降りそそぐ光



『彼らは武器庫の話をしていた。薄れ行く意識の中では有ったが、確かに覚えている。彼らは、私から、近衛の武器庫の場所を聞き出そうとしていた。如何いう事だ。ただの、盗賊ではない。私を誰であるか知っている。黒い騎士は、彼らは…一体何者なのだろうか。』


私が、黒い騎士を捕まえようと、連日、舞踏会という舞踏会に出ていたのは、義賊という彼の仮面の下を見たいという、私の好奇心から始まったのは言うまでもない。そして、私の恋の残り香を断ち切ろうとした不順な動機も、何処かに在ったのも否定できないのは確かだった。

宝石や、銃砲を主に、貴族を狙う盗賊。推測するに第三身分の彼らが、何故今、銃砲を狙うのか。後味はすっきりしなかったあの首飾り事件の結末を終え、返ってきた私を待っていたのは、その黒い騎士の噂。全ての貴族が、彼を恐れ、平民は、彼を英雄として扱っていた。

…第三身分。彼らに対する扱いは今も尚、否、現時点の方がと言い換えたほうが良いが、私達貴族の生活と比べ、より過酷なものになっている。

数年前でさえ、幼い子供が、パン欲しさに盗みを働き、其の罪の為、心無い貴族に遊び半分に、白昼堂々…銃で撃たれた。貧しさ故に12歳の少女が其の身を売ろうとしていた…其れが日常茶飯事に行われているというこの国の現実。母国フランスを愛する者として、このままで良いとは私も思っては居なかった。しかし…今まで私は、其の事実に憤る事しか出来ず、現実の中で甘んじて生きてきたのだ。


『黒い騎士を追い、迷い込んだパレ・ロワイヤル…あのオルレアン公の居城!彼は単独ではなく、彼らだった。其の彼らの急襲に会い、気が遠くなりそうな中…ただ、逃げる事で手一杯となり、混乱する私は考えが纏まらなかった。
あの時、ロザリー達に助けて貰わなければ私は一体どうなっていたのだろうか…。』


ペンを置き、目を閉じる。浮かんでくるのは彼女の作ってくれた温かいスープ。
…私は深く溜息をつき、窓の外を眺める。

蒼く輝く月…。此れは何処でも変わりはしないのに…。


『あの一品のスープ…野菜の切れ端が数切れ、申し訳なさそうに入ったあのスープを出された時、私が思った事といったら、食事の前のカフェ・オレかショコラの事だった。…恥ずかしかった。彼女が、可愛い手を荒らし、食べる物を食べないで出してくれた、私への心遣いに、私はそんな事しか…思い浮かばなかったのだから。私が当たり前に過ごしている日常が、本当はどんな人々の上に立っているのか、私は知っているつもりで、少しも知りはしなかったのだ。否、本気で知ろうとしていなかったのではないだろうか』

一滴の涙が日記に落ちる。インクで書いた文字が滲む。考えても考えても、自分の愚かしさに、ただ恥ずかしく、悔しくて、腹立たしくてたまらない。今、涙を流してしまった自分さえも。…偽善…無知…其の文字が心を貫く。

私の大切な春風…ロザリー。その姉。……ジャンヌ・バロア・ド・ラモット。
同じ姉妹であるのに対照的な二人。

まだ、私の心に、鮮明に刻まれているジャンヌの最期。其の命が燃え尽きるまで、変わらなかった、狂気をも感じさせる様な彼女の赤く燃える炎の様な逞しさ、生き方。
私には、到底理解できなかった。彼女の神をも畏れぬその生き様を…。
其れは…今でも。しかし、善悪の如何は兎も角、私達貴族は、彼女があれほど欲しくて堪らなかった、羨望して止まなかった物を、生まれながらの当然の権利として持っているのだ。何の疑問もなく。のうのうと…。彼女が、其れを得る為には、数々の罪を重ねなくては得られなかったというのに。
…其れをどう、考えればいいのだろう。彼女と私は、どれほど違うというのだろうか。


『ロザリーを連れて帰る帰り道、パン屋が飢えた人々に襲われ殺されていた。物騒なパリ。花の都と称されあれほど美しかったあの街が、荒廃している。富める者、持つ者の義務を、どれだけ我々は果たしているのだろうか。

連日連夜、黒い騎士を捕まえるため通った、数々の舞踏会。
煌びやかなシャンデリア、美しいレースに縁取られた絹のドレス。衣擦れの音、揺れる羽飾り、美しい楽曲の調べ、彼らの胸元や、耳元を飾る高価な宝飾品、其処に並ぶ多彩な料理。そんな饗宴の下、それが、当たり前の権利だと思い、興ずる貴族達。
其れが、どんな人々の上に成り立っているのか、どんな生活の上での贅沢であるのか、我々は良く考えて見る必要があるのだ。』

確かに、そんな中でも、人は、同じ様に悩み足掻いている。しかし…。
太陽や、月、煌く星でさえ、何処も同じに其の光を降り注ぐというのに。

あの現実の中で生きている彼らにとって、我々はどんな風に映っているだろうか
本当に罪深いのはどちらなのだろう。


『銃砲を狙う黒い騎士。武器庫を知りたい彼ら。果たして、何が、あの漆黒の闇の中、蠢いているのか。彼らは一体何を企んでいるのだろうか。
私の愛する故国は、少しづづ、其の歯車を狂わせているのではないだろうか。私は此れからどう、生きていくべきなのか。

興味ではなく、何かを忘れる為でもなく、私は黒い騎士と逢って見たい。捕まえるのではなく、逢って、彼らが何を如何考えているのか知りたいのだ。盗賊と近衛の准将ではなく、一人の人間として、彼と正面から向き合い、話をしてみたい。それは、私個人の為だけではなく、親愛なる国王陛下・王侯陛下が治めるこのフランスの為かもしれないのだから。』

…ふと、聞こえてきた足音に、私は静かに日記を閉じた。ショコラを運ぶアンドレの足音。
…そう、私にはアンドレが、居る。黒葡萄の髪、黒曜石の瞳を持つアンドレ・グランディエ、私の頼もしい幼馴染…。彼が居れば私は何でも出来る様な気がする。



*****



『あの夜、ショコラを持って行きながら、ロザリーを連れて帰って来たお前の、何処かとても動揺している様子が、俺は、気になって仕方が無かった。あれだけ探していた、ロザリーが、「黒い騎士を追い、迷い込んだ街で偶然見つかった。」そう、お前は嬉しそうに、只、それだけしか言わなかった。喜ぶお前は何故か、何処かに苛立ちを垣間見せていた。一体何に苛立っているのか。そんなお前の様子が、俺は不思議で、心配でならなかった。』


あの夜、黒い騎士を追うお前を、闇の中で見失ない、俺は動揺した。街は今とても物騒になっている。夜の闇を、軍服姿で一人、奴を追うのはとても危険な事だ。お前が幾ら腕が立つとはいえ、相手は作法をわきまえた上品な貴族では無い。
奴らにとって其れは生きる為に必要な事。生死をも賭けた戦いであるのだ。


俺はお前を追い、漆黒の中、お前の姿を探し街に出た。見当もつかず探す俺。見つからないお前…。まるでいつも夢に見る俺が彷徨う迷宮の様だ。
軽い眩暈を感じる。
お前が欲しくて、…。お前のそのサファイヤの瞳に他の男が映るのが辛くて…。お前のその唇が他の男を語るのが、苦しくて…。お前の指が、黄金の絹糸の髪が、お前の全てが…。欲しくて彷徨う醜い俺をあざ笑うあの迷宮。滑稽な規視感(デ・ジャヴ)。心の迷いに少し苦笑いをしながらも、お前を探し街を歩く。

明け方近く、パレロワイヤルの付近で、お前を探す数人の不審な輩を見た。咄嗟に隠れ、彼らの話を盗み聞いた。お前は上手く逃げ果せた様だった。俺はお前が屋敷に帰ったのかと安心して、戻ってきたのだが、お前はまだ帰っていなかった。お前の無事を何処かで確信しながらも俺は、お前が帰ってくるのを只、祈るしか出来なかった。

昼近く、お前は、ようやく、行方不明になっていたロザリーを連れて帰って来た。嬉しい筈なのに、お前のふと、見せる表情が、俺を不安にさせていた。お前に何が有ったのか…と。お前は何を苦しんでいるのか…と。


『お前は奴(黒い騎士)を ジャルジェ家へ誘き寄せるつもりだと言った。奴と、宮廷やお前の役職等と関係の無い所で、会って、話しがして見たいと言った。其の為に偽の黒い騎士を仕立て上げると。それは…お前の強い思い、意思。

あの夜、お前に何が有ったのか、何を感じ街から帰って来たのか…お前は何も語らないが、俺は俺なりに少し解る様な気がして来た。お前の其の真っ直ぐな瞳は今、宮廷から、外へ向かっているのだと。何が引き金になったのか解らないが、お前の其の瞳を見てそう感じる俺が居る。

確かに普通の貴族の娘として育っていれば、お前自身その様な事を何も考えずに、もう少し楽に生きて行かれただろう。いや、例え、女として育っていてもお前の事だ、やはりクラブサンを奏でるよりも、アリアを歌う事よりも、形こそ違え、同じ様な行動を取っているかも知れない。

一見、冷静沈着で氷の華と称されてはいるが、お前の其の瞳に映る出来事に対する好奇心を、きっと放って置けはしないだろう。お前の中に燃える情熱や、正義感、行動力、暖かな優しさは、お前が男であろうと女であろうと、きっと変わりはしない。女であれば、唯の美しい貴婦人になるなんて、お前には、有り得ない。

…そう思わなければ、お前の性を超越して、此れまで生きてきた苦しみや、哀しみが、其の性の違いだけで完結してしまう。
お前はどんな風に生きようと、どんな時代に生きようと、お前の中に流れるその気性は変えることは出来ないのだ。
いつも、正面から、自分を、世の中を見据え、真摯に自分の人生を懸命に生きる。其の姿は変えることは出来やしないのだ。俺はそんなお前を尊敬し、心から愛しているのだから。



お前の為であれば、俺は例え神の裁きに逢おうとも、何でもするだろう。この髪を短く切り、黒い騎士の衣装を纏い、漆黒の闇を縫う盗賊の真似事さえも厭わない。其の先にどんな危険が待っていようとも。
オスカル…お前の為ならば。俺はいつでもこの命さえ、捧げる用意があるのだから。』


俺は日記を閉じ窓の外を見る。


まるで、お前の瞳を思わせる様な、蒼く燃える月の光。静かに語りかける星達。
此れだけは、お前と俺に同じ様に降り注ぐ光。


俺に、幸せをくれた、いつかのあの夜のように…。
いや、俺はお前の傍でお前と居られさえすれば、其れだけで、充分過ぎるほど、幸せなのだ。俺が、お前と、巡り会えたこと其れさえ、奇跡のように有り難いと思っているのだ。

明日からの任務を思い、俺は横になり、眼を閉じた。

俺の愛する女神、オスカルを想いながら…。