慟哭〜緋色の祈り〜


心が痛い。
切り裂かれる様だ。
取り返しの付かない私の過ち。

私の詰めの甘さが、お前を危険に晒してしまった…。

私の計画は完璧だと自負していた…。
其れは、私の欺瞞に過ぎなかった。

奴を生け捕りにする為のこの計画が、
所詮…机上の計算でしかなかった事を
私は証明してしまった。

お前が味わった、焼付く様な熱く、鋭い痛みと共に…。

奴の立場を甘く考えていた。
私の読みの甘さ。

奴に逃げ込む隙を与えてしまった、
指揮官としての不甲斐なさ。

アンドレ、

アンドレ

私のアンドレ。

如何か、許してくれ。



今宵、
お前の静寂を破るあの合図と共に
奴が姿を現したことを知り、私は気が逸っていた。

幾晩も待ち続け、
ようやく罠に掛かって来た黒い騎士。

現れた奴に、銃口を向けた瞬間、
私は心の何処かで、奢ってしまった。

これで、完全に黒い騎士を捕まえた…と。

其の、私の詰めの甘さ、心の隙間を…奴は見逃さなかった。

窮鼠猫を噛む…追い詰められ、奴は、お前に鞭を振るった。


しなやかに

空気を切り裂く

あの乾いた音…。

鮮やかに…、

飛び散る緋い飛沫。

停止する時間。



一瞬の事だった。
長い時間だった。

闇に響く
お前の叫び、
私の叫び声。

其の隙を付き、奴は逃走した。


あの時、お前は、奴の利き腕側に偶然居ただけ。
私が、お前の側に居れば、あの鞭は私に振り下ろされていた筈だ。

お前が、私の身代わりに為ってしまった。

あの鞭が…、お前を一瞬にして、地獄へと突き落としてしまった。

私に振り下ろされれば、良かった!
私が、お前の変わりであれば、良かった!

動揺し、お前の身を案じる私に、
お前は、まず、任務の遂行を説いたのだ。

「かまうな!!オスカル」
お前を心配し、駆け寄る私をお前は、振り払った。

「なにをしているっ!!オスカル 追え!!」

お前は、痛みを堪え、真っ緋な、
そう…流れる緋い血で、手を染めながらそう叫んだ。

私よりも冷静に状況を判断し、
私よりも、武官らしく。

お前が、私の肩を押し、

私は、お前の言う通りに、我が屋敷に奴を追った。

しかし、その、一瞬の判断の躊躇いが、

全く関係の無い彼女をも巻き込んでしまった。


私は、ただ、一人立ち竦み、
愕然とするばかりだった。

アンドレ、

アンドレ、

アンドレ、

アンドレ…。

どの位叫べば、どの位祈れば、お前にこの気持が届くのだろう。
やはり、私が、黒い騎士になるべきだったのだ。

今夜、私の心によぎったあの不安な影。

いつも、いつも、側に居て支えてくれるお前に
…私は一体何をしてしまったのだろう。

お前の美しい黒曜石の瞳。
私の大好きな瞳。

私が、苦しい時も、悲しい時も全てを見てきたその瞳。

取り返しはつかないのか。

こんなに苦しい思いをさせてしまって…私は指揮官失格だ。

お前には、
いつも
いつも
支えて貰っているのに、

取り返しは付かない事を私は…。

アンドレ…。


私が、
近衛という、男性社会の中で、
奇異な存在として観られている私自身の立場を、
考えずに済んでいたのは、お前の存在があったればこそ。

いつも私を気に掛けてくれていた、…そのふたつの瞳。

フェルゼンとの恋の苦しみや、闇に陥る心を救ってくれていたのは、
お前のそのさり気ない優しい、…そのふたつの瞳。

ジャンヌに殺されそうに為ったあの時、
届くはずの無いあの場所から、私を助けに来てくれた。

いつも、私の事だけを心配してくれるお前の…そのふたつの瞳。

ああ、私はお前にいつも助けて貰ってばかりなのに。
お前に何も返す事も出来ない。

許してくれ、アンドレ。
愚かな私を。
許してくれ、アンドレ。


…アンドレ。

私の何を差し出せば、
神は彼を苦しみから救ってくださるだろう。
私の何を…。

否…。

本当は、偽善でしかない言葉。
許してくれ等と、私は言ってはいけないのに。

焼付く様な痛みの中、呻き声をあげ、夢と現を流離うお前。


なのに…。許しを請おうとしているなんて。
なんて私は卑しいのだ。


「これが…、お前の目でなくて…よかった…」


お前の傍らで手を握る私に気がつき、
痛みを堪え、
精一杯、優しい笑みを浮かべ
そう…お前は言った。


「片目くらい、いつでもおまえのためにくれてやるさ。オスカル」


アンドレ

お前は

こんな状態でも、

私を想い、

心配してくれるのか。

切り裂かれる様に、耐え切れない重い胸の苦しさが、私を襲う。

鞭に打たれたのはお前なのに、
私の心が、あの時の鞭で切り裂かれたかの如く痛む。

私は其の場を立ち去る事しか出来なかった。

お前を直視する事が出来なかった。

私は…お前にそんな風に言って貰えるに値する人間では無い。
なんて、恥かしく、卑しい人間なのだ。…私は。

其れなのに…。
お前の目を、私にくれると言うのか。
罵倒されてもおかしくないこの私に。

焼付く様なその痛みの中で、
私に笑い掛けてくれるのか。

アンドレ

私のアンドレ。

私はお前に取り返しの付かない事を
してしまったかも知れないのに。

アンドレ、

お前の目を奪う事に為ってしまったのは
本当は
黒い騎士ばかりの所為ではない事を、私は知っている。
彼は、追われる側なのだから、全ては私の所為なのに。
私の酔狂な我が儘の為に。

重苦しい、切り裂かれる様なこの痛みを抱え、
今度こそ
私は、自分の犯した過ちを

自分自身の手で取り返さなくては為るまい。

そうでなければ、お前も、ロザリーも、
いや、
私自身が、この暗闇から抜け出る事が、出来ないだろう。


パレ・ロワイヤルに

奴の居城に

いちかばちか飛び込まなくては。

ロザリーを救いに。

この後始末を付けに…。

待っていろアンドレ。
私の祈りが天に、神に届く様…祈り続けよう。

其れでお前に許して貰えるとは思ってはいないが、
私は一人で、歩ける様に一歩を踏み出すのだ。

アンドレ。
如何か、お前のその瞳に、光が蘇る様に…と。

* ********

オスカル…。

熱い

焼付く様な熱さだ。

一瞬の出来事。

鞭の撓る、乾いた音が、
空気を切り裂き

俺の眼を切り裂いた。

まるで、炎の中へ飛び込んだ様だ。

緋い、

真っ緋な世界が、広がる。

熱い、燃える様に熱い。

オスカル…。



一瞬の出来事に、
お前は奴を追い掛けるのを忘れ、
叫び声と共に俺へ駆け寄って来た。

来るな…。
オスカル。
其れだけで十分だ。
それ以上は…。
この計画を駄目にしてしまう。

オスカル

此れは俺が気を許した為に起してしまった過ち。
自業自得なのだ。

当然の結果…。

お前が現れ、銃口を奴にむけた事で、俺は、心に隙を作ってしまった。

奴は其れを見逃す事無く、逃げる為に当然の事をしたのだ。

捕まる事は、奴にとっては死を意味する。
奴はお前の思惑等、知りはしない。

そう、

奴は、貴族の中にオスカルの様な奴が居ることを知らないのだから。

俺の犯した過ちの所為で、
当初の目的、この計画を成功させる為に、
これ以上、時間は取らせる事は出来ない。

「かまうな!!」

流れる緋い血、痛む目を手で抑え、俺は、叫んだ。

「追え!!」

熱い、焼付く様な痛みに、
気が遠くなりながらも、
声を絞り出し、お前を追いやった。

お前の想い、
お前の苦しみ
お前を知っているからこそ。

今此処で、こんな事で、奴を逃しては、
お前は一生後悔してしまう。

俺のこの怪我をお前は己の所為にし、自分自身を責めるに違いない。

せめて指揮官としての、お前のプライドだけは護らなくては為らない。

世界が緋くなる、

気が遠くなる。

何処かで熱い、痛い…と、喚く自分を感じながら、
俺は夢と現を彷徨っていた。

焼付く様な熱さ。
其れは同時に酷い痛みを伴い…。

いつ終るとも知れない、
耐え切れそうに無い鋭く、鈍く、重い痛みの中、

ふと、聴こえたお前の声。

「…るか、わたしだ、許してくれ、わたしの為に…」

俺の手を握り、俺の為に蒼褪めたお前が居た。

オスカル
俺の為にそんな顔をするな。
これは俺の過ち。

俺の為に自分を責めるな。

俺は大丈夫だ。

お前が、無事でありさえすれば。
其れで十分なのだ。
お前は俺の全て、俺の命そのもの。

お前の其の美しい顔が、
もしあの時、鞭に、刻まれたら…、

今よりも俺は絶えがたい痛みに心が苛まれるだろう。

「これが…、おまえの目でなくて…、よかった…。」

心底から、そう思う。

俺はお前が、何よりも無事で、本当に嬉しいんだ。
だから、心配するな。


焼付く様な痛みに、遠くなりそうな意識の中、

俺は精一杯、お前に笑いかける。

愛している。
オスカル。
お前に何か有れば、
俺は生きて行けないほどに。

あの、蒼い瞳が、白い陶磁の肌が、緋色に染まってしまっていたら。
其れこそ、悲劇。
こんな事で済むのなら、俺は…、


「片目くらい、いつでもおまえのためにくれてやるさ オスカル」


そう、お前のためならば、
手や、足や、この命さえも俺は、厭いはしない。

オスカル。
俺の大切なオスカル。

だから、そんな顔をするな。

お前の心が、涙を流すのが見える。

泣くな。
オスカル。

お前の涙を俺の為に流すな…。

オスカル…。



気の遠くなる痛みの中…、
お前が、扉を閉める音が聴こえた。

俺は、焼付く様な痛みと戦いながら、
お前を想う。

愛している。
誰よりも。
何よりも。

俺のオスカル。

遠くなる意識の中、
其れだけを心の中で、
繰り返す。

寄せては返す波の様に。
其れが明日への力と成るかの様に。

後はただ、神に祈るのみ。