優しさの贈り物
「ねぇ、父様どこに行くの?」
楽しそうな、そして嬉しそうな声を出して、幼い息子が声を掛ける。
事実、息子にとっては久しぶりの外出なのだ。それも、二人で出かけるのは・・・。
「今日は母様と、父様の友達の所に行ってみようかと思うのだが・・・」
「母様と父様のお友達の所?」
「そう・・・。しばらく父様は忙しかったから母様も淋しがっているだろうし・・・。アンジュだって母様に逢いたいだろう?」
「うんっ!母様にね、いっぱいお話ししたいことがあるんだ!それに、ロザリーおばちゃんにね赤ちゃんが出来たんだって。僕ねお兄ちゃんになるんだよ!」
「そうかぁ・・・。アンジュはお兄ちゃんになるのか・・・。じゃぁ、それを母様に教えなくっちゃな。母様も父様の友達も喜ぶぞ・・・」
そう、言うとアンジュは不思議そうに俺を見つめて、尋ねてくる。
「ねぇ、父様。父様のお友達ってどんな人だったの?僕の事知っているの?僕、会ったことあるの?」
一瞬、悲しい思いに囚われた・・・。そして、息子を抱き上げると
「そうだな、父様の親友でもあり、母様にとっても大切な人だったんだ・・・。もちろん、ロザリーおばちゃんや、ベルナールのおじちゃんにとっても大切な人だった・・・。アンジュ、お前は会った事がないが、でもなお空の上からお前の事を見ているのさ」
「ふうん・・・。じゃぁ、僕にとっても大切なお友達なんだね・・・」
「そうだ・・・。アンジュにとっては最も一番大切な人さ・・・。お空の上の大切なお友達さ・・・。そしてお前の・・・」
(そう、そしてお前の事を見守っているのさ・・・。オスカルと二人で・・・)
1789年7月13日・・・。
あの日は俺にとっても、オスカルにとっても忘れられない悪夢だった・・・。
もしかして・・・という思いもあった。でも、まだまだ大丈夫だろうとも思った。
生きて戻れないかもしれないと感じながら、俺達フランス衛兵隊はパリに向けて出動した。
事実、生きて帰れるなんて保証はなかった。でも、俺達にはオスカルが、いや、オスカル隊長がいたから何とかなるのではないかと信じていた・・・。歴史という大きな渦に巻き込まれても、みんな一筋の希望を持っていた。だが、全ては虚しい望みだった・・・。
とうとう、恐れていた事が起こってしまった。
チュイルリー広場で暴動が発生し、軍隊と民衆の間で戦闘が起きてしまった。
その知らせを受けて、すぐにオスカル率いる俺達衛兵隊はチュイルリーへと急いだ。
それは、民衆を押さえつける為でなく、民衆と共に戦う為に・・・!
しかし、それは悲劇の始まりだった・・・。
戦闘が始まり、ジャンが、ピエールが、そしてフランソワが銃弾に倒れた・・・。
それから、アンドレが・・・。
「アンドレ!!しっかりしろ!!お前は隊長と幸せになるのだろ!隊長をひとりにするつもりなのか!?」
隊長は、オスカルはアンドレの為に水を取りに行ってまだ戻ってこない・・・。
「オ・・・スカル・・・」
「もうすぐ戻ってくる!だから、しっかりしろ!」
俺は今までにも愛しい人を見送ってきた。だけど、こいつだけは・・・。アンドレだけは
見送りたくない!隊長のためにも、そして、こいつのためにも・・・。
「ア・・ラン・・・」
「なんだっ!?アンドレ?」
「た・・のみが・・ある・・・」
見えない瞳を俺に向けて優しく微笑む・・・。お前はこんな時でも、そんな風に微笑むのか・・・。そう、思うとたまらなく辛かった・・・。
「隊長のことか・・・?」
そう答えると微かに頷き、そして、最後の力を込めて俺の手を掴んだ。俺はその手を握り返して
「お前が元気になるまで隊長を守るさ・・・。だから、アンドレ・・・。生きろ・・・。生きてくれ・・・。隊長の為にも、俺の為にも・・・」
あぁ、いつまでも守るさ・・・。でも、アンドレそれは俺の役目じゃない・・・。
「俺は・・・もう・・ムリだっ・・・。わか・・・っている・・。だ・・から・・、ア・・ラン・・。お前に・・・オス・・カルを・・・たくす・・んだ・・・。あいつ・・・を、俺の
かわ・・・リに・・・守って・・・くれ・・・」
それだけ言うと、深く息をついた・・・。そして・・・。
アンドレは死んだ・・・。愛する女性を残して・・・。俺に、「頼む」と一言残し・・・。
翌日・・・。1789年7月14日・・・。
暑い日だった。何かが起きてもおかしくない位の暑い日だった・・・。
朝から、民衆達はざわめき立っていた。そして、皆が気付いた・・・。
バスティーユの大砲の位置が変わっている事を・・・!
それが、我々に向かっている事を!
民衆達は我先にとバスティーユに向かった。俺達、残った衛兵隊達も向かった・・・。
オスカルは悲しみを隠して戦闘指揮を執る・・・。だけど、その瞳はこの世の物を見ていなかった・・・。深い悲しみをたたえていた・・・。
もしかしたら、死に場所を探しているのかも知れない・・・。俺はそう直感した。
愛する男がもうこの世にはいないのだから、そう考えてもおかしくなかった。
「いいぞっ!この隙に一斉に撃ち込め――っ!!」
隊長の指揮が下る。それに合わせて大砲を撃ち込む。
そして・・・・。
ズガアアア―――ンッ!!
一瞬、何が起きたのか理解できなかった・・・。目の前で隊長が倒れていくのが見える・・・。
だけど、何故・・・!?
「隊長―――っ!!」
それでも体だけは素早く反応していた・・・。急いで、隊長を抱きかかえる・・・!
「隊長!!しっかりしてください!!隊長!!」
アンドレの次には隊長まで・・・!
「ア・・ラン・・。私は、もういい・・・」
それだけ言うと、意識を失った。
何が、もういいものか!俺はアンドレと約束した。隊長を守ると!
それに、俺もあなたの事を愛している!!
別にオスカルとどうなりたいなんて思っていない・・・。ただ、生きて欲しい・・・。
生きて、アンドレの分まで生きて欲しい・・・。
救護施設を探していると、ひとりの女性が半狂乱で駆けて来た。
「オスカル様!」
あぁ、ロザリーだ・・・。ベルナールの嫁さんだったな・・・。オスカルにとっては妹のような者だと、言っていた・・・。
「早く、こちらへ!いそいで!」
言われるままにロザリーの後をついて行く。
「こっちよ!」
ロザリーは泣きながら、それでも気丈に医者の元へと走る。
俺はそれに必死になってついて行く・・・。
何が何でも、オスカルは死なせやしない!!
幸い医師の手当てが早かったから、一命は取りとめた・・・。
俺も、ロザリーもベルナールも皆喜んだ。
ただ、ひとりを除いては・・・。
命が助かっても、愛するアンドレのいないこの世は辛い為か、オスカルは事あることに
「なぜ、放っておいてくれなかった・・・」
と、自棄になるときがあった・・・。
「あの時、これでアンドレの元に行けると思ったのに・・・」
それを聞くたびに、俺の胸は痛む・・・。そして、これで良かったのか?と自問自答する。
ホントは放っておいた方が良かったのか?あのまま、アンドレの元に行かせてやれば良かったのか?そうすれば、俺もこんなに苦しまなくても良かったのか・・・?
「アラン・・・。」
後ろから声を掛けられ振り返ると、ロザリーがいた。
「オスカル様の様子は?」
心配そうに聞いてくる。俺は相変わらずさ・・・という意味で首を横に振った。
「そう・・・。」
悲しげに深いため息をついて、ロザリーは横に座った・・・。
しばらく、沈黙が流れた。そして、先に口を開いたのはロザリーだった。
「そうよね・・・。あれから3ヶ月近く経っても、悲しみはそう簡単には癒されないわ・・・。
私もそうだったもの・・・。愛する者を失った時は辛かったもの・・・。アラン、あなたもそうでしょ・・・」
「あぁ・・・。妹を失った時は我を忘れていた・・・。だけど、それを救ってくれたのはオスカルだった」
「私もそうだったわ・・・。母さんに、姉さん。そして、名乗る事はできなかったけれども、幼い妹を失った時も、いつだってオスカル様がいたわ・・・。そして、アンドレが・・・」
そうだ・・・。妹を失うまで、俺はオスカルに反抗していた。女の下で働けれるかと思って楯突いていた・・・。ガキだった・・・。
オスカルの強さ、気高さ、そして、優しさと暖かさに気が付かずに反抗していた。
アンドレに言われるまで、俺は本当にただのガキだったのだ。
「好きだからこそ、苛めるのだろ?お前もガキだな・・・」
そう言って、アンドレは笑っていた・・・。
その、アンドレが死ぬ前に俺に言い残した・・・。
「オスカルを、頼む」と・・・。
だけど、オスカルは毎日悲しみに沈んでいる・・・。
俺はただ何も出来ずにいる・・・。俺には、アンドレお前みたいに、オスカルを守れない・・・。
あの日、悲しみに沈んだ俺を救ってくれたみたいに、オスカルの悲しみを癒す事が出来ずにいる・・・。
「アラン?」
黙っている俺を心配そうにして、ロザリーが覗き込む。
「あぁ、何でもないさ。それより何か用事でも?」
「アラン。今夜は私がオスカル様に付いているわ。たまには、ゆっくり休んでちょうだい。
ベルナールも話し相手が欲しいみたいだし・・・」
気遣ってくれているのだろう・・・。優しく俺に言う。
「そうだな・・・。今夜は久しぶりに、ベルナールと飲み明かそうか・・・」
その気持ちに応えるべく、今夜はロザリーに頼む事にした。
ベルナールとも話してみたくなったから・・・。
夕方、久しぶりに会ったベルナールは相変わらず忙しそうだった。
「いよう、アラン。元気だったか?調子はどうだ?」
陽気に俺を迎え入れてくれる。それに対して俺も明るく調子を合わせる。
そして、久しぶりに杯を交わす。本当に久しぶりの酒だった。
酒を飲みながら、ベルナールが今の政情を話してくれる。
ついこの間は、国王一家がとうとうパリに移された。そして、今からが本当の意味での
戦いの始まりだと・・・。
新聞記者としての彼はとにかく忙しいのだろう・・・。毎日、毎日が変化している・・・。
そして、そんな夫をそっと支えているのがロザリーだ・・・。
「ところで。オスカルの調子はどうだ?」
ベルナールも気になっているのだ・・・。
「相変わらずさ・・・。以前ほど、自棄になる事はないが・・・」
「そうか・・・」
「なぁ、俺は間違っていたのだろうか?あの時、静かにオスカルを眠らせてあげればよかったのだろうか?アンドレの元に行かせてやれば、良かったのだろうか?」
気が付くと、俺の目からは涙が溢れていた。オスカルを救いたい。アンドレの代わりに、俺が守ってやる・・・。そう、自分で心に決めたのに・・・。アンドレに、頼まれたからではなく、俺の意志でそう決めたのに・・・。
「アラン・・・。お前、そんなにオスカルの事が好きなのか?」
ベルナールがまっすぐに俺を見つめて聞いてくる。それに対して、俺は頷くしか出来ない。
「だったら、今はただ見守っていろ・・・。今はオスカルも自棄になっているだけだ。その内、気持ちに整理がついてくる・・・。考えてもみろ。オスカルがそんなにヤワじゃないのは、お前もよく知ってるいだろう?そうすれば、生きる糧を得る時がくる筈だ・・・。
オスカルは哀しいくらい強い・・・。それが、痛ましいくらいに・・・」
「そうだろうか・・・?」
「あぁ、きっと・・・。そう、信じて見守ろう・・・」
そうだろうか・・・。別に俺の事をどうのなんて思わない・・・。ただ、生きていてくれさえいれば・・・。
アンドレが、そう願ったように。ただ、生きてそこに存在していてくれさえいれば・・・。
俺はもう何も望まない・・・。
(アラン・・・。アラン、どうした?)
誰かが俺を呼ぶ・・・。
「う・・ん・・?」
(アラン、いつもの元気はどうした?何、弱気になっているのだ?今までのお前はどこに行ったのだ?オスカル隊長に楯突いていた頃のお前は・・・)
やれやれ・・・といった感じで話し掛けてくる・・・。まるで、幼子をあやすみたいに懐かしい声で・・・。
(俺は、お前だからこそオスカルを任せたのだぞ・・・。同じ女性を愛する者同士だからこそ・・・。大丈夫だ・・・。ベルナールが言っていたようにオスカルはそんなに弱くない。だから、今まで通りオスカルを頼む・・・。それに・・・)
「それに・・・?」
(何・・・。明日解るさ・・・。そして、これからがお前の正念場だからな。アラン、頼んだぞ。俺の分までオスカルを守ってやってくれ・・・)
そう言いながら、声が段々と遠のいていく・・・。
(頼んだぞ・・・。アラン・・・。俺は何時までも、見守っているからな・・・)
「アンドレ・・・?アンドレか?」
俺は急いで飛び起きた。あれは、間違いなくアンドレの声だった・・・。
暗い部屋の中を見回すが、アンドレの姿はない・・・。
いつの間にか俺は酔いつぶれて眠ってしまっていたらしい・・・。
そして、クヨクヨしている俺を見かねてアンドレは心配してやってきたのか・・・。
ははは・・・。アンドレ、悪いな・・・。お前にまで心配かけちまって・・・。
そして、横で眠っていたベルナールをたたき起こした。
ベルナールはビックリして「事件か!?」と言って飛び起きる。
こいつ、ホントに根っからの新聞記者なのだな・・・。ついつい、笑ってしまう。
それに気が付いて、少し不機嫌そうな顔でベルナールはこっちを見る。
「すまん、すまん。実は今な、アンドレがやって来た・・・」
「なにっ!?」
驚いて俺を見ると、人の額に手をあてる。
「何してんだ?」
「いや。熱はないなと思って・・・」
思わずあきれ返ってしまって、何も言い返せないでいると「冗談だ」と言って大声で笑った。俺も、それにつられていた。二人で大笑いしていた。
ひとしきり大笑いした後ベルナールの方から
「それで、アンドレはなんて?」
と聞いてきた。
「オスカルはそんなにヤワじゃないって・・・。それに、これからが俺の正念場だとも・・・。
だから、今まで通りオスカルを守ってくれと・・・」
「正念場?」
「あぁ、明日解るって・・・」
「なんだ?その、正念場って?」
「さぁ・・・?」
二人とも、首をかしげるだけだった・・・。一体何だろう・・・?
「まぁ、明日解るのならそれでいいか・・」
「まぁな・・・」
「アンドレも、お前がクヨクヨ悩んでいるからさ、じれったくなって出てきたのだろう」
ベルナールがまた笑い出す。だけどその瞳にはうっすらと涙がにじんでいた。
「オスカル隊長に楯突いていたお前はどうした?・・って言われたよ・・・」
俺もついつい笑ってしまう。そして、二人で顔を見合わせるとまた、大声で笑ってしまった。本当に腹の底から笑っていた・・・。久しぶりに、何もかも忘れて笑っていた・・・。
そうだな。アンドレ・・・。お前の言う通りさ・・・。俺は、俺のやり方でオスカルを守るさ・・・。それが、お前との約束だからな・・・。
翌日、急いで病院に戻るとロザリーが外で待っていた。
「あぁ、アラン!待っていたのよ!」
「どうかしたのか?」
何故か、ロザリーは涙ぐんでいる・・・。もしかして、オスカルに何かあったのか?
一瞬の不安がよぎるが、よく見るとロザリーは微笑んでいる・・・。なぜ・・?
「あぁ、もう何から言えばいいのかしら・・・!だけど、だけど・・・」
「どうした、ロザリー何かあったのか?」
それに、なんだか少し興奮しているみたいだ。
「とにかく、早くオスカル様の所に行きましょう!」
そう言って俺の腕を掴むと、一目散に走り出した・・・。
俺には何が何だか解らないまま、オスカルの部屋まで付いて行った。
一体な何だというのだ・・・?
「オスカル様!」
ロザリーが大きな音を立ててドアを開けると、オスカルがそれを見て笑った・・・。
笑った・・・?オスカルが・・?
久しぶりに見た笑顔だった。何がそうさせたのだろうか・・・?
「ロザリー、大声を出すな・・・。皆が驚くぞ。それにアランもビックリしている・・・」
「いや・・・」
全く訳が解らない・・・。でも、オスカルが笑っている・・・。
そして、優しく微笑みながら
「アラン・・・。いつも済まなかったな・・・。お前に当たったりして・・・。解っているのに、気持ちの整理が付かずいつまでも自分ひとりが不幸な被害者気取りでいた・・・」
「いいえ・・・」
ロザリーは涙ぐみながら、微笑み俺とオスカルの顔を交互に見つめる。
「それにな、昨夜アンドレがきた・・・」
「えっ!?」
そして、また微笑む。優しく微笑んで頷く。
「私はやっと、アンドレが迎えに来てくれた・・・と喜んだ。アンドレに私も早く連れて行ってくれと叫んでいた・・・。だけどアンドレは首を横に振ってこう言ったのだ・・・。
『お前はまだ来ては行けない。まだ、やるべき事がある・・・』ってな。でも、そんな事はどうでもいい事だと思った。お前がいないのなら、もう生きていても仕方がないのに、何をする事があるのだ・・・って」
そして、ふーっ・・・と息をつくと
「すると、アンドレは優しく微笑み『アランが居る。それに、ロザリーにベルナールも。皆お前の事を心配しているし、皆お前の事を愛している・・・。だから、残された命を大事にして生きてくれ・・・。もう、お前一人だけの体じゃないのだからな・・・』と。そう言って、アンドレは消えた・・」
ふふっ・・とオスカルは笑う・・・。
「アラン、こっちへ来い」
手招きして俺を呼ぶ。俺は呆然として突っ立っているとロザリーが背中を押した。相変わらず涙ぐんでいる・・・。
ゆっくりと、オスカルの側に近づく・・・。オスカルはやっぱり微笑んでいる。
そして、ベッドの側に立つと俺の腕を引っ張った。体勢が崩れオスカルの顔が近づく・・・。
耳元に口を寄せて、小声で囁く。
「アラン・・・。私は母親になるのだ・・・」
一瞬、意味がわからなかった・・・。きっと、あの時の俺は間抜けな顔をしていたのだろう・・・。オスカルもロザリーもただ笑っていた・・・。
「だからな、アラン。私は生きるぞ・・・。どんな事があっても生き抜いてみせる・・・。
アンドレの忘れ形見であるこの子を無事に産んで、そして育て上げなければな・・・」
そして、俺の手を今度はオスカルのお腹に持って行った。
さすがに、それは躊躇ったが逆らわずに任せた。
「ここに、アンドレの子供がいるのだ・・・。来年の春頃には、丈夫な赤ん坊を産んでみせる。そして、アラン・・・。これからも宜しく頼む・・・」
そう、オスカルは言った・・・。
子供の為に生きると・・・。生き抜いてみせると・・・。
確かに、そう言った・・・。
子供の為でも何でも構わない・・・!オスカルが・・・、オスカル自身が生きていてくれるのなら・・・!
俺は声を挙げて泣いた・・・。オスカルもロザリーも困った顔をしていたが、そんな事構うものか!やっと、オスカルが生きる糧を見出してくれたのだ・・・!
俺はただ泣いていた・・・。本当の意味での喜びの涙だった・・・。
あぁ、アンドレ・・・。お前が言っていたのはこの事だったのか・・・。本当に、俺の正念場が始まるな。俺は、俺と皆でお前が愛した女性を守り抜いてみせるさ・・・。
それからは、ウソみたいに平和な日々が続いた・・・。
俺とオスカルはロザリーの近所に居を構えた。近所には夫婦と誤解されていたが、そんな事には気にも掛けず、ただ毎日を平穏に過ごした・・・。
相変わらずパリの町は騒然としている。それでも、俺達には信じられないくらいに幸福な時だった・・・。俺はもちろん、ロザリーにベルナールそしてオスカルにとっても・・・。
そして、皆が待っていた春が来た・・・。
アンジュ、お前が生まれた日だ・・・。暖かい春の陽射しの中で、お前はこんな時代だというのに元気すぎるくらい元気な産声を挙げて、この世にやって来た・・・。
まるで、人々に福音をもたらす天使のようだったお前に対して、全員で「アンジュ」と名付けた。
黒い瞳に黒い髪・・・。どこを取ってもお前は、父親であるアンドレにそっくりだ・・・。
産婆には「お父さんそっくりですよ・・・」と言われて、皆で笑ったが・・・。
近所でも皆が祝ってくれた。すれ違う人ごとに「おめでとう」「お前さんそっくりなんだってね!」「ベッピンの母ちゃんに似なかったのか?」「アンタも幸せモンだね・・・」と、声を掛けてくる・・・。
俺はそれに対して別に何も言わず、ただ笑ってみんなの祝福の言葉を聞いていた・・・。
オスカルもそうだった・・・。ただ、何も言わずに笑っていた・・・。
きっと、この頃が一番至福の時だったのだろう・・・。
誰もが明日を信じて疑わないそんな日々だった・・・。
だけど・・・。その、幸せは長くなかった・・・。
数ヵ月後、オスカルが倒れた・・・。血を吐いて・・・。いつの間にか、胸の病にかかっていた・・・。慣れない生活がアンジュを身篭っていた時からも身体的にもかなり負担がかかっていたのだろう・・・。そして、心臓の方も弱ってきていると医師に言われた・・・。
「今はただ安静に過ごす事。ご存知の通りこんなご時世です。我々には、薬も何も不足気味でこれといって満足な治療が出来ません・・・。ただ、日々を安らかに過ごす。それだけが、唯一の治療法なのです・・・」
そう言って、医師は「残念ですが・・・」と首を横に振った・・・・。
目の前が真っ暗になった・・・。ロザリーはただ泣いていた・・・。
「アンジュはまだ赤ん坊なのよ・・・」
それだけを繰り返していた。そうだ、アンジュはまだ赤ん坊だ・・・。
なのに・・・。神はあまりにも残酷すぎる・・・。
なぜ、オスカルばかりが・・・!?
アンジュはまだ幼いうちから母親とも離れてしまうのか?
なんとかして、オスカルを助ける方法はないのか・・・?
俺は一瞬オスカルの実家であるジャルジェ家を思い浮かべたが、すぐにその思いは打ち消した。そうだ、あなたは子供の為に生き抜いてみせると言った・・・。
なら、オスカル。あなたの言葉を信じよう・・・。奇跡が起こる事を信じてみよう・・・。
オスカルには、まだしなくてはいけない事があるのだから・・・。
「アラン・・・」
ある日、オスカルが俺を呼んだ。俺はいつものようにアンジュを抱いて散歩から戻ってきたところだった。今日は気分がいいのかベッドから起き上がっている。
アンジュは母親の姿を見ると嬉しそうに声を挙げて、オスカルの元へと行こうとする。
それを、オスカルは抱きとめる。そして、愛しそうにキスをする。
「起きていて大丈夫なのか?」
「あぁ、今日は比較的気分がいい・・・」
アンジュをあやしながらそう答える。そして、すぐにアンジュを俺に渡す。不服そうな顔をしたアンジュはそれでも俺の事を認めると、「きゃっ、きゃっ」と声を出して笑っている。
それを見たオスカルは
「本当に親子みたいだな・・・。アンジュもお前によくなついている」
と言って笑っていたが、その瞳は淋しげだった・・・。
「俺は・・・」
「いや、いいのだ・・・。アラン、お前には感謝している・・・。お前のおかげで私はここまで生きてこられたのだから・・」
「オスカル・・・」
「知っているのだよ・・・。私にはもう時間がない事を・・・」
「・・・・・・!」
何を急に言い出すのだ・・・。なぜ、今そんな事を言い出す!?
何も言い返す事が出来ずに立ち尽くしている俺をオスカルはただ見つめる・・・。
「だから、アラン。改めてお前に頼みたい・・・。アンジュの事を・・・」
視線を子供に移す。そして、淋しく微笑むといつの間にか涙ぐんでいた。
「私が死んだらこの子は一人ぼっちだ・・・。実の父の顔を知らず、まして母の顔を覚える間もなく私は逝くだろう・・・」
「何を・・・」
言葉がつなげなかった。それを見てオスカルは微笑み返す。
「だけど、アランお前がいる。私の最後の我がままで甘えだ・・・。アンジュを頼む・・・。
アンドレと私の代わりになってこの子を育て上げてくれ・・・。この子には、新しい時代を自分の力で切り拓いていけるように、強く育ててくれ・・・」
「あなたは、子供の為に生き抜いてみせると約束したじゃないですか!?」
俺はいつの間にか悲鳴に近い声を挙げていた。それを聞いて、アンジュはビックリしたのか大声を出して泣き出した。慌てて、アンジュをあやすがなかなか泣きやまなかった・・。
それを見てオスカルがアンジュを抱き受けた。
「すまん、すまん・・・。アンジュ、驚いたな・・・。もう、大丈夫だ。母様はここにいるぞ・・・。さぁ、安心してお休み・・・」
優しく背中を擦りながら、子供を慰める。そして、アンジュは泣きじゃくりながらいつの間にか寝息を立てていた・・・。
オスカルはアンジュを抱いたまま、再度同じ事を繰り返す・・・。
「アンジュを頼んだぞ・・・。立派な人間にならずとも良い。ただ、自分の意志で人生を切り拓けれるようになってくれれば、それで良い。それが、私の望みだ・・・」
「オスカル・・・」
眠ってしまったアンジュに優しく語る・・・。
「アンジュ、これからはアランがお前の父様だ・・・。今日からは、アランがお前の父様だ・・・。母様がいなくってもお前は強い子に育て・・・。これからは、いつでもお前の側でアンドレと共に見守っているからな・・・。アランとアンドレ・・・。お前は二人の父親に見守られているのだからな・・・」
そう言いながら、オスカルは泣いていた。涙がこぼれてアンジュの頬を濡らす・・・。
アンジュは幸せそうな寝息を立てて、母親の腕の中で眠っている。そして、いつまでもいつまでも子供の寝顔を見つめていたが、気分が落ち着いてきたのかアンジュを俺にたくすと「少し、疲れたみたいだ・・・。しばらく横になる・・・」と言って、ベッドに戻った。
しかし、オスカルは目覚める事がなかった・・・。
眠りについたまま、静かにオスカルは旅立った・・・。愛するアンドレの元へ・・・。
アンドレが迎えに来たのだろう。幸せそうな顔で眠っていた・・・。
オスカル・・・。やっと、あなたに幸せが訪れたのだろうか・・・?
葬儀の朝は静かに雨が降っていた・・・。オスカルは、アンドレと同じ場所に葬った。
ロザリーはずっと泣き続けている。ベルナールは黙ったままだった。
アンジュは何も知らずにただ無邪気に笑っている・・・。その姿が余計に涙を誘った・・・。
最初はロザリーとベルナールがアンジュを引き取ろうと言ったが、俺はそれを断った。
何より、オスカルに託された事だ。それに、俺が愛した人の子供だ・・・。
俺がアンジュの親父になるって決めたのだから・・・。
二人には、協力を頼んだ。この先、アンジュをオスカルの意志通りに育てる為の協力を。
そして、もう5年の月日が過ぎた・・・。
アンジュ、お前はますますアンドレに似てくる・・・。
アンドレ譲りの黒い瞳に黒い髪・・・。微笑んだ所なんかホントにそっくりだな・・・。
そして、負けず嫌いは母親譲りだ・・・。
時々、近所の子供達とケンカしては帰ってくるが、涙は見せない・・・。
そして、「明日は絶対に負けないからっ!」と言っては、ロザリーを心配させている・・・。
ベルナールは「さすが、オスカル准将の息子だ・・・」と言っては笑っている・・・。
たぶん、大丈夫だ・・・。アンジュは・・・。
そうこうしている内に墓地についた。
アンジュは一目散にオスカルの眠る場所に向かう。
「母様―!」と大きな声を出して走っていく・・・。
「転ぶなよ―!」
「大丈夫だよ―!父様も早く!早く!」
子供に負けるかと思って、俺も後ろから追いかける。
アンジュははしゃぎながら先へと急ぐ・・・。
墓地の奥まで走ると、オスカルとアンドレの眠る場所がある。
アンジュは先に到着し、一生懸命に語りかけている。
「母様、あのね、僕もうじきお兄ちゃんになるんだよ。ロザリーおばちゃんがね、僕にそう言ったんだ・・・。アンジュ、お兄ちゃんになってね・・・って」
よほど嬉しいのだろう・・・。小さな体全体が優しい気で包まれている。
そして、隣に眠るアンドレの墓にも向かって、同じ事を繰り返して伝える。
その時、風が優しく吹いた。
まるで、俺に語りかけるかのように、俺をつつんだ・・。
(ありがとう・・・。アラン・・・。ありがとう・・・)
「オスカル・・・?アンドレ・・・?」
懐かしい声が俺を包む・・・。知らない内に、涙が後から後から溢れてくる・・・。
確かに聞こえた・・・。オスカルとアンドレの声だ・・・。
アンジュが驚いて「どうしたの?父様?お腹が痛いの?」と俺の顔を覗き込む・・・。
「何でもない・・・。なんでもないから・・・」
「へんなの・・・。ね、母様」
そして、また話しをはじめる・・・。いつまでも話題が尽きることなく、オスカルに話し掛けている。
オスカル・・・。アンドレ・・・。
いつの日にか、俺は真実を話すだろう・・・。だけど、アンジュは大丈夫だ・・・。
きっと、強く逞しい子になる。そして、自らの手で運命を切り拓いていける・・・。
俺はそれまでアンジュの父親として、俺の背中を見せて育ててみせるさ・・・。
二人が目指したものがなんであったかを語りながら・・・。
そして、その頃にはアンジュ達の時代がやってくるだろう・・・。
その時こそ今よりもっと住みやすい時代になっているだろう。そして、アンジュ達の新しい時代がはじまる・・・。俺はその時まで生き抜いてみせる・・・。
それから、二人に報告しに行く。だから、その日まで俺達を見守っていてくれ・・・。
アンジュを、俺を・・・。
風がまた吹いた・・・。さっきと同じ優しい風だった・・・。
空は青く澄んでいる。まるで、オスカルの瞳のように・・・。
優しく、ただ優しく風と空が二人をいつまでも包んでいた・・・。
―Fin−