徒然なるままに〜もう一人の彼の場合〜


 


『 ベルサイユに於いて妃殿下付きの近衛仕官とは、
あれほどまでに完成度が高いのかと感心さえしていたが…。

まさか、あいつが女だったとは露程も思いもしなかった。
私はお前に眩暈を起こす様な嫉妬さえ心の何処かで感じていたのに。
 
王族には珍しいあの天真爛漫な美しい妃殿下の傍にいつも居るお前。
初めてお逢いしたあの、オペラ座の夜。
どうしても気になり、あの方を追う。
仮面をしていても隠し切れない…透明で、愛らしげな美しさを
如何しても拝見したくて無理に外した仮面の下に
現れた…女神。
“この世にはこんな美しい少女も居るのだろうか”と
その瞳、その肌、その唇…。
視線を外せなかったこの私に突然突きつけてきたお前の剣。
生意気な若い士官だと思った。
だが、その無礼さは大太子妃殿下を守る職務の熱心さから来るもの。
当然といえば当然の結果。
「此の方にお会いしたければベルサイユに来い」
出逢った時から、彼はそうして、常に妃殿下を守っている。
いつも、いつも。
其れが職務であると判っていても、何処かで、私はいつも嫉妬していたのだ。
何に対する嫉妬なのか。
お前は今まで私が留学したどの国にも存在しない、稀有な近衛仕官だった。
嫉妬を覚えながらもお前にならば仕方がないといつも感じていた。
何故ならばお前程の、
その教養の高さ、
その冷静な判断力、
その剣の腕前はもちろん、
いつも前だけを見つめ、理想に燃え
真っ直ぐな瞳で他人を堂々と見返すことの出来る
そんな心の気高さを持つ近衛仕官には
今まで出会った事は、無かったからだ。
今日の一件にしても妃殿下を助けたあの、機敏さ、機転の早さ、
行動力は見事なものだった。
私は、かなわなかった…。
…本当に
妃殿下が、御無事で何よりだった。
お前のお陰だ。
暴走する馬上であの方が、どれだけ恐ろしい思いをされた事であろう。
あの美しい瞳や、光り輝く肌が涙に濡れながら、
お前に助けを求め、助けられて気を失われた。
どれほど心細かったことだろう。
馬上から飛び降りる瞬間
あの方は全てをお前に預けたのだ。その命、その心。
何という、信頼関係なのだろう。
お前だからこそなのだろうと、羨ましく、何処かで苦しかった。
私は貴女を、守ることは出来なかった。

…アンドレの命乞いをするお前。
何という奴なのだ。
居並ぶ貴族や国王陛下にあんなにも堂々と訴えるお前。
代々王族を守る家に生まれたお前が、あの結末がどうなるかは
当然知っているだろうに。
何故ならお前も私と同じ(故国に帰国すればだが、)
陛下からの信頼の厚い上流の貴族なのだから。
私は負けたくは無かった。
お前に追いつきたいとさえ思った。
お前の正義に対する其の情熱に。理想の高さに。
私もお前とならば、もしこの命を無くすことがあっても
けして、恥ずかしくないだろう。
いつしか芽生えたお前との友情に賭けて、
そして、妃殿下のいるこのベルサイユで
お前の正義を唯傍観する卑怯者にはなりたくなかった。
お前だけでない、私も正義の為に喜んで死ねる男であると
このベルサイユに居る全ての者に訴えたかったのだ。
計算等では無く。お前は信頼に足る男なのだ。オスカル。
(そう、疑いもせず…。)
其処へ…まだ暴走のショック癒えていない痛々しい貴方が現れた!

貴女もまた、陛下に懇願して下さった。
なんと、気高く優しい心を持っていらっしゃる方なのだろう。
どの国に、留学しても貴女程美しく優しい王族は居なかった。
“全ては、自分の我侭から起こってしまったのだから”と
あの国王類15世陛下に泣きながら
私たちの命乞いをして下さるとは。
同じ王族とはいえあの方でなければ出来ないことだった。
あの方の優しい心が
あの陛下のお気持を変え、慣例をあっさりと破ったのだ。
臣下のために、あの様なことをして下さる王族は
そう居るものではない。
ましてや、異国、あのオーストリーから、彼女は同盟の象徴として
嫁いできた方であるのに。
異国から、嫁いできた他国の国々の妃達がどの様な立場に置かれているか私は観てきた。
其れを思えばあの方は、何と自分の気持に正直に
振舞うことのできるお方なのだろう。

崩れるように倒れるお前。
心配なさる妃殿下。
また軽い眩暈の様な嫉妬が私を襲う。
私は何と醜いのか。やはりお前にはかなわない。
一体何がかなわないのか。私は何を嫉妬しているのか。

気が付いたお前。
初めて知る真実。

世の中にこんな硝子細工の様な近衛士官が居ることを!
本当に驚いた。
お前程、本物の近衛仕官は居ないのに、まさか、女だったとは。
なんて儚い姿をしているのだ。

何処かに安堵を感じながら、
改めてお前の課せられた生き方にその運命に驚いた。
大した奴だ。お前という奴は。
女とか、男とか性別を超越しているからこそ、
今のお前が在るのだろう。

男としてこの宮廷に生きるお前に、
計り知れない苦労が今まで数多ある事は
想像に絶するだろう。
だからこそ、お前は氷の様に冷たい仮面で身を守りながらも、
平民ながら宮廷に伺候し、影に日向にお前の身を護衛するアンドレを
命を賭けて守ったのだ。
多分、彼がお前を一番良く理解し、
お前も彼を一番理解している。
冷たいように見えてもお前の心の内側は、暖炉の炎のように暖かい。

そうして、私は、迷宮に入る。
美しすぎる妃殿下への
気が付いてしまった私の想いに、
この出口の無い恋に、終止符を打つべく。
どうして、あの方はフランスの大太子妃なのだと。
誰にも知られてはいけない、この気持を
私の中で抱え仮面を被ることが出来る様、彷徨いながら。
私の恋に、終止符を打たなければ成らないと、迷いながら。』

あの時から、変わらない。いや、其れよりもより深く、強く…。
日記を閉じ、思いを馳せる。
……何のために、あの時フランスを離れ、母国へ帰国したのか。
…何のためにこの宮廷が、私を忘れる程の年月をかけ、私は待ったのか。
全ては、私の想いが、あの方を危うい場所へ追い込むことが無いようにと。
18のあの日、あの方の王侯陛下としての輝かしい未来に影を落とさぬ様にと。
大人になれば、抑えられると思っていた。あの方への想い。自らの気持。
再びこの国に来たのも
自分の家に相応しく、利益をもたらす為の婚約者を探すため。
貴族に生まれたならば、当たり前の事。
妻や、夫とは別に恋人を持ったとしても当たり前の貴族社会。
しかし、我が想い人は……。
何故こんなにもあの方でなければなららいのか。
何故こんなにもあの方を求めるのか。
深い、暗い、冷たい闇。迷宮の出口は一向に見つからない。
我が運命の想い人よ。傍に居ることを望むのは罪。
あの方を危ういものにしてしまうだけなのに。
言葉にさえ出してはならない我が背徳の秘密の恋。

「王侯陛下に何故言った!結婚すると!」
“それでは…愛してさえ居れば結婚出来るのか?”
「……王侯陛下を愛してしまったと…。何故言えるのだ!」
お前に問い詰められたからこそ搾り出すように吐き出した
俺の心の叫び。今も変わらず前を真っ直ぐ見つめる事の出来るお前。
私の魂は、お前を真っ直ぐ見つめ返す事さえ出来ない。

陛下主催のオペラのあの日、
あの方にお逢いする事を恐れ、独り思いあぐね庭園を歩き、
偶然、あの方に出逢い、離れがたく、恋を打ち明けるあの方が愛しくて、
あの方との初めての口づけを交わした…。
運命なのだと、
我が全てをあの方に捧げるのが、私の運命なのだと。
この先何が待っていようと、この想いは、私の生きるさだめなのだと。
あの年月は神が私の心を試し、想いの深さを思い知らせる為のものかもしれない。
そう…感じたのに。

この罪の深さに神に裁かれようとも。逆臣と呼ばれ様とも。
あの方を、一生涯を賭け想い続けようと…。
結婚をしないと誓いを立て、
愛してない相手との計算高い貴族の結婚はあの方の気持を裏切ること。
私は一生あの方の傍にと。

…そう想う気持があの方をこんなにも貶める事になろうとは!
私の存在がこんな見もあの方の立場を苛み、苦しめる事になろうとは!
私はこの国に帰って来るべきではなかったかもしれない。
想えばこそ、お逢いするべきではなかったかもしれない。
あの方は自分の感情にとても素直な方だという事を
一番判っているのは、この私なのに。
このままでは余りにも、危険すぎる。
お互いの想いがより、深く強くなればなる程、あの方に災いが降り注ぐ。
誰よりも、何よりも大切なあの方に!
裁かれるのは、私だけでよい。
神よ!
罪は一切、私が背負う…どうかあの方には、何も災いが起きない様に…。
私は、この場所から遠く離れ大陸へ。
この欧州のフランスの地にあの方をこの地で独り置いていくことを許したまえ。

オスカル、どうか、あの方を私の変わりに、あの時の様に守って欲しい。
信頼に足る君ならば、全てを知る君ならば。
私は、逃げる。卑怯者と罵られようと!
あの方の居るヨーロッパ大陸の地から、遠くアメリカ独立戦争へ…!
この身を燃える戦火に敢えてさらそう、飛び交う砲弾をくぐり抜けよう。
この背徳の罪が、全て私に降り掛かるよう。
私の命を、新しい理想を掲げる独立戦争へ捧げよう。

お許しください。
遠いアメリカ大陸の地へと、貴女のことを想い、私が去って行くのを。
貴女は何もご心配なさる事はないのです。神が貴女を裁くことが無いように、
私が神に裁かれんことを!
この罪は、一切、わが身に受けよう。
神に背こうともこの想いを全て無くしてしまうことが出来ないならば。
さだめなのだ。私の運命の想い人よ。
貴女をこれ以上苦しめることを見ることが無いように。

アメリカ大陸へ私は逃げる。