徒然成るままに〜彼の場合〜
『 「お待ちください!陛下」
静まり返る宮廷に響き渡る声に俺は…心の底から驚いた。
オスカル!
幾らお前の気性を知っているとはいえ、
陛下にお前が嘆願をするとは。
あのような場所で、
あのような、状況で、
幾ら俺でも事故とは王族を危険にさらした責任を
如何に取らされるかは、知っている。
知っていても尚、震えるばかりで、俺は立ち竦んでいた。
お前は、暴走した馬を追いかけ、妃殿下を惨事から救ってくれた。
俺は、故意ではないとはいえ、自分のした事に、ただ足が竦み、何も出来なかった。
お前の、機転の速さ、機敏な行動力が無かったら、
妃殿下は、どうなっていたのか。
そして、俺は…。それだけでも感謝していた。
なのに。
貴族として、近衛仕官として陛下への忠誠を、
生まれた時から嫌というほど叩き込まれたお前が、
俺を助けるために自分の命を賭けてくれた。
このベルサイユの、この国の父であり、偉大な権力者でもある陛下に対し。
…俺は誰よりもお前を知っているつもりだったのに。
お前の陰に隠れている弱さも、儚さも、人知れず抱える苦しみさえも。
だが、俺が知っているよりも、
お前は遥かに強く、激しく、眩しく、遠く気高い存在だった。
「まず、私の命を絶ってからにされるが良い。」
朗々と響き、透き通ったお前の声。
あの陛下に向い、他の貴族の居並ぶ中で…。
それが何を意味するのか、どう結末するのかお前だって知っているはずなのに。
妃殿下を守り、馬から飛び降りた後だというのに。
剣を抜き、訴えるお前は、一体何者なのだ。
俺の知っているオスカルではないのか。
俺は、戦場で、剣を持つ金色の天使を見ている様だった。
涙が止まらなかった。
何という幸せ者なのだろう。俺は…。
結果がどうなろうと、お前が俺のために命を賭けてくれたのだ。
…本当に今回は特例中の特例だろう。
お前のおかげだ。オスカル!
俺は唯、打ち震えるばかりだった。
それに比べ
俺は、今日まで、何をしていたのだろう。
果たしてお前が助けてくれた価値が、俺にあるのだろうか。
女として、妃殿下付きの近衛仕官となった、お前を守るためだけに、
平民である俺が、ベルサイユへの伺候を特別に許された。
“お前を守る”その意味を俺は本当に判っていたのだろうか。
“護る”という重さを本当に考えたことさえ無かったのではないか。
お前に逢ったあの日から、幼馴染として、乳母の孫として
生きてきた俺は、お前を守っているつもりで、
お前の庇護の下、
本当はお前に甘え、守って貰っていたのかもしれない。
平民である俺が、お前を守ることで、ベルサイユに伺候する事のできる意味を
俺は本当に判ってはいなかったのだ。
お前の気持に共感し、お前と共に時間を過ごす。
時には、愚痴を聞き、剣の相手をし、宮廷の貴族の情報を集め…。
俺は、お前を今まで守っているつもりだった。
しかし、それはつもりでしかない。
護るだけの強さや、確かさが無ければ
俺の弱さや、小さな過ちが、お前を危険へと導いてしまう。
情けないことだ。
お前の傍にいる資格も無い。
本当はお前に守られていたに過ぎないのに。
一体、何を俺は勘違いしていたのだろう。
今の俺ではお前を到底守ることなど出来ないのに。
お前は強く、激しく、眩しく、何よりも誰よりも、気高く尊い。
今の俺の、自分の器の無さに、力の無さに、未熟さに呆れるばかりだ。
お前を守る事の出来る強さが欲しい。
お前の激しさを受け止める強さが欲しい。
お前が、命を賭けて俺を助けてくれたように。
お前に俺の命を預けることの出きるお前を護ることが出来る様。
俺の命はお前の物だ。
俺は、もう二度とお前の足手まといにだけは成りたくない。
俺はお前を護る事の出来る自分になりたい。
もう二度とお前をあんな目に遭わせないように。
お前の庇護の元、安穏としていた俺を卒業するのだ。
オスカル、今日の日の事は一生忘れない。
俺はお前の為いつかこの命を賭けよう。』
…あの日から、
あの時の誓いを忘れぬ様に、自分の気持に迷いがあると、開く日記。
いつからか、お前は俺にとって、本当に眩しい存在になっている。
お前が、妃殿下と、フェルゼン伯の仲を気にし始めた時以来、
王妃様付きの近衛連隊長としての任務だけではない、
お前の中に育つ儚い想いに、
俺は気がついている。
彼を追うお前の視線。
彼と話すお前の瞳。
彼と共に居るお前の髪の先にまで、
ふと、見え隠れする
お前もまだ気がつかない、小さな想い。
其れが何なのか俺は知っている。
何故なら、
お前の瞳が、彼を追う時、
お前の唇が、彼を語るとき、
お前の一挙一動を、俺は追いかけているのだ。
お前の瞳、
お前の声、
お前の髪、指先、
お前の全てを…。
お前の美しさ、魂の気高さ、お前の全てを俺は敬愛する俺は、
そんなお前に、
いつからか胸の痛みを覚えている。
他の男が、お前の心を掠め取って行く様を
俺は黙って唯、見詰めているしか出来ないのだから。
お前には気が付かれてはいけない。
俺の苦しみ…。醜い嫉妬。
俺の気持が、乱れぬ様、迷わぬ様に。
俺は日記を読み返す。
読み返しては、ため息をつく自分に
まだ、お前を護る器の無さを痛感しながら、
日々育つ俺の中のお前への恋心に醜くあがき、
いつかお前が彼への恋心に気付く時を恐れながら、
お前を失う事を恐れ苦しむのは
俺の罪深さなのかもしれない。
感情に流されては、
いつお前を危険な目にあわせてしまうかもしれない。
それだけは、起こしては成らない事だと、
俺は日記を読み返す。今日も明日も…。