夢と想い出の住む町

久し振りのパリだわ。何年ぶりなのかしら・・・?
お爺様の所へ行儀見習いに出された時、オスカルお姉ちゃまに連れて来てもらったきり、もう何年も訪れてないわ。
あれは本当にまだ幼かった子供の頃・・・。 

「ほら、ル・ルー見ろ。あれがオペラ座だ・・・」
馬車の中から見たオペラ座。すぐに未来の自分を思い浮かべて思わずウットリと、
「いつかは、ル・ルーもステキな殿方にエスコートされてここに来るのだわ・・・。ステキね、オスカルお姉ちゃま・・・」
「はん。その為にも、エチケットはきちんと身に付けなければな。母上が嘆いていたぞ。お前がきちんとした貴婦人になれるのか心配だってな・・・」
「あら、ル・ルーを立派なレディにする事が、お婆ちゃまとお姉ちゃまの腕の見せ所ではなくって?」
「ル・ルー!」
「お姉ちゃま、あまり大きな声を出すのは、はしたなくってよ・・・」
そう答える私を抱きかかえると、最初は怒って「いいか、ル・ルー・・・」とお説教を始めたけれど、でも最後には笑って
「まったく、姉上や母上の苦労もわかる気がするよ・・・」
と、言いながらいつも優しく頭をなでてくれた。私、お姉ちゃまに頭をなでてもらうのがとても好きだった。細くて綺麗な指していて、それでいて暖かい手だった・・。
初めてのパリを見物した日の事は、今でも様々と思い出す事ができるし、お姉ちゃまの凛として涼やかなそれでいて優しい声は今も耳に付いて離れない。
相当、おませな子供の頃だったわ。でも、お姉ちゃまはそれでも私を大切に慈しんでくれた。アンドレも口では「この、ませガキ!」と良く言っていたけれど、でもいつも馬に乗せてくれて、遠乗りに連れて行ってくれた。
それに、ロザリーお姉ちゃま・・・。いつだって、私が悪戯をしても、やんちゃな事をしても優しくかばってくれた。
時々、お母様が恋しくて夜泣いていると、そっと部屋に入ってきていつも子守唄を歌って
くれた。朝まで添い寝をしてくれた事もあるわ。
ロザリーお姉ちゃま。今はもう結婚してパリに住んでいると、オスカルお姉ちゃまがずっと以前に教えてくれた。だから、それきり会ってはいないけれども元気なのかしら・・・。
会いたい・・・。ロザリーお姉ちゃまに会って、オスカルお姉ちゃまの事が聴きたい・・・。

そう思った途端、矢も盾たまらずパリにやって来た。
こっそり屋敷から抜け出して、一人でパリにやってきた。途中何度か怖い思いもしたけれど、そこはル・ルー・ド・ラ・ローランシーですもの、幼い頃の私が甦って何とかパリまで辿り着いたわ・・・。だけど、問題はここから・・・。
オスカルお姉ちゃまには「パリに住んでいる」とだけしか聞いていないもの・・・。ただ、手がかりは「ベルナール・シャトレ」という人と結婚したという事と、ロザリーお姉ちゃまの名前だけ・・・。
それだけを頼りにして、この広いパリの町でどうやって探せばいいのだろう・・・。
やっぱり、まだ子供なのだわ・・・。私考えてみたら、パリに知り合いなんて誰もいないもの・・・。
途方に暮れて広場の木陰で腰を下ろしてひと休みしながら、これからの先行きを考えてみる。お爺様のところに行くと、お母様にすぐ連絡されるわ・・・。いくら、書置きを残して出てきたとしても、あのお母様の事ですもの。すぐに迎えの者をよこすに違いないもの。それに、お爺様はきっとオスカルお姉ちゃまの事を話してはくれないに決まっているもの。

しばらく休んではいたけれど、でも何時までもこうしていられない・・・。仕方がないわ、とにかく「ベルナール・シャトレ」という人を探さなくては・・・。

それにしても、どれ位歩いたかしら・・・?なんだか、下町らしき所に入り込んだみたいだし。
パリの地理には詳しくないから、早く引き返さないと子供の頃みたいに迷子になってしまうわ。もう、迷子になってもお姉ちゃまが迎えに来てはくれないもの・・・。
だけど、どっちに行けばいいのかしら?誰かいないのかしら?
もう少し先を行ってみようかしら・・・と、そう思って足の向きを変えた時

「やーい!アンジュは母なしっこ!そのうち、父ちゃんにも捨てられるんだぞー!」
「違うもん!父様は僕を捨てたりなんかしないもの!母様だって僕を捨てんじゃぁない!
僕が小さい時に病気で死んじゃったんだ!何も知らないくせに!」
あぁ、子供同士のケンカだわ・・・。でも、こんな下町で「母様」「父様」と呼ぶなんて珍しいわ・・・。一体どんな子なのかしら?
興味を持って声のする方にむかってみる。すると、ひとりの子供に向かって4〜5人の子供達が囲んで口々に囃し立てている。多勢に無勢という所かしら・・?だけど、囲まれた子は皆よりもまだ小さいじゃない・・・。あの子どうするのかしら?

「お前生意気なんだよ!何が父様で母様だよー!」
「そうそう、いいところの坊ちゃんでもないくせにー!」
「母ちゃんいないくせにー!」
「ほーら、何とか言ってみろよー!」
などと言い、そのうちひとりが男の子に向かって拳を振り上げた。だけど、男の子は動じる事なく、黙ってそれに応え小さな拳で相手の男の子に殴り返す。
すると、案の定取っ組み合いのケンカが始まってしまう・・。
「いいぞー!ジャン!やっちまえ!」「生意気アンジュなんて懲らしめちゃえ!」そう、勝手に囃し立てて応援している。そのうちガマンできなくなってつい
「こらーっ!いい加減にしなさい!大勢で苛めるなんて!」
と私は大きな声を出してその子供達の前に姿を出した。すると、皆驚いて「やべっ!」「逃げろー!」「覚えてろよー!」等と勝手な事を口々に叫びながら走り去って行く。だけど、男の子は「何時だって相手になってやる!」と言い返している。あらら、結構やんちゃなのね・・・。まあ、男の子はそれぐらい元気な方が良いだろうけれど・・・。

「僕、大丈夫?ケガはない?」
「お姉ちゃん、ありがとう。ホントはとっても助かっちゃた」
そっと、助け起こすと舌をぺロッと出し、身繕いを正すと物怖じする事なく挨拶をする。
「僕は、アンジュ。アンジュ・ド・ソワソンって言うんだ。お姉ちゃんは?」
黒い瞳した男の子はそう名乗った。少し懐かしい黒い瞳だわ。
「私?私の名前は、ル・ルーって言うのよ。よろしくね、アンジュ」
「うん!」
 思いっきり笑顔を見せ、小さな手を出してくる。その手を握り返すと、本当に名前の通り天使を想像させる。どうやら、小さな天使と私は出会ったみたい。
なんだか嬉しくなって、すぐにこの路地裏から出ようと思っていたのに
「アンジュのお家はどこ?お姉ちゃんが一緒に送ってあげるわ」
なんて言ってしまった。すると、アンジュは人懐っこい笑顔を見せて
「僕のお家はね、もう、すぐそこなんだよ。でも、今夜は父様の仕事が遅くなるから、父様のお友達のお家に行くんだよ」
「そう・・・。じゃぁ、そのお宅まで送るわね」
そっと、お互いの手を繋いだまま歩き始める。

私、何をしているのかしら?だって、人探しをしているのに。だけど、この子を見ているとすごく懐かしい思いに囚われ、気になってしまうんですもの。懐かしい黒い瞳に黒い髪・・・。まるで、アンドレを小さくした感じ・・・。そう、今だから白状しちゃうけれども、アンドレは私の初恋だった・・・。
だからなのかも知れない。
想い出の詰まったこのパリで、好奇心旺盛だった私が甦る。そう、アンジュに興味が湧いている・・。ちょっとだけ、寄り道してみよう・・・。

歩く道すがらアンジュは色々と話をしてくれる。
母親はアンジュがまだ生まれて間もない頃に亡くなったらしく、父親の手一つで育てられたらしい。
「だけど、僕淋しくないよ。だってね、父様がいつも言うんだ。『アンジュはひとりじゃないぞ。何時だって母様がお前の事を見守っているのだからな』そう、言うから僕平気だよ」
「偉いね、アンジュは。それに強いのね・・・」
「だって、父様が言うもん。『お前は母様そっくりの強い心を持っている』って」
「そうなの。アンジュのお父様もお母様もステキな方なのね」
それを聞いて嬉しかったのか、とびっきりの笑顔で「うん!」と答える。本当に父親をそして亡くなった母親をとても愛しているのね・・・。
しばらくすると「アンジュ!アンジュ、どこにいるの?」と声がして来た。その声を聞くとアンジュは「あっ!ロザリーおばちゃんだ!」と言って走っていく。
一瞬耳を疑う。今、アンジュはなんて言ったの?「ロザリーおばちゃん」って・・・。
まさか・・・。まさか、そんな筈はないわ・・。だって、「ロザリー」なんて名前はありふれているもの・・・。あぁ、だけど・・。
胸が震える・・・。私も急いでアンジュの後を追う・・・。
そして、角を曲がって目に入ったのは・・・。

優しい眼差し・・・、懐かしい声・・・。
「アンジュ、またケンカしちゃったの?ケガはないの?ホント、やんちゃな天使ね」
そう言いながらも、愛しさが勝るのか優しく抱き締めて頬に口づけをする・・・。
「さあ、早く中に入って着替えなさい。もうすぐしたら、ベルナールが帰ってくるわ。そうしたら、お食事よ」
「あのねロザリーおばちゃん、今日はお客様も一緒なんだよ。今、お友達になったばかりなんだけれどね、ル・ルーお姉ちゃんって言うんだよ」
「えっ!?ル・ルー・・・?」
アンジュの言葉に驚いて顔を上げた時、視線が重なった・・・。
ああ、やっぱり・・・。ロザリーお姉ちゃまだ・・・。

「ロザリーお姉ちゃま・・・」
「まさか、ル・ルーちゃんなの・・・!?あぁ・・本当にそうなの・・・!?」
夢のような出来事だった。目の前にいるのは紛れもなく私が捜し求めていた人!
お互い驚きの色を隠せないのか、しばらく言葉が出なかった。すると、お姉ちゃまの瞳からはみるみる内に涙が溢れてきている。私も、涙で目の前が曇っていく・・・。あまりの驚きに動けないでいると、お姉ちゃまの方から
「ル・ルーちゃん!」
と名前を呼んで駆け寄ってきて、私を思いっきり抱き締めてくれる。
「ロザリーお姉ちゃま!」
あぁ、変わっていない。あの、優しくいつも私を抱き締めてくれた時と同じ匂いがする・・・・。
「ル・ルーちゃん!大きくなって・・・。元気だったの?あぁ、オルタンス様はお元気なの?それにしても、良く無事で・・・!」
「お姉ちゃま・・・!ロザリーお姉ちゃま、会いたかったの!ル・ルーはもうずっと、ずっと前からお姉ちゃまに会いたかったの!」
思わず、幼い頃の自分に戻って泣き喚いていた。ロザリーお姉ちゃまに抱き締められて、まだ小さかったあの頃に戻る・・・。オスカルお姉ちゃまとアンドレがいた頃の自分に・・・。

不思議そうにアンジュがこっちを見ていた。それに気づくと私を放して笑顔を向け、
「あぁ、ごめんなさいね。さ、早く中に入りましょう。ル・ルーちゃんも・・・」
涙をぬぐいながら家の中に案内してくれる。アンジュはまた私の手を取ると、
「お姉ちゃん、ロザリーおばちゃんのお友達だったんだね」
「そうよ・・・。もう、ずーっと小さい頃から・・・。アンジュと同じ位の年からのお友達なの・・・」
涙を拭きながら、そう答える。
「へぇー。じゃぁ、僕の母様の事も知っているのかなぁ・・・?」
そう言うと部屋の奥に入っていった。

それから、暫くしてからお姉ちゃまのご主人である、ベルナールが帰ってきた。
私から自己紹介しようとすると、お姉ちゃまがそっと耳打ちした。
それは、まるで誰かに気を使うかのようにも見えた。
でも、そんな事に気にも留めず一緒に食卓を囲む。ロザリーお姉ちゃまは、あと数ヶ月すると赤ちゃんが産まれるって教えてくれた。良かった。とても幸せそうだわ・・・。
アンジュは、嬉しくて興奮しているのか私にまとわりついて離れない。それはまるで小さかった私にそっくりだった。
そのうち、眠たくなったアンジュにベルナールが「さぁ、もうお休みの時間だ」と言って、寝室に連れて行こうと促す、眠い目をこすりながらも、それでもお休み前の挨拶も忘れずに私の頬にキスをしに来ると
「ル・ルーお姉ちゃん、お休みなさい。また、明日一緒に遊ぼうね・・・」
「えぇ、アンジュ。お休みなさい、いい夢を見るのよ・・・」
そう言って私もキスを返し、アンジュを寝室へと見送った。
居間には私とロザリーお姉ちゃまだけが残った。
二人きりになると、一体何から話をすればいいのかが判らない・・・。
お姉ちゃまに会ったら、あれもこれも話さなくっちゃ・・・と思っていたのに・・・。

「本当、久し振りね。最後に会ったのはいくつの時だったかしら・・・・」
初めに口を開いたのは、お姉ちゃまの方だった。
「私が7才のお誕生日を迎えてすぐに、お姉ちゃまはお嫁に行ったのよ」
そう、7才のお誕生日はオスカルお姉ちゃまの所で迎えた。あの時にもらったプレゼントは今も大切に残している。バラの飾りが付いた手鏡を貰ってとても嬉しかった。
「そうだったわね・・・。じゃあ、あれからもう10年近くも経つのね。早いものだわ」
遠い目をして、私を優しく見つめる。それが引き金になり、一気に私は話し出していた。
「そうよ、お姉ちゃま。その10年近くの間に色んな事があったわ・・。革命が起こり、私達が住んでいる所はいくら田舎だとはいっても、結局は嵐に巻き込まれて。お父様が急いで旅支度を整えると、私達はイギリスへと亡命した。大好きなフランスを離れるのはとても嫌だったけれど、子供だった私は両親と共について行くしかなかった。毎日淋しくて、悲しくて・・・。そして、遠い異国の地で思い出すのは、楽しかったお爺様の所で過ごした日々ばかり・・・」
いつの間にか涙がこぼれていた。
「だけど、3ヶ月前にイギリスから戻って来ると、今度はオスカルお姉ちゃまとアンドレがいなかった。お爺様に尋ねても何も答えてはくれないし、お婆様はただ泣くばかり・・・。もちろん、お母様にも聞いたわ。だけど、お母様も答えてはくれない・・・。オスカルお姉ちゃまの事だけじゃないわ。アンドレの事を聞いても皆黙ってしまう・・・。私だけが何も知らない・・・。ただ、判った事はあの戦いに出動したということだけ。だから、ロザリーお姉ちゃまに会いに来たの。全てを知りたくて・・・」
全てを話し終えると、お姉ちゃまは私を抱き寄せ
「そうだったの・・・。大変だったわね・・・」
と言いながら、優しく頭を撫でてくれる。涙が止まらず溢れてくる・・・。
「ね、お姉ちゃま教えて。一体何があったの?ル・ルーだけが何も知らないのって嫌よ!」
お姉ちゃまの胸の中で泣きじゃくっていると、後ろから声がした。

「本当の事を話してやったらどうだ・・・。もうじき、アランも帰ってくるから・・・」
「ベルナール・・・」
お姉ちゃまが静かに振り返る。すると、アンジュを寝かし付けたベルナールがドアの側に立っていた。
「その子の言う通りだ。ル・ルーにも全てを知る権利がある」
私の気持ちを代弁してくれる。
その言葉を聞き、嬉しくて顔を上げると
「ただし、アランが戻ってからだよ。いいね・・・」
と言って優しく見つめる。
「アラン・・・?」
「そう、私達夫婦の親友で、オスカルとアンドレにとっても大切な親友だ・・・」
「じゃあ、待つわ・・・。本当の事を話してくれるのなら・・・」
これで、真実が判る・・・。そうよ、もしかしたらオスカルお姉ちゃまとアンドレの居所も知っているのかも知れない・・・。そうしたら、私は急いで会いに行くわ・・・。
期待に胸が膨らみ、そのアランという人が帰ってくるのを待っていた。
だけど、ロザリーお姉ちゃまの顔は何故か淋しそう・・・。
どうしてかしら・・・?

30分ほどしてその人が戻ってきた。
「ベルナール、ロザリー。すまない遅くなった。アンジュはどうしている?もう、眠っちまったか?」
まるで、我が家のようにして入ってきたその人を見て
「お帰りなさい。アラン」
お姉ちゃまが出迎える。そして、私を見ると
「あぁ、失礼・・・。客人だったか・・・」
と言って軽く会釈をした。私も軽く頭を下げるけれど、それにはもう目もくれず
「で、アンジュは・・?」と聞いている。お姉ちゃまは笑って
「しーっ。静かにアラン、アンジュはもうぐっすり眠っているわ。今夜はもうここに泊まらせて上げて」
静かな声で答えると、今度は少し伏し目がちになって
「それにね、あなたにお話しがあるの・・・」
と言った。
「話し・・・?なんだ、急に、改まって」
笑いながらも怪訝な顔をして、回りを見渡す。それから、ベルナールが私の肩を掴むと
「この子はな、ル・ルーと言うんだ・・・」
私を紹介する。すると、今度は不思議そうな顔をしてアランは私を改めて見る。
「そして、ル・ルー。こいつがアランだ・・・」
「アラン・ド・ソワソンだ・・・。よろしく・・・」
いまいち周りの状況が掴めていないまま、少しぶっきらぼうな感じで答える。
「ソワソン・・って、じゃあ、アンジュのお父様?」
「まあな・・・」
そして、ベルナールに向かって
「それで、話しってなんだ?」
低い静かな声・・・。
「もしかして、その子の事で何かあるのか?」
私とベルナールを交互に視線をあわせる。それに答えるかのようにして私が口を開く。
「あの、オスカルお姉ちゃまとアンドレの事を教えて欲しいの・・・」
そう、口に出した途端、驚愕の色を浮かべて
「あんた・・一体・・?」
それだけ言うと、私から視線を外して黙り込んだ・・・。

一瞬、時が止まったかと錯覚した。
まるで、見えない幕に包み込まれたみたいに誰もが押し黙った・・・。
なぜ・・・?ここでも、二人の事は教えてはくれないの・・・?
すると、
「アラン、聞いて。この子は、ル・ルーちゃんはオスカル様の姪なの・・・」
先に、口を開いたのはロザリーお姉ちゃまだった。アランはまた驚いた表情を見せ、一度外した視線を私に戻すと
「そう・・か・・」
と言ってソファーに腰を沈めた。苦渋に満ちた表情が、私を不安にさせる。
なんだか、嫌な予感がする。それは、考えたくはない一番嫌な予感・・・。
それを振り払うかのようにもう一度尋ねる。
「お願い・・。オスカルお姉ちゃまとアンドレはどこにいるの・・!?私、二人に会いたくてここまで来たの・・・!お願いよ、知っている事があるのなら全部教えて!」
最後は悲鳴に近かった・・。だけど、アランはまだ黙ったまま・・・。
それでも、言葉を繋ぐ
「お爺様もお婆様も何も答えてはくれない・・。私のお母様だって・・。ねえ、どうして?
なぜ、皆何も答えてはくれないの・・!?」
そうよ、なぜ!誰も彼もが黙ったままで何も答えてくれないの・・・!
「それは、知らない方が、あんたの為にいいと思ったからだろうな・・・」
まるで、搾り出すような声でアランがようやく口を開いた。
「それって、まさか・・・」
「ああ、そのまさかだ・・・」
「ウソ・・・。冗談ならやめてよ・・・。悪い冗談でしょ・・」
半信半疑のままロザリーお姉ちゃまに目をやると、涙を浮かべながら頷く。そして、ベルナールは床に視線を落とした。アランだけが私から視線を離さずに
「ウソでも、冗談でもないんだ・・・。オスカルとアンドレはもうこの世にはいない・・・」
最後まで聞き終える事が出来なかった・・・。
目の前が真っ暗になって、あとは・・・。

気が付くと、ロザリーお姉ちゃまが心配そうな顔をして、私を覗き込んでいた。
どうやら、私気を失ったみたい・・・。居間のソファーの上だった。
「お姉ちゃま・・・」
「気が付いた?いま、暖かい飲み物を持ってくるわね・・・」
そう言って、居間から出て行くと入れ違いにアランが入ってきた。
そして私の向かいに座ると
「さっきはすまなかった・・・。気分はどうだ・・・?」
優しく聞いてくる。
さっき・・・?ああ、そうだわ・・・。とても信じられない事を私は耳にしたんだわ・・・。
それは、私が誰よりも大好きだった二人の死・・・。信じられない結末・・・。
私はこんな結果を知りたかったんじゃない・・・!
視線を反らしてうつむくと、涙が私の手を濡らした・・・。
言葉が出なくって、暫くそのままで泣いていると
「聞きたくなければ、それでいい・・。だけど、いつかは知ってしまう事だ・・・」
それだけ言うと、また黙った。私も何も答えることができなかった。
しばらく沈黙が続く・・・。涙はまだ止まらない・・・。すると、
「俺は、隣の部屋にいるから、もしも、話しが・・・、いや全てを知りたいと思ったら呼びに来てくれたらいい。ベルナールが言っていた。ル・ルーには知る権利があるってな・・」
そう言うと席を立とうとした。それと同時に
「待って・・・!」
と私は呼び止めていた。アランは私を真っ直ぐ見つめると「いいんだな・・・」と念を押すような顔をして、もう一度椅子に腰をかけた。
「お願い、全てを話して」
そう、私はオスカルお姉ちゃまとアンドレの事が知りたくて、ここまで来たのだもの・・・。
だから、もう迷わない。誰も教えてはくれなかった二人の話しを聞くわ・・・。

「何から、話せばいいのだろうな・・・」
アランはそう言うと、深いため息をついた。すると、まるで見計らったかのようにして、ベルナールと飲み物を持ったロザリーお姉ちゃまが入ってきた・・・。
「そうね・・・。とても、長いお話しよ・・・」
暖かいショコラの入ったカップをテーブルの上に置きながら答える。
「そうだな・・・」
ベルナールが静かにそれに頷く。そして・・・。

それは、とても長く長くまるで夢物語のようだった・・・。
幼い頃に読んだおとぎ話みたいな・・。
オスカルお姉ちゃまとアンドレの恋物語・・。
ゆっくりと、それでいてはっきりと、時には涙し、時には優しく微笑みながらアランは語ってくれる。この人、きっとオスカルお姉ちゃまの事がとっても大好きだったんだわ・・。
だって、お姉ちゃまの名前を口に出す時は、とっても優しく愛しさに溢れているもの・・・。
まるで、大切な呪文を呟くみたいに・・・。

しばらくすると、アランは口を閉じた。そして、また何か迷っているかのような感じがした。私は、特に催促もせず自分から口を開いてくれるのを待った。
ロザリーお姉ちゃまもベルナールも黙っていて、私と同じようにアランの口が開くのを待っていた。ただ、部屋の時計だけが静かに時を刻む音がする。
そして、ようやく口を開くと
「アンジュを見てどう思った?」
そう、尋ねてくる。まるで話題を逸らすかのようにして、アンジュの名前を出す。
ああ、きっと気分転換でも図るつもりね。ちょっとした空気の入れ替えみたいなものだわ。だから、お世辞でもなく何でもなく自分の素直な気持ちを述べた。
「アンジュは可愛いいわ。私、初恋の人を思い出したもの・・・。その人は、私よりも大人だったけれど・・・。だから、とっても懐かしい感じがしたわ」
「初恋の人・・・?」
ロザリーお姉ちゃまが尋ねる。私はちょっと恥ずかしくなったけれど
「お姉ちゃまも良く知っている人よ。実はね、アンドレが初恋だったの」
照れ笑いを私は見せたけれど、お姉ちゃまは驚いた顔を見せた。私の初恋がアンドレってそんなに驚く事なのかしら?だけど、何よりも驚いた顔を見せたのはアランだった・・・。
目を見開いたまま、私を凝視している。
それから、静かにそれでいて哀しそうに微笑むと
「まいったな・・・」とだけ言ってまた黙った・・・。
父親でなく、アンドレに似ていると言ったのがいけなかったのかしら?
「もちろん、アランあなたに似ているわよ。アンジュはあなた譲りの黒い髪に黒い瞳・・・。
アンジュのお母様も綺麗な方だったのでしょうね」
アンジュが愛してやまない両親・・・。亡くなったという、アンジュのお母様にもあってみたかったわ・・・。そう、思いを馳せた時
「アンジュは・・じゃない・・・」
口の中で小さく呟く。それが聞こえなくって
「え・・・?なんて言ったの?」
聞き返すと、顔を上げて苦しそうに呟く。
「アンジュは、俺の子供じゃない・・・。アンドレがオスカルへと最後に贈った、たったひとつの忘れ形見だ・・」

え・・・?今、アランは何て言ったの?アンジュがアランの子供でなくて、アンドレがオスカルお姉ちゃまに・・・?
「じゃあ・・。まさか、アンジュは・・・」
「そうよ、あなたの従弟にあたるのよ・・・」
ロザリーお姉ちゃまが答える。そして、静かに涙ぐんでいる・・・。
私はもう一度アランに向く。するとアランも頷いた。
今度はもう言葉が出なかった・・・。一度に色んな事が押し寄せてきて、何を言えばいいのかわからなかった。何から言えば良いのか言葉を探していると、ベルナールが
「アラン、俺が代わりに話そうか?」
と言ってくる、でも、アランは
「いい、大丈夫だ。俺が話すよ・・・。ル・ルーに全て俺が教えるよ」
そう答えると、また静かに話し始めてくれた。

長い長いお話だった。にわかには信じられない位のお話だった。
アンドレが死んで、後に残されたオスカルお姉ちゃまは身篭り、それによって産まれたのがアンジュだと言う。だけど、そのお姉ちゃまも・・・。
「オスカルは死ぬ前に俺にアンジュを託した。そしてこう言った。『アンジュ、今日からはアランがお前の父様だ。アランとアンドレの二人の父様にお前は見守られているからな』って・・。そして、静かに逝った。とっても、安らかな顔をしていた・・。眠っているかのような死に顔だった・・・。きっと、アンドレが迎えに来たのだろうな。微笑んでいたよ。幸せそうにな・・」
「オスカルお姉ちゃま・・・」
優しくて凛々しかったお姉ちゃまの姿が脳裏に浮かぶ。
「アンジュはそれから、俺が・・・。いや、ロザリーやベルナールとの3人で育てたようなものだ・・。俺が父親になり、時には母親の代わりもしながら・・・。この6年近くは色んな事があった。だけど、アンジュが俺の心を慰めてくれた・・・。アンジュがいたからどんな事でも耐える事ができた・・・。今の俺にとってはかけがえのない大事な息子だ」
ただ、黙って聞いている私。もう、涙が止まらない・・・。
すると、アランは椅子から立ち上がると私の目の前でしゃがんだ。そして、大きくて暖かい手で私の頭を静かに撫でながら
「悪かったな・・・。ル・ルーの大事な二人を守りきれなくて・・。すまなかったな・・」
その言葉を聞いた途端、アランの胸に飛び込んで私は思いっきり泣きだした。アランは優しく私を抱き締めてくれ
「思いっきり泣きな・・・。何も我慢なんかする必要はない・・・。思いっきり泣くだけ泣いたら、後はただ笑うだけだからな・・・。そうやって、人は人生を繰り返すんだ・・・。
アンドレもオスカルもそうやって精一杯生きたのだから・・・。ル・ルーもアンジュも、そして俺たち皆も同じだ。精一杯、笑って泣いて怒って、そして人を愛すればいいんだ。そうすれば、誰の心にも優しい明日の風は吹く。だから・・・」
そう慰める、アランも泣いていた。私はずっと泣き続けた・・・。胸の中で「オスカルお姉ちゃま・・・」「アンドレ・・・」と、二人の名前だけを繰り返し呟きながら・・・・。

私、二人に会えると信じてここまで来たのよ・・・。
お姉ちゃまに幼い頃のように、こうやって抱き締めてもらって「ル・ルー、よく来たな」と言って欲しかったのよ・・・。
そして、アンドレにも「ステキなレディになったな」と言ってもらいたかったのよ・・。
今はもう舞踏会なんてできない時だけれど、二人と踊りたかったの・・・。二人のワルツも見たかったの・・。幼い頃にお手本としてよく、踊って見せてくれたあのワルツを・・・。

「ル・ルーちゃん・・・」
後ろから、そっとロザリーお姉ちゃまが声を掛けてくれる。私はアランから離れ、
「アンジュはこの事は知らないのね。アンドレの事はもちろん、自分の本当のお爺様やお婆様の事も・・・」
全員に確認するように聞いた。するとアランは
「ああ・・・。まだ何も知らない。悪いがな、ジャルジェ家にはオスカルとアンドレが亡くなった事意外は知らせに行っていない・・・。だから、ル・ルー・・・」
「判っているわ・・・。誰にも喋らない。もし、お爺様に知られてしまったら、きっとアンジュを引き取りに来るに決まっているもの・・。だけどそれは、アンジュにとってもアランにとっても不幸な使者にしかならないもの・・・」
「すまない・・・」
「でも、でも、私はアンジュに会いに来てもいいでしょ?もちろん、何も余計な事は喋らないわ・・・。だから・・」
お願い・・・。せめて、少しだけの繋がりは頂戴・・・。そう、哀願に近かった。
それを感じてくれたのか
「ああ、いいぜ・・・。いつでも、会いに来てくれ・・・。俺たちは、いつでもここにいる。いつでも、ル・ルーの為に扉を開けていてやるから・・・」
ロザリーお姉ちゃまもベルナールも頷き答えてくれた・・・。
その言葉を聞いて、また私は泣き出した・・・。
今度は優しくて暖かい涙だった・・・。

朝になると、アンジュは眠い目をこすりながら起きて来た。でも、アランを見つけると
たちまち体全体が小さなバネになって、嬉しそうに抱きつく。
「わーい!父様!いつ帰ってきたの!?僕、がんばって起きて待っていようと思ったんだよ!だけど、眠たくなっちゃって父様のお迎えができなかったの・・」
膝の上に乗って、アランの顔を嬉しそうに覗き込んでいる。誰が見たって、本物の親子だわ・・・。それにアランだって凄く幸せそうな顔をして微笑んでいる。本当にアンジュを大切に育ててくれているのね・・・。
そんなアンジュの小さな頬に優しくキスをすると
「ははは・・・。それは悪かったな。じゃあ、今日は父様ががんばって早く帰ってくるさ。アンジュが眠くならないうちにな・・・」
「うん、約束だよ」
と言って、もう一度抱きついた。それから、私を見るとアランの膝の上から降りて駆けてきて、アランに抱きついたのと同じように私に抱きついてキスをしてくる。
「ル・ルーお姉ちゃん、おはよう!」
満面の笑顔・・・。ちっちゃな天使・・・。そして、オスカルお姉ちゃまとアンドレの子・・・。
「おはよう、アンジュ・・・」
そう言ってお返しのキスをすると、「えへへ・・・」と笑って、今度は「ロザリーおばちゃん!」と言って居間を出て行った・・・。アランが愛しそうに見ている。
「本当に。アンジュは天使ね・・・」
私がアランに向かって話し掛けると「ああ・・」と短く答えた。
「ありがとう、アラン」
「うん・・?何がだ・・?」
「全部よ・・・。全ての事に・・・。感謝しているわ・・・」
「よせや・・・」
そう言ったアランは照れながらも、とっても優しい笑顔を見せてくれた・・・。それは、色んな悲しみを乗り越えたアランの全てを表したとも思えるくらいの、優しくて静かな微笑みだった・・。

それから、昼過ぎになってから私はロザリーお姉ちゃまの家を後にした。
名残惜しそうに、お姉ちゃまは「もう少し居てくれてもいいのよ」と言ってはくれたけれど、私が実は、家出同然でここまでやって来たという事を話しすると、呆れたような顔をして「相変わらずね・・・。ル・ルーちゃん・・・」と言って笑った。アンジュも「まだ、帰んないでよ」と言ったが、今度くる時はもっとゆっくり居るからと、約束すると渋々納得して「じゃあ、約束だよ」と言って、小さな小指を出す。二人で指切りを交わすと「僕たち、もうずっとお友達だね」そう言って笑顔を見せてくれた。ベルナールが馬車を呼びに行ってくれて、私が馬車に乗り込もうとした時、
「これを・・・」
アランが小さな紙切れを差し出した。中を見ると
「これは・・・」
「ああ・・・。時間があったら寄ってやってくれ・・・。きっと、喜ぶだろう・・・」
「ありがとう・・・。アラン・・。それに、ロザリーお姉ちゃま。ベルナール・・・」
嬉しさに涙が溢れて来る。私が泣くのを見て、アンジュが「帰るのが嫌なら、僕んちに来てもいいよ・・。ね・・。お姉ちゃん」優しく声を掛けて来る。
「大丈夫よ・・・。アンジュ。お姉ちゃんは強いもの・・・」そう言って、アンジュの頭を撫で、私は馬車に乗り込む。御者に行き先をふたつ言って。
ひとつは、お爺様のところ。
そして、もうひとつはオスカルお姉ちゃまとアンドレのところ・・・。

馬車が静かに走り出した。みんながいつまでも手を振ってくれている・・・。
それに私も答える。
ありがとう・・・。皆、本当にありがとう・・。

アンジュ、小さな可愛いい天使。私の従弟でもあり、大好きだった二人の子供・・・。
あなたは、この町で生きていくのね・・・。
私が幼い頃、憧れて止まなかったこのパリ、今は大切な想い出の詰まったこの町で・・・。
まだまだ、不穏なこの時代・・・。だけど、あなたは大丈夫よね。
あんなに強くて、あなたを誰よりも慈しんでくれるお父様がいるのだから・・・。
そうよ、きっと・・・。

さあ、私も帰らなくっちゃ・・・。
きっと、お母様が心配しているわ・・・。
ああ、だけどその前にお爺様の雷が落ちるわね・・・。
今度は、私を庇ってくれる人も、優しく抱き締めてくれる人もジャルジェ家にはいないけれども平気よ。
だって、私の心の中にはオスカルお姉ちゃまがいるもの・・・。
アンドレだって一緒よ・・・。
だから、この先何があっても平気だわ・・・。

だって、私はル・ルー。
オスカル准将ですらてこずった、あのル・ルー・ド・ラ・ローランシーですもの。


                   −Fin−