エトレンヌ
〜お年玉の思い出〜



ナポレオン指揮下の将軍となり、何度目かの新年…
俺は疲れからか風邪を引きこみ、心配したベルナールの妻であるロザリーが、
看病に来てくれた。
「無理しないでね、アラン。大役だから、緊張して疲れるのでしょうけど…」
「こんなことくらいで寝込むなんて、俺も歳だな。ロザリー」
おいしそうなブラマンジュが運ばれてきた。
「はい、召し上がれ。ロザリーの元気が出る特別料理よ。アラン」
「ああ、ありがとう…懐かしい味だよ。ロザリー」
「これは、“病人のためのシャポン(去勢鶏)のブラマンジュ”と呼ばれる
結構有名なレシピのお料理なのよ。昔、お母様にでも作っていただいたのかしら?」
「…いや、昔、隊長が…寝込んだアンドレに食べさせてやっていたのさ。
それを思い出したのだよ。ロザリー」
「ま…まさか、オスカル様がお料理していたの?」
「…ブッ…それこそ、まさかだな?ハハハ…」
「そんなに笑うと、天国の二人に怒られるわよ。アラン」
軽く睨むようなロザリーの笑顔が、俺の気持ちを優しくさせた。
そう…あの運命の1789年…あの年から、既に10年以上が経ち、
一時はベルナールともナポレオンのことから、意見を異にしたこともあったが、
今では、昔以上に親しくしている。
いや、同じような不安を抱いている仲間と言った方がいいかもしれない。
ナポレオンは…彼は、皇帝の座を狙い始めていた。
俺の選択は、間違っていたのだろうか?どこでボタンを掛け違えたのか?
俺はただ…革命の精神が生きていくだろう政治を願っただけなのに。
ここに隊長とアンドレがいてくれたら…二人は何と言って俺を叱ってくれただろうか?
懐かしいブラマンジュの味が、俺にしばし昔のことを思い出させた。

あの1789年の前年から大変ことが続いていた。
夏には、既に王政は債権者や公債購入見込み者の信頼を失うという大打撃を受けていた。
つまり、王に金を貸そうなどという者は、もういなくなっていたのだ。
そして、中部フランスの大部分を襲った雹を伴った激しい嵐…
かつてのすばらしい田園が不毛の砂漠と化し、野菜や果物が吹き飛ばされた。
飢えの影がソロソロと静かな足音を忍ばせていた。
そして、フランスの大部分に旱魃が起こった。
その冬には、ルイ14世の食卓に上ったボルドー産のヴァン(ワイン)が、
凍ったと言われる1709年以来の厳寒となった。
すべては、その次の年の激動を予感させるものだった。

しかし、俺の心には、世間の風とは反対に温かい風が吹いていた。
貴族の端くれでありながら、地位も財産もないに等しい俺の家では、
ディアンヌの結婚は遅れるばかりだった。
でも、ようやく、同じ貧乏貴族の息子との縁談がまとまろうとしていた。
貧しさから、食べる物さえ不足し、兵舎で出る焼き肉やパンをこっそりと
面会日に持ちかえらせる。
でも、それでも、俺達…家族はまだまだ幸せだった。

ノエルにはまだ間のある11月の終わり頃に、アンドレが割りのいい仕事を
しないかと持ちかけてきた。
「おまえは、読み書きもできるし、計算だってできるだろう?
うってつけだ。かわいい妹の持参金の足しにもなるぞ。」
彼に連れられて行った高級そうなアパルトマンは、パリの留守部隊のある
ショセ・ダンタンの一角にあった。
「へえ〜、ジャルジェ家の従僕殿は、金持ちなんだな?
こんな高級そうなアパルトマンにお住まいなのかい?アンドレ」
「ばかも休み休み言えよ、アラン。こんなとこ…俺が住めるわけ無いだろう。
この建物のすべてが、オスカルの持ち物の一つさ。」
門番女は、普通よりもなかなか品が良い女だった。
アンドレを見ると、愛想良く話しかけてきた。
彼は軽く俺を紹介し、仕事だから、世話をしてくれと説明した。
「彼女は、オスカルの昔の乳母だから、信用して良いぞ。アラン」
門番女と言えば、間借り人の天敵のような存在だ。
でも、ここでは、世間一般の常識は考えなくて良いらしい。俺は安心した。
このアパルトマンは、一つの階に二つの家があるようだった。
そころが、2階だけは特別で、真中でつながっていた。
一つの家には、台所、寝室、控えの間、客間、食堂、私室があったのだが、
その一つ分の家が、まるまる倉庫のようになっていた。
俺は部屋へ通され、山積みされた品物…男女或いは、子供用の古着、
各種の靴、小間物等の整理を彼から任された。
「こんなの女子供の仕事じゃないか?アンドレ」
「まあ、そう言わずに…読み書きができないとこんなに大量のものは、
整理できないし、これが衛兵隊の兵士の役に立つのだから、我慢してくれ。」
しかし、このおびただしい持ち物の行き先については、質問しても答えてもらえなかった。
「ああ、もうしばらくあとのお楽しみだ。アラン」
俺は、毎日時間ができると、ここへ通い、これらの品々を整理し、記帳した。
アンドレは、暇を見つけては、この記帳したリストに何かを書きこんでいた。

そんなことが、しばらく続いたあと…12月に入ると、客間には、
ノエルを祝うための、古いクレーシュ(キリスト降誕の情景を表す厚紙や
藁で作られた人形類の飾り)が置かれていた。
それの中には、聖家族だけでなく、三博士や羊飼い、馬や牛などとともに、
金髪と黒髪の子供をかたどった木の人物が並べられていた。

俺の誕生日は直ぐにやってきた。
今日は、アンドレの話では、この仕事の給金がたんまりと貰えるはずの日だった。
門番女が俺の好物を作ったと楽しそうに話しかけてくれた。
俺は、上機嫌で今日の仕事をするために、部屋に入ろうとした。
しかし、いつもと違って、部屋には鍵がかけられていた。
「あれ?おかしいな〜?いつもは開けてくれているのに…」
俺はカチャカチャと鍵を回した。
部屋の中から、人の気配が感じられた。
しばらく待っていると、急に扉が開き、黄金の髪を寝乱れたようにしている
隊長の姿が目に飛び込んできた。
「…た、隊長…何しているんですか?こんなところで?」
俺は、驚きのあまり、日頃は毛嫌いするかのように、めったに話しかけない隊長に
声をあげてしまった。
「ああ、アランか?驚かしてすまん。いや、アンドレが急に夕方から高熱を出してな。
動けないというから、屋敷に連れて帰るわけにもいかなくて、看病していたのだ。
今日はネッケル氏宅の会議も早く終わったから、護衛の私も早くに店じまいさ。」
看病!?…隊長が?大貴族のご令嬢で、軍人としては高位の准将で、
その上こんなとびきりの美人が、たかだか自分の従僕が寝込んだから、
看病しているって??…
俺は言葉を聞き間違えたのかとしばらくぼんやりしていた。
「どうかしたのか?アラン…」
「い、いえ…何でもありません。」
「少しうるさいかもしれないが、我慢して仕事を続けてくれ。あとで給金を払うから。」
「え?この仕事は隊長からのものだったですか?」
「ああ、でも、まだ誰にも内緒だぞ。」
楽しそうに、秘密を隠す子どものような表情で、俺に念を押した。

俺は、仕事を続けていたが、奥の方の部屋からは、隊長が
アンドレを叱っている声が聞こえてきた。
「…アンドレ、熱が高いのだから、我慢してこの煎じ薬を飲め。」
「嫌だ!これはすごく苦いんだぞ。一晩寝ていれば直る。
それにもう俺をほっておいてくれ。おまえに看病させたのが、おばあちゃんに
ばれたら…俺…確実に殺されるよ。」
「もう〜情けない男だな。私の幼馴染は、なんて意気地なしだ。」
「意気地なしだろうが、なんだろうが、構わないね。ふん!」
動けないというわりには、元気なアンドレの声がおかしかった。
あの二人の関係は、一体なんなのだ?
最初、衛兵隊へ来た時は、大貴族の令嬢が気まぐれを起して、近衛隊から、
わざわざ自分の愛人である従僕を連れて転属してきたと思っていた。
でも、まもなくその先入観は、見事に壊されてしまった。
確かに従僕の方は、その女主人を熱愛しているようだったが、
とうの女主人は、色恋などとは縁遠い男勝りの美女だった。
俺は苦笑しながら、仕事を続けた。

仕事が終わり、隊長に声をかけようとして、俺は隣の部屋を覗いて驚いた。
アンドレは、薬のせいか、高熱のせいか眠っているようだった。
隊長がその寝台の横に机を移動してきて、何か書きものをしているようだった。
まるで、恋人の病床に付き添う女性のように、仕事の合間に心配そうに
汗を拭い、母親のように優しい瞳で見つめていた。
俺は、しばらくぼんやりとその光景を見つめていた。
「隊長…」
小声で囁くように声をかけると、彼女はあわてて俺のもとへ来た。
「シッ…静かに…アンドレが起きてしまう。ご苦労だった。
これが賃金だ。本当に助かったよ。アラン」
「…ありがとうございます。俺も…これがあると、助かりますよ。
でも、いったい全体こんなにたくさんの品物をどうするのですか?」
「ああ、実は…兵士達へのエトレンヌ(お年玉)にしようと思ってな。」
「ええ!?俺たちへ…ですか?」
「ああ、おまえは、ディアンヌ嬢の結婚式があるから、先に渡すよ。
あとは、ノエル休暇前から、徐々に兵士達に渡して、来年までには渡し終わりたいな。」
楽しそうに子供達へのお年玉を選ぶ母親のような表情をする隊長に、
俺は思わず微笑まずにはいられなかった。
「昔、まだ軍隊が王家のお抱えでなく、指揮官達の私物だった頃は、
うちのジャルジェ家も領地の使用人や軍の兵士達へ、ノエルが近くなると、
贈り物を用意して、元旦にはエトレンヌを渡したこともあるそうだ。
日頃から兵士達を大事にすれば、いざと言う時に戦ってくれるからな。」
まるで俺への言い訳のように、古い話を持ち出し、彼女は隊長の顔をした。

隊長は、今日が俺の誕生日だと言うことを知っていたらしく、
わざわざ門番女になかなか豪勢な料理を作らせていた。
「私では嫌かもしれないが、一緒に食事をしよう。」
普段、兵舎では決してしないだろうこと…俺が反抗している隊長と食事…
誕生日のせいか、ノエルが近いせいか…奇跡が起こっていた。
二人で話題にのぼったのは、士官学校の教授陣だった。
「ええ!?あのサン・モリス殿…チョビヒゲのモリスは、おまえの時も
物理を教えていたのか?知らなかったな。アラン」
「隊長もあの人に教えられたのですか?」
「…いや、教えを受けたと言うより、先生をからかっていたよ。
皆でな…懐かしい思い出だ。」
隊長は遠い目をして、昔を思い出しているようだった。

食後は、客間でヴァンを酌み交わし、ディアンヌの結婚式のことを話していた。
「本当なら、オー・ド・ヴィでも飲みたいのだが…ばあやに言われていて、
ソフィーもうるさいからな。我慢してくれ。アラン」
そこへひょっこりと、話題の主である門番女が酒のつまみを持って現れた。
「誰が“うるさい”のでございますか?オスカル様」
「…い、いや、何でもないよ。私はアンドレの様子を見てこよう。
アラン、ゆっくりとして行け。あとは、ソフィーに任せたよ。
ソフィーは、ギリシア語で知恵と言う意味を持つだけあって、知恵者さ。
おまえの大事なディアンヌの結婚式のことでも相談してみろ。」
不味いことを言ったと顔を困らせながら、でも、嬉しそうに彼女は、寝室へ消えた。

「まあ、うまいことを言って…逃げましたわね。オスカル様…ホホホ…」
俺は二人のやりとりを微笑ましく見つめていた。
兵舎にいる時のいつもの隊長は、冷静沈着でめったに感情を表さない。
兵士達が何をしても、動じないという風を完璧なほど装っている。
でも、ここでは気さくな普通の女性のようだ。
ただ、従僕の看病を楽しそうにしているのが、不思議だが…。
「アランさん、ご苦労様でした。あのたくさんの品物が運び込まれた時は、
私が整理しなければいけないのかと驚きましたが、あなたのおかげで助かりました。」
「いや、俺も本音を言うと助かりましたよ。近々、妹が結婚するんで…
金はいくらあっても、邪魔にはなりませんから。」
「まあ、それはおめでとうございます。お兄様のお力ね。」
彼女は、妹の結婚話を楽しそうに聞いてくれた。

彼女が気さく女だと感じた俺は、ふと質問したくなった。
「あの…隊長がアンドレの看病をしているのですか?」
「フフフ…オスカル様は、昔からやってみたかったのよ。
二人とも元気な子供だったから、めったに酷い病気はしなかったのだけれど…
お屋敷だと、ご自分が病気になると、ばあやさんやアンドレが
つきっきりで、世話してくれるでしょ?
友達なのだから、アンドレが寝込んだら、今度は私が世話をすると何度も
宣言していても、まさか、ばあやさんがそんなことを許すはずが無いでしょ?
だから、子供の頃からの夢だったのよ。お嬢様なのにね。」
「だから、やけに楽しそうだったのですね。理由がわかりましたよ。ソフィーさん」
「今日は、夕方からアンドレの調子が急に悪くなって、でも、お医者は
呼ばなくていいと、意地を張るから、オスカル様は心配していたわ。
あなたが来る前なんて…アンドレが眠っていて、高熱のせいか寒気がするらしくて、
様子がおかしかったら、思わず寝台へもぐり込んで暖めてやると言って、
実行していたわ。アンドレも起きていたら、喜びそうな場面だったのにね。
残念なことをしたわよ、彼も…」
俺は、この隊長の元乳母だという女性の豪快さに驚いた。
お嬢様を止めるどころか、どうも積極的に協力しているらしい。
彼女もアンドレの恋心の理解者なのだろうか?おかしな女だな。

彼女に結婚式のこまごまとしたことを教えてもらっていたら、
何時の間にか隊長が現れた。
「ソフィー、すまないが、さっき頼んだあの料理はできているか?
アンドレが起きたから、食べさせてやりたいのだ。」
「はい、オスカル様、できておりますわ。今お持ちしますわ。」
彼女が持ってきた料理は、“病人のためのシャポン(去勢鶏)のブラマンジュ”と
呼ばれると隊長は俺に説明した。良い香りがして、美味しそうだった。
「俺も味見したいですね。隊長…」
「ソフィー、この男…未だにこの歳でも育ち盛りだそうだ。少し食べさせてやれ。」
俺はまたそれをご馳走になり、上機嫌のまま兵舎へ戻った。
口当たりのよりブラアマンジュは、俺の気持ちを更に幸福にしてくれた。

帰り道で、俺は独りで考えていた。
あの隊長が、一体全体どんな顔をして、アンドレに食事をさせているのだろうか?
それとも、彼も困り果てているのだろうか?
彼女は、少し前に条件のいい結婚話を蹴ってしまっていたはずだ。
なんでも、噂では、ヴェルサイユ中の評判になったそうだ。
そんなことをしてまでも、彼女は一体誰と一緒の人生を選びたかったのか?
少し羨ましい気持ちがしたが、当時の俺はそれを自分の心の中で認めなかった。
今から思えば、あの時が隊長への切ない恋心が芽生えた時だったのかもしれない。

休暇に入る前の閲兵で、隊長が俺にディアンヌの結婚を祝う言葉を
伝えてくれても、隊長からの少し早いエトレンヌを貰いながらも、
俺はなんとなく彼女の言葉を機嫌よく聞けなかった。
まるで“ふん”とでも言いたげな表情を彼女に返して、俺は家へ戻った。
しかし、幸せな妹の結婚式は結局行われなかった。
相手の男が直前で、別の平民の金持ち女に鞍替えしたからだ。
それを悲観した妹は、自ら首をつった。
なぜ?なぜ…俺の妹がこんな目にあわねばならないのだ?
贅沢な望みではない。ただほんの少し幸せを望んだだけだったのに…。

隊へ戻らないのを心配した隊長達が家へ来てくれて、やっと俺は正気を取り戻した。
普通、自殺は教会では認められず、墓地にさえ葬ることができない。
しかし、隊長はコネを使い、金を積み、裏で手をまわして、
ディアンヌの死を病死扱いにしてくれた。
哀れなディアンヌの死を、せめて少しでもまともなものにしてやりたかった
俺の心を汲んでくれたのだろう。

しばらくして落ちつき、俺は隊長へディアンヌの髪を形見として渡した。
隊長は、優しく微笑み、俺を受け入れてくれた。
俺もそれまでの反抗的な態度を改めて、自然と彼女の部下であることに
誇りを持つようになった。

それから、三部会が始まり、夏には…あの運命の7月14日を迎えて、
俺は隊長とアンドレを永遠に失った。
その後、俺は紆余曲折を経て十年以上生き延び、今の地位を得た。

「アラン、大丈夫?どうかしたの?」
「いや、大丈夫だよ。昔のことを思い出していただけさ。ロザリー」
ブラマンジュを食べながら、俺は将来にも考えを巡らした。
「フランソワはどうした?」
「毎日、はりきって勉強しているわ。うちの息子は、将来は大物よ。」
「そうか?彼に…来年はエトレンヌをやらないといけないな。」
「気をつかわなくてもいいのよ。小さい頃はあんなに遊んでもらったのだから。
未だにあなたは、フランソワにとって、とても楽しいおじさんなのだから。」
ロザリーは、母親の顔で俺に微笑みかけた。
そうだ!俺はフランソワ達のような次の世代にエトレンヌを贈らなければならない。
独裁政治という荷物ではなく、昔、俺達が革命に求めた理想を少しでも、
実現できそうなそんな社会というエトレンヌを…。
俺は少しずつナポレオン暗殺という決意を固めて行った。

FIN