めでたくもあり、めでたくもなし

 


 グラスを打ち合わせるカチャンという響き。調子っぱずれなはやり唄。それに合わ
せて足を踏みならす音。
兵営の食堂で、俺達の無事な帰還を祝ってささやかな宴が催されていた。
最初は中々神妙なものだったんだが、酒が入れば皆が大人しくしていられるはずもな
く、あっというまに食堂はどんちゃん騒ぎのるつぼと化してしまっていた。

「アラン〜、飲んでるかあ〜。」
もういい加減ろれつの回らなくなったラサールが満面に笑みを浮かべて俺に近寄って
来た。
「ああ。」
「その割にはしけてやがんなあ。さあ、もう一杯いこうかあ。」 
右手に握りしめていた酒瓶でどん、とテーブルを叩くと、そのままテーブルの上の俺
のコップに瓶を傾ける。
だが完全に酔いが回っているこいつにはうまく注げない。
「あらあ、コップが酒から逃げてくぞお。」
違うんだって。俺はラサールから酒瓶をひったくると、そのまま手酌で酒を注いだ。
「じゃあもう一度、かんぱ〜い。」
ラサールは俺の横の椅子を引き寄せて座り込み、左手でコップを高々とあげた。だが
それが限界だったらしく、一口すすっただけでテーブルに突っ伏してしまった。後は
安らかな寝顔と大きないびき。
緊張が解けた反動でついすごしちまったんだな、普段はたいして飲まない奴なのに。
ラサールをそのまま放っといて、ふと前方に視線を転じると隊長の金髪が目に入った。
やっぱり皆に酒を勧められている。まあ、隊長は底なしだから心配することもないか。
横でアンドレが穏やかに微笑んでいる。
不意に、さっき司令官室に行った時の風景が蘇った。
ノックの後、部屋に入った俺が見たのは完璧すぎる程いつもの隊長だった。一瞬前に
ドアの外で聞いた柔らかなトーンの持ち主とはとても思えない。
アンドレはアンドレで先程の雰囲気などどこへやら、控えめな補佐役に徹していた。
変わり身早えよなあ、2人とも。
2人の態度はその後も、食堂に場所を移してからも変わらなかった。
でも俺には分かる。一瞬の視線の交換、その時のお互いの眼差しの愛おしげなことが。

 そういえば一度だけ、アンドレのとんでもない眼を見たことがあったっけ。
さすがに酔いの回ってきた頭で、俺はぼんやりそんなことを思い出していた。


 あれは確か去年の秋頃。隊長が結婚するとかしないとか、その話で周りが妙に盛り
上がっていた。
俺はと言えばまだ隊長への反感を捨てきれず、かといってその能力、気性は認めざる
を得ず、何か落ち着かない日々を過ごしていた。
「なあ、アラン、勤務が終わったら飲みに行かないか?」
そんな日の夕方、珍しくもあいつが俺を誘った。
「隊長のお守はいいのか?」
怒るかなと思いつつ、こう返す俺も人が悪いわな。
「オスカルはこの後まっすぐ屋敷に帰るだけだ。晩餐会に遅れさえしなければ問題は
ないから俺がわざわざついている事もない。」
”晩餐会”に妙な強調をおいてアンドレが答えた。
「まあ、構わないが・・・。」
 この頃の俺はアンドレも気に食わなかったが、いつもの穏やかさのないあいつの雰
囲気が妙にひっかかって結局承知した。
繁華街に向かい、適当な店に入り、小さなテーブルに向かい合って座る。
アンドレが注文したのはかなり強い酒。乱暴に2つのコップに酒を注ぎ、一つを俺の
方へ押しやった。
そして一気にあおった。
もう一度酒を注ぐとまた一気にあおる。
とにかく流し込まずにいられない、そんな飲み方。
「よせ。そんなんじゃ酒が気の毒だぞ。」
だかあいつは無言で俺に一瞥をくれると、構わず酒をあおる。
俺も飲みながら、アンドレの様子を窺った。
飲む相手に俺を選んだのは、隊長の事であれこれ詮索されたくないからだろう。
他のやつらは隊長の結婚に物好きにも好奇心を抱いているから。
いまだに隊長に反感持っている俺なら意地でもそんなこと聞きやしない。
それにしてもあんな厄介な女に惚れずともよさそうなもんなのに。
なんて事はこいつも百も承知か。
 男2人で黙りこくって酒飲んでいたら、周りのいらん想像を掻き立てそうだな。
ちらとそんなことも思ったが、かけるべき言葉が見つからず、そんな言葉を望んでい
る訳じゃないのも分かっていたので、俺はただ一緒に飲んでいるしかなかった。
時間と共に酒瓶の数は増えていく。
さすがにこいつも酔いが回ったようだ。眼がすわっている。
強引にでも止めた方が良さそうだな。そう思い、呼び掛けようとして言葉を呑み込ん
だ。
コップを両手で包み込むように持ち、酒を睨み付けていた眼の色が変ったから。

 渇き餓(かつ)えたものの瞳
 黒い闇よりなお冥(くら)い黒

正直ゾッとした。
たかが女1人のためにこんな眼ができるものなんだろうか?
あの女以外にはどんなものにも満たされない、底の知れない淵。
だがそれが垣間見えたのは一瞬で、すぐに酔いが眼を覆った。
「もうそろそろ出ようや。」
俺の言葉に頷くと、アンドレは酒の残りを片付けた。
勘定を払い、店を出る。
「ありがとう、アラン。」
一言だけぼそっと言うと、あいつは帰っていった。
次の日、二日酔い気味の頭と胃を抱えて隊列に加わっていると、隊長が向こうから歩
いて来るのが見えた。アンドレも数歩後に従っている。
いつもと同じ表情。いつもと同じ距離。
でもあの時の眼があいつの本心。
あの冥い色を抱えたまま、ずっと隊長の側にいるつもりなんだろうか、あいつは。


 周りが一段と騒々しくなって意識を引き戻された。見回すとつぶれている人数が格
段に増えている。
テーブルに突っ伏して眠り込んだり、壁に寄りかかって動かない奴のなんとまあ多い
こと。
明日、何人がまともでいられることやら。知らんぞ、俺は。
また2人に目をやる。
隊長は相変わらず周りに酒を勧められていて、アンドレがさすがに止めに入っている。
そんな様子が段々腹立たしくなってきて、俺は目の前にあった酒瓶を持って立ち上がっ
た。
アンドレの側に近づくと、腕を掴んで声をかける。
「おい、飲んでるか?」
「まあ、そこそこには。」
「そこそこなんて許されね−ぞ。飲め!」
俺は瓶の酒をあいつのコップに注ごうとした。
「ちょっと待てよ。まだ飲み干してない。」
「俺の酒が飲めね−ってのか!」
だぁー。これじゃ単なる酔っ払じゃねーか。
アンドレもそう思ったらしく、顔に苦笑が浮かんだ。
「分かった分かった。」
あやすような口調で酒を飲み干し、俺の前にコップを差し出す。
心底穏やかな瞳。
こいつの眼があの時の色に染まることは、もうないんだな。
と同時に、あの眼の色の意味がほんの少し分かるようになっちまった自分を自覚する。
友人(面と向かっては絶対言ってやらん!)の恋の成就は嬉しいが、それが自分の想
いが届かないことをだめ押すとなると・・・。
めでたくもあり、めでたくもなし、か。