貴婦人



「お兄様、ほら、まるで彫刻のように美しい方!ご覧になって…」

ソフィに語り掛けられるよりも前から、

貴女が夜会に姿を現した瞬間(とき)から、
私は、ずっと…
目が離せなかった。

あの方とのオペラ座での出逢い以来、
…初めてかもしれない。
あちらこちらで、感嘆の溜息と共に噂されるその貴婦人。
「何て、美しい方なのでしょう…」
「外国の伯爵夫人ですって…秘密めいた方…」

現れた瞬間から、
貴方の周りだけが、
神秘的な静寂に包まれていた。

凛と張り詰めた空気。
神話の世界に誘われる様な…。

恥ずかしげに、少し傾けた首筋、少し伏せた其の瞳。
私の深くお慕いするあの方とはまるで違う美。

違う、気高さ。

何と形容すればいいのだろう。

太陽と月
赤と白
あの方が薔薇ならば貴女は百合
同じコランダム鉱石でも、色が違うことで、名が違うように、
赤いルビーがあの方ならば、
貴女は青いブルーサファイア
其れも、最高級の見事な…、
ピジョンブラッドとコーンフラワー・ブルー

同じ女性でも、印象の違う美しさが有るのだと
改めて感じ入りながら、あの方とは違う美しさに
この様な貴婦人も居るのか…と言葉を失っていた。

…天上人の様な、その姿…

息を殺し、私はただ、みつめるばかりだ。



ゆっくりと
静かに燃える様に揺れる貴女の眼差しが
私の視線と交わる。

外せない視線…。

停止する時間…。

青い、矢車草の深い青

吸い込まれそうだ。

最高級のサファイア。

何処か哀しげで、艶やかな貴女の眼差し

何か、語り掛けてくる様な、儚げな貴女の瞳。

刹那的な…




静寂の中、楽曲が、流れる。

「マダム、一曲お相手を…」


思わず出た言葉に私自身、驚いた。

周囲の眼を気にする事無く、
あの方と踊る事は、私にとって、禁忌。
心に正直に振舞うことは、二人の恋を危険に晒してしまう。
あの方を想い、
いつからか、誰とも踊らなくなっていた自分。
しかし、今夜は…、
周囲の眼を気にする事無く、貴女と踊る。

もし、あの方と、恋に落ちなかったら、
私の日常は、どんな風だったのだろう。
愚問…そう自問自答し、苦笑いする。


私の申し出に、小さく頷く貴女。
差し出された貴女の手を取り、踊る。

周りの空気が、一瞬にして、貴女の世界に変化する。
何処か哀しげで、静かに燃える蒼い炎の様な静寂…。


すらりとした長身。

白磁の肌。

長い手足。

貴女を腕に抱き踊る。

不思議な人だ。

まるで…
天上人に触れている様だ。

心惹かれる。

“異国の伯爵夫人”


現実が頭をよぎる。
“…外国の…”
何度、其の言葉を私は、この宮廷社会で、聞いて来ただろう。
外国人。
フランス人では無い者。
異端者。

財政難を抱えてはいるが、
フランスは今も尚、華やかな文化を持ち、
この国の宮廷や社交界はヨーロッパの憧れなのだ。
それをフランス人は知っている。

其れゆえに

故国に、そして、フランスの宮廷人である事に、
強い誇りを持っている彼らが使う言葉。

“外国人…。”

彼らは概ね、外国人には優しく、寛容だ。
しかし、
私もそして、あの方も何度か其の言葉を重ね聞くうちに、
其の裏に見え隠れする彼らの中華思想に徐々に気づき、
軽い嫌悪を感じている言葉。
わたしは兎も角あの方は、
この国の王妃であるのに
今も尚…。


外国人。

貴女はどう思っているのだろうか。

天上人の輝きを持つ美しいマダム。

このフランスを。

あの方のこの美しい国で、貴女は独り、寂しくは無いのだろうか。
ゆきずりとして、ただ、憧れに心踊らしているだけだろうか。

何処か儚げな姿をした、美しい伯爵夫人。


…ふと、彼女が何者か気になった。

一緒に踊っているからこそ感じる、
隙の無い身のこなし
しなやかな体つきを支える、柔らかな上質の筋肉。

少なくとも普通の貴婦人ではない…
普通の女性でも有り得ない。
彼女を腕に抱いているからこそ解る感覚。

何者なのだ。


「伯爵夫人」


強い好奇心に駆られ…つい、言葉が続く。

「お国はどちらでいらっしゃる?」

貴女が忍んで来ている事は、暗黙の了解であるのに、
不躾に、貴女に魅入られた私は、問い掛けてしまう。
どの様な境遇の方なのかと…

ふいに、
貴女が、失礼な私の視線を避ける様に外したのは、無理も無いこと。

揺れる…、
絹糸の如く美しい、
天上人が持つであろうかの如く、見事なブロンドの髪。

…オスカル

オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ


そう、我が友…

彼女の見事な黄金の髪にも似た…。

氷の華の如く美しく、儚い姿をしながらも、
誇り高く、金のモールに超一流の武官として
身を包み生きる、
私のすばらしき親友。

女とか、男とかの枠を超え、尊敬し、信頼する彼女。

このフランスでは、勿論の事、
わが生涯の中でさえも。
私の抱える、悩み、苦しみ、
背徳の深き罪を知っている
我が、腹心の友。

私は、彼女の…其の魂の気高さに、
何度心が救われたことだろう。

あの方を護ってくれるのが、彼女だから。
私は、影となって、あの方を想いながらも、
安心していられるのだ。
あの、馬の暴走事件以来続く、誰よりも深い私の彼女への信頼…。

あの方から、私が離れていても、
お前が傍らで、
あの方を必ず、護ってくれている…

若き日、あの方を想いを、封印するために、帰国した時も、
独立戦争へと、あの方との愛の罪深さに、耐え切れず、逃げた時でさえも。
心の奥深くで、
あの方を護るお前を信じているからこそ。

でなければ、誰よりも無防備で無邪気なあの方を、
たった独りで、
この地に、置いて行くことは出来なかっただろう。

私は、お前に甘えているのかも知れない。
わが生涯賭けて、あの方との愛を貫く覚悟を持ちながらも
お前の其の存在は、私の深い心の闇を
一条の光の如く照らしているのだ。

だからこそ、暗く凍える様なあの迷宮を彷徨いながらも、
お前の友として、私がお前に恥ずる事無く、この運命の愛を貫ける様に、
お前の瞳を、真っ直ぐ見つめ返すことが出来る様に…と、

私は、背徳の罪に身を焦がしながらも
あの方を本当の意味で、
貶める事無く、汚す事無く、
愛を育んでいられるのだろう。


オスカルとよく似た見事な黄金の絹糸の髪。

気が付けば…、
今まで、誰にも語ったことの無い、彼女に対する尊敬の念、想いを、
私は初めて出逢った異国の伯爵夫人に語っていた…。

奇妙な親近感から

カノジョニトテモヨクニテイタカラ・・・

そう…
とてもよく似ている。

天上人が持つであろう黄金の髪、
矢車草のサファイアの瞳。

「……」

もし、
彼女が、化粧をしたら…、
彼女が髪を結い上げたら…、
彼女がソワレを装ったとしたら…、
次々に、湧き上がる、疑問が、言葉になる。

「オスカル…」

「オスカルか……!?」

…貴女は、声も立てず、私の余りにも不躾な言葉に、
突然、驚いた様に、その手を振り切り、
身を翻し、去っていった。

一言も声を発する事無く。

外国の伯爵夫人。

まさか…という否定と肯定の中で、
私は、独り立ち竦む。
彼女の残り香の中で…。

でも、何故…





……夜会が終っても尚、あの貴婦人の事が、頭から、離れない。
其の姿、表情、天上人の様な貴女……。
そして、何度も繰り返す疑問。

“あれが彼女であるならば、彼女は何を想って、
あの夜会に名を伏せ、貴婦人として、出席したのだろうか。”…と

確かによく似ていた。
あれだけ見事なブロンドの髪はそう居る者ではない。
そして、
サファイア色の瞳、
すらりとした長身。
あの、隙の無い身のこなし。
しなやかな筋肉。
……彼女だと思えばパズルは綺麗にその形を現す。
しかし…最期のワンピース。
私が、考えもしなかった、そして、彼女との深い友情、
私にとっての彼女の存在を考えれば
一番避けたい答え。
何度も打ち消そうとしながらも心の何処かで、真実だと告げる自分が居る。

………恋………?

“お前が私を愛している。”


オスカル

私が、あの方との恋に苦しむ姿を
お前はどんな思いで見ていたというのか。
信じあう友のお前にだけ、打ち明ける心の真実を
お前はどんな思いで、聴いていたというのか。

オスカル。
もし真実ならば残酷な現実だ。



私は、そんなお前にどっぷり甘えていたのだから…。

最期のこのワンピースを
如何しても、否定したい自分と、
肯定し、言葉を失っている自分。
パズルを引っくり返しては、また形作ろうとしている自分を抱え…
私は混乱するばかりだ。

オスカル

私は、お前の一体何を見て来たのだろうか。


天上人の容姿を持つ儚げで、哀しげな美しい外国の伯爵夫人。
オスカルにあの様な表情は、今まで、見たことは無い。
お前はいつも、凛々しく、誰よりも強い信念を持ち、
真っ直ぐ前を見つめている。
男と、女の枠を超えて、高い理想と共に。
一流の近衛仕官として…。

確かに、軍服の上からでは、窺い知れないが、
あの、白磁の美しい肌。
華奢で、しなやかな体。
私の腕の中で踊ったあの貴婦人が、
お前だと言うのか。

オスカル…

もし、
オペラ座であの方に、出逢うより前に、お前に出逢っていたら、
私の世界は違っていただろうか?
暗く、凍える様な、あの迷宮を独り、
背徳の罪を抱えながら、彷徨う…
そんな人生とは違っていただろうか?



しかし、現実は、
我が運命はもう、あの方と共にあるのだ。
私は、地獄に落ちようとも、
あの方との運命の愛を、育もうと心に誓った。
もう、引き返すことは出来ないのだ。


オスカル


そんな私の傍らで、
お前は独り、
どんな想いで、仮面を被っていたのだろう。
そして、今夜の貴婦人がお前ならば
どのような想いで、夜会に来たのだろうか。

パズルの答えが事実ならば、
お前とはもう、今のままではいられない。
逢うことさえも出来はしない。
何故なら
私には、お前の想いを受け入れることは出来ない。

しかし

知らないままで、過ごせるほど、私は強くない。
私の心の弱さは、他の誰よりも私自身が知っているのだから。

もしも、お前と先に出会っていたならば…
そんな思いが、波のように寄せては返し、返しては寄せる。




そして、
残酷にも事実を、お前に直接確かめたい思いに
私は強く囚われてしまった。

お前の気持を思えば、其れがどんな残酷なことなのか
私は知っているのに。
そして
私自身にとっても。

私の心の迷宮、闇を照らす一条の光、
それさえも失うことになるのかも知れない…と、
深く、深く溜息をつく。

この先どうなろうとも、
何を失うことになろうとも、
お前を失うこと程、辛いことは無いだろう。

しかし、あの方を失うことは、それ以上に、出来ないのだ。
あの方は、私の運命、命…其のものなのだから。

私はいつか、地獄に落ち、地獄の業火に焼かれるのだろう。

私は、破滅の愛を選び、
我が、親愛なる友オスカル・フランソワ
お前を失うのだ。



…日記に一行だけ綴る。

『天上人の光を私は失ってしまうだろうか』…と。