『Magical Rose』
照りつける太陽の日差しに、微かではあるが秋のにおいを感じる・・・
そんな夏の終わり―――。
ここジャルジェ家でも、穏やかな午後が、夕暮れが訪れるのをゆったりと待っていた。
しかし、そんな柔らかな空気を蹴散らすように、オスカルの声がこだまする。
「アンドレー!アンドレはいるか!?」
「おいおい、オスカル。そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるぞ。」
「アンドレ、そこにいたのか。用意は出来たのか?すぐに出かけるぞ。」
「え・・・?」
「馬車の用意をするように言っておいたではないか!聞いてなかったのか?急なこと
だが、夕方から伺候するようにとアントワネット様から仰せつかったのだ。もういい!
今日は他の者に頼む。」
そう言ってオスカルは、屋敷の外へと飛び出して行った。
俺は、嵐のように捲くし立て去って行ったオスカルを見送り、やれやれと肩をすくめた。
もちろん、アントワネット様の用事など初耳だ。
俺への連絡を忘れる・・・オスカルらしくないことだ。
それくらい最近のオスカルには激務が続いている。
ようやく屋敷に帰っても、今のような急な呼び出しなどちょっちゅうだ。
ルイ15世陛下が亡くなり、新国王の体制になったはいいが、王室もまだまだ落ち
着かないのだろう。
オスカルが出掛けてしまったせいか、ぽっかり時間が空いてしまった。
手持ち無沙汰になってしまった俺は、厨房へと向かった。
「おばあちゃん、何か仕事ない?」
「あらアンドレかい?丁度よかった。たった今、花が届いたんだよ。裏手のほうへ
行っておくれ。」
「了解!」
俺は都合よく仕事が出来たので、少し気持ちが明るくなり、屋敷の裏手へ行った。
ここには、食材や花など、屋敷に搬入されるものが届く。
届けられた色とりどりの花達が、甘い香りを放っていた。
そして・・・
俺は一瞬、目を疑った。
花を届けに来た一人の女性に目が釘付けになった。
「あ・・こんにちは。こちらのお屋敷の方かしら?」
「あ、はい。」
思わず声がうわずってしまう。
何てことだ。
こんなに動揺している。
他のやつが見たら、変な誤解をしてしまうじゃないか。
何故ならその女性は・・・
俺の死んだおふくろに、そっくりだったんだ。
艶やかな黒い髪に、優しく輝く黒い瞳。
そしてそれとは対照的に、透き通るような白い肌。
ゆったりと右肩のところでひとつに結ぶ髪型は、よくおふくろもしていた。
遠い思い出の中でしか存在しなかったおふくろが、今まさに目の前にいるようだ。
「あのぉ・・花は何処までお運びすればいいかしら?」
俺は、女性の言葉で我に返った。
「あ、すみません。とりあえずこっちまで運んで下さい。」
俺はそう言って、自分も運ぼうと、幾つかある花束の中から特に目を引いた薔薇の
束に、無意識に手を伸ばした。
「その薔薇、珍しいでしょう?個人の方に贈り物なのよ。」
その女性は、微笑みながら言った。
年の頃は、俺よりも二つ三つ多いくらいだろうか。
少しだけ落ち着いた雰囲気が漂っていた。
「色も珍しいわよね。花言葉は・・・いつか必ず届く思い・・・だそうよ。」
俺は一瞬ドキッとした。
いつか必ず届く思い・・・
この屋敷に、誰か片思いをしている人間がいるんだろうか?
俺以外にも・・・。
「クスッ・・。」
「え・・・?」
ぼんやりしている俺が可笑しかったのか、その女性は笑い出した。
「あなたって面白い人ね。表情がくるくる変わって。私はニコルと言うの。あなたは?」
「あ、俺は、アンドレ・グラ・・・」
この時俺は、ひょっとたらニコルとは何らかの関係があるかも知れないと思い、
自分の姓・・・グランディエと名乗るのを躊躇った。
「アンドレグラ?」
「え、い、いや・・・は、ははははは・・・。」
俺は笑って誤魔化した。
「クスクス・・・。ホント、あなたって面白い人ね!気に入ったわ。時々配達に
来るから、これからも宜しくね。」
そう言ってニコルは、俺に手を差し出した。
握手をした彼女の手の温もりも、心なしかおふくろに似ているような気がした・・・。
厨房へ戻った俺は、おばあちゃんを探した。
おばあちゃんなら、何度かニコルを見たことがあるだろうと思ったからだ。
すると、ちょうど旦那様にお出しするお茶の用意をしているところだった。
「おやアンドレ。今日はニコルだったのかい?」
おばあちゃんは俺の顔を見るや否や、俺の心を読み取ったように言った。
「お前も驚いただろう。でもね、うちの親戚でも何でもないんだよ。世の中には
そっくりな人がいるもんだねぇ・・・。」
そうか・・・
俺はほんの少しがっかりした。
もし、ニコルと何らかの関係があれば、おふくろの事も知っているかもしれない
と思ったからだ。
そうすれば、懐かしいおふくろの・・俺も知らないおふくろの話を聞くことが
出来たかもしれない。
でも・・・
ほんの短い時間だったが、おふくろが生き返ったようだった。
嬉しいような切ないような不思議な気持ちだった。
もしかしたら、これは神様の贈り物だったのだろうか?
今日は俺の誕生日なんだ。
おふくろが俺を産んでくれた日・・・。
自分の誕生日なんてすっかり忘れていたが、おふくろにそっくりなニコルを見て
思い出した。
神様からの誕生日の贈り物・・・そんな風に思ったら、何となく心の中が温かくなった。
しかし――。
ジャルジェ家では、旦那様はじめ使用人達まで、何だかんだ言いながらも、みんな
優しくて面倒見が良く、常にお互いを気に掛けている。
そう・・まるで、ひとつの家族みたいに。
俺はそういう雰囲気が好きだったが、今日は・・・申し訳ないが、煩わしいと
思ってしまった。
何故なら・・・会うたびに色んな人間から、ニコルとは良い仲なのか?と聞かれるんだ。
案の定、俺がニコルに見とれていたのを誰かに見られていたらしい。
無駄だと思い、特に弁明しなかった俺も悪いが・・・。
俺とニコルは恋人同士になったという噂が、屋敷中に流れたんだ。
別にどんな噂が流れようと、俺は一向に構わないんだが・・・
この屋敷の中に唯一人、こういう類の噂を聞かれたくない人間がいる。
それは・・・もちろんオスカルだ。
俺のオスカルへの思いは、一方的であり、この思いが届くなんて大それたことは
思っていないが・・・。
やはり聞かれたくないものだ。
夜もだいぶ遅くなってから、オスカルはようやく帰ってきた。
俺はオスカルの為に入れたショコラを、彼女の部屋へ運んだ。
今日はだいぶ疲れているだろう。
俺は、昼間の馬車の件もあってか、少し気まずく思いながらドアを叩いた。
「入れ。」
「ご苦労様、オスカル。ショコラはここへおいて置くぞ。」
「・・・・・。」
やっぱり。
馬車の件は、相当怒っているらしい。
俺と目を合せようとしない。
サーベルを一心不乱に磨いている。
オスカルは、機嫌の悪いときには、いつも愛用のサーベルを磨くんだ。
「アンドレ。」
「な、何か?」
「馬車の件はすまなかった。私がお前に連絡するのを忘れていたんだ。」
「あ、いや・・。その事は別に構わないが・・・。」
「・・・・・。」
どうやら馬車の件ではないらしい。。
しかし、オスカルは相変わらず機嫌が悪いようだ。
俺と全く目を合せず、ひたすらサーベルを磨いている。
そして、俺が部屋を出ようとした時、言うのだった。
「アンドレ。もうすぐ私にまとまった休暇が取れる。そうしたら自分の時間は
好きなように過ごしてくれ。・・デートでも何でも。」
ああ、やっぱり。
噂はオスカルの耳まで届いていたか。
とすると・・・
オスカルの機嫌が悪い理由は、あの噂のせいか?
まさか。
でも、もしそうだとしたら・・・。
俺は、試しにオスカルに言ってみるのだった。
「オスカル。屋敷内の噂だが・・・本当にただの噂だぞ。」
「・・・何のことだ?」
オスカルがとぼけていることは、手に取るように分かった。
あの噂を聞くことがなければ、オスカルの口から”俺がデートする”なんて
言葉が出るはずが無い。
その証拠に、後姿のオスカルの髪の隙間から見える耳が、赤く染まっている。
俺とオスカルは、子供の頃から何をするにも一緒だった。
オスカルにとって俺は、召使の枠を超えて兄弟のような存在だと思っている。
そう信じたい。
だとすれば、仮に俺に恋人が出来たとしたら・・・嬉しいというよりは、少し
複雑な思いだろう。
少なくとも、俺はそうだ。
オスカルの機嫌が悪い理由がいわゆる嫉妬だとしたら、兄弟としてだろう。
でも、オスカルは少しでも俺に気を許してくれているという事だ・・・。
そう思ったら、嬉しくなった。
そんなオスカルが、とても愛おしく思えた。
俺は、自然と緩んでしまう顔を、懸命に堪えていた。
「オスカル、おやすみ。」
「アンドレ。」
「ん?」
「今日はまだ自分の部屋に帰っていないのか?」
「ああ。」
「そうか。いや、別にいいんだ。おやすみ、アンドレ。」
そう言ってオスカルは、やっと俺と目を合せてくれた。
サーベルを磨くのも止めたようだった。
そして、オスカルの表情からは、さっきまでの険しさが消えていた。
自分の部屋へ戻った俺は、ドアを開けるなり、甘い薔薇の香りを感じた。
ベッドと机と椅子しかない殺風景な俺の部屋。
その机の上で、薔薇の花束が、場違いなほどに甘い香りと輝きを放っていた。
それは、ニコルが配達してきた薔薇だった。
青とも紫ともつかない不思議な色をしたその薔薇は、花びらの先が少し尖っており、
確かに珍しい種類である。
しかし、何とも言えない上品な雰囲気を醸し出していた。
どうして俺の部屋に・・・?
俺は花束に封筒が添えられているのに気が付き、開けてみた。
中には一枚のカードが入っていた。
そこには・・・
『アンドレ、誕生日おめでとう。』
そして・・・送り主は・・・
・・・・・! オスカル・・・!!
俺は、一目散にオスカルの部屋へと戻った。
そして、ドアをドンドンドンと何回も叩いた。
オスカルは、俺を待っていたという風に、落ち着き払った様子でドアを開けた。
その瞳には、悪戯っぽい光が見え隠れしていた。
「どうした、アンドレ。また何か用か?」
「オスカル・・・薔薇・・・ありがとう。」
俺は、走ってきたので、少し息を切らしながら言った。
「・・・お前の誕生日には、いつもばあやと三人で夕食をとっていたからな。
今年は忙しくてそうもいかないだろうから・・何か花でもと思ったんだ。」
オスカルは、照れているのか、ほんの少し頬を紅く染めて言った。
その様子が、何とも言えず可愛くて・・・愛しくて・・・
抱きしめたかった。
そんなことをしたら、殴り倒されるだろうか?
幼なじみや兄弟としてなら許されるだろうか?
いや・・それよりも、一度抱きしめてしまったら、俺の心の奥深くに閉じ込めている
情熱が激しく溢れ出し、止まらなくなってしまうだろうか?
そんなことを思いながら、ふとニコルの言った花言葉を思い出した。
「オスカル。あの薔薇の花言葉は・・・。」
「花言葉?メイドに頼んで注文させたから、どんな薔薇かは私は知らないが?」
だろうな。
オスカルが、花言葉なんて知るはずもなく、注文したメイドだって・・・。
ただの偶然なんだろう。
でも・・・
ただの偶然だとしても、おふくろに似たニコルがあの薔薇を運んでくれ、そして
あの薔薇の花言葉は・・・
俺は、おふくろが天国からメッセージを送ってくれたのだと思った。
そう思ったら、気持ちが明るくなった。
オスカルへの切ない片思い・・・いつも側にいるのに、手が届かない・・・。
身分の違いを忌々しく思い、常に絶望感が付き纏う・・・。
辛いと思う日のほうが多かった俺にとって、ほんの少しだけ勇気をもらったような
気がした。
「本当にありがとう、オスカル。」
「これからも宜しく頼むぞ、アンドレ。」
そう言って微笑んだオスカルは、とても美しくて・・・とても眩しくて・・・
俺は、とうとうオスカルを抱きしめてしまった。
でも、オスカルは、俺を殴り倒すことはせず・・・
俺の背中に両腕を回すと、トントンと2回、軽く俺の背中をたたいた。
それは、とても優しく、心地よかった。
激しい情熱ではなく、温かい愛しさが、俺の心の中を満たしていた。
薔薇の贈り物も、もちろん嬉しいが、オスカルの温もりと・・不器用だけれど柔らかな
その心が何よりも嬉しい・・・。
今日で、20歳――。
今までの人生で、一番素晴らしい誕生日に違いない。
そして、これから迎える誕生日に、いつもお前・・・オスカルが側にいてくれればと、
心の中で願うのだった。
花言葉は・・・
――― いつか必ず届く思い―――
〜Fin〜