蜘蛛




陽の光を遮った部屋の中。
揺れる蝋燭の灯り、
同調し揺らめく影。
軽くぶつかり合う、乾いた金属音。

手負いの怪我人は、
獅子の面影も、今は消え、
其の正体を蒼白の顔に潜ませている。
静かな部屋にただ、機械的な音のみが
時を刻む様に、聞こえている。

やがて、
適切な処置により、
其の乾いた冷たい音が止み、
銀色の皿の中、流れ出た緋い血のついたガーゼと、
…鼻を突く消毒の匂いがこの部屋に残った。


部屋の片隅で、
私は、静かに観察していた。

青年の、苦痛に歪む顔、
彼がお前の瞳を潰したあの瞬間に、思いが巡る。
あの時の、医師の処置を待っていた気持ちとはまた別の…、

しかし、
何とも云えない気分を味わいつつ、
ただじっと、彼をみつめていた。

やはり気持ちの良いものではない
いまだ少し残る葛藤を抱え、
もう一度あの言葉を
心の中で、呟いた。

“武官はどんなときでも感情で行動するものじゃない。”

あの時、私の中に沸き起こった激しい感情
この男の瞳を潰そうとした狂った心の闇は…今は無い。

大丈夫。

私を心配気にみつめるお前の視線から、
目を逸らし、もう一度じっくりと、彼をみつめた。


横たわる、黒髪の青年は、
酒場で、私を王妃の犬と罵り、
ロベスピエールに寄り添う様に、傍らに居た。
母を亡くしたばかりの小さなロザリーが恩を受け、
民衆をペンの力で扇動しようとする新聞記者。

そして、
先程までは、
義賊の仮面を被った
“黒い騎士”という名の盗賊だった男。


何故、盗人に身を落としたのか、
彼と仲間が何を企んでいるのか、

私の興味から、全ては始まった。

“奴と一度話してみたい…”

色んな顔を持つ彼の本心、
其の思惑を覗いてみたい。
志が有るとすれば、一体如何なる物なのか。

其の一点に尽きる私の興味が
黒髪の青年達を傷つけてしまった。
彼は回復するのだろうか。
お前には、
生涯残る傷を
刻み付けてしまった…。

「マ…、ママン!」



麻酔から、覚醒し始めた青年の
第一声が、母を求め…苦しむ呻き声。
意外な言葉に少し驚き、
やはりこの青年も、人の子なのだと思いを巡らす。
そんな当たり前の事に今更、気が付いた。

ざらりとした違和感を何処かで感じながら、
目覚めた彼に、あえて挑戦的に、私は声をかけた。

そう、お前の運命は今、私の掌の中。
いや、この男が其れで収まる筈は無いか。

ベルナール・シャトレ

心してかからなければ、
外傷により弱っているとは云え、
懐に鋭い牙を持つ男。

お前達盗人の理(ことわり)は何だ。
此処まで来るまで払った代償を、
何処かでまだ口惜しく思いながらも、
必ず、聞き出して見せようと其の男に近づく。

お前の事を、お前達の事を知りたい。



「気がついたか」

私の存在を確認するお前の瞳。
観察するのは、今度は、私の番だ。

「ベルナール・シャトレ…
ロベスピエールもおまえたち盗人の仲間だったのか?」

其の言葉に、
カッと見開き、挑むように私を睨む彼の瞳
燃える炎を思わせる怒りを宿した大きな瞳。
瞬時の反応だった。

徐(おもむろ)に鷲掴み、投げつけた
硝子のランプ。
一瞬に砕け散る破片が
私の声と重なる様に、叫び声を上げる。

「うっ!」

辛うじて避ける事しか出来なかった。
奴は、本気でぶつけようとした。
壊したかったのは、ランプではなく私。
私の背後にある諸々の物の怪(もの)達。
お前の闘っている相手。

「なにも知らないくせに…ロベスピエールを侮辱するな!!」

先程まで、あんなに蒼い顔をしていた青年が
別人の様に、私を指差し、正々堂々と胸を張り、
力の限り、大きく叫ぶ。

「俺が盗人ならおまえたち貴族はなんだ!?」

「自分たちではなにも生みださずなにもつくらず…ダニのように寄生して…」
「それで盗人よりましだとでもいうのか!?」

彼の心の叫びが部屋に響く。

そう言い放った後、その反動で、大きく咳き込む彼。




…言葉が出なかった。




私はただ、被告席に座った罪人の如く、
其の言葉に一言の反論も出来ず、
切り裂かれ、
立ち竦むしかなかった。



ロザリーが私の為に用意してくれた
一杯のスープ。
彼女の働いて傷ついた尊い手。

身を売る決心をした
あどけない彼女との出会い。


我々と同じ様な
生活を手に入れる為、
其の身を狂気の中に、滅ぼした
姉ジャンヌの末路。


そして、
毎夜さんざめく綺羅の中で
浮遊する貴族達の絵空事の遊興。

過去、現在、色んな場面が錯綜する。


“王妃の犬”と叫び
糾弾したあの酒場の青年が、
今また此処で私に罪を問う。

あの時よりも
年齢を重ね、
少しは、世間を知り、
この国があの時の輝きから、
色褪せた状態に陥っている
そんな現状を、私も気が付いている。


ダニ
寄生

盗人はどっちだ。

明らかな答え…。
反論出来ない自分を小さく抱え、
被告席に立つ。


己自身を傷付けながらも、苦しげに言葉を搾り出し、
ロベスピエールを語り続ける青年。

其の燃える瞳は、
まっすぐに私を睨み付け、強く訴える。
彼を此処まで強くさせる原動力は、何だ。

ダニ、寄生、盗人…。

何も考える事を放棄していたつもりは無かった。
いつも、考えていたつもりだった。

国家の中枢を護る職務としてだけでなく、
この国の一人の民として、
この愛する美しい母国を、
憂わない日は無いと自負していた。

しかし、
私が当たり前の様に、息をして来たこの生活が、
如何に砂上の楼閣なのか…。

彼の唇が開くたび、
其の一言、其の言葉の行間さえも、
私を被告だと糾弾し、罪を裁く。

親に捨てられ、
全てをもぎ取られた少年の

孤独、
悲しみ、
羞恥。

彼は肩で息をしながらも
誇り高く叫ぶのだ。

「お前ら貴族にわかるか!?」


何も言えない。
反論すら出来ない。
言葉を紡ぐ事は、出来なかった。

「安静にして!そんなにしゃべっちゃいけないわ!」

ロザリーが優しく彼を介抱する。
そう、お前も、其の世界の中で、
生きて来た者、
闘ってきた勇者。

あの、幼い日、
その身を売ろうとしたお前もまた、二つの世界を覗き、
大きな葛藤を抱え込んで来たのだろう。

泣き寝入る事を良しとせず、私と出会った。

そしてアンドレも、貴族の館で育ったとはいえ、
やはり生み出す側の者。


同じ人間なのに。


私は、何を如何生きてきたのだろうか…。


「貴族とは……はずかしいものだ…な…」

つぶやいた私の言葉に反応し、
お前とロザリーの視線が、私に集中するのを背中で感じた。

彼らにも私のこの言葉は、思いがけなかったのか。

しかし…、今の私には
哀しいかな、この言葉を言うのが精一杯なのだ。

自分の中に、
貴族の血が流れているのは
仕方が無い事実。

簡単に、其れを搾り出し、
全てを取り替える事は出来ない。
ずっと誇り高く思ってきた血。

しかし、其れは、幾重もの人々の苦しむ魂を
踏みつけ、搾取の上に成り立っている。



“恥ずかしい”

そんな風に、今までは、思ったことは無かった。
其れが当然あるべき姿で、
もはや空気の様なものだったのだから。



「オスカルさま、王太子殿下をムードンの城へ…」
ばあやが部屋の入り口で、伝言を告げる。

「けっ!ごたいそうなこった」

咳き込む苦しい息の底から、
王太子の病気を揶揄するベルナール

しかし、ベルナール。
貴族でも、平民でも、
同じ人間、
同じフランス人の血が流れ、
同じ心が宿っている。

「たしかに」
私は、彼をもう一度静かに見据えた。
今度は、胸をはって堂々と反論した。


「だが…親の心に貴族も平民もない!!」


これだけは、紛れも無い真理なのだ。
例え、我々が、彼らに寄生しながら生きていても。


そう言い放ち、踵を返す私の背中に、
投げつけられた罵声。

「近衛兵士め!!」

「王宮の飾り人形!!」

私の生きてきた、誇りに思って来た職務に、
彼は事も無げに、そう言い放った。

悔しくて、口惜しくて、思い切り扉を閉める。
其の音さえも、何処かで、そう言っている様だ。


飾り人形…
其の言葉の意味を、もう一度かみ締め、
心に刻み込む。

飾り人形。


かっとした私の瞳に
ふと、映った、廊下を飾る美しい花々。

其の中を蠢く
小さな蜘蛛を見つけた。


蠢くのは蜘蛛だけなのか。
それとも…

上下に細かく動く沢山の脚、
巧みに花々を渡って行く姿。
蜘蛛の若草色の毛の生えた脚。
華やかな花の色。

其の情景が、何故か
私を捕らえて離さない。

私は振り切るように、思い切り、愛馬で駆ける。

飾り人形…

風の音と共に、
いつまでも、響くあの罵声を
私は、しっかりと胸の奥に刻み付け

飾り人形ではない、私の職務を全うする為に。