眼は口ほどにものを言い



食堂の喧噪から一息つきたくて俺は外に出ていた。
風が爽やかに吹き過ぎていく。今の俺には何よりの清涼剤かな。
そんなことを思いつつぶらぶらと歩いていると、司令官室のある建物の前に出た。
あれ、出入り口に人影が二つ。
壁にかかる灯りに映える金髪。隊長だな。
ということはもう一方はアンドレか。
この建物は地上から今隊長達のいる入り口まで10段程の階段がついている。
夏至を過ぎたばかりだとはいえさすがにこの時間では辺りは暗く、階段の一番下の手
すりの端に立つ格好になっている俺の姿は二人からは見えないだろう。
まあ隠れているつもりもないんだが、一度足を止めてしまうとなんとなく出づらい。
隊長は壁を背に、アンドレはほとんど俺に背を向ける格好で立っていた。

「配置は確認した。問題ない。」
「よし。」
「食堂の連中はどうする?」
「放っておけ。目が覚めれば自分で自分の始末ぐらいつけるだろう。」

灯りに照らされた隊長の顔に無愛想なやりとりには不似合いな柔らかな表情が浮かぶ。
いつもの衛兵隊を率いる司令官の面は見事に剥がれ落ちていた。

アンドレの左手が上がり、ほんの少しの逡巡の後、無難にぽんぽんと隊長の肩を叩く。
「じゃあ俺は行くから。」
まるっきり普段通りの声。
・・・お前さんは手の方がよっぽど正直もんらしい。
明らかに見せたためらい、本当は抱き寄せたかったんじゃなかろうか。

無難な言葉を並べてはいても二人が纏う雰囲気は甘やかで、口と眼がまるっきり違う
事を言ってるのだろうと容易く想像がついた。


  アンドレの瞳。穏やかな黒。
  情熱の赤、安らぎの緑、静けさの藍、あらゆる色を内に秘めた色
  ・・・見つめていたい。

  上官の仮面、努力しているのは分かるが被り切れていない。
  仮面の下からのぞく恋人の表情は俺をざわつかせる。
  ・・・触れたい。


「仕事を増やして悪いが。」
「ま、仕方がないさ。あんな具合じゃな。俺も仮眠をとってるし大丈夫だよ。」


  眼の奥にちらついた熱を仕舞いこんだ小器用さが腹立たしい。
  理不尽だということは嫌という程分かっているのに。
  ここは兵舎内で、どこに人の眼があるか分からない。
  なのにわがままな内なる自分はどうしても納得してくれない。

  眼差しがより一層甘くなる。人の気も知らずに。
  今いる場所を呪いたくなるな。
  我が身を押さえ付けていた枷はもう役には立たない。
  なのに枷をはずした当のお前はそのことにまるっきり気付いていない。


アンドレは肩をすくめると軽い口調で言葉を継いだ。
「だからお前は”大好きな”書類の番をしていてくれ。」
そう言われた隊長はアンドレの黒髪に指を絡ませると、思いっきり引っ張った。
「お前は〜〜〜っ。」
「おい、痛いぞ!」


  子供じみたやり取りにまぎれて恋人に触れる。
  引っぱりながら親指でそっと髪を撫でた。

  横に引っ張る他にそっと指が動くのを感じた。
  優しい感触。


いつもの隊長にはあまりに不似合いなガキじみた仕草。
なのに黒い髪に見え隠れする白い指はなぜかなまめかしくて、俺は眼をそらした。

「もうやめてくれって。」
アンドレが隊長の右手を左手で掴む。そのまま静かに下ろした。
さり気なさを装って手と手が離れる。
微妙に視線を合わせない。端で見ててすらぎこちない沈黙。

吹っ切ったのはアンドレの方だった。

「もう、行くから。」
「・・・ん。」

アンドレの位置がほんの少しずれたんで二人の表情がなんとか見える。
お互い、抑え切れずに見つめ合う。
”眼は口ほどにものを言い”か。
だがこいつらの場合、眼の方が口よりよっぽど雄弁。
なまじきわどい場面に出くわすより、何か、堪んねえよな。

隊長は建物へと消え、アンドレは階段を降りてきた。
誰かの夜勤を代わったんだろうか。
そんな事を思ってると突然こいつの歩みが止まり、隊長が消えた方へ振り返る。
背中に思いっきり書いてある。
”名残惜しい”

・・・初々しいというか、なんというか・・・。
俺にこんなこと思われちゃあ、お終いのような気がするんだが・・・。


  二階まで上ってから足をとめる。
  思わず振り返った。
  自分の入ってきた出入り口を見遣る。
  見えるはずなどないのに。

  階段を上がっていく足音に耳を澄ます。
  静かな今、長靴の固い響きが良く聞こえる。
  上がりきって足が止まった。
  どうしてだろうか?


俺は少し身を引いて暗がりに、降りて来たアンドレをやり過ごした。
さすがに声をかけたくもかけられたくもないからな。

さ〜て、もう少し飲むか。
これ以上飲むとさすがにヤバいんだが、飲まずにいられない事ってのは世の中にはあ
るもんだよな。
そして人はこれを、やけ酒というんだろうなあ。

fin