海の呼ぶ声
          
                  第一話   
 (1)

 ひどく頭痛がする。体全体に疼きのようなものが走り、所々が熱く燃えている。少し落ち着いて自分の息を感じてみると、体の芯がゾッとした。意識を失う前の光景が頭を支配した。船が崩れ去り、波が冷酷に笑いながら、木や人を飲み込んでいった。
そして自分もそれに飲み込まれ、暗い海の中で意識を失ったのだ。では、ここはどこなのだろう。今、自分はどうなっているのだろう。
 小さく声をあげ、苦い顔をして腕を動かした。肩が激しく痛み、冷や汗がでた。手に、軽いシーツの感触がある。ともかく、自分が今海の中にいないことだけは分かった。それが分かった瞬間、無理に体を起こそうとした。ここはどこなのか、自分は今どうなっているのか。その疑問が頭の中で響いたのだ。体は半分も上がらなかった。
胸に針で刺されるような痛みが走り、起きた瞬間に目眩がした。熱い感覚が頭をぐらぐらと湧かせ、意識をさまよわせた。黄色や緑の線が、閉じた目の中でちかちかと揺れ、それが遠ざかると、ゆっくりの瞼を上げた。目には、シミのある木の天井が映った。その天井からぶら下がった、欠けたランプが揺れている。
「目が覚めたか。」
 耳障りのいい、ハスキーな声が聞こえた。その声の聞こえた方を見ようと目を動かすと、また目眩がした。声が続いた。
「無理をするな。まだ体が戻りきっていないだろう。ゆっくりしていろ。」
 ともかく自分は助かったのだということが分かり、そこで初めてゆっくりと息をすることができた。大きく息を吐き、胸の音に耳をすませた。
「ありがとう。」
 疲れているが、落ち着いた声がひびいた。すると、くっくという押し殺すような声が耳に伝わってきた。
「アンドレ・グランディエ。」
 自分の名前を呼ばれ、ベッドの上でビクッと体が震えた。
「これが名前か。」
 胸の上に、湿り気のある、重い物が投げられた。目を下に向け、それを確認した。
自分の手帳が、すっかり水を吸い、端をよれよれとさせて、頼りなしげに横たわっていた。
「お前を拾ったのは私だから、お前の持ち物は私の取り分なのだが、それはいらないから返す。」
 アンドレは頭が痛んだ。相手の言っていることに、理解のできない言葉が幾つか含まれていた。しかし冷静さを取り戻すにつれ、持ち前の察しのよさで、自分が今どこにいるのかがだんだんと把握されてきた。そして理解するにつれ、顔からは血の気が引いていき、頭には冷たい感覚が走った。しかしその感覚は、次の瞬間、いっきに沸騰するような熱さに変わった。
 ハスキーな声を響かせていた者が、自分の顔を覗き込んできたのだ。目に映ったのは、どこまでもまっすぐとして、夢を秘めた青い瞳に、太陽の光を受けて白く光る、真珠のような肌と、永遠の神話へと誘う黄金の髪だった。それら一つ一つの美しさにもまして、均整の取れた美しい顔立ちに、アンドレは息をのんだ。顔が軽いしびれを持って赤く染まるのを感じ、相手を直視できなくなった。目線が金髪の後ろの宙をさまよった。
 相手は口元を小さく笑わせ、ジッとアンドレを観察していた。
「オスカル・フランソワ。」
 そう言うと、オスカルはアンドレの視界から消えた。アンドレの心臓は、いつの間にか鼓動が早くなっていた。
「それが私の名前だ。」
 扉が開く音が聞こえた。潮の香りを含んだ風が、涼しげに自分の肌をかすめた。
「ありがとう。とさっき言ったな。」
 またくっくと笑い声が聞こえた。今度は少し、申し訳なさそうな気持ちがにじみ出ていた。
「生憎だな。お前を助けたのは海賊船だ。」
 早くなっていた胸が、いっきに硬化していった。今度こそ自分の顔からは血の気が無くなり、頭は冷たい氷水に浸った。
「命が助かっただけでもよかったと思え。お前以外の者は、誰一人助かっていない。」
 扉の閉まる、乾いた音が耳に届いた。右側から、太陽の強い日差しを感じた。今は真昼で、よく晴れ、風も穏やからしい。意識を失った夜の、あの嵐が嘘のようだった。あの時の轟音が、耳の中で何度も響き、頭の中ではあの怪物のような波の様子が回り回っていた。波が船を揺らす軽い感じに体をまかせていると、背中をなでられているようで、目頭が熱くなった。天井を見つめたまま瞬きもせず、声もあげず、アンドレは涙を流した。果てしない孤独感が、自分に襲いかかってきた。この青く広い海の上で、彼は確実に一人だった。

                  (2)

「よう。調子はどうだ。」
 体の痛みも和らぎ、眠りに落ちていたらしい。さっきのオスカルの透き通る声とは違う、低い声で目を覚ました。目の前には、気さくそうで、男らしい日焼けした顔があった。黒い目が、自分を見つめていた。
「お前も海賊か?」
 男はひゅっと口笛を吹き、ニヤニヤと口元を緩ませた。
「なんだ。オスカルに聞いたのか。」
 その名前を聞くと、なぜか傷がうずいた。目には風にたなびく、金の糸が浮かんでくる。まぶしすぎて、少し目を閉じた。
「彼はどうしてる?」
 男はキョトンと目を丸め、そして口に手を当てたかと思うと、大声で笑い始めた。
「あっはは。またあいつ男と間違えられてやんの。あっはっは…」
「?」
「あっは…悪いね旦那。そんなに不思議そうな顔すんな。」
 男は笑いすぎてたまった涙を拭うと、また口元をにやつかせ、アンドレを見た。
「あいつ、男のなりはしてるが、歴とした女だぜ。」
 アンドレは顔が熱くなるのが分かった。頭では、さっきのオスカルの姿がフラッシュバックされた。妙に細い体つきをしていて、腕も、筋肉が付いていないというわけではないのに、木のように細い。男にしては白すぎる肌が、なんとなく痛々しく感じられたのだ。
 赤くなるアンドレを見て、アランは口元のゆるみを少し堅くし、(笑顔)と呼べる表情になった。
「気にするな。あいつはいつも間違えられるんだ。」
「しかし、海賊船に女というのは…」
「おっと、勘違いするなよ。俺たちは正義主義の海賊なんだ。妙な目的で女を乗せているわけじゃねえよ。あいつは船長の娘だ。小さい頃からずっとこの船で生きてる。」
「だが、やはり女なら危険は多いだろう。」
「あいつの剣の腕はこの船一だぜ。何せ、生まれたときから船長に鍛えられてきたからな。今では船長より上だ。敵なんてみんなあいつが倒しちまう。時々入った性悪の新入りなんかが、妙な気起こしてあいつを襲おうとしたこともあったけど、その度にみんな叩きのめされてこの大海原にポイだ。昔っからこの船に乗ってるやつなんかは、そんな気起こしゃしねえよ。魚のまんまになるのはごめんだ。」
 アンドレは深く息を吐き、オスカルの姿を思い浮かべた。あの美しさなら、性悪でなくても、妙な気を起こしてしまう。全ての意識が彼女にとらえられ、何も見えなくなってしまう。その恐ろしい感覚に、少し背筋を冷たくしながらも、胸は痛むように熱くうずいた。「お前、名前は?」
 男が尋ねた。
「アンドレ・グランディエ。」
「アンドレか。俺はアランだ。安心しな。身の安全は保証してやる。」
 アランはアンドレを見下ろし、にっと笑った。
「言っただろ?俺たちは正義主義だ。」
 アンドレも笑い返した。すると、さっきのオスカルの言葉を思い出した。
「正義主義でも、人の物は盗るんだな。」
「あれはお前の治療代だ。オスカルに感謝しろ。木の上に乗っかって、流れてたお前を拾って、治療までしてくれたんだ。」
 それを聞いて、アンドレはカッと体が熱くなった。シーツを少し下げ、自分の体を見ると、上半身には何もまとっておらず、包帯が巻かれていた。
「恥ずかしがることはねえよ。あいつはこんなの慣れてる。いつも仲間が怪我をしたら、あいつが面倒見てくれてる。」
「船医はいないのか?」
「いるさ。とびきり腕のいいのがな。だがオスカルは優しいのさ。治療が完了するまで、あいつはいつもみんなを看病してる。」
 ふうと息を付くと、またオスカルの姿が浮かんできた。優しいという、初めて彼女に似合う言葉を聞いて、少し安心した。
「その怪我が治ったら、お前を下ろしてやるよ。ま、その怪我じゃあと一ヶ月はかかるわな。それまでせいぜい養生しな。」
 アランは部屋の戸を開き、出ていこうとして立ち止まった。何かを観察するように、こちらをジッと見ている。部屋中の空気に何か違和感が漂い始め、その空気が、たまらなく居心地悪かった。アランの黒い目は、何か中の方をえぐってくるように、アンドレを見つめていた。アンドレはだんだん気持ちが悪くなり、サッと顔を背けた。それを見て、アランは小さく微笑し、部屋を出た。誰もいなくなった部屋で、アンドレはふうと息をついた。目を伏せると、また彼女の姿が浮かんでくる。
 どうしたというのだろう。無性に胸が騒ぐ。脳髄の一帯が支配され、息をするのがもどかしくなる。悲しみにも似た感覚に胸を痛め、それでいて甘い柔らかな感触が、心臓に伝わってくる。吐き出す息にも生命が宿り、全ての物に精霊の祝福が感じられる。どうしてしまったのだろう。
「恋と呼ぶのか?これが…?」
 ふっと含み笑い、シーツをたぐり寄せた。ふと彼女の香りがしたように感じ、頬が熱くなったが、すぐにアイロンの清潔な香りに変わった。

                  (3)

 台所ではたらたらとした、安っぽい酒の臭いが漂っていた。その安っぽい臭いが鼻腔をつき、何となく切なくさせる。涼しく、新鮮な風が入ってきたかと思うと、荒々しく壁とぶつかるドアの音がし、アラン独特の足音がした。
「なんだ。昼間っから安酒呷りやがって。」
「悪いか?」
 自分の向かい側に座る彼を見ながら、オスカルはボーっと意識をさまよわせた。
「そういえばお前、あのけが人さんよ、お前のこと、男だと思ってたぜ。」 
 それを聞いて、一瞬、オスカルの目に悲しげな光が見えた。しかしそれは含み笑いと共に消え、酒を入れたグラスが顔を覆った。
「慣れてる。」
 それを見ながら、アランも酒の瓶をつかむ。オスカルの様子を見ながら、ほんの少し、酒を口に含んだ。口にはなんの深みもない、薄っぺらな味が広がった。
「でも奴さん、お前のことはまんざらじゃないみたいだぜ。」
 オスカルはガンと音を立ててグラスを置き、腕に顔を押しつけ、はらりと髪をゆらした。腕と顔の間から、鋭い青い目が見える。
「気持ちの悪いことを言うな。」
「そうかね。結構いい顔付きじゃねえか。まだ若いし。」
「年下は趣味じゃない。」
「手帳見たら、お前より一年先の生まれだったぜ。生まれ年が書かれてた。」
 また顔を深く埋めた。手をかすかに動かし、中の酒を揺らす。その波の感触を味わうように、オスカルは黙りこくった。
「あいつ、一昨日の嵐で難破したんだろうな。なんの船だろ。」
「知らない。海賊船じゃないことは確かだな。」
 そう言うとオスカルは、床の上に置いていたカバンを机の上に上げた。革のカバンだが、柔らかく古び、不規則なしわが目に付いた。オスカルはそれをまさぐると、何冊かの本を取りだした。みな端がよれ、表紙の文字が優しくにじんでいた。それをぱらぱらとめくり、つまらなそうな顔で見つめると、いきなりパンと音を立てて閉じた。
「あいつ、学者か何かか?こんな難しい本を持って、どう考えても、海賊の読む本じゃない。」
「そう言いながら、何でそれを返してねえんだ。手帳は返したんだろう?」
 オスカルの表情にわずかな動きが見られたが、それはすぐに、いつものさすような表情に変わり、青い目がアランを見つめた。
「珍しい本なら、売れば高くつく。」
「売れやしないよ。そんなよれよれの本。金になる物とならない物を見極めるのは、海賊の基本だろ?そうでなくても、普通の感覚を持ってるやつなら、売れないことぐらい分かる。」
 それを聞き、オスカルはじっと本を見つめた。
「でも読める…。」
 何か目に熱いものがこもった。挑戦者に対する、尊敬と複雑な友情を込めた、揺るぎない眼差しのようだった。
「でも…読める…」
「なんだ、読みたいのか。」
 その言葉に、驚きと怒りの表情で応える。疑うような目で相手を観察した後、サッと立ち上がった。
「不愉快だな。」
「そうかい?」
「売れないというのなら、返してくる。」
「でも、欲しいならもらっとけ。」
「海賊は、こんな本など読まん。」
 そう言い放つと、ガッとドアを開き、同じように荒々しく閉めて、部屋を出ていった。後に残ったアランは、グラスの酒をゆらし、そっと口を付けた。オスカルの唇に触れたであろう縁を、なでるように優しく味わった。そしてふと心の宣告に耳を傾け、スッと離した。何か思いをはせるように、目が遠くを見つめる。
「あの熱い目…あれがあいつのホントの姿さ…」
 また寂しい、安い香りが、部屋を満たしていった。

(4)

 この本を返さなければならない。できるなら、読み終わった後がよかった。
 オスカルはアンドレの部屋の前で、ノブに手を掛けたまま、しばらく本を見つめていた。あんな事を言われては、返さないわけにはいかない。本のざらりとした感触を確かめ、ノブの冷たい感触を確かめた。ドアを開けると、アンドレは体を起こし、手帳を開いていた。寂しそうな表情だったが、オスカルを見付けると、ほんのりと笑顔になった。
「やあ。」
「なんだ。海賊にそんなに親しくしていいのか。」
 アンドレはふっと笑い、悪戯味を込めた目でオスカルを見つめた。
「よくも俺を脅かしてくれたな。正義主義の海賊。」
「ああ。アランが話したのか。」
 オスカルは部屋の隅にあった椅子を引き寄せ、アンドレの隣に置いてどっかと座った。オスカルは手に力をいれ、再び本を見つめた。何となく気がひけ、話し出せなかった。手に入れたばかりの本が、自分と何年間も付き合ってきた友のように思え、離せなかった。
「ありがとう。」
 いきなりのアンドレの言葉に、オスカルはサッと顔を上げた。
「何が?」
「怪我の治療…してくれたんだろ?」
「ああ。」
 またアランか。と、オスカルは胸の中で舌うった。いつも余計なことばかり人に言い、こちらを困らせてくる。気持ちが表情ににじみ出て、眉がつり上がっていた。その様子を見て、アンドレは小さく含み笑いをした。そして手に握りしめられている、よれた自分の本を見付けて、オスカルを見つめた。
「これは、俺の本。」
「あ…」
 オスカルは一瞬顔を強ばらせ、手に力を込めた。しかしゆっくりと肩の力を抜き、寂しい目をして本を見つめた。細い首をまっすぐと立たせ、アンドレを見た。
「変えし忘れていた…すまない…大切な本か?」
「いや…そういうわけじゃ…」
 アンドレはオスカルの表情の変化を見逃さなかった。一瞬見せたためらいの表情は、本を返しそびれたからではない。返したくないからなのだと、アンドレはピンときた。
「あげようか、その本。」
「え?」
 オスカルはその言葉に顔を上げ、思いもよらなかったその言葉に目を丸めた。アンドレは微笑み、オスカルを見つめた。
「興味があるんだろ?俺はもう、内容をほとんど覚えているから、必要ない。持っていたければ、持っていてくれ。」
 本を見つめたまま、オスカルは黙っていた。しかし、ふっと、何かを思いきったような表情になり、笑顔を見せた。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
 部屋にはかすかな笑い声が広がっていった。二人はどちらともなく目を細め、微笑みを笑顔に変えていった。押し殺すような笑い声は、部屋の空気に振動を与えるほどの声に変わっていった。
「はっはは…海賊に礼を言われたのは初めてだ。」
「私だって…ふふ…礼を言ったのは初めてだ。」
 笑い声はいったんの終わりをむかえたが、二人の口元にはまだ笑みが見えた。オスカルが大きな青い目を、ゆったりと細めているのを見て、アンドレはまた胸が苦しく
なった。少し下ろされた長いまつげの間から、晴天の日の海よりも輝く青い目が見える。不思議な淡い感情が自分の心の奥に、ゆっくりと侵入してくるのを、アンドレは無言の内に感じた。それは恐怖にも似ていたが、押しつぶされるような胸の震えと、包み込むような甘さが、そっと慰めるように心を支配していった。
『恋と呼ぶのか?これが…?』
 海賊に恋をしたなどという間抜けな話は聞いたことがない。そう思いながらも心はますます、オスカルに惹かれていった。
 オスカルは嬉しそうに本を見ていた。そしてふと思い出したように、アンドレに目を移した。
「お前、こんな難しい本を持って、何をしているんだ?」
「ん?俺?俺は学者だ。植物学者。」
 そうとアンドレは、ヒョイと白い手から本を取り、自分の膝の上に広げた。本の文字は所々にじんでいたが、ちゃんと読むことができた。左のページには、小さな花をつけた、可愛らしい植物が載っていた。花は首を垂れ、その様子がほんの少し、儚さをかもし出していた。葉はピンと背筋を正し、機能的に、太陽の光を得られるようになっていた。
「俺の乗っていた船は、2年ぶりに祖国に帰るための船だった。異国の地で、色々な研究をして。それでやっと研究が終って、皆と一緒に帰るはずだったんだ。それなのに…」
 小さく肩が震えていた。その震えは響くようにオスカルに伝わり、胸を締め付けた。オスカルはアンドレの背中にそっと触れた。指が触れた瞬間、肩の震えが、血管を伝わるように、自分の手に流れ込んだ。その感覚に無意識に驚き、そしてそのまま、黙って掌を背中に当てた。その暖かさがじんわりと伝わり、アンドレの内蔵に染み渡っていった。そして自分でも気付かぬ内に、小さく声をあげて泣いていた。その声は波の揺れと不思議に同化し、その声が、船を小さく揺らしているのかとさえ思えた。涙が本の上に落ち、にじんでいたところを、さらににじませた。ゆっくりと心の揺れは遠ざかり、後には喉の熱さと、風が通り抜けたときのような清涼感が残った。
落ち着いたアンドレの表情を見て、オスカルはゆっくりと口を開いた。
「お前、国はどこだ?」
「フランス。」
「フランスか。ならばお前の怪我が治る頃、そっちへ回ってやろう。大丈夫だ。必ず帰してやる。」
 その瞳のまっすぐさに、アンドレは息をのんだ。これほどまでに、人は生きた目をするのか。何かにまっすぐな者、心の誠実な者は、こんな目をするのか。ゆっくりと唾を飲み込み、高ぶる心を黙って抑えた。そして口元を上に上げ、優しく微笑んだ。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
 しばらく、青い瞳と、黒い瞳が見つめ合った。そしてまた、どちらともなく笑い出し、部屋を柔らかい空気で満たしていった。
「海賊に礼を言ったのは…はは…初めてだ。」
「ふふふ…私だって、言われたのは初めてだ。」
 船は青い海を掻き乱しながら進んでいった。