ペリドット



「これを取っておおきなさい。」
母から渡された小さな指輪。
赤みがかった金の枠に初夏の陽に透ける若葉の色の丸い石がはまるそれは、簡素ながら優しい形をしていた。

「なんだ、珍しい。」
自室の文机の前に座っていたオスカルの手にあるものに、扉から入ってきたアンドレが眼を留めて話しかけた。
「母上からの頂き物だ。」
どの指にはまるだろうかと小さな指輪をいじっていたオスカルが顔を上げる。
「奥様が?なんだって指輪を?」
普段オスカルが指輪をしないことを知っているアンドレは怪訝そうに言葉を返した。
「私も不思議なんだが、母上が下さる物をお断りするわけにはいかないだろう。」
だめだ、というようにオスカルは右の手のひらで指輪を転がした。
美しい指をしていても、剣を握り銃を操るオスカルの手は決して華奢ではない。
貴婦人のか細い指に合わせて作られた指輪は小さ過ぎた。
「はめるつもりなら直しを頼まないとな。」
「はめなくてもいいのだそうだ。」
「へっ???」
アンドレが驚いた顔をする。
もう一度指輪を手のひらで転がし、オスカルが言った。
「せめて持っていらっしゃい。そうおっしゃった。」
「ふうん。俺にはどうもよく意味が分からないが。でも、綺麗な石だな。」
アンドレの顔にふいに浮かんだ柔らかな表情が不思議で、オスカルが問いかけた。
「この石、ペリドットっていうんだそうだが、知っているのか?」
「いいや。」
「でも妙に懐かしそうな顔をしていたぞ。」
「別に。」
「何かいい事でも思い出したんだろう?」
「違うってば。」
「何かあります、って顔に書いてあるの、気づいてないのか?」
「だから、母さんの!」
慌てて口を押さえたアンドレにオスカルが畳み掛ける。
「お前の母上がどうかしたのか?」
観念したようにアンドレは口を開いた。
「母さんの瞳の色に似てるな、と思っただけだよ!」
「なんだ、最初っからそう言えばよかったのに。妙に思わせぶりな態度をとるから、
どこぞのご婦人への贈り物にしたのかと思った。」
ぱん、とアンドレが文机に両手をつく。
「そんなの、いるわけないだろ!」
「それで?」
「え?」
「お前の母上の話。そういえば瞳の色までは聞いたことがなかったな。」
「だったっけ。」
「ああ。」
声の調子を落ち着かせてアンドレは話し始めた。
「母さんはこんな風に淡い綺麗な若葉色の瞳をしていた。とっても優しい色で大好き
だった。」
アンドレの表情も言葉につられて優しくなる。
「そうか。」
「あの頃は母さんが世界中で一番の美人だと信じて疑わなかったなあ。」
大好きだった優しいペリドットの瞳。失ってしまった痛みを和らげたのは清冽なサファイヤの・・・。
そんなアンドレの想いなどまったく知らず、自分の知らない子供の頃の優しい思い出へ浸っているだろうアンドレにほんの少しさみしさを覚えてあえてオスカルは軽口を叩いた。
「やっぱり男はことごとくマザコンなんだな。」
「おい!」
「いかに美しくても、普通臆面もなく”世界一”だなんて言わないぞ。」
「だから子供の頃の話だって!」
むきになるアンドレに涼しい顔をしてみせるオスカルに、アンドレは呆れたように肩をすくめた。
「まったく、お前にはかなわないな。」
お互い顔を見合わせると、オスカルの涼しい顔もアンドレのむきになった顔も笑み崩れてくる。
どちらともなく始まった声を殺した笑いは、揃っての大笑いへと変わっていった。

「金にはまったペリドットは災難を避けるお守りになるのよ。」
なぜお嬢様に指輪をお渡しになったのですか、と訝しげに問うたばあやへ、ジャルジェ夫人はほんの少し哀しげに応じた。
王太子妃を助けるために落馬して全身ひどい打撲を負い、これからもその身を危険に晒さねばならないだろう娘。
小さな若葉色の石の指輪は、自らも仕える主を持つため娘の看病もままならなかった母の、せめてもの心づくし。




fin