風のささやき



― U ―

娯楽室の騒ぎはまだ続いていた。
賑やかな声が兵舎の外まで響いている。
門外へ消えたオスカルを見送ったアンドレが、宴たけなわの娯楽室へと戻ってきた。
本来ならば彼女の護衛として常に行動を共にすべきところなのだが、子供じゃないからと言って同行するつもりでいたアンドレを制し、一人でベルサイユに出向いてしまったのだ。
無理を言って付いて行ってもよかったが、彼女のご機嫌を損ねることを怖れ、今日のところは別行動。
たまにはこんなことも良いのかな? などと思いながら、釈放祝いの宴で賑やかな娯楽室の扉を開けた。

宴といってもここは兵営。
しかも昼間とあってアルコールも出てはいないが、それでも上機嫌の男達は羽目を外して騒いでいた。
そんな所にアンドレが一人戻ってきたので、皆が一斉に驚愕の声を上げた。
「アンドレ、いいのか? 隊長を放っておいて、大丈夫なのかよ?」
やっとの思いで入り口に辿り着いたらしきアランが、早速からんでくる。
「たまには別行動も良いだろう?」
廻ってきたグラスを受け取りながら、アンドレはにっこりと笑った。
その明るい表情に、アランは思わず目をみはる。
つい先日まで、本当に辛そうな顔をしていたのに・・・
今のこの、自信に満ちた顔は何だ?
やっぱり何かあったな。
何となくではあったが、二人の仲が前以上に良くなったことに、アランは気付いていた。
一時期のあのよそよそしさが消え、他のものが入り込めない空気が流れるようになっている。
オスカル自身の雰囲気にしても、今までのがむしゃらに何かを忘れようとしていた、あの刹那的な感じが抜けていた。
アランにとってその状況は、逆に複雑な感情を起こさせるものではものではあったが、それでも親友の恋の成就は嬉しいものである。
思わずアンドレの肩に手を回し、その顔を覗き込んでいた。
「何だよアラン、気持ち悪いな!」
「いや、なに・・・ やっぱ、色男は違うなあと思ってな」
「はあ?」
含んだ物言いをするアランを訝しく思いながら、アンドレは手にしたグラスを口にした。
「今まで以上に大切にしてやんなよ。さもないと、俺が許さねえからな!」
予期せぬ言葉にアンドレは、思わずグラスを取り落としそうになった。

ばれてる!
慎重に振舞っているつもりでも、他人が見て判ってしまうものなのか?

血の気がひいて固まってしまったアンドレに、アランは自分の考えが当たっていたことを知った。
「アラン、何故・・・」
「俺達、いつも行動が一緒なんだぜ。様子を見てりゃ、すぐに判るって!」
アランはそう言いながら、ポケットにこっそり隠し持っていた小ビンを取り出した。
蓋を開けるとグイっと一口、咽喉を潤す。
「おい、昼間っからアルコールは!」
「俺は非番だぜ! それに・・・ これが飲まずにいられるかってんだ!」
オスカルにほのかな恋心を抱いていたアランは、少々自虐的になりながら、もう一度小ビンに口をつけた。
そしてチラリと横のアンドレを見る。
いつもポーカーフェイスであまり感情を表に出さない彼が、ぎこちなく表情の固まった顔をしている。
気まずいムードが彼の周囲を取り巻いていた。
このままの状態でここにいられたら、他の奴らが何を言いだすか・・・
アランはしょうがねえなぁという風に、小鼻の脇をポリポリと掻いた。
「安心しろよ。気付いたのは多分、俺だけみたいだから」
「アラン、このことは・・・」
「判ってるって、言うわきゃねえだろ! まったくよ!」
何で恋敵の肩を持ってやらなきゃいけないんだと歯痒い思いはしたが、何年も一途に思いつづけてきた男に一歩譲ったアランであった。
アンドレの固まっていた表情が、少しづつほどけてくる。

相変わらずまわりは賑やかで騒がしく、二人のやりとりなど誰も気に止めていない。
そんな所に当番兵がバタバタと駆け込んできた。
一瞬、その顔は娯楽室内を羨ましそうに眺めたが、求める人影を発見し、大声で用件を伝えだした。
「アンドレ、よかった! 隊長と出かけたかと思ってたよ」
「何か、緊急事態でも?」
あんなに強張った顔をしていたのに、わずかな時間でいつものポーカーフェイスに戻っていたアンドレに、アランは舌をまいた。
誰にも気付かれずに一人の女性を思いつづけると、そんな特技まで身に付くものかね? とアランは少し酔いのまわった頭で考えていた。
しかし当番兵の次の言葉に、アンドレの表情はまた固まった。
「面会だよ。可愛い女性がお待ちだよ」
「え? 女性って、一体誰だ?」
訝しげな表情でアンドレは席を立った。
そんなアンドレをからかう声が、部屋中からかけられる。
「おやすくねえなあ、アンドレ!」
「隊長一筋じゃなかったのかよ?」
アルコールも入っていないのに、何でここまで羽目を外せるんだろう?
もしかしたら全員、酒瓶を隠し持っていたんじゃないのか? という疑惑もわいてきてしまう。
背中越しに聞こえてくる様々な声に苦笑を浮かべながら、アンドレは面会室へと向かうことになった。
可愛い女性というのが誰か判らぬままに・・・

アンドレが出て行った後、娯楽室は彼の面会人の話題で盛り上がっていた。
面会日でもない日にわざわざ出向いてくる用件を持った可愛い女性。
それだけでも十分に話題性がある。
どういう関係なのかという憶測が飛んで、ますます内容はエスカレートしていった。
そんな下世話な会話に加わることなく、アランはまた小ビンを手にする。
そして先ほどまでの彼の、表情の固まった顔を思い出していた。
「ばれるのがそんなにショックなことなのかね? もっとも、彼女の父親に知られたら、ただではすまないだろうからなぁ・・・ 大貴族の令嬢と平民の従僕だぜ」
そう一人つぶやくと、小ビンの残りを飲み干した。

〜 To be continued 〜