ベルサイユのばら天国編  1   奇蝶

【これまでのあらすじ】
1789年7月13日。最愛の恋人を失ったオスカル・フランソワ。彼女は7月14日のバスティーユ
崩壊の際、何発もの銃弾をあびながらも、突如現れた女医ベロニカの適切な処置により、奇跡
的に命を取り留めた。
 一方アンドレは天界と呼ばれているところで、ただ毎日オスカルのことばかりを思って生活していた。
そんなある日、天界の外れに、ライアルの泉という、下界の状況をうつしだせる泉があることを知
ったアンドレは、自らそこにおもむき泉に向かって手をかざした。
そこで、ライアルの泉が写したものは──。

 それは、胸の病に苦しみ、一人生き残った自分の運命に怯え、やつれきったオスカルの姿だった。
ロザリーとベルナールのもとに身を寄せてはいたが、彼らやアランの献身的な看病にたいして、
オスカルは一向に心を開かなかった。
 そんなある日、オスカルは珍しく自分からベルナールに言付けて、衛兵隊のときに使っていた
執務室に大きなブリキの箱があるから、それを取ってきて欲しいと頼んだ。
ベルナールが彼女の言いつけ通りに箱を取ってきた翌日、眠っているオスカルの寝室を訪れたアランは、
偶然その箱を部屋の片隅で見つけた。開けてはならないとは思いながらも、アランは眠っているオスカルを
後目に、その箱をあけてしまう。中から出てきた物は、これからアンドレと一緒に始まるはずであった新しい
生活のためにと、彼女がもってきた物ばかりだった。中でも、分厚い皮の表紙の日記帳に心を揺さぶられた
アランは、ついに中を見てしまった。
 そこには、今は亡き恋人アンドレ・グランディエとの幸せな日々が、まるで儚いおとぎ話のように、切実なる
女の心で綴られていた。
 それを読んでしまったアランは、改めてオスカルのアンドレに対する愛情の深さを再確認し、自分の力では
どうすることもできないとわかり、がくぜんとする。
 その時、今まで眠っているとばかり思っていたオスカルが突然目をさました。あわてて日記帳を含め、全てを
ブリキの箱の中にしまったアラン。何とかオスカルには気づかれずにすんだが、オスカルに意識が戻った
7月21日以来、久しぶりに彼女に対面したアランだった。
何とか彼女を元気付けようとするアランだったが、やはりオスカルは全く心を開かなかった。
 アランが部屋を去り、オスカルはただ一人、ベルナールが取ってきてくれたブリキの箱をあけ、日記帳を読み返す。
幸せだった日々が何度も彼女の脳裏をかすめていき、また、水を求めて行った台所から、ベルナールと
ロザリーの幸せそうな姿を見てしまい、オスカルはアンドレを失い生き残ってしまった自分の運命を呪い、
一人泣き崩れるのだった。

 そんなオスカルの姿を、天界からライアルの泉を通して見たアンドレ。彼は何とかして一日だけでも下界に行き、
オスカルに会いたいと切実に願った。
 するとそこに一人の老婆が現れ、もし本当に望むなら、一日だけ下界に行く方法があるとアンドレに告げる。
その老婆の言葉に驚くと共に、もう一度ライアルの泉に手を翳したアンドレ。
 そして泉にうつったものは。
オスカルでも、アランでもない。
きちんとした身なりをし、一目で大貴族だとわかる男。
そして、かつてオスカルに求婚した男。
彼の名は、ヴィクトル・クレマン・ド・ジェローデルであった……。


  【本編】

〜第4章 心痛〜 
◇ヴィクトル・クレマン・ド・ジェローデル◇ 

ジェローデルは、お抱えの御者に、パリの下町を馬車で走らせていた。「ロベスピエールの一番弟子だった
新聞記者であるベルナール・シャトレのところに、元衛兵隊の女隊長がいる。」
そんな噂を街で耳にして以来、ジェローデルはいてもたってもいられなかった。
 まさか、あのオスカル・フランソワが平民側に寝返るなど考えてもいないことだった。その知らせを受けたとき、
彼もやはり近衛兵として、市民達を武力で制圧していた。
 まっさきに頭によぎったこと。それはオスカルの安否以外何ものでもなかった。7月14日に衛兵隊が寝返った
お陰でバスティーユが陥落し、フランスは革命の嵐に巻き込まれた。
 翌朝、15日になって、ジェローデルは一番信頼している家臣であるセルジュという男に、オスカル・フランソワの
行方を必ず探し出すようにと命令した。
なかなかオスカルの行方は分からず、ただ分かったことといったら、その戦いでアンドレ・グランディエというただの
一般兵士が死に、それをみたオスカル・フランソワは狂ったように泣き叫んでいたということだけだった。
セルジュからの報告により、ジェローデルは、やはりオスカル・フランソワはアンドレ・グランディエと結ばれたのだと
悟った。しかし、そのアンドレが死んでしまった。おそらくオスカルは帰るあてもなく絶望のどん底で暮らしているのだろう。
 しばらくはセルジュが懸命にオスカルの足跡をたどっても一向に彼女の行方は分からなかった。ジェローデルは
日増しに彼女への心配で胸を痛めるようになり、時には自らも危険地帯であるパリの下町に兵民に変装してオスカルの
行方を探した。
 約3週間がすぎ、オスカルの消息は依然として掴めず、ジェローデルの疲労も日々増していったころだった。
 その日もジェローデルは兵民の身なりをし、とある小さな酒場「Mayenne」に立ち寄った。
そこで、聞くともなしに他の客の話しを聞いていたジェローデルは、一瞬耳を疑うような会話を聞いた。
 その客は30歳前後の男二人で、一人の名前がアラン、もう一人はラサールというものらしかった。
 彼らは最初一番安いワインを注文し、暫くは世間話を続けていた。が、そこでジェローデルは突然彼らの会話のなかで、
オスカル隊長という言葉を耳にした。
すぐにジェローデルは、アランとそのラサールという男が、オスカルの部下だった元フランス衛兵隊の隊士であったことに
気づいた。一瞬体を強ばらせ、彼らの話を注意深く聞いていた。内容は、今でははっきりとは思い出せないが、だいたいが
こんな内容だった。
「なあ、アラン。隊長、今はあのロベスピエールの直弟子で新聞記者のベルナール・シャトレのところにいるんだろ?」
「あ、ああ。そうだ。彼と彼の妻のロザリーには、以前から面識があったそうだ。」

 それを聞いたジェローデルは、すぐにその酒場を去り、すぐさま部下のセルジュを内密に呼び出し、一つの命令を
与えた。「パリの下町の、ベルナール・シャトレという男の家を探せ」と。
 セルジュはすぐにベルナールの家を探してきた。
ジェローデルは考えに考えたあげく、やはりそのベルナールという男の家に行くことに決めた。

そして、8月4日。
ジェローデルはセルジュとともに馬車に乗り、ベルナールとその妻ロザリーの家へとむかっていた。
 何軒かのいかにも下町といった感じの店や建物を抜け、やっとジェローデルは目的の家についた。
 本当にここにオスカルがいるんだろうか?
家の扉をたたく前、ジェローデルはかつてないほどの不安に襲われていた。

「はい?どなたでございましょうか?」
明るい金の髪をもった、愛くるしい女性が問の扉を開けた。
その瞬間、ジェローデルは呆然とした。
その女性は、かつてオスカルの家に引き取られていたロザリー・ラ・モリエールだったからである。
直接言葉を交わしたことはなかったが、一時期宮廷でも、あのポリニャック夫人の娘であるシャルロットに、舞踏会で
扇を投げつけたたとかで、噂になったことがあった。
酒場での会話の中で、ベルナールとその妻ロザリーの家にいると聞いてはいたが、ロザリーというのはありふれた
名だったし、いちいち気にとめてはいなかった。
 しばし呆然と立ちつくすジェローデルに、ロザリーはもう一度明るく言った。
「うちに、何かご用でしょうか?主人のベルナールは今留守にしていますけど・・。」
やっと我にかえったジェローデルは、気を取り直して、毅然として言った。
「こちらに、元衛兵隊の隊長だったオスカル・フランソワがいると聞いてきた。私はヴィクトル・クレマン・ド・ジェローデル。
近衛隊にいたときの彼女の部下で、今も彼女を心から愛する者です。彼女に、オスカルに会わせていただきたい。」
一瞬にしてロザリーの顔色が変わった。
「……と、とにかく、中へどうぞ。」

 ジェローデルは、セルジュを先に帰らせ、ロザリーの案内されるままに客間へと通された。

「オスカルは、どこにいるのですか?」
ジェローデルは今この瞬間にでもこの家のどこかにオスカルがいるのだと思うと、気が気ではなくなっていた。
「お待ちください、ジェローデルさま。あなた様のことは、かつて私がジャルジェ家に引き取られていたときにすでに
知っておりました。でもあなた様がオスカル様を愛していらっしゃるとういうことまでは知りませんでしたが。」
ロザリーは、一気にそこまでしゃべると、お茶を入れるために台所へ消え、温かいハーブティーをもって現れた。
「ジェローデル様、あなたが本気でオスカル様のことをご心配なさっているのは、あなたの瞳をみてすぐにわかりました。
ですから、わたくしも本当のことを申し上げます。
あなた様が探していらっしゃるオスカルという女性は、確かにわたくしどもの家にいます。あのバスティーユ崩壊の時、
重傷な傷をおいまして、それ以来うちでお世話しています。」
ジェローデルは胸の高鳴りを隠せなかった。
あれほどにまで探し求めたオスカル・フランソワが、やはりここにいるのだ。
「でしたら、オスカルに会わせてください。」
ジェローデルはロザリーに頭を下げながらそう呟いた。
「……今はまだ、お会いにならないほうがいいと思います。」
意外な、ロザリーの返事だった。
「……なぜですか!?私はここまで彼女をもとめてやってきた。それに私は心から彼女を愛している。それなのに、なぜ?」
ジェローデルは拳をテーブルにたたきつけた。

ロザリーは、しばらく黙ってから、やがて一言ずつゆっくりと話し始めた。
 まず、オスカルの今の精神状態。アンドレを失った悲しみの中に我が身をおき、ただ毎日幸せだったころの日記を
読み返して生活しているとうこと。
 そして、ロザリーを含め全ての人間に心を閉ざしてしまっているということ。
 それから、オスカルは胸の病にかかっているということ。

それらの話し全て、ジェローデルは冷静に聞いた。
オスカルが胸を患っているという事実も。

「わかりました。……でも、それならなおのこと彼女に会いたい。どうか、お願いだ。」
ジェローデルはもう一度ロザリーに頭を下げた。
 暫くロザリーは、黙って俯いていた。
そして静かに口を開いた。
「ジェローデル様、お気持ちはわかりました。どうぞ、あの方のお部屋にご案内します。」

ロザリーは、ジェローデルを、薄暗い廊下の一番奥の部屋の扉の前に案内し、そして去っていった。

扉の前にたち、ジェローデルは自らの心痛と戦っていた。
そして、軽くノックをした。

 返事は、なかった。
「オスカル、わたしです。ジェローデルです。」
ジェローデルはそう言って、軋む扉を開けた。

部屋の中は、消毒液のにおいで充満していて、その中で、真っ白な顔で長い金の髪をした、まるでこの世の人間では
ないような儚い女が一人、窓辺に横たわりながら、いつかどこかで聞いたことのあるような子守歌を歌いながら、静か
に泣いていた──。