黄金の髪


「アンドレ、お嬢様の髪はいつ見ても惚れ惚れするほど綺麗だね。あたしゃこの仕事をしている時が一番幸せだよ。ほんとに匂い立つ美しさというのかね。おかげで寿命が延びること」
「おばあちゃん、いつものことじゃないか。いつもオスカルの髪を梳く時はそう言うよ」
「おや、そうかい。気がつかなかったよ。アンドレお前も見ておいで。今日はまた一段とすごいから」
「いいよ。オスカルの髪が綺麗なのは知っている」
「まぁねぇ〜 いくら寿命が延びた所でお前が縮めてくれるんだからおんなじことだけど」
 まずいな。おばあちゃんの小言が始まらないうちに逃げ出さなければ。
「分かったよ、おばあちゃん、見てくるよ。俺がオスカルの部屋へショコラを運ぶ」
「おや、そうかい、気が利くね。じゃあ頼むよ」

 オスカルの部屋をノックする。
返事がない。おかしいな。そっと扉に手をかけ押してみる。
オスカルは中にいた。
鏡の前に座ったまま本を読んでいる。
「オスカル、ショコラを持って来た」
返事がない。
「ここに置くぞ」
オスカルは一心不乱に本を読んでいる。
何も聞こえないようだ。
俺はテーブルの上にショコラをのせるとオスカルを見た。
見事なブロンドだ。
さすがおばあちゃんが気合を込めて梳き上げただけのことはある。
オスカルの髪を梳くのは昔からおばあちゃんの仕事だった。
おばあちゃんはこれを誰にもやらせない。
オスカルもおばあちゃんに梳いてもらうのが一番気持ちがいいと言う。
オスカルの髪を梳きたいという者は何人もいたが結局その役はおばあちゃんに回ってくる。
その度におばあちゃんは嬉しそうにこの仕事は私にしか出来ないと言う。

 オスカル、お前はその豊かな黄金の髪を背中に波打たせながらまるでその存在に気づかないようだ。
その証拠にこの輝きに無関心になれるほど面白い本があるとは俺にはとうてい思えない。
衛兵隊に移って三週間。毎日が動乱の日々だ。一筋縄ではいかない兵士達。
オスカルの苦悩は側で見ていて計り知れない。
でも、その姿に苦労の痕跡など一つだって見せはしない。
軽やかにひるがえされるおまえの髪。
世界中の金や宝石を集めたってこの輝きにはかなわない。
それらは日の光を浴びて輝くことはあっても自ら輝くことはないからだ。
オスカル、お前の髪にはその一本一本にお前の生気が満ちている。美しいはずだ。
お前の命の輝きがそこに表れている。

 俺はどこにいたって瞬時にお前を探しだす事が出来る。
広大なベルサイユ宮殿にいても、遥か彼方にお前を見失いそうになるほど遠乗りに出かけても。
幼い頃のかくれんぼを思い出す。お前はどこにいてもすぐに見つかった。
俺だけじゃない、誰だってすぐに見つけてしまうんだ。
その金髪がちらとでも見えようものなら、まるでここにいるよと教えているようなものだからだ。
だからかな、おまえはかくれんぼが嫌いだった。

 どんな人波の中でもお前の髪はひときわ明るい。
日の光を浴びるとそこだけ天から光がさしているようだ。
神の加護を一身に集めたようなその姿。
ベルサイユ宮で俺は年のいった貴婦人がお前を見ながらため息をつき涙ぐんでいるのを見た。
お前の姿は年を経てゆるくなった彼女の涙腺からたっぷりの涙を落とさせるのに充分な美しさだった。
圧倒的な美しさの前に人はひざまずく。

 俺のオスカル

 お前の姿を見、声を聞くのは心地よい。
でもそこまでだ。距離でいったらここが限界。
俺は自らお前に近づかないようにしている。
お前の意思に反してあんなことをしてから、俺はより一層自制しなければならなくなった。
お前を抱きしめその唇にふれてしまったら、その自制はそうとうきつくなった。
掴まえても逃げるようにすり抜けるしなやかなお前の髪。艶やかな肌。
自業自得だが結構辛いぞ。
今だってその金髪の下その髪をどければ頭がグラグラするほど甘い匂いがするのを俺は知っている。
それはこの部屋の匂い。この部屋にいるだけで俺の鼓動は高鳴ってくる。
部屋の匂いはその主を物語る。
五感に刻み込まれた記憶は俺の心を掻きむしり、いたたまれなくする。

 辛いな。辛いよ、オスカル。

 ふとお前が顔を上げる。鏡の中で目があった。
「アンドレか、どうした」
「ショコラを持って来た」
「ああ、メルシイ」

 オスカルが本を閉じてこちらに回ってくる。
お前は自分がどれほどの容姿を持っているか無関心で無防備だ。
しなやかな指がソーサーを取り上げる。
カップに口をつけた怪訝そうなお前の顔。
「変だな。随分ぬるいぞ、このショコラ」
オスカルの訝しげな表情がおかしくて俺は小さく笑った。
「どうしたアンドレ、なにが可笑しい?」
「いいや、何でもない。今いれかえて来る」
不思議そうなオスカルの顔の前でショコラを片付ける。

 オスカル、お前が可愛くて仕方が無い。
頑固だが素直で子供のようなところもあるオスカル。
俺は一生お前の側から離れられない。
 
             FIN