『夢』

夢を見た。

薔薇が噎せ返るような芳香を放つ。
あれは夜だったか白昼だったか。
目に映るのはひどく懐かしい光景だ。

わずかな希望と押しつぶされそうな不安に胸を震わせながら
私はこの場所を何度も訪れた。
狂ったように咲く薔薇の爛熟した香りの中には
微かな死臭が混じっている。

その中に彼女は立っていた。
ゆっくりと私の方を振り返る。
瞳の中に、かすかな微笑みを浮かべて。

「ジェローデル、こんなところで何をしている。」

低くかすれた懐かしい声が
温かい水滴のように私の心に広がる。
私は自分の心がひどく渇いていたことに気づく。

「ずっと、あなたを探していました。」

言いたいことはたくさんあるのに
声はまるで押しつぶされたように嗄れ、息が苦しくなる。
無意識のうちに差し出した私の手に触れる白くしなやかな指先。

その手を握りしめると
指先から温度のない熱がするりと流れ込んだ。
熱いかたまりが喉元にこみ上げる。

「あなたはなぜ逃げたのです? あのとき。」

彼女は口を閉ざしたまま
菫色の空に浮かぶ新月のような謎めいた微笑みを浮かべている。

「なぜおまえが泣く? おまえは私の前では涙など見せたことがなかったのに。」

そう言われて、私は初めて自分が泣いていることに気がついた。
彼女の手が私の頬に優しく触れる。
吸い込まれそうに深く青い瞳はもの言いたげに私を見上げている。

そうだ。
私はこの瞳をずっと夢見ていた。
手にした瞬間に指の間からこぼれ落ちる
うたかたのようにはかない夢だ。

「ずっとあなたを待っていました。もう何年も。」

恐る恐る彼女の細い体を抱き寄せ
煙るような金髪に顔を埋めた。
立ちのぼる甘い香り。温かい。
腕に力をこめて抱きしめる。
もう二度とこの腕から逃さないように。

柔らかく温かい感触が氷のように冷えきった私の心にしみわたり
長いあいだ重石のように胸につかえていた
悲しみや苦しみがゆっくりと溶け出す。

「オスカル、オスカル。」

愛しい名前を何度も呼びながら
彼女の柔らかい唇をとらえ、口づけた。
私の年月は浄化され
どろどろした地上のあらゆる汚れが消える。

私は彼女を腕の中に抱きしめたまま
子供のように涙を流し続けた。
これほど安らかな気持ちを味わうのは何年ぶりだろう。


幸福な夢の名残を抱きながら私は目覚めた。
喉がひりひりと痛み、乾いた涙の跡が頬にはりついている。
部屋の中には夜明け前の硬質な光の粒子が漂っている。
窓の外は雪だ。



夢を見た。

馬上で黄金の髪を翻しながら
彼女が私の前に立ちはだかった。

「ジェローデル、私の胸を差しつらぬく勇気はあるか? こんなふうに。」

そうして手にした剣を振りかざすと
あっという間に自分で自分の心臓を差しつらぬいた。
私の心臓は瞬間に凍り付く。
胸からどくどくと血が溢れているのに
彼女は青ざめた顔のまま悲しげに微笑んでいる。

こんな光景をどこかで見たことがある。
早く行かなければ
何としてでも止めなければ
彼女はもう永遠に手の届かないところに行ってしまう。

頭に熱い血が駆け巡り
心臓は張り裂けんばかりに高鳴っているのに
足が地面に貼り付いたように動かない。

「ジェローデル、おまえには無理だ。私たちの生きる道は違うのだから。」

低く落ち着いた彼女の声が私の罪を裁く。
いや、私の受ける裁きなどどうでもよい。
ただ、彼女を守りたいのに。
迫り来る嵐から。
この世のすべての醜悪なものから。

彼女の姿が霞んで、次第に遠ざかる。

私はもがいてもがいて
声にならない声で叫んで
そして目が覚めた。
冷たい汗が背中をじっとりと濡らしている。

窓を開けると、真夜中の刺すような冷気が一気に流れ込む。
気だるく痺れた五官に現実の感覚が少しずつ戻ってくる。

枕元に置いているブランデーを小さなグラスに注ぎ一息に飲み干した。
焼けつくような感覚が胸に広がりあの日の記憶が鮮明によみがえる。
あれは私が地上で目にすることのできた彼女の最後の姿だ。

怒りと緊張で燃え立つような彼女を前にして
私は言葉を失っていた。


営々として築き上げた地位も名誉も
何もかもを失うかもしれない。
そんな思いがふと頭の隅をかすめる。
だが、私の心には不思議と何の恐れも躊躇もなかった。


彼女の清烈な姿が心に刻み込まれ
震えるような感動に心が沸き立つ。
同時に苦い絶望が喉元にこみあげる。
彼女と私の生きる道が
これほどにも隔たってしまった現実を目の当たりにして。

感動と絶望の奇妙なないまぜ。

それでもなお、彼女を求めてやまない自分の心の闇に
私はあの日から永久に膝を屈した。

彼女が私に向けた最後の微笑みは
あれは感謝の念だったろうか?


窓の外では今夜も風が吹いている。
過去の記憶は私を責め苛むと同時に
無邪気で幸福だった時代の甘やかな希望やときめきを思い起こさせる。
夢の中で私は幾度も人生の杯を飲み干す。

絶望と喜び
尽きせぬ後悔と満足の不思議な混合酒。
この苦くて甘い美酒を・・・。

FIN