飾り人形の憂鬱〜破片〜

 

 

 

 

阿修羅…。

確か、東洋の神の名だった。

昔、異教の神の絵を集めていた、風変わりな男から、

見せて貰った、一枚の印象深い阿修羅の絵…。

あれが、俺の運命の神に為ろうとは。

 

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*

 

 

 

「いいか本気だぞ!すぐに殺してやる!」

 

 

そう言って、

銃口を向けた奴の顔は、

あの時見た絵の様に、猛々しく、怒りに燃えていた。

 

確か、前にも一度、阿修羅を見た事がある。

 

記憶を手繰り寄せようにも、奴の気迫に呑み込まれ、不覚にも、

パレロワイヤルから脱出させてしまった俺。

 

奴が…俺の運命を、握った瞬間だった。  

 

 

 

鞭を振り上げ、

顔面を狙ったのは、確実に逃げる為。

奇麗事では生きられない。

他に、如何すれば良かったというのか。

そう何度も心の中で繰返した。

 

俺に罪は無い…と。

 

思想の為、黒い騎士となり、

初めて流した、緋色の飛沫の鮮明な記憶。

 

 

平民達には、義賊と持て囃され,まるで英雄の様に扱われる俺は、

貴族達にとってみれば、歓待どころか、大いなる憎しみの種でしかない。

 

捕まって、この身に用意されるのは、無残に晒され、

罵倒され、尊厳を無視した死…だけ。

 

 

街で、偽者出現の噂を聞いた時、俺は、怒りに震えた。

罠かもしれないという事は、ちらりとも頭を掠めもしなかった。

 

大いなる目的を果たす為に、命を賭け纏った衣装を

汚された事が、ただ、我慢ならなかった。

ちっぽけな自尊心が、俺に芽生え、余りにも、迂闊な行動に至ってしまった。

 

本来の目的を果たす事を、まず、第一に考えるべきだった。

あれは、間違った選択であり、思慮が足りなさ過ぎた。

 

確かに、いずれ、秘めたる我々の目的の為、武器を取り、

流血を避ける事は出来る筈が無いと、覚悟していた。

 

だが、俺は、自分の身を逃す為に、

鞭を振るい、この手を血に染めたのだ。

 

俺自身だけの運命の為に。

 

俺に罪は無い…、俺は、其の言葉を、呪文の様に繰返していた。

 

 

 

逃げ込んだ近くの屋敷で出会った、驚き怯える女。

薄暗がりに映る、見覚えのある女の顔。

 

蒼褪めた奴の顔、懸命に叫ぶ声を残し、

してやったりと、彼女を人質に取り、逃げ果せた俺は、

其の自尊心を満足させ、高笑いをした。

 

 

 神話から抜け出た様な綺麗な美青年。

生粋の、大貴族から選ばれた精鋭の集まる近衛。

王家に尻尾を振り、王族と、貴族だけを護る奴等。

 

 

町の酒場で出会ったあいつが、あの、女連隊長とは…。

…苦笑いするしかなかった。

 

さも、全てを知っているかの様な顔をし、

如何にも自分だけが、傷ついている様な顔をする。

本当は何も知らず、安全な所で、上から見下ろし、

俺達に、寄生して生きているのに。

 

飢餓に苦しむ国民が、どの位いるか。

命を虫けらの様に扱われる市民が、

今日も何処かで、泣き叫ぶ数の多さを、

奴は知っているのだろうか。

 

俺の発行する新聞を、一度だって読んだ事さえ無いだろうに。

 

この国は、国王や、貴族だけを護る軍隊しか持たない。

特に、近衛は、木偶の棒、何も考えてやしないのだ。

妙な気位だけの高い、王家の忠実な飼い犬でしかない。

 

俺達から搾り上げた血と涙で出来ている税金で、

奴等はのうのうと、のさばっているのだ。

この国の96%を占める多数の俺達は、

奴等に、踏みつけにされているのだ。

%の、贅沢で、豪奢な生活の為に。

 

自らの身を、護る事さえ叶わず、

最後の一滴まで搾り取られるだろう。

 

 

本当に護らなければ為らないのは、

誰なのかも判らない様なこの国と国王、

そして其れに群がる物の怪達。

此の侭では、俺達は、救われないのだ。

 

 

 

 

 

 

暗闇に響く、銃声。

鼻をつく肉の焼けた匂い。

強い火薬の香。

 

腕に痛みが走り、俺の全てを支配する。

 

「おまえ……が……!?」

 

あの時、腕の中で、貴族を憎み、泣いていた少女が、

それを護る犬の為に…引き金を引いた。

 

大人になり、彼女は、震えたまま、

ただ、火薬の煙る銃口を俺に向け、立っていた。

 

昔、天使の顔をして、微笑みかけてくれた少女。

 

母親の敵を必ず取ると、

穏やかな微笑を浮かべる顔を、涙で曇らせ、

激しい炎を燃やし、見せた阿修羅。

 

あれが、最初の阿修羅に出会った瞬間だった。

 

 

それ以来、ずっと気になっていた俺。

 

それが、

こんな形で、出会い、

こんな結果に為るとは。

 

激しい痛みと、混乱する思いに

彼女を凝視しながら、俺は、崩れ落ち、

薄れ掛けた意識の中、奴の怒りに震え、泣き叫ぶ声を聞いていた。

 

奴は、阿修羅の如き面差しを浮かべ、

俺を見据え、何を思っているのだろうか。

 

 

あの時、打ち下ろした鞭の音、

飛び散った緋色の飛沫。

 

鞭を打ちおろされるかも知れない。

 

俺の迂闊な自尊心は、其の先に待つ生き地獄へと、俺を連れて行くのだろう。

 

そうして、俺の意識は、真白き闇に飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

ぼんやりとした感覚。

視覚が徐々に鮮明になる。

 

少女は、天使の顔した大人の女になり、

心配気な表情を浮かべ、懸命に俺を癒す。

柔らかな手と、温かい言葉、極上の寝床、手厚い看護。

 

不安と苛立ち、焦りが俺を襲う。

 

何か見損なっていたのか。

何故、突き出されることなく、この屋敷に居るのか。

何故、この様な待遇を受けているのか。

奴が何を考えているのか、…全く、解らなかった。

 

 

俺は叫ぶ。

奴の侮蔑に、憎しみを投げつけた。

そして…飛び散った硝子の破片。

 

寄生する、貴族への憎悪か、

国を背負う筈の、王家に対する憎悪か、

この国の仕組み、成り立ちに対する憎悪か、

何を考えているか解らないお前に対する怒りか、

それとも、…俺自身への憤りなのか。

 

投げつけ、音をたて散らばる、尖った破片は、

まるで、誰かを傷つけなくてはいられない荒ぶる俺の心。

 

俺の中にも、彼女や、奴と同じ阿修羅が居るのだ。

其れが、俺達の誇りを侮蔑する事が許せないと、朗々と語り始めた。

 

お前が、味わう事無く生きてきた修羅。

凍える程の冷たい闇。

 

お前は、どれ程偉いというのか。

何故、己の罪の無さを、疑いもしないのか。

 

俺は投げつける。

俺の尖った硝子の破片で、

お前の心を引き裂き、お前の罪を裁いてやる。

 

 

「…貴族とは恥かしいものだな」

 

 

何処か人事の様に言う、其の端正な横顔には、

もはや、昨夜の阿修羅は、浮かんではいない。

陶磁の様に白い肌の人形は、何の感情も見せず、

ただ、窓辺をみつめるのみだった。

 

不安が、俺の阿修羅を再び捕らえた。

 

平然とそんな事を言うお前に、

俺は激しい憤りを感じ、怒りに打ち震えた。

 

    

                            「近衛兵士め!!王宮の飾り人形!!」

          力を振り絞り叫んだ俺。

 

                                          お前は、己の立っている位置の罪を、解ってはいないのか。

 

お前が握っている俺の運命。

誰にも左右されずに、生きて生きたいと願っているのに、

支配階級は、常に俺達の運命を弄ぶ。

俺達は、何も出来ず耐え忍ぶだけなのか。

 

              奴には、判るまい。

                                                                                                 

                    
飾り人形に、考える事等、出来はしないのだから。                                                                          

                            王家に媚び諂い、盗人の様に搾取する事に、

                            何の疑いも持たず、今まで生きてきたのだから。

 

 

                            だから、所詮お前は、

王妃の犬、飾り人形でしかないのだ。

      

 

 

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

 

 

俺の言葉に、

振り向きもせず、

お前は背中で、大きな音を立て、扉を閉めた。

今、またあの時と同じ、阿修羅の顔を浮かべているのか。

 

俺に待つのは、死のみだと、再び、深く胸に刻みつける。

俺の心の尖った破片で、お前の心に、深く傷をつける事が出来れば。

其れがせめてもの救いになるだろう。

 

俺は、運命を握る飾り人形が居なくなったこの部屋で、

俺の中の阿修羅を強く、もう一度、抱き締めた。

 

西洋の神の顔をし、東洋の神の表情を浮かべた

あの時の飾り人形の言葉を、噛み締め、

罪は、俺には、無いのだと、

呪文を繰り返す。

 

緋色の飛沫の夢を、

今日も見るだろうと、思いながら。