Tone(トーン)


 アベイ牢獄からの釈放の日。群集にもみくちゃにされながら帰還した俺達を隊長は
微笑みながら迎えてくれた。
陽の光に映える黄金の髪、慈しみを浮かべた蒼天の色の瞳。
太陽神アポロもかくやという美しく輝かしい姿を見て、俺達は思わず駆け出していた。

 仲間達の手荒な歓迎の後、俺は司令官室に向かっていた。
12名を代表して釈放に力を尽くしてくれたことへの礼を述べ、今後の指示を仰がな
ければならなかったからだ。
・・・なんて、大義名分だな。廊下を歩きながらちょっと苦笑する。俺は隊長の顔が
見たかった。俺に向けられる声が聞きたかった。本音はただ、それだけだったのだか
ら。

 司令官室の前で立ち止まり、ドアをノックしようとした瞬間、声が聞こえた。
「だから何度も言っているだろう。食事をして少し仮眠をとれ。」
アンドレの声だ。珍しいな、ひどく苛立ってやがる。
「それどころではない。」
隊長の声。
「やることが山積みなのは分かってる。だけどな。」
「大丈夫だよ。」
「丸一日、食べも眠りもせずに大丈夫な訳がないだろう。お前は今、倒れてる暇なん
かないんだぞ。」
その言い方、ちょっときつくないか?
珍しく言い争っている2人に入るタイミングを逸してしまった俺は、ノックするはず
だった手をしかたなく下ろす。
うーん、どうしようか。
「心配、性だな。」
えっ。
思わず耳を疑った。
いつもと同じ良く通る声。同じ話し方。なのにまるっきり違うトーン。
柔らかで、甘やかな調子。
「そうだよ。」
少し間を置いてアンドレの声。こいつの方もいつもと違うな。
優しげで、愛おしげなトーン。
 アンドレが隊長に惚れてるってことは周知の事実だったが、奴は極力自分の想いを
表に出さないようにしていたはずだ。隊長に対して従卒あるいは幼馴染みとしての気
遣いを見せることはあっても、それ以上を示すことはできる限り控えていた。
多分それは2人きりの時でも同じだったろう。
なのに、今のは・・・。

 ・・・そういうことか。
アンドレの積年の想いが実ったって訳だ。
それ以上聞いていられなくて俺はドアから離れた。
廊下をはさんでドアに面した窓に腕組みをしてよりかかる。
思わずドアをにらみつけてしまった。
いや別に、ドアに恨みがある訳じゃあないんだが。

 先ほどの光景が頭を掠めた。
俺達12名を迎えてくれた隊長の姿。アポロが降り立ったようだとさえ思った。
でも今このドアの向こうにいるのは、光輝を纏った天翔る神の似姿ではなく、きっと
恋する普通の女。
「しゃーねーわな。」
頭を掻きながら、声に出してつぶやいた。
そう、しかたがない。
隊長が誰かを選ぶのなら、相手はアンドレ以外にいない。そんな確信めいた思いは確
かにあった。認めたくなんか、なかったんだが。
今俺の中に有るのは嫉妬と納得とほんの少しの祝福。

 いつまでもドアをにらみつけていてもしょうがないな。
意を決して再びドアの前に立った。
「分かった。一番急ぎの仕事を片付けたら言う通りにする。」
良く知っているはずの隊長の声。でもまるっきり知らない女のトーン。
自分に向けられることなど絶対にないトーン。
胸が痛むかな、やっぱり。

 ・・・ちょっと待て。なんで隊長の声、くぐもっているんだ?
まるで口元に布を押しあててるような、って、えっ?
なにしてやがるんだ、こいつら。
ノックしようとした手が再び止まってしまった。

 ここでノックをしたら完璧にお邪魔虫だよな、俺。
でもいいか。許してもらおう、こんなささやかな意地悪ぐらい。
髪をなでつけ、襟元をただし、かかとを打ち合わせた。かつんと音がする。
深呼吸を一つ。
コンコン。
「隊長、おいでですか?アラン・ド・ソワソン、入ります。」