「アンドレの呟き」
さわやかな好天が続く初夏の日。衛兵隊の兵営では、午後の休憩時間を穏やかに過ご
す兵士たちの姿が見られた。
「だからさ、隊長の誕生日っていつ何だろう?」
「そんな事、この俺が知るわけないだろうが。そういう事は、あいつに・・・」
すぐ側を通りかかったアンドレを呼び止めてアランが声を掛ける。
「おい、アンドレ!お前さ、隊長の誕生日っていつか知っているよな。そいつをこの
フランソワに教えてやってくれ」
突然のアランの言葉に一瞬質問の意味が飲み込めず、目を大きく見開く。
「なんだって・・急にそんな事を・・あいつは・・主イエスと同じ。つまり12月25日
だ」
その言葉にフランソワは頬を赤らめて
「やっぱり・・隊長はただの人じゃないんだ。あんなに綺麗で俺たちにだって・・優し
いもんな」
「何かあったのか?」
アンドレもその様子が引っかかり、思わず尋ねてみた。
「こいつの弟、知っているか。いつか、剣を売った金で靴を買ってどうのこうのって
言ってた事があったろ」
「あぁ・・確かそんな事が」
アンドレの脳裏を過去の苦しかった情景が蘇る。このフランス衛兵隊にオスカルが
赴任して来たばかりの頃の兵士達の反抗的な態度と言動の数々。「女」と侮られ、そ
れでも懸命に衛兵隊員を理解しようと必死だったオスカル。ぼんやり考え込むアンド
レにアランが問い掛ける。
「おい、どうしたんだ、アンドレ」
「いや、ちょっと・・・あの頃のことを思い出していただけさ。それで?」
「うん、隊長が奴の弟に新しい靴を贈ってくれたんだ。もう、大きくなっただろうか
らって」
「へぇ・・・」
「それで、このフランソワの奴が感激して、今度の隊長の誕生日に何か贈りたいって
言うんだ。どうせ、たいしたものは贈れないがな」
「何を言っているんだ。気持ちじゃないか。きっとオスカルは喜ぶぞ」
そう言いながら、アンドレはふとある疑問をアランやフランソワに尋ねてみたくなっ
てきた。
「なぁ、アラン。変な事を聞くようだが、パリの町では、今でも・・その・・裸足の奴は
多いのか?」
「当たり前じゃねえかっ。これだから、お貴族様と一緒にいる奴はピントがずれてる
ぜ」
「相変わらず食料も不足しているのか?」
「パリに来て、自分の眼で見てみろよ。みんな痩せこけて・・ひと目で分かるぜ」
アランが少し怒りを含んだ口調で言い捨てた。
「それで、服装は・・」
「お前は俺をからかってるのか!さっきから、なんだ。分かりきった事ばかり!疑う
ならパリに来て実際にその目で見りゃ良いだろうが!」
とうとう、アランの怒りが感じられるくらいになってきた。
「いや、すまない。ちょっと気になる事があったもんだから・・いや、忘れてくれ」
奥歯に物の挟まったような言い方が益々アランの勘に触った。
「言いかけて辞めるなよな。気になるじゃねぇかよ」
「うん・・しかし・・」
アンドレは、まだ少し考えていたが、ようやく口を開いた。
「この頃、変な夢ばかり見るんだ」
なんだか元気の無い言い方がアランの興味をそそった。
「どんな夢なんだ?」
「なんかさ、ロザリーってオスカルが妹みたいに可愛がっていた子とベルナールって
新聞記者に誘われて、オスカルと俺がパリの町に様子を見に行くんだ」
「ふうん、それで・・」
「何処かの階段みたいな所を降りてきたら、そこがパリの町みたいなんだが・・・・なん
か違うんだな」
「どう違うんだ?」
「何だか、薄暗くて、陰気な感じで、それでもみんな結構立派な服を着ているし、揃
いも揃って靴を履いていてさ、裸足の奴なんかひとりもいないんだ」
「ぶーっアンドレ、はははっ・・それは、パリじゃないぜ。何処か他の場所だろ」
「しかもその服だって・・俺はかなりじろじろ見たけど、破れても汚れてもいないよう
だし、良い生地で仕立てている感じだった。でも、通りを歩く人々は、なんかふらふ
らしているんだ。俺が声を掛けたら(ひぃぃ〜〜)と叫んで何処かへ行ってしまった
ぜ。(きぇ〜〜っ)とか変な叫び声も聞こえてさ。壁にもたれてる女の顔を覗き込む
と目はうつろで、ぼんやりしていて・・・何か変なんだ」
「わっはっはっーー」
あたりに響き渡るような笑い声が聞こえて、アランがお腹を抱えて笑い転げている。
「はははっ・・・アンドレ!そいつは、パリじゃないぜ。お前の言う光景にぴったりの場
所を教えてやるぜ。そいつは、きっと精神病院だぜ。こいつは傑作だぜ。はは
はっ・・・」
「精神病院?」
アンドレが驚いてアランを見返した。アランとフランソワは互いに顔を合わせてまだ
笑っている。
「頭のいかれた奴らの行く病院さ。だっておめぇ、考えても見ろよ。パリの町は食い
物が無くて、みんなボロボロで裸足の奴らばかりだぜ。だけど、頭はいかれてないか
ら、そんな変な悲鳴をあげるわけねぇだろうが。ふらふらしてちゃ危ないしな。馬車
だって通るし、
スリだって大勢いるんだ。みんな腹を空かせていても気持ちは張り詰めてるぜ」
「そうだよ、アンドレ。パリの町はひっきりなしに馬車が行きかう通りばかりだし。
ぼさっとしてたら、馬車に引っ掛けられてあの世行きだもんな。パンや食い物を持っ
ているだけで狙われるし。みんな結構緊張してるよ」
笑いを堪えながらようやく話すアランやフランソワの言葉にアンドレも頷く。
「・・・そうだろうな。何か変な気がしたよ。ジジとかいう気の強そうな女が、いかにも
困っているように俺たちを責めたてるんだが…そいつもこざっぱりとした装いにふく
よかな様子なんだ。あぁ・・・変な夢ばかりで、休めやしないよ」
「はははっ・・・アンドレ、お前、いつも隊長の事で頭が一杯だろ。たまには息抜きが必
要だぜ。よし、今夜皆で飲みに行こう!良いな」
アランの威勢の良い声に押されて頷きはしたものの、気が進まないアンドレだった。
その日の午後、王宮の庭園付近をアランと見回りながら、アンドレは再び口を開く。
「なぁ、アラン。お前も自分の夢なんて見る事あるか」
「何だぁ、さっきから夢、夢って・・・おめぇは考え過ぎだって言ってるだろ」
「そうだが・・・その夢の俺って・・・すごく馬鹿な男なんだぜ。やっぱり落ち込むよ」
庭園を抜けて噴水のあたりにくると、もう人の気配もなく静寂が空気を支配してい
る。歩きながら、アランがアンドレを振り返り、軽くその肩を叩いた。
「あんまり気にするよ。お前は確かに馬鹿な男だが、筋が通ってるぜ。夢の中のお前
は違うのか」
「うん・・何だか、普通に考えたらこんな事をするかなって事を平気でするんだな、
俺は。(辞めてくれっ!)って何度も夢の中で叫んでいるんだ。すごく疲れるよ」
「ははっ・・・よし、俺様が聞いてやろうじゃないか。遠慮せずに言って見ろ」
アンドレは暫く迷っていたが、ようやく言葉を綱ぐ。
「また、服装の話だが、夜にいつもオスカルに飲み物を運ぶのも俺の仕事のひとつな
んだが、ある夜、俺はすごい服を着てオスカルの部屋に行っているんだ」
「すごい服?」
アランが眉を潜める。
「それが・・・なんて言うか、ピンク色っていうような生易しい色じゃないんだ。こうす
ごく派手で素材もぴかぴか光る濃いピンク色のブラウスを着て、ワインカラーの上着
を重ねているんだ。もう辞めてくれっていうくらい、趣味の悪い服なんだぜ。勿論、
現実の俺はそんな色の服なんて持っていないさ」
「あははっ・・・・まるで、何処かの男娼の衣装じゃないか。何の冗談なんだ?」
「俺が聞きたいよ。で、ワインを持って行っているんだが・・・・その夢の俺はオスカル
の結婚話で気持ちが乱れているんだな。ワインに毒を入れてふたりで飲み干し、死の
うと思いつめている様子だ」
「・・・・・」
「まぁ・・それはありそうな話だが、問題はその方法だ。俺はオスカルの部屋に入っ
て、ワインをグラスに注ぎおもむろに懐から、包みを取り出しているんだ」
「・・その包みっていうのが・・ひょっとして・・」
「あぁ・・・毒薬みたいなんだ。幾らオスカルがバイオリンを弾きながら、向こうを見て
いるっていったって、目の前で毒なんか入れるか?なぁ、アラン!俺ってさ、それほ
ど間が抜けた男か?」
「そりゃ・・ちょっと考えられないな。普通は部屋に行く前に入れとくだろうぜ」
「しかも・・包みを開く時に(ガサガサッ)って音までしているんだ。不審に思って
こっちを見ても可笑しくない状態だ」
「・・・・・」
「もう夢の中ながら、俺はいつも(なんでそんなに馬鹿なんだ〜〜)って叫んでいる
所で目が覚めるんだ。汗がびしょびしょですごく疲れるよ」
「・・何か聞いているだけで、気の毒だよな。お前って・・身分違いの恋だけでも疲れる
のにそんな変な夢まで・・・・」
アンドレは乾いた笑いを浮かべてアランに向き直り、
「有難う、アラン。何だか聞いてもらって気が晴れたよ」
「せめて夢の中くらい、隊長が(アンドレ、好きだ)くらい言ってくれないのかよ。
聞いてて哀れだぜ」
「うん・・それもある事はあるが・・」
アンドレが浮かぬ顔で呟く。
「何だ、良い場面もあるなら、それでお相子ってもんだな」
「・・・・パリに出動する前夜、オスカルに部屋に呼ばれるんだ。(星が綺麗だ)とかい
う言葉に続いて、俺はオスカルに愛を告げられて・・・・俺もオスカルに愛を誓うんだ」
「そりゃ・・そりゃ・・結構な話じゃないか」
「何だかそのオスカルもオスカルじゃないみたいで、俺に跪いて縋り付いてきて・・い
つもとまるで違う。で、普通に口付けしないんだ。こう、片手を大きく振り上げてふ
たりの手を重ねてぐるっと半円を描いて…」
「何だ、それ?」
「見ていると、体の筋肉が痛くなりそうな不思議な構図で、どうも一種の儀式っぽい
感じがするんだが・・俺も膝の上のオスカルの手と一緒に身体もあちらに向け、こっち
に向いて・・ようやく口付けを許される有様さ」
「あぁっ、聞いているだけで苛々してくるぜ。口付けひとつにそんなに手を振り回し
てちゃ、夜明けまでかかったって・・・・無理だな」
「・・俺もそんな嫌な予感がしてさ、全然嬉しい気がしない」
「・・・・・」
「とにかく夢の中の俺って普通じゃないんだな。こう,常識では考えられないくらい
間が抜けていて・・・・いつも目が覚めた時の疲労感といったら・・・・」
アランもふとアンドレの表情を見詰めると、目の下にはクマが出来、心なしかやつれ
た雰囲気さえ伺える。
「元気だしなって・・そのうち良い事もあるぜ、きっと」
言いながら、何時の間にか衛兵隊に戻って来ていた。すぐにフランソワが呼びかけ
る。
「アンドレ、隊長が後で、部屋に来てくれって言ってたぜ」
とたんにアンドレの顔に喜びの色が浮かぶ。急ぎ足で司令官室に向かうアンドレの後
姿を見ながら、アランが軽く笑った。
「なんだかんだって言ったって…隊長と一緒に居られれば、幸せな奴なんだぜ。アン
ドレ、お前は間の抜けた奴なんかじゃないさ。最高に良い男だぜ。俺が保証するさ」
「アラン、何か言ったのか」
訝しげにフランソワが尋ねてくるのを、その肩を叩きながら
「いいや、独り言さ。アンドレって良い奴だなってな」
夕方の傾きかけた太陽が、廊下を薄紅色に染め上げている中で、目を僅かに細めて呟
く。
「今頃気がついたのか。あいつは、本当に良い男だよ」
フランソワも笑いながら、言葉を繋ぐ。
衛兵隊の一日も終わりを迎え様としていた。