漆 黒の風



漆黒の闇を味方にし、
ひたすら、気配を潜め、密かな足音と共に、屋敷に忍び込む。
“愛している”というただ、ひとつの想いを抱え…。



静かに、息を殺し、部屋の中を窺う。
煌くシャンデリア、夜を彩る数々の光…。

“俺にとっては、お前が、唯一の光”
そう、胸に秘め、派手に硝子を突き破る。


俺が、『黒い騎士』であると、家人に判らなければ、
この計画は意味を為さない。


いとも簡単に割れる硝子。鋭く光る、欠片。
全てを、こんなに簡単に、脆く崩す事が出来れば、
…俺は、少しは、救われるのだろうか。

否…、
俺とお前を隔てて居るのは、
どんな壁よりも遥かに強く、永遠に壊れそうに無いもの。


落ちていく、割れた硝子の破片が、
部屋の灯を反射し、虹色に煌きながら、
ひらひらと舞い踊る…光の飛沫。

まるで、その命を愛しむ様に…。
儚く。
声に為らない悲鳴をあげながら…。

それは、封印してしまった恋に、人知れず声を立てずに泣くお前の姿。
それは、けして、結末の無い愛に、お前を求め、流離う俺の心の叫び…。

大理石のひんやりとした、硬い床に叩きつけられ、
其れらが、天上の楽曲を思わせる音を奏でる。
壊れてしまった其の命を愛しむように。

…ひとつとして、同じ曲は無い。
…ひとつとして、駄作も無い。

それは、
醜く足掻きながら、幸せを求め生きている人々の心の様に。


何処かで、ざわめく音が聞こえる。

俺は、「黒い騎士」

無駄な時間は、俺の命を刻んでしまう。


貴族が、大切な貴金属、宝石を隠す所は大抵似ている。
俺だからこそ、解る場所がある。

では、人が、其の心を仮面の下に隠す理由は、どうだろう。
千差万別か?
……否
全ては、愛しく大切な者を自分の手で、壊さない為。

他に理由など無い。大抵似ている。

そんな気がする。

俺は、お前の安らげる木陰を無くさない様に。
俺は、お前の、憩いの泉で居られる様に。 
俺は、お前を護る者として…。
俺は……。

重厚で、細かな装飾の施された、美しい宝石箱を、見つけ、蓋を開ける。
奏でられる軽やかで、心温まるオルゴールの音。
闇の中でも妖しく光る、数々の美しい宝飾品達。
その幾つかを、乱暴に鷲?み、俺は、部屋を去る。

お前をこうして、連れ去る事が、出来れば、
お前の心を…其の愛を…この様に、盗む事が出来れば、
…俺は、救われるのだろうか。
俺の中の心の闇がつい、溢れ出す。

莫迦な…、
自分自身に苦笑いする。

…俺は知っているのだから。

救われるどころか、
お前の信頼、心、全てを失い、
罪をただ、悔悟する俺だけが、残るだろう。


生きる事さえも出来はしない。



俺の掌の中で、青く煌くサファイア。
お前の瞳と同じ最高級の矢車草の青い色。

宝石言葉は、『誠実、貞操』
この国では、“後悔”も意味する。
そして、そのメッセージは、「信仰、浮気封じ」

まるで、お前への愛に捕らわれてしまった、
迷宮を彷徨う、俺への言葉の様だ。
波が、寄せては、消えるように俺の心の闇が、覗き、俺を苛む。

お前が欲しい、
お前の唇に触れたい。
お前の細い首筋に顔を埋め、
お前の白磁の肌に触れたい。
お前の心に、
お前の…。

其の悪魔の誘いに、罪深く後悔する俺への言葉。

そして、其れを打ち消し、
こう有りたいと願う俺のお前への…、信仰の様な愛。

余りの皮肉に、苦笑いするしかない、俺が居る。

そう、俺は、お前以外、誰も愛することは、出来ないだろう。
俺は、この想いを一生抱いたまま。
もし、生まれ変る事が有ったとしても、其れは、変わる事無く。
お前へのこの気持は、俺が、俺である事の証明でも有るのだから。


そして…、

サファイアを彩り、取り巻くイエローダイヤモンド達。
お前の天上人の様な絹糸の黄金の髪を思わせる、その輝き…。

“誰にも、侵す事の出来ない、征服する事の出来ない”
と言う意味を持つギリシャ語の「アマダス」を語源に持つ

ダイヤの宝石言葉

…確か『清浄無垢、永遠の絆。』
そして、「恋の勇気と勝利」のメッセージ。


お前を思わせる、その言葉と、
決して叶う事の無い想いを抱える俺に、不似合いな言葉。
この愛には、勝利という終点は在りはしないのだ。


そう、思った瞬間、俺を見つけた家人が叫ぶ。

ようやく見つけてくれたか…。

静かな世界が瞬時に終る。


短く、癖のある、黒髪。黒いマントに、黒尽くめの衣装。
そして、黒い仮面で覆った、顔。

「黒い騎士」だと解る、
其の姿が、確実に彼らに見える距離でなければ、
しかし、逃走にも可能な距離を保たなければ、

奴は、この罠には引っ掛かっては来ないのだ。


“俺は、「黒い騎士」は此処に居る。”


そう誇示する様、出来るだけ派手に
大胆不敵に、姿を見せ、マントを翻し、

一気に逃げる。


俺の姿を見て、驚き、立ち尽くす婦人達。

悲鳴、罵声、混乱。

そして、銃声…、

屋敷の主が、命令をする怒声が、聞こえる。

すぐ、後ろで、幾つかの美しい紅い火花と、焼けた硝煙の香り。

吠える猟犬達の、荒々しく履く息

すぐ近くに聞こえてきそうだ。

うろたえながらも追って来る屋敷の住人達。



捕まってしまっては、

全てが、終る。

いっそ、
撃たれて、一瞬にこの世から消える事が出来れば、
俺は、あの迷宮から、逃れる事が出来るだろうか。

軽い眩暈が、襲う。

オマエハ、オレノタメニ、ナミダヲナガシテクレルダロウカ…?

塀を乗り越え、馬に飛び乗る。

間一髪。



莫迦な、出来もしない事、
お前の涙を、拭うのが俺の役目。

もし、失敗し、俺が命を落としたとしても…
其れをお前が悔やみ、涙する事は無い。

お前は次の手を早急に考えなくてはならない。
当初の目的を果たす為に。

けして、感情に流されてはいけないのだ。

お前が、懸命に生きる武官の世界は、
そういうものなのだ。

俺は、役目を遂行するだけの力を持っていなかった。
ただ、其れだけの事。

目的を果たした後、何処かで、俺を思い出してくれれば…、

それ以上は、望まない。望むべきでないのだ。

でなければ、お前を苦しめてしまう。

オスカル。

お前を俺は護る者。
俺は、お前の傍で、お前に信頼され、役目を果たす。
必ず…俺の全てを掛けて。
其れが、俺の幸せなのだ。

お前の為ならば、俺は、何でも、出来る気がする。
俺に、大きな力を与えてくれる、唯一お前の存在。

恋の勇気とは、そんな物なのかもしれない。

俺は、俺の、“心の闇”を覗き、
其れを、改めて、否定する。

風を感じながら、お前を想う。

“愛している。”

ただ、ひとつ、其の想いを抱きしめて。


俺の帰る、ただひとつの場所
一条の光を目指し、

俺に与えられた、其の役目を果たす為。

俺は、風になる。

全ては、奴を誘き出す為に…。

お前の待つあの部屋へと。

この想いを強く抱きしめて。