誕生日〜奴の場合〜



彼女が、いた。俺の腕の中に。
それは、それは、幸せそうな顔で、
いつもは見せないあどけない顔で、
甘えるように眠っていた。

金色の絹の髪。
その一本一本が、俺に纏わり、
彼女の香りに包まれる…薔薇の香りに。

凛として、こんな俺から、少しも目を逸らす事無く、
むしろいつも温かく迎えてくれる…

神と剣の名を持つ女の香り。

今日は俺の誕生日。
神様なんか、知ったこっちゃあないが、
もしかしたら、居るかもしれないなあ…と。
そんな風に思わせてくれる日だぜ。


日記より抜粋。
*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*


「アラン、すまないが、ちょっと…」
その日の午後一番、俺は隊長に呼ばれた。
「悪いが今日はアンドレの変わりに私に着いて来て欲しいのだが。」

「俺ですか?」
不思議な事もある物だと俺は隊長の言うまま、
一緒に馬車に乗り込んだ。

着いたのは、知らない屋敷だった。
いや正確には、誰も居ない部屋。広いフロア。

なんだこりゃあ。

「ちょっと此処で、待ってろ。」
そう言って、隊長は俺を置いて何処かへ行ってしまった。
おいおい、俺を置いていくなよ。

そうは思ったが、仕方が無い。
隊長が行ってしまうと余計に、
一人だという事が、身にしみる静かな部屋。

この屋敷は深い森の中。
鬱蒼と茂る緑に囲まれている。

なんか出て来るんじゃあないだろうな。おい。

そう思って、辺りを見回すが、一切の音が無い。

微かに聞こえるのは、風の音。
葉の囁く音。

ったく、此れがまだ、昼間だから、良いが、
夜だったら…、

怖いじゃあないか。


俺は少し不貞腐れて、
そのホールの冷たい床に横になった。
今日は、12月だというのに割りと暖かい。

隊長は、この屋敷の一体何処に消えちまったんだ。まったく。
こんな日に、何で奴の代わりをやらされなくては為らないんだ。

今日は俺の誕生日なのに。

家に帰る事もできず、あんたと一緒だ。

そう、

隊長の隣の場所は奴の場所。
それはもう、暗黙の了解だった。

従僕を従えた、世間知らずの令嬢のお遊びに
俺達衛兵隊の面々が、莫迦にされている様で、
最初から、其れが、気に触って仕方が無かったが、
いつしか違う意味で、俺の心の何処かで気に触ってる。

黄金の髪を持つ、生意気な女。
いや、誰よりも逞しく、強く、優しい女。

あんたみたいなのに会ったのは、初めてだ。


変わった女だぜ。
いや、変わった貴族でもあるな。
隊長は…。



ったく、風の音しか聞こえないじゃねえか。

後は…鳥の声くらいか?
いや、もう冬だから、余り聴こえねえな。






「待たせたな。」

「隊長!!」

其処に居たのは、隊長だった。
驚いた事に彼女は、
女装していた。

あ、いや、正確には、
本来のあるべき姿に戻っていたというか…
ああ!!ややこしい。


美しい、ドレスの貴婦人。
年齢から言えば、マダムの色香漂う…、
化粧をし、装い、髪を上げ、美しい宝石に身を飾り。

おいおい、如何したこった!こりゃあ。
俺は混乱し、固まるしかなかった。

「ふふふ、お前がいつぞや、言っていたろう?如何だ?参ったか?」

そう小首を傾げる、笑みが零れる。

「ん?気に入らないのか?私は結構いけてると思っていたが。」

そう言って、俺の前で彼女はくるりと廻って見せた。
心地良い、衣擦れの音。
窓から入る陽の光が、彼女を照らす。
12月とはいえ、こんな天気のいい日だ。
木々の木漏れ日が、風に揺れ、光が遊ぶ。
彼女の髪を飾るように。
光が舞い踊る。


まるで、天上人の様だ。



隊長が、来たばかりの頃、
俺が彼女に言ったあの言葉。
それを今、言われると…恥かしいばかりだ。

あの時、隊長を攫い、縛り上げた後、
俺は脅しを掛け、蝋燭の火を彼女の顔に近づけた。

俺達の縄張りに、ずかずかと入って来やがった女。
ほっときゃいい事まで、口を出してくる五月蝿い女。
近衛と違う…この衛兵隊は、女の遊びに来るとこじゃあない。
近衛の将軍令嬢のお遊びに付き合わされるほど、俺達は落魄れちゃあいない。

そんな思いが、胸の中で、怒りと為っていた。


確かに、
近衛での活躍を噂では知ってはいた。
凄腕の近衛の女准将…。

女戦士…。
アルテミスの様に戦い、
男を拒む。氷の華。


しかし、
彼女が女であるが故に、
其の噂を歪曲して俺達は捕らえていた。

実際は、そんな奴では無いだろうと。
王妃のお気に入り、
ただ、家を潰さない為の傀儡、
人形なんだろうと。

お坊ちゃん育ちの近衛ならば通用するかも知れないが、
俺達は、衛兵隊。あんな奴らと一緒にして貰っちゃあ困るんだ…と。

そう、貴族の奴らは、俺達をいつでも虫けら扱いだ。

危険な事、誰もが嫌がる事は
俺達に押し付けやがる。
今回も、彼女を持て余した近衛の野郎等が
俺達に押し付けたのだろうと。
でなければ、
こんな降格処分は本来、有り得ない。


揺れる、燃える、蝋燭の炎


彼女の頬に俺は…、
火傷をするかしないか、
ぎりぎりの所まで、近づけた。

ちりりと焼ける髪。

蝋燭に浮かぶ彼女の顔。

俺は思わず息を呑んだ。

彫刻…。
と言っても可笑しくない程の見事な造作。
昔見た、教会の、あの美しい彫像の様に…。



緊張で、何時もより蒼褪め、木目細かな陶磁の様な肌。
美しく通った鼻筋。蒼い瞳は、精神力の強さを表し強く輝く
そして、唇。柔らかそうな艶やかな色。
悔しさに少し噛んではいるが、
触れたら、壊れそうな、

ほんのり紅い唇。
何も化粧なんかしていないのに、


この衛兵隊に何をしに来たんだと
俺が放った言葉の数々。
反発を繰り返し、
ぶつかり合う事で、
俺は段々彼女を認めざる負えなかった。

俺達は、男とか、女とかを超えた、
めったに居ない上等な隊長に恵まれたのだと言うことを。

傀儡でも、人形でもない、暖かい血の通った
尊敬すべき一流の指揮官なのだという事を。


そんな彼女が、今俺の前で、
女性として装っている。

化粧した彼女は、
見た事も、
触れた事も無い様な
絶世の美女だぜ。

俺は何が何だか解らない。
頭に血が上り言葉に詰まる。

「私と踊らないか?アラン」
俺に、優美に微笑むあんた。

げっ、
ダンスなんかどれ位振りかわかりゃあしない。

訝る俺を無視して、
あんたは、俺の肩に手を置き、
俺の手を自分の腰に回す。

おいおい、一体あんたって…。

気持が、高揚する。動悸が早まる。

細い腰、柳腰って言うんだよな。こう言うの。

普段軍服に隠れちゃ居るが、
あんたが此れほど華奢だとは思いも寄らなかった。

このフロアには二人きり。
高鳴る胸。
俺は、まるで、十代の餓鬼の様に、
ただ、赤くなるばかりだ。


軽い眩暈が俺を襲う。

つい、俺の手が、彼女の頤を捉える。
近づく青い瞳。

彼女の吐息が俺を惑わし
長い睫、
黄金に輝く絹の髪が、俺を誘う。


聴こえるのはそよぐ風の音だけ。


深い深い蒼。俺の好きな色。
彼女は瞳を閉じ、俺達はくちづけをした。

甘い薔薇の香りが、俺を包む。
優しく、薫り高く、愛しく。


そう…、

愛しい俺の隊長。
オスカル・フランソワ。


溢れる思い。
俺は、あいつが居るから、気が付かない振りをしていたんだ。
本当は俺があんたを護りたくて、仕方が無いのに。

今の俺にはあいつほどの度量が無い。
それが判っているから…。

俺は泣きそうになった。
胸が、つんと痛んだ。


このままあんたを、抱きしめたい。
そう、抱きしめて掻っ攫いたい。

神と剣の名を持つ女。
其の剣の腕前で、初めて俺を負かした女。
天上人の香りを持つ女。

いつも、いつもあんたが何を考えてるか
不思議でならなかったんだ。
女とか、男とかを超えて。
だから、あんたの一挙一動を俺は
いつも追っていた。

あんたが何を考えてるか知りたくて。

「お前の様な男に会いたかったからかも知れんな」

そう遠い目をして、呟いたあんた。
俺のような男って?一体なんなんだ。

俺は確かに近衛の柄じゃあないし、
大貴族のあんたの周りにゃあ、
こんな奴は確かに、居ないだろうけどな。

あんたをこうして抱き寄せ、
あんたの黄金の髪を梳く。

俺の無骨な指は、あんたの髪に似合わないな。

あいつなら、似合うんだろうな。
もう一人の愛すべき俺の心友ならば。


あいつの指は、
確かに仕事をしている指だが、
すらりとした長い指だった。

俺は貴族でも平民の香りし、
あいつは平民でも、貴族の香りがする。

俺が貴族だというのは名ばかりなんだから。

そして、この気性の所為で、俺は高等処分を受け、
ただでさえ大変な生活の上に、輪をかけた。
お袋や、ディアンヌに苦労ばかりさせた。

貴族でも、ピンからキリまで有るんだからな。

お前の方が、良いもん食べて、
良いもん着て暮らしているよ。


あんたの白い項に顔を埋め、
こうしていつまでも抱きしめて居たいもんだ。
本当はあんたを、あいつにも渡したくないんだよ。
そう心が、叫んでいた。



そして
もう一度、
軽い眩暈が俺を襲う。



今日は俺の誕生日。
夢ならば覚めないでくれ。

夢ならば…。


「アラン、アラン」

遠くで、あんたの声がする。


「アラン!!」
<ぼかっ!!>

「痛えっ〜〜〜!!!」

「何しやがんだよ!!」
「良いとこじゃね〜か!!」


「何を呆けて寝てるんだ。疲れているのは解るが、起きろ。」
あれ?隊長!!何で軍服着てるんだぁ?あれ?あれれ?

俺は馬車の中に居た。あんたが、笑って、俺を見ていた。
俺はあんたにもたれ掛かって、眠っていたんだな
あんたの薔薇の残り香が、俺にまだ残っている。
いい香りだ。


あの美しい髪を太陽の光に反射させながら。

光が、髪を揺ら揺らと遊ぶ。

俺を見て、優しく微笑むあんた。


夢か…。
変な夢だったぜ。
夢と現、どちらが俺にとって幸せか、
笑っちゃうぜ。本当に…。


そうして、俺達は用を済ませた。
俺が、奴の代わりに、どうして此処に居るのか、
さっぱり、解んなかったが。


兵舎に戻った頃には、もう、暗くなってしまった。

「じゃあ、馬車を片付けて来ます。」
そう言って、馬を馬車から、外し、
俺は厩へ行こうとした。

「アラン!」

突然、隊長が、俺へと放物線を描いて、放った小さな包み。
何だ?リボンが付いている。

「誕生日おめでとう、アラン」
そう言って、あんたはさっと、踵を返し、
片手をあげ、大声で笑い、手を振りながら、颯爽と歩いて行った。

あ〜!!俺は!
思わずあんたの後姿に敬礼するしかなかった。

今日は、あんたに、夢の中でも、現実でも、驚かされてばかりだな。

ありがとよ。隊長さん。

そう心の中で呟くと俺は、あんたを見えなくなるまで、見送った。
暖かな心を抱きしめながら。