左の席の憂鬱 「アラン!」 頭の上から声がする。 誰だ、偉そうに俺を呼びつけるのは? 見上げると、2階の窓から、隊長がひらひらと手を振っていた。 春の午後の陽にきらめく豪華な金の髪がまぶしくて、俺は、思わず目を閉じた。 「アラン、暇そうだな。よければ、少し手伝ってもらえないか?」 隊長は、にこやかに言う。 そんなきれいな笑顔をみせられたんじゃ、断るわけにはいかねぇよな。 俺は、返事の代わりに軽く手をあげてみせた。 面倒くさそうに、少し仏頂面で。 本当は嬉しいくせに、まったく、我ながら素直じゃない。 ジャンやフランソワなら、喜んで飛んでいくんだろうな。 まぁ、俺にはできないし、似合わない芸当だ。 第一、俺がそんなことをしようもんなら、隊長が腰を抜かすかもしれない。 俺には俺にあったやり方があるってことだ。 2段飛びに階段を駆け上がる。 司令官室の前まで来ると 「ああ〜〜〜っ!!」 と、隊長の叫ぶ声が聞こえてきた。 俺は驚いて、ノックもせずにドアをあけた。 「うわつ、開けるな、アラン!!」 隊長がもう一度叫んだときには、すでに遅かった。 開け放たれた窓から通り抜けた風が、部屋中で書類を踊らせていた。 「すみません。」 俺は悪くないと思うが、一応、謝っておいた。 「いや、お前のせいじゃない。」 隊長はあっさりそう言うと、大きく開かれた窓を閉めた。 「暖かくて気持ちがいいから、窓を開けてたんだ。そしたら、このざまだ。」 おかしそうにそう言ってから、少し困ったような顔をした。 「よけいな仕事を増やしてしまった。ったく、もう!!」 ぶつぶつ言いながら書類を拾い集める隊長は、なんだか子供みたいだ。 冷静で冷たいともとれるいつもの姿とのギャップに、俺は思わず笑ってしまった。 「笑っていないで、手伝ってくれ、アラン。ブイエ将軍が、お待ちかねなんだ。」 「何をです?」 「この書類さ! 何を思ったんだか、過去5年間のパリにおける衛兵隊の出動状況をまとめろとのご命 令だ。三部会開会後のパリ市内警備に必要なんだそうだ。 いったいどれほどの量があると思う!?たいして役にも立たないような仕事に使う時 間はないからな。 腹もたったし、しばらくほおっておいたら、昨日、自らお出ましになってこう言うん だ。 『ジャルジェ准将、たかだか出来上がった書類の整理に、いつまでかかかるのかね ?』 その嫌みな言い方といったら!!」 隊長は、相当頭に来ているようだった。 ブイエの野郎がどんなヤツかわかっていながら、仕事をほおっておいたあんたもあん ただぜと言いたかったが、やめておいた。 これ以上怒らせない方が得策だ。 特にアンドレのいない今は・・・。 アンドレは、3日前から休暇をとっている。 なんでも、生まれた村へ帰ってるんだそうだ。1週間の予定らしい。 こんなに長く、隊長がひとりでいるなんて、衛兵隊にきてから初めてだ。 そのせいで調子が狂っているんだろうか。 どうもいつもの隊長と違う・・・ような気がする。 いつもは俺たちに気軽に声をかけて、話に入ってきたりするんだが、ここんとこ、司 令官室に閉じこもって、外に出てこない。 窓に寄りかかって、ぼんやり遠くを眺めている姿も何度か見た。 今日の訓練だって、どう見てもありゃあ、上の空って感じだったな。 いつもそばにいるヤツがいないっていうのは、こんなに気抜けしてしまうもんなんだ ろうか? それとも、何か訳ありなのか? いやいや、そんなことはない・・・と信じたい。 もし、ふたりの仲が進展してるんなら、アンドレが隊長をひとりにするわけないもん な。 ともかくそんなわけで、今みたいにカッカと熱くなっている隊長を見るのは久しぶり だった。 俺は、何だか嬉しくなってしまう。 やっぱ、隊長はこうでなくっちゃいけねぇよ。 それでこそ、フランス衛兵隊の隊長だぜ。 ぶつぶつとモンクをいう隊長を横目で見ながら、俺はつい緩んでしまう頬を引き締め るのに苦労していた。 ふたりで、部屋中にちらばった書類を拾い集める。 そのうち、俺はふと気がついた。 「隊長、ブイエ将軍は、休暇中ではなかったですか?」 そうだ、確かにヤツは休暇だったはず。 でも、嫌みを言われたのは、昨日だったよな? 俺の疑問に、隊長は苦々しそうに答えた。 「そうだ、休暇中だ。 にもかかわらず、わざわざおいでになられたんだ! よっぽど暇をもてあましていらっしゃるんだろう。」 隊長の口調は、かなりトゲトゲしい。 このふたりは、よほど相性が悪いとみえる。 イヤなヤツだとは俺も思うが、鼻っから相手にしてねぇからな。 隊長は、これ以上のイヤミは聞きたくないので、徹夜して書類を仕上げたらしい。 たいした根性だ。 後は提出するだけになってこの騒ぎになってしまったと悔しそうしている。 馬車まで運ぶのを手伝ってもらおうと思っただけだったんだがと言ってから、隊長は ふいに俺に向かってにっこりと微笑んだ。 「絶対、今日中に終わらせるからな。頼むぞ、アラン。」 頼まれて悪い気はしねぇもんだ。 しかも、隊長とふたりだけで仕事ができるなんて、今日はなかなかツイてるぜ。 俺は、わかりましたと優等生の返事をすると、書類を集める手を速めた。 集めた書類に目を通し、日付の順に並べていく。 しばらくすると、単純な作業に飽きがくる。 どうやら隊長もこういった仕事は苦手なようだ。 さっきから、ため息ばかりついている。 アンドレなら、多分、あっという間に終わらせてしまうんだろう。 生真面目に書類整理をしている姿が見えるような気がして、思わずヤツの名が口をつ いて出た。 「アンドレが」 いたらさっさと片づけちまうんでしょうと続くはずの言葉は、ガタン、バサッという 音に消されてしまった。 何が起きたのかと、俺は音の方へ顔を向けた。 隊長だった。(ふたりしかいないのだから、当たり前なのだが) 立ちあがった拍子に、椅子を倒し、その勢いで書類を机から落としてしまったのだ。 俺の苦労の結果が、床の上に再び散らばっていた。 隊長は、ドアを見つめていた。 大きく開かれた瞳が一瞬輝き、それがゆっくりと失望の色に変わるのを、俺はしっか り見てしまった。 何かに呼びかけるように開かれた唇は静かに閉じられ、拗ねたように少し尖った形に 変わった。 「隊長?」 固まってしまって動かない隊長に、遠慮がちに声をかける。 隊長は驚いたように俺を見て、小さな声ですまないと言った。 何でもないんだ、気にしないでくれと、そう言う隊長の頬は赤く染まっている。 椅子を戻し、散らばった書類を拾い集める後ろ姿が、やけに小さく見えた。 隊長は、アンドレを待っているんだ。 それは間違いない事実だ。 このところ上の空気味だったのも、あいつがいないせいだというのは、今のリアク ションでよくわかった。 悔しいけど、仕方ない。 隊長とヤツは、セットみたいなもんだからな。 ただ問題なのは、隊長がどういう気持ちで待っているのか、だ。 1.ガキの頃からそばにいたヤツがいないと、どうも調子が狂ってしまう。安定剤代 わりに、不可欠な存在である 2.ヤツの、事務処理能力は、たいしたものだ。デスクワーク積み上げ状態からの脱 却に、不可欠な存在である 3.絶妙のタイミングで出てくるショコラ。ホッと一息タイムに、不可欠な存在であ る 俺は、考えられる理由を、次々に頭の中で並べていった。 最後に行き着いたのは、一番考えたくないものだった。 ヤツがいなくて淋しい。 淋しくて淋しくてたまらない。 この淋しさを埋めるために、不可欠な存在である。 ・・・・・淋しいのは、ヤツのことをあ・・・・・ その続きを、慌てて否定した。 どうしても認めたくなかった。 たとえ淋しいがために隊長が情緒不安定になったとしても、おみきどっくりの片方が 欠けたための淋しさだと、そう思いたかった。 相棒がいないと調子悪いですねと笑ってすませばよかったのに、なぜかそれができな くて、気まずい空気が居座ってしまった。 俺たちは黙りこくったまま、作業を続けた。 書類がたてる軽い音が、部屋の中に満ちている。 それに、隊長のつくため息が唱和する。 ため息の数は、さっきより少しばかり多くなったような気がした。 「あ〜疲れた!!アラン、ご苦労だったな。おかげで助かったよ。」 隊長が大きく伸びをして仕事の終わりを告げた時、時計は8時をさしていた。 「私のせいで遅くなってしまった。すまなかったな。」 本当なら、ごちそうして一杯おごりたいところだが、これから書類を提出したいので ツケにしといてくれと、隊長は笑った。 「今からコイツを出しに行くんですか!?」 俺が尋ねると、帰る途中でブイエの屋敷に寄るんだと言う。 休暇中に家にまで仕事を持ち込んだりして、またネチネチ言われるんじゃないんだろ うか。 俺が心配していると 「アラン、大丈夫だ。 今日はベルサイユで各隊の将軍が集まって、御前会議があったんだ。 そのまま、晩餐会になると聞いている。 休暇中とはいえ、ブイエ将軍も出席してるはずなんだ。」 そう言って、隊長はウインクして見せた。 はは、やってくれるじゃねぇか。 なかなかの策士だぜ。 隊長は、どうせ見る気は無いんだからと書類を指ではじいて、馬車まで運んでほしい んだがと、今日何度目かの笑顔を俺にむけた。 俺は、もちろんですよと返事を返した。 書類を抱え、隊長と並んで廊下を歩く。 隊長の髪が揺れて、いい香りが鼻をくすぐる。 そっと肩がふれあうたびにドキドキしながら、たまにアンドレがいないのもいいもん だと、俺が思ったときだった。 隊長が急に立ち止まった。 振り返ってみると、首をかしげて、何か考えている。 「どうしたんです?」 声をかけると、いや、たいしたことじゃないと歩き出したが、すぐにまた立ち止まっ てしまった。 「何か忘れ物ですか?」 もう一度尋ねると、隊長は首を横に振って、言いにくそうに俺に言った。 「アラン、すまないが・・・場所をかわってくれないか?」 「はっ?」 「場所を・・・歩く場所を変わってほしいんだ。その・・・・・私の左側を歩いてく れないか?」 そのとき、俺は隊長の右側を歩いていた。 変わったことを言うなとは思ったが、たいして気にもとめず、俺は隊長の左側に移っ た。 人間、クセもあれば、好みもあるもんだ。 隊長は、恥ずかしそうにありがとうと言った。 隊員達のことやなんか、とりとめのない話をしながら、俺たちは歩く。 歩きながら、傍らの隊長をそっと盗み見る。 金の髪に見え隠れする、白い頬 影をおとす、長い睫 美しいシルエットを描く鼻梁 そして、魅惑の唇 馬車までの道がこのままずっと続けばいいと、ガラにもなく考えていた。 隊長を乗せた馬車が走り去ったあとも、髪の香りが残っているような気がした。 今日見た隊長のいろいろな顔が、胸の奥で甘やかなかけらに変わっていく。 そのかけらを何度もころがしながら、俺は幸せな気持ちで眠りについた。 次の日は、朝からすばらしい天気だった。 ぐっすり眠ったおかげで、すこぶる快調だ。 いつもより早く兵舎を出て、朝の散歩としゃれこんだ。 中庭を抜け、正門へと向かう。 ちょうど、馬車が止まるのが見えた。 隊長だ。 ずいぶんと早いんだな。 そのままそっちへ向かおうとした足が、突然止まってしまった。 馬車の扉が開いて、降りてきたのはアンドレだった。 一週間の休暇だったはずだが、あいつ、もう帰ってきたのか? アンドレは、俺が見ているのには気づかず、馬車に向かって手をさしだした。 何をやっているんだとながめていると、ヤツの手のひらに白いしなやかな手が重ねら れるのが見えた。 アンドレに手をとられ、まるで姫君のように馬車から降り立ったのは、隊長だった。 隊長は俯いていたが、アンドレがその手を軽く握ると、ゆっくりとヤツを見上げ、そ して微笑んだ。 何ともいえず柔らかで、あでやかで、輝くような微笑みだった。 昨日、俺に投げかけられた笑顔と全く違うのは、遠目にもあきらかだ。 あんなにも綺麗だと思った昨日の隊長が、たちまち色あせていく。 今アンドレに見せている微笑みよりも美しい笑顔は、絶対ないに違いない。 そう思わずにいられない。 今朝の隊長は、まるで匂い立つようだった。 それは、ほんの一瞬のことだったのだろう。 けれど、俺にはえらく長い時間に思えた。 名残惜しそうにふたりは手を離すと、並んで歩き出した。 アンドレは、隊長の右側を歩いていた。 そうか、そういうことだったのか・・・・・ 俺は、苦い笑いを漏らした。 ――「私の左側を歩いてくれないか?」 あれは、隊長の右は指定席だってことだったんだ。 隊長は、アンドレ以外のヤツをその席におきたくなかったんだろう。 いや、ヤツ以外の誰かがその場所にいるのに違和感を覚えるほどに、アンドレが自分 の右側に存在することが自然だったのかもしれない。 長い時を共有してきたふたりの間には、俺はずいぶんと無粋な存在だったろう。 とんだ道化だったというわけだ。 そう思いながら見てみると、心持ち、隊長の頭が、右側にかしげられているように見 えた。 金色の朝日の中、幸せそうな後ろ姿は、やがて兵舎の中へと消えていった。 それ以降、俺は、できるだけ隊長と並んで歩くことは避けるようにしている。 隊長の心がアンドレにあるのは、イヤというほど思い知らされた。 それは動かしようのない事実だ。 けど並んで歩くたびに、その事実を突きつけられるのは、けっこう辛いもんがあるん だ。 あの日生まれた甘やかなかけらは、今も俺の胸の一番奥で、眠っている。 並んで歩くふたりを見るたびに、小さなかけらは揺り起こされ、憂鬱な気分を連れて くる。 隊長が幸せなら、祝福するのはやぶさかではない。 アンドレもまぁ、大事な仲間だしな。 ふたりのことを思えば、喜んでやるのが筋ってもんだ。 それでも左の席の憂鬱は、いつまでも俺の心の中に居座って、切ない痛みを送り続け るだろう。 そして俺は思い出すのだ。 あの日、俺だけに向けられた隊長の笑顔と、その夜の幸せな眠りと、右の席を許され た男への最高の微笑みを・・・・・。 |