蒼光〜薔薇のブーケ〜


蒼い月の光を浴び、
グラスの中に、揺れる液体から
溢れ出るこの香しいアロマに遊び、
酔いしれる私の至福。


芳醇で、甘美なこの液体を、
舌の上で、転がしながら
楽しみ…昨日の貴女を想う。

月の光をグラスに透過させ、
妖しくも、美しいこの微妙な色合いを
ゆっくりと愛でながら、…今日の貴女を愛しむ。

喉もとを、心地よく通り過ぎ、
其れが私の体の一部と為り
染み入る瞬間(とき)、
其のブーケの中に
密やかに潜む薔薇の香りを感じ、…明日の貴女を恋い慕う。


私の好きな貴女を思わせる、
蒼い月の夜のひととき。
私だけの貴女を
楽しむ事が出来る至福の時間。


私の大切なマドモアゼルは、
今頃
如何をしているだろうか。

私のこの胸の想いを
知る由も無い、
彼の…愛しい方。

その切なさに
胸が痛みを覚え、
私を甘やかに苦しませる。

氷の華と呼ばれる…彼の、美しい方。


其の白く輝くきめ細かやかな
異国の陶磁器を思わせる美しい肌の色。

深く、透明な
コーンフラワーのブルーサファイア、
誰よりも強い、貴女の魂の美しさを宿し、輝く光を揺らすその瞳。
其れを縁取る長い睫。

そして、
美の女神アフロディーテをも、
嫉妬させてしまう、
斯くの如き鮮やかな輝きを集めた
天上の金糸、
東洋から齎された絹糸如き、
その黄金の髪。


初めて近衛で、お逢いして以来、
私の心を捉えて離さない
ただ一人の女性。


誰をも貴女の代わりになる者など無い。
貴女を思う私にとっては、
貴女の他は、全て、
只の傀儡、
人形に過ぎない。

私のファム・ファタール。
運命の女神。
愛しい方。

貴女が如何して其の類まれな美を
ストイックな軍服で隠さなくては為らないのか。

私は其れが、悔しくてなりません。

貴女を其処から開放して差し上げられない

私のもどかしさ。

私の愚かしさ。

私には其れが、

悔しくて、苦しい。


お可哀想な籠の鳥の貴女。

いつか、必ず、其の窮屈な軍服姿から、
開放して差し上げたい。

儚い其の姿を初めて近衛で拝見して以来、
そうして、私の心を捉えて離さない…罪な方。

少し銀を帯びた蒼い月を眺め、

こうしてあなたを思う私。

貴女に酔いしれている私。


そうして私は
初めて近衛に鳴り物入りで
入隊して来た貴女の姿を
思い浮かべる。

冷たい夜の風が、我が頬を撫で、
私の体を通り過ぎるのに身を任せて、
時をさかのぼり、思い浮かべる。


オーストリーとの同盟の成功の証に、
我が国に嫁いでくる異国の皇女、
その側近の近衛として、
士官学校半ば、近衛に入隊して来た少女。

皇女と同じ歳の少女。

嫁ぐ少女と護る少女。

余りに正対称な二人の美少女。

そう、貴女は…。
ジャンヌ・ド・アルクの如き勇ましくて、
冷たい氷の様に
他人を寄せ付けない表情を浮かべ…。


全ては御自分を守る為に。
其れは、貴女の精一杯のプライド。


上流の子息の多い、
選りすぐり仕官を集めたの近衛隊とはいえ、
そんな男性社会に、
ただ一人飛び込んできた貴女自身を守る為のもの。

勿論、
卒業を待たずとも、
幼い頃からのジェルジェ家の英才教育で、
其の武官としての才能は、
確かにもう充分に抜きん出ていた。
貴女に勝てる者が、近衛には居なかった。

“女性”だという事を除けば。

其れは、貴女の弱みであり、強み。

将軍の令嬢。

ジャルジェの跡取り。

国王からの異例の特別な計らい。

国王も、
他の貴族も、
勿論近衛の仕官も、
貴女の其の稀有な存在に、
心の蟠りが無かったとは言えない。

誰もが、貴女の顔を拝見するまで、
貴族特有の疑心暗鬼に陥り、醜い思いを飲み込んでいた。

しかし、現れた貴方を見て、

余りにも、美しく儚い姿を持つ、
天上の光を持つ貴女に、

オリンポスの神々の祝福を
一身に受けた其の美しさを持つ貴女に、

息を殺し、認めざるを得なかった。

彼女ならば、
特別でも、異例でも、無い事を。


まるで美しい幻を見る如く
其の美に誰もが、夢中になった。

性別を超越した其の美に。

貴女を一目見て、恋に落ちた私は、
近衛に於いて、貴女を出来るだけ補佐する役目を担った。

至福の役割。

しかし…。

側に居れば、居るほど、
その想いは強くなり、
貴女の触れた物、目に映る物全てに
軽い眩暈を覚える様な嫉妬を感じていた。

この私が…。

そう、誰でもないこの私が。

そして、いつも、心の中で、
貴女の課せられた運命を思い、
胸を痛め…。

貴女が、普通の女性として、
育てられていたとしたら、

類まれな美しい貴婦人として、
このベルサイユに於いて、
華やかに、幸せで居られただろうに。

既に可愛い我が子を其の手に抱き、
慈しみの聖母の様な優しい心そのままで、
幸せに日々を送っていられたのに。

剣も、銃も、振り回す事無く居られたのに。

勿論、痛々しい刀傷も無く。

貴女の女性としての幸せは、
その運命の前で哀しくも、
儚い物に為ってしまっているのではないでしょうか。

貴女の、いつも、誰をも寄せ付けない
氷の剣の様な冷ややかさは、
誰にも見せない貴女の心の哀しみを
語っているのではないでしょうか。

そう考えれば、考えるほど、

貴女の側に居て、
私が何を一体して上げられるのだろうか…と
いつも、自問自答しながら、
思いを抱え、過ごしている私。


入隊当時の貴女は
緊張に瞳を輝かせ、
頬を紅潮する様は、
とても可愛らしく、儚くて。
張り詰めた糸の様な危さも垣間見えていました。

武官の家に生まれ、其の跡を取る為に、
男性として、育ち、軍服を身に纏う。

貴女が美しければ、美しいほど、

近衛の兵として、
男性顔負けの腕利きで有れば有るほど

其れは痛々しさを増し…辛くて、愛おしくなる。

そんな貴女を観ているのは、私には苦しくて堪らない。
助けてあげなくては…貴女を…。
その思いが繰り返す様に、深くなっていくのです。

せめて、私の前では心を開いて頂けないかと。

いつも、いつも、そう案じて。

貴女にお逢いしてからずっと。

貴女が、他の男性を想い、
胸を焦がしていた時も。


あの、異国の…。
いや、何も言うまい。

しかし

それでも、
其れが貴女の幸せに繋がるのでしたら、
私は其れで良かったのです。

貴女の彼を恋しく想い、
ふと、垣間見せるその表情を見る事が出来るだけで、
貴女が、女性としての、幸せを
やはり望んでいられるのだと、確信出来たのですから。

貴女の中の平凡な女性としての幸せを求める心を。

ただ、彼には別に恋人が居たのですから。
人知れず涙に心を濡らす、貴女を見るのはとても、切なくて…。

貴女を慰め、貴女を胸に抱くのは私だと…思っていました。

やはり、他の誰でもない私が、
貴女を女性としての幸せを与える事が出来るのだと。

胸を張って言える様に、少しでも貴女に近づける様にと、
日々、貴女に相応しい相手になる為、過ごし、
着実にそう言える日が近づいてくるのを感じています。

ゆっくりと、そう、
このワインの様に
時間を掛ければ、
必ず、
私の気持が貴女に
届くものと思いながら。

ゆっくりと二人の想いを
熟成させて行きたいと、思いながら。

そう、今までは…。

あの、遠いサベルヌの地に、首飾り事件の犯人を追い、
自ら指揮を振るい、渦中に飛び込んで行った貴女。

哀しい恋を忘れようと、其れは痛々しい程に、
御自分を忙しさへと追い込んだ貴女。

ベルサイユで、留守を護る私は、
本当は、愛しい貴女を一人で、
行かせたくはなかった。

貴女を抱きしめ、危険の無い
温かな安らぎを貴女に与えたい。
そう思っていました。

しかし、

貴女の、気性を知っていればこそ
仕方が無いと諦めはしたものの…、
身を案じ待つのは本当に、苦しい事でした。

犯人達と貴女だけが残り、
貴女の命が危険に晒された事を
後日、部下の報告から聞き、
無事にお帰りになった貴女に安堵をしたものの、
女性としての貴女が、
危険に身を晒すのは、本当に心配なのです。

そして、
彼女を助けたあの黒い瞳の従僕。

貴女が、彼と対等の口を利いていても、
其れは貴女の魂の気高さから来るもの。

そう、思い、
其れに甘んじ彼女を護衛している彼については、
余り考えた事もありませんでした。

其れまで、余り気にも留めていなかった。

しかし、
他の者には、聞こえない程の距離で、
貴女の声を聞いたと、突然彼女の命令を無視し、
彼女のもとへ駆け寄り間一髪の所を助けたと聞き、

私の心に、一滴の波紋が、広がって行くのを、
私は何処かで、感じずにはいられませんでした。


私が、貴女をお慕いしている様に、
あの従僕も、貴女を思っているのだろうと。

恋い慕う者としての、直感です。

そして私はまた、軽い眩暈に襲われる。


今朝、貴女は、お一人で、
この宮廷に、そして、近衛に伺候されましたね。

貴女のお顔の色が優れなかった事。
まるで、泣き腫らした様な瞳。

平静を装っていても、
他の誰にも解らなくても、私には解るのです。

そして、噂では、
彼が、片目を失う程の怪我をしたらしい事も。
全ては、貴女の為にそうなってしまった。
…私には解るのです。

しかし…、

少し、場違いなワインを飲む様な、
軽い、不愉快を如何して私が
彼に対し、覚えなくてはならないのか。

彼は、所詮、従僕に過ぎないのに。
それ以外、何も有り得はしないのに。

こんな事を私が、調べるなど、
少し滑稽ですね。
余り、美しくない。

ふと苦笑いする私。

そしてまた、
グラスを揺らしながら、今日の私を考える。
愛しい貴女に私は、何を出来たのだろうかと。

早く貴女に追いつき、
貴女の傍で、
私こそが、誰よりも、貴方を愛しているのだと、
囁きたいものです。

豪華な衣に身を包み、粉白粉をつけ、香りを身に纏い、
宮廷で、猫なで声で、話をする、今の宮廷に出入りする女性達では

この私の心の渇きを癒す事さえも、出来はしない。
貴女で無ければ。駄目なのです。


オスカル・フランソワ。
私の、愛しい人。


寄せては返す波の様に、
貴女を思い、私は、グラスの液体を飲み干す。

やがて、私の血となり肉となって、
私の体の隅々に染み入り、
私を造るであろう液体を…。

そして、貴女の面影を今宵も追い、 
蒼い月を愛で、私は想い続けるのだ。


私は此処に、私は此処に、
貴女の傍にいつでも居るのですよ…と

貴女を心から愛しているのですよ…と。

私の心に住む貴女に
静かに語りかけながら。
今日も私は思いを募らせる。

貴女を愛し、
その鳥篭から
如何に開放するべきかと
思いあぐねる。