ロベールへ             

                                              奇蝶


「ねえ、ばあや。今日はとっても不思議なお話をしてあげるわね」
「はい、何でしょう?奥様」
「まあ、あなたったら。いいこと?私の部屋にきてまでそんなふうに緊張することはないのよ」
「とんでもない。私はこのジャルジェ家にお仕えしている人間でございます」
「ほほ…。でも、わたしだってたまには何でも話せる友達がほしいと思うのよ。あなたとは長い
付き合いじゃないの。私の話を聞いてもらいたいわ」
「奥様……そんなふうに仰っていただいて、私は幸せ者でございます。それで、いったい何で
しょう?不思議なお話とは」
「これはね、まだ私が14歳のころのお話よ。主人との婚約の話が進んでいて、家中が
忙しかった頃。私は、本当のことをいうと、結婚というものがどんなことなのか、何も分かって
いなかったわ。でも、主人ははとても立派な方と、お母様から聞いていたわ。そのころ、
私はとても不思議な夢をみたの。今でも覚えているわ。」
「さあ、どんな夢だったんでしょう?」
「私は夢の中で、一人で広い広い野原に立っているの。私はドレス
なんて着ていなくて、普段着のまま、野原にいたの。そしたら、急にお日様が輝いて、私は一瞬
まぶしくて目を閉じたの。そして目をあけたら、なんと腕の中にかわいらしい赤ちゃんを抱いて
いるの」
「赤ちゃん…?」
「そうよ。その赤ちゃんは、私がそれまで絵本とか肖像画でみたどんな赤ちゃんよりも可愛くて
あどけなくて、にこにこ笑っているの。私はなんだか嬉しくって、一生懸命その子をあやしたわ。
いないいないばあーってやってみたり、お歌をうたってあげたり。」
「その赤ちゃんはどんなふうだったんですか?」
「金色の髪が透き通るみたいでね、瞳は湖より深い青だった。肌の色は真白で、でも、ほっぺた
はバラみたいにピンクで。」
「まあ、奥様、そりゃオスカルお嬢様みたいじゃありませんか!」
「ふふっ。そうなのよ。でも、ここからが不思議なのよ。私は次の夜も、そのまた次の夜もおんなじ
ような夢をみたの。でもちょっとずつその赤ちゃんの様子がかわっていくの。どんどん大きくなっ
ていくのよ。
2日目の赤ちゃんはもうよちよち歩きができて、笑ったり泣いたり。3日目の赤ちゃんは3歳くらい
になっていた。その子はまぎれもない女の子なのに、何故か男の子の格好をしているの。
私が夢の中で、どうしてあなたはそんな格好をしているの?って聞くと、僕は男の子だよって
真っ赤になって怒るのよ」
「やっぱり、間違いなくオスカルお嬢様ですね」
「その夢は1週間続いたわ。いつも私はその子に名前を聞くのに、その子は内緒だよって言って
教えてくれなかったの。でも、7日目に、紅の軍服をきたその子は、金色の髪を靡かせてこう
言ったの。─私の名はオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェです─って。目がさめたら、私の
お父様がお部屋に入っていらして、レニエ・ド・ジャルジェという方との結婚が決まったと教えて
くださったわ」
                      

                          *

                          *

 私は、元来夢というものはあまりみないのだが、その夜はなんだかいつもと違っていた。
いつものように衛兵隊から戻ると、母上の部屋で母上とばあやがおもしろおかしく
話をしているのが聞こえた。二人の会話の中で、何度か「オスカル」とか「不思議な夢」
などという言葉が聞こえたが、私はあえて気にせずに寝室へとやってきた。
 思えば、母上とばあやがそんなことを話していたので、その影響を受けたのかもしれないが、
その夜から続けて7日間、私はとても不思議な夢をみた。

 私は、軍服でもなく、普段着のまま広い広い野原に立っているのだ。
風はそよそよと私の髪をゆらし、とても気持ちがよかった。
 私は野原に座って、一人太陽のしたでゆっくりと、風の音を聞いたり、鳥の囀りに耳をすました
り、のんびり空をみあげている。すると太陽が一瞬、鋭く光り、私は眩しくて目をつぶった。
 目をあけると、なんと私の腕の中にかわいらしい赤ん坊がいるのだ。
私は驚いて、腕の中のその赤ん坊を見つめる。赤ん坊は、黒い髪で、少し緑がかった、
黒い瞳をもっていた。それまで見たどんな赤ん坊よりも可愛く、あどけなかった。なんだか
私はとても嬉しくて、亡くなってしまった皇太子殿下をあやしたときのように、両腕でやさしく
その子を抱いて、ゆりかごのようにゆすってみたり、歌を歌ったり、おかしな顔をしてみたり。
そうするとその子は天使みたいな顔で笑うのだ。私はそれがまた嬉しくて、なおも一生懸命
その子を喜ばせようとする。私は次の夜も、そのまた次の夜もおんなじような夢をみた。
しかし、夢のなかの子供は日増しに成長しているのだ。2日目にはなんとか歩けるように
なっていて、言葉らしきものもしゃべっている。3日目には鳥さんとか、犬くんとか、おなかが
すいたなどと、舌ったらずな声でしゃべる。夢の中の私は、その子がおなかがすいたといえば
何故か突然現れた小さな家の中の台所で、それこそ自分でも可笑しくなってしまうくらい
一生懸命にオートミールなどを作る。その子が駄々をこねて泣き出すと、私は慌ててその子を
あやす。今度はその突然現れた小さな家の寝室で、その子に絵本を読んであげたり、一緒に
昼寝をしたり、とにかく夢の中の私は普段現実の世界でしている衛兵隊隊長という任務よりも
真剣に、その子に対して一生懸命だった。4日目になると、もうすっかり色々な言葉が喋れる
ようになっていて、夢の中の私はとても嬉しがっている。ところが、寝室でその子が昼寝から
さめ、私が抱き起こそうとすると、その子のからだが妙に熱い。私は驚いて、いそいで氷を
ありったけ持ってきて、水と一緒に袋につめてその子の額にあてる。夢の中の私はそれまで
誰にも見せたことのないような心配そうな、頼りない表情をしていて、ただその子の小さな
手をずっと握っていた。気の遠くなるような時間がすぎて、やっとその子は目を開けた。
 熱も下がっていて、私は安心してその子を抱きしめて大きな声で泣いてしまうのだ。
5日目になると、その子はぐっと成長していて、ことあるごとに私に質問をしてくる。
どうして昼間にお星様は見えないの?とか、サンタクロースはどこからくるの?とか。
私はそのたびに答えをさがして、その子に優しく教えてやる。夢の中の私はそれを、とても至福
だと感じているのだ。6日目は、その子がはじめて馬にのった。何度も振り落とされて、私は
そのたびに、ひやひやして、もう今日はやめにしようというのだが、その子はがんとして聞き入れ
ない。馬に乗る練習は、日が暮れるまで続いた。7日目のその子は、立派に馬を乗りこなしてい
た。私は、急に、その子にある重大なことを聞いてなかったことに気づくのだ。あまりにもその子
といる時間がとても楽しくて、名前など聞くのを忘れていた。
坊やの名前は?どこからきたんだい?お父さんとお母さんは?
するとその子はにこっと微笑むと、こう言った。
─ひどいよ、母さま、僕の名前忘れちゃったの?僕はロベールだよ。ロベール・グランディエ─
 一陣の風が私の頬をなで、去っていった。


                          *

                          *

 1789年11月─私たちはフランス衛兵隊としての7月14日を立派に戦い、そして勝利した。
隊が解散してから、私とアンドレはパリを離れ、小さな田舎の街に、小さな家を買った。
 驚いたことに、家のすぐ後ろにはあの夢に出てきた広い広い野原があり、そしてあの夢に
でてきた小さな家はまさにこの家だった。
「どうした、何笑ってるんだ?」
アンドレがそういいながら私の隣に腰掛けた。
「ふふっ。アンドレ、この子は男の子だ」
私はそっと自分のおなかに手をやる。ぴくっとかすかな命の息吹を感じる。
「男の子?どうしてわかるんだ?」
「どうしても…だ」
「何だ?教えてくれてもいいだろ?」
アンドレは駄々をこねた少年のように言う。
ロベールにそっくりだ。
「この子が生まれてきたら教えてやろう」
「オスカル!」
私はアンドレの腕をするりと抜けて、階段をおり、一人で台所へと入った。
アンドレはあきらめたのか、二階からはおりてこない。

私は、もう一度ゆっくりとおなかに手をあてた。

ロベール─。

心配しないでいいんだよ。おまえは誰からも、何からも祝福されて生まれてくるんだ。
今は怖いだろうが、大丈夫。ははっ…、そうか、私の言っていることが分かるのか?
最近のおまえは、私が話し掛けるとうなずくように一生懸命からだを動かすようになったな。
 おまえはいつかすごい熱をだすのだけれど、そんなこと心配しないでいい。
ありったけの氷を水と一緒に袋につめて、おまえの額にあてて、目がさめるまで手を握って
いるよ。きっと、おまえの父さまは教会に祈りを捧げにいくのだろうね。
 どうして昼間にはお星様が見えないのか、サンタクロースはどこからくるのか、
そのほかにもいっぱいいっぱいおまえは私たちに質問するんだろうね。
でも、おまえが生まれてくるまでにその答えは用意しておくよ。
 少し大きくなったら、お誕生日には小さくても立派な馬を買ってあげよう。
うまく乗れなくても大丈夫。母さまだって最初は何度も失敗したよ。

ロベール。
だから、早く出ておいで。
父さまも母さまも、おまえのその笑顔を、何よりも楽しみにしているんだよ。

ああ、ロベール。今日のお話はこれでおしまいだよ。
ほら、父さまが心配して、お二階から降りてきたみたいだよ─。



                                             fin.