亡命(4)
オランダで生きる決意をして、また新たな生活が始まった。
真実の革命、正しい革命を志す闘士たちを相手の、訓練と教育である。
剣の稽古、銃や大砲の操作、火薬や爆薬の調合、戦場での馬の扱い、
戦術や諜報活動。救護法と医術。歴史に政治経済。教えることは山のように
あった。オスカル自身が、何年もかけて士官学校で学び、実際の軍務のなかで
身につけたことを、ここでは、わずかの期間のうちに教え込まなければならない。
実戦で使えるように。
オスカルの新しい生徒たちは、意欲に満ちていた。しかし、オスカルは
普通の体ではなかったから、ゆるやかに進められた。
かつて練兵場で兵士たちを訓練していたように、その日も、オスカルの声は
響き渡っていた。アンドレは、助手をつとめている。オスカルの傍らで、
聞き覚えのある、その凛とした声を聞いていた。
突然、オスカルの声が途切れた。
意識を失って倒れている。
「オスカル!オスカル!」
アンドレが呼びかけるうちに、オスカルは、わずかに意識を取り戻した。
「訓練…を、指示…した通りに…続けろ…」そう告げるのが精一杯だった。
体がいうことをきかない。ゆっくりと呼吸をして、再び口を開いた。
「アンドレ…、木陰に寝かせてくれ…。頭を…低くして…。」
アンドレが私を抱きかかえて、私の言うとおりに、そっと木陰に連れていった。
黒い瞳が、心配そうに私を見つめている。この世の終わりのような顔をして、
いまにも泣き出しそうだ。何て顔をしているんだ。この弱虫…。
「心配するな、アンドレ。脳貧血は、頭を低くして寝ていれば回復する。」
「真っ青な顔をしていたじゃないか。意識がなくて、血の気の引いたおまえの
顔を見て、俺は心臓が止まりそうだったぞ。心配せずにいられるもんか。」
わかったよ、アンドレ。この心配性め。
「アンドレ、父親たるものは、もっと鷹揚に構えているものだ。」
「えっ…?」
「聞えなかったか?おまえは、人の子の親になるのだよ。これくらいのことで、
うろたえていては、身が持たないぞ。」
そう…だったのか、オスカル。ああ、何てことだ。ああ、神よ…。感謝します。
「アンドレ、この子が無事に育つかどうか、私にはわからない。すべては、
神の御意志のままに従おう。」
「神はきっと俺たちの願いを聞き届けてくれるさ。
子を授けて下さったのだから。」
オスカルは、それからも、しばらくは、よく貧血を起こしていた。
妊娠初期にはよくあることらしい。俺は、最初のときほどには驚かなくなった。
底なしに飲めたおまえが、つわりのときは、毎日、二日酔いのふりを
していたね。よくも、みんなをだまし続けたものだ。体が妊娠に適応するまで
続くんだってね。もう大丈夫かい?
神様は、今度は、俺たちに幸福をもたらしてくれそうだね。
だけど、オスカル。お願いだからやめてくれ。胎動を感じるようになった
その身体で、軍事教練をするのは!!
俺たちの子が、おまえの号令や武器の音を、聞いているんだよ。
生まれる前から戦闘まがいの音を聞かせ続けるなんて、おまえはその子を
軍人にしたいのか?あの旦那様のように!
女の子だったら、どうするんだ。おまえと同じ思いをするんだぞ。
医者がいいと言ったって、俺はいやだ。頼むから家の中でおとなしく
していてくれ。
オスカル、おまえは俺の言うことを聞いてくれないね。俺が、ゆったりと
父親らしくしていられなくなるのは、他でもない、おまえのせいだよ。
いったい誰がオスカルに言ったんだよぉ。臨月が近づいても、動いたほうが、
お産が軽くなるなんてことを…。
おまえの号令を聞いている奴等の顔を見ろ。当惑しているじゃないか。
ああ、ああ、また、そんなに怒鳴る。あいつらの動きがぎこちないのは、
おまえのせいなんだってば…
俺は今日も万端の準備を整えて、おまえのそばにいる。疲れたらすぐに
休めるように、何かあったらすぐに手当てができるように。
万が一にも転ばないようにと思うと、俺の気が休まるときはない。
もうすぐだな。もう、あと少しで、俺は本物の父親になれるよ…な。