亡命(1)
「うるさい!何度言っても無駄だ。私は祖国を捨てるつもりはない。」
「何度でも言う。亡命しろ。いまフランス国内にいるのは自殺行為だ。」
オスカルは、あいかわらずベルナールの言葉に耳を貸そうとはしない。
「何故だ。バスティーユ陥落のあの日、あれだけの傷を負って、それでも
生き残ったおまえなんだぞ。なぜ死に急ぐ。なぜ生きようとしないんだ。」
いま二人の命を捧げても、祖国は喜ばないぞ。民衆側にねがえった
フランス衛兵隊長、黄金の髪の女神、あまりにも目立ちすぎる。
たとえ、マリー・アントワネットが止めようとしても無理だろう。
王党派のやつらはオスカルの首をねらっている。勢力を増してきた
民衆へのみせしめとして。
「自分の血をわけた分身を残したいとは思わないのか?」
「な…に…」オスカルの肩がふるえている。
「おまえの体には…」
「言うな!」青い瞳に涙があふれた。「そ…うだ。私の体には、
アンドレの子が宿った。あの日の、愛の証だった。」
そう愛の証だった。けれど育たなかった。銃弾を受けた私の体の中で
育とうとしていた小さな命…。なのに救えなかった。わかったときには、
もう、どうしようもなかった…。
私だけが生き続けている。
「ふっ、ロザリーには、すべて気づかれていたのだな。」
「医者は、希望を持ってよいと言っていたのだろう。アンドレと二人で、
安全な所へ行ってくれ。頼むから。」
ベルナールは、二人を北へ逃がそうと考えていた。北のほうが、
オスカルの金髪と碧眼が紛れやすい。フランスの北で国境を接するオランダへ。
そこが危なくなったら、さらに北へ。
そう、バルト海の向こうのスカンジナヴィアまででも。
「オランダの小金持ちが、いまフランスからの亡命貴族を迎え入れている。
あいつらは、成金の新興ブルジョアだからな。没落貴族を雇って、子弟の
家庭教師にするそうだ。」
どこの訛もない正統なフランス語、ラテン語、フランス宮廷の行儀作法に
ダンス、馬術と剣術。オスカルが、子供の頃から当たり前に身につけてきた
ものが求められている。
「おまえたちは、あの二日間の戦闘で死んだことになっている。しかし、
遺体を見たものは誰もいないんだ。だから、おまえたちの死に、疑問を持つ
奴等が出てきている。賞金付きの手配書が出るのも時間の問題だ。このまま
犬死をしたくはないだろう。」
「わかった、ベルナール。おまえの言う通りにしよう。」
オランダ行きの手はずは、すぐに整えられた。
私たち二人は、亡命貴族ではなく、貴族の家に出入りしていた裕福な平民
ということにした。私は、貴族の令嬢の遊び相手として貴族の家で育った
平民の娘というわけだ。私が教えるのは、その貴族の館で、お嬢様と一緒に
身につけたものなのだ。
「アンドレ、立場が逆だ。ジャルジェ家での、おまえの経験が役に立つな。」
「ばか」
フランスを出るまでは男の二人連れとして動いた。万一に備えて、銃も剣も
身につけていた。身元がばれることを恐れるより、その方がはるかに安全だ。
私がドレスを着ていては動けない。
パリを抜け、国境を越えるまで、緊張が続いた。