれど、とっくみあいや、くすぐりっこなど・・・アンドレにとって、拷問に等しいような真似を、
近衛連隊長にまでなっても、仕掛けてくるのは いつもオスカルだった。
彼女は、そうすることで 女でありながら軍人という精神の、バランスをとってきたのかもしれない。

そんな遊びを しなくなったのは、やはりあの事がきっかけだった。
あの、闇の中で、裂かれた ブラウス。

あのときから、ふたりは 引き返せない道を辿ってしまった。

でも。こうやって。
(  おまえは おれのまえで、安心しきって からだをあずけてくれる・・・ )

アンドレには、その信頼を 裏切るようなことはできない。
けれど、ほんのすこし理性が衝動に負けてしまった。
彼の ひとさし指が すっと ホクロに吸い寄せられた。
彼の 指先に わずかに 隆起した感触で、ホクロは触れられた。
その凸面を そうっと 回すように 指が動く。


オスカルの意識は、半ば 覚醒していた。
アンドレが、軍服を開くのも、鎖骨の指の感触も、自覚できた。
けれど、体は 眠りにとらえられていた。
なにより、そうしていても 危機感はなかった。
彼から ただよってくる気配に 安堵しこそすれ、恐れは少しもなかった。
( ・・・この指になら、なにをされても 大丈夫だ・・・ )
なんの根拠もなしに そう思い込めるほど、穏やかな気配だった。


アンドレはホクロから指を離すと、彼女の髪を撫ではじめた。
豊かで 繊細な 彼女の金髪。
彼にとって、オスカルの象徴ともいえる 存在であった。
優しげに 風に舞っていたかとおもうと、ふいっと掠めるようにして 鼻先を通り越し またほかのところで、彼を誘う。
アンドレは、彼女の輪郭を彩っている 一房を 優しく 手にとると、そっと接吻した。
彼の掌の中で、しゅっと音をたてて 消えてしまいそうな 柔らかな髪だった。


そのとき、わずかにオスカルの 表情が動いた。
( おまえ、気がついているのか? )
アンドレは、一瞬 動作を封じられ、息をひそめた。

けれど、彼女から 聞こえてくるのは、安らかな寝息だけだ。
そして、ほほえんでいるかのような寝顔。


オスカルは、夢うつつに 髪への愛撫を 求めていた。
( とても 気持ちがいいから もっと・・・)
「・・・ん・・・ アンドレ・・・」


甘い声で、自分を呼ばれた彼は、一瞬 戸惑ってしまった。
しかし、やがて彼は なんだか可笑しくなってきた。
( こいつは、子供のころから、なんにも変わっちゃいない・・・! )
彼の苦悩なぞ、おかまいなしに 平気でじゃれついてきた オスカル。
いまも、こうして 彼を信頼しきって 身を預けている。

( おれが、一人でおまえを想うとき、どんな想像をするか知っても、おまえはそうしていてくれるか・・・?)
彼女の本来、天真爛漫な気性を 考えると、アンドレは 苦しくなる。

でも、今の彼は 情欲より、もっと深い絆で オスカルと結びつきたいと、いや、結びついていると、思った。

( ・・・俺たちは、今はこうして別々の魂のなかに 閉じ込められているが・・・
  かつては、一つだったのかもしれない・・・・あるいは前世で・・・・ )

そう思える相手と 巡り合える 可能性は、いくつもの人生のなかで、いったいどれだけあるのだろうか?
人は たいてい 孤独だ。
一人で生まれ、心通わぬ日々を過ごし、一人で神に召される。
宮廷で あたりを見渡せば そんな人間ばかりが うようよしている。
それを 思えば、今の彼は すでに天国にいるかのように 幸せだ。
今の彼だけではない。
オスカルと出会った、あの8歳の時から・・・彼は幸せだったのだ。

彼女の鼓動を聞きたくなったアンドレは、耳をそっと心臓の上に置いた。
ゆっくりと しっかりと それは脈打っていた。

「・・・アンドレ・・・」
オスカルは夢うつつに、また声をだしていた。
名を呼ばれる。
ただ、それだけの単純な喜びに 彼の瞳に涙が滲んだ。

二人の関係は、これから変わっていくのだろうか?
男と女のものに・・・?
そんな予兆は、あった。
けれど、そうであっても、そうでなくても、どちらでもいい。
そう言い切ってしまえるほどに、今のアンドレは幸福感に満たされていた。

声色ひとつで、彼をこんなにも幸せにしてしまうオスカル。

「おれの・・・たいせつな、わがまま おひめさま・・・。」
そう、ちいさく声に出して 言ってみると、彼のなかの「いとおしい」と思う感情は、さらにつのった。

と、ふいにオスカルは身動きして、腕が寝台から落ちた。
その手をみれば、彼女が軍人であることが 実感できる。
お世辞にも、やわらかな、とは言いがたい手である。
剣や指揮棒を、つねひごろ扱っているせいで あちこちの角質が硬く厚くなっている。
関節も、大きい。

けれど、アンドレにとっては、どんな手入れの行き届いた貴婦人の手より、美しく思えた。
その手は、彼女の人生そのものだったから。

そっと、その手をとり 人差し指を 口に含んでみた。
その手からは、手袋から移った皮の匂いと、かすかなオスカルの汗の香りがした。



FIN