parler


その日、フランソワ・アルマンはパリ市中警備の報告をすべく、司令官室を訪れていた。彼の麗しい上官は、その有能な従僕と共に書類と格闘している最中だった。
その日の警備は少しばかり骨が折れた。一軒のパン屋に市民が押し寄せちょっとした騒ぎになったのだが、優秀なるフランス衛兵隊はひとりのケガ人もださずに、その騒動を収めたのだった。

フランソワの報告にパリの様子を憂いながら、それでも上官殿は彼らを労うことを忘れない。そういうところがこの人の魅力のひとつだと、フランソワは思う。
「本当にご苦労だったな、フランソワ・アルマン。後はゆっくりと休むように。みんなにもそう伝えてくれ。」
フランス衛兵隊隊長、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将は、にこやかに微笑んでいたが、その手はせわしなく手元の書類を繰っていた。次第にバサバサと高くなる音に、フランソワが眉をひそめたときだった。
「オスカル、ほら。」
黙々と作業を続けていたアンドレが、オスカルに声をかけた。かなり使い込まれたとおぼしきペンを彼女に差し出している。
「ああ、ありがとう、アンドレ。あと、あれがみつからないんだ。」
「あれって・・・。ああ、これか?」
「そう、それ!」
「じゃあ、これもいる?」
「うん、それも欲しい。あ、あれも!ほら、この前のやつ。」
「ったく、もう・・・。」
ふたりの間で、何枚かの書類が行き来している。その様子を、フランソワはあっけにとられてながめていた。

「すっげぇ・・・。」思わずもらした感嘆の言葉を、オスカルが聞きとがめた。
「何がすっげぇんだ、フランソワ・アルマン。」
「あ、すいません!俺つい・・・。
 隊長とアンドレって、よくそれで話がわかるもんだなって・・・。」
赤くなってモゴモゴとフランソワが答えると、オスカルとアンドレは顔を見合わせた。きょとんとしているふたりがおかしくて、フランソワは苦笑した。
「だって今の会話って、あれ、それ、これ、だけでしたよ。」
「・・・そうか?」
「はい。俺には何が何だかさっぱりわからなかったけど・・・。それに、隊長が何も言わないのにペンを探してるって、よくわかったよね、アンドレ。」
そう言えばそうだ。フランソワの言うとおり、自分は黙ってペンを探していた。あれ、それ、これとしか言わなかった。でもそんなのはいつものことじゃないか?
今まで当たり前だと思っていたことが実はそうではないらしいと知って、いささかカルチャーショックを受けているオスカルに、フランソワが追い打ちをかける。
「そういえばこの前みんなで飲みに行ったときも、そうでしたよね。あれはどうなったとか、それはもういいとか。やっぱ、あれそれこれだった。俺たち、ちんぷんかんぷんだったけど。ああそうだ。アンドレが右向いただけで隊長が塩を渡したのには、俺、びっくりでしたよ。」
「そ、そうだったか?」
「そうですよ。いやぁ、たいしたモンですよね〜。ずっと一緒にいると、ツーカーの仲になるっていうけど・・・。あれはほんとうだったんだ。なんていうのかな、長年連れ添った夫婦みたいですよね。」

なにげに話すフランソワだったが、『夫婦』という言葉に、オスカルが過剰反応を示してしまった。耳まで赤く染めた彼女が、フランソワに太刀打ちなんてできっこない。アンドレはやれやれと心で呟くと、いつものようにフォローにまわった。
「20年以上もそばにいたら、お互い言いたいことなんて、手に取るようにわかるってもんだよ、フランソワ。」
「そんなもんなのかな〜。」
「そう、そんなもんだ。それに今まで俺たち、これでもかってほど話してきたからね。」
「へぇ〜。」
「最初は話さなきゃわからないだろう?何が好きか、嫌いか。何して遊ぶか。どこに行きたいか。出会った頃は何でも聞いて、ずいぶんといろんな話をしたもんさ。」
「ふぅん。そうなのかぁ。」
フランソワは、アンドレの話ですっかり納得したようだった。
『素直なフランソワでよかった』
オスカルは心の中で、報告担当が第1班班長でなかったことに感謝していた。
「なんかいいですよね〜、幼なじみって・・・。俺、あこがれちゃうな。」
素晴らしく可愛かったろう隊長の幼少時代を想像しながら、素直なフランソワは敬礼をして、司令官室を出て行った。

にこやかなフランソワに引きつった笑顔を返していたオスカルだったが、ドアがしまると同時にほぉっと息をはいて呟いた。
「あ〜、びっくりした。」
「おまえ、その顔何とかしろ。」呆れたようなアンドレの声がする。
何て失礼なと反撃する前に、冷静な声に諭されてしまった。
「真っ赤なんてもんじゃないぞ。誰かに見られたら、あらぬ誤解を生みそうだ。」
あわてて頬に手をやると、さぞかしいい色に染まっていると思われる温度だった。確かにこのままでは、司令官室で美貌の隊長とボーギャルソンの従卒の間に何かあったと、いらぬ詮索がつきまとうだろう。かといって、はいそうですかと元に戻せるものでもあるまいし・・・。オスカルの中で、不機嫌の虫が動き出す。
「私は正直なんだ!」
「正直すぎるのも困りものですよ、隊長殿。」
「いきなりふっ、夫婦なんて言われたんだぞ!」
「だから?」
「だ、だからって!?そんなこと言われたら、あわてるに決まってるじゃないか!!」
「まぁ、身に覚えがあれば・・・な。」
「!・・・アンドレッ!!!」
「それをうまく受け流すのも技のうちだろうが。おまえ何年宮廷に出入りしてたんだ?」

いちいち語尾に!をつけて怒鳴るオスカルを、アンドレはさらりとかわしてしまう。
いつもならその落ち着いた様子が頼もしく思えるのだが、今日のように虫の居所が悪いときには、こんな彼の冷静さがとてつもなく憎らしい。
「うるさいっ!!私はおまえみたいに、スラスラ〜っと言い訳ができないんだっ!!」
「言い訳だって?」
「フランソワに言ってたじゃないか!」
アンドレは眉を上げ、心外だというようにゆっくりと言葉を返した
「言い訳も何も、ホントのことを言っただけだろう?」
今度はオスカルが眉をあげる。
「俺たちが20年以上一緒にいたのも、いろんな話をしたのもホントのことだろう?」
うん、確かにそうだ。だけど、そうだったなと頷くのは癪にさわる。正直だが、少しばかり素直さに欠けるオスカルだった。
「何でも話そう、秘密はなしだって、そう言ったのおまえだぞ。」
彼の言葉に、オスカルの中で思い出がパチンと音をたててはじける。
――もっともっと話をしよう、アンドレ。どんな小さなことでも、ふたりの間に秘密はなしだからな!


「あ〜ん〜ど〜れ〜〜〜っ!!!」
夏の気だるい昼下がり、穏やかな時間を刻んでいたジャルジェ伯爵邸は、突然の怒声にその静けさを破られた。子どもにしてはやけにドスのきいた声の主は、ラテン語の授業を終えたばかりのオスカルである。
恐ろしげな彼女の声に、濃淡様々な青と漆黒の瞳がいっせいに振り向いた。
「オスカル、授業終わったの?」
最初に口を開いたのはアンドレだった。驚いて丸くなった瞳が、優しく孤を描いた。

彼がジャルジェ家に来て、数ヶ月。最近では、彼本来の明るい笑顔が見られるようになり、素直で優しい彼は、誰からもかわいがられる存在になっていた。オスカルはそれが少しばかりおもしろくない。
『アンドレは僕の遊び相手なのに!』
自分以外の人間と楽しげに話しているアンドレを見るたび、オスカルは心の中でひとりごちていたのだが、それを口には出せず、自然ふくれっ面でアンドレに当たることがふえていた。
それを見たまわりが『かわいそうなアンドレ』に同情し、さらに優しくする。その様子にまた腹が立つ。こうした悪循環に、オスカルははまりこんでいた。そして、そんな彼女にに拍車をかけるのは、5人の姉たちである。
今まで少々堅苦しいオスカルを見慣れていた彼女たちには、もの柔らかなアンドレが新鮮だった。オスカルの隙をみては彼にかまうことが、ジャルジェ家の娘達のただ今の流行になっていた。

頬を赤く染め肩で息をしているオスカルに、長姉のマリー・アンヌが声をかける。
「オスカル、お疲れ様だことね。走ってきたの?あなたもお座りなさいな。」
「風が気持ちいいから、今日のお茶はここでって話していたのよ。」クロティルドが席をあけてくれる。
母に似た面差しのこのふたりは、そろそろ結婚話も囁かれる年頃で、さすがのオスカルも逆らえない。黙ったまま、ブスッと示された場所に座った。
不満げなオスカルを見て、カトリーヌとジョゼフィーヌが肘でつつき合いながら、くすくす笑う。
「何がそんなにおかしいのです!?」
「いいえ、何でもないわ。」
きっと睨みつけるオスカルに慌てて答えたが、彼女らはオスカルの不機嫌の原因をよく知っていた。
「さあさあ、そんなに怖い顔をしないのよ、オスカル。せっかくのいい気分が台無しだわ。あなたがお勉強の間、アンドレとおしゃべりしてたのよ。」
姉妹一のしっかり者、オルタンスが割って入った。彼女の一言にオスカルの眉はさらにつりあがった。
「いったい何の話をしていたのですか!?」声にすごみが増している。
「何のって・・・そうね、ここにはもう慣れたかとか。」
「うちの使用人のこととか」
「ああ、もうすぐアンドレのお誕生日なのよ。あなた知っていて?」
「そうそう、プレゼントしなきゃって言ってたのよね。」
「あの、僕、何もいりませんから・・・」
それまで黙って様子を見ていたアンドレが、慌てて話題を遮った。オスカルのご機嫌はかなり斜めに傾いている。そろそろ話題を変えた方がいいとふんだのだ。
けれど、そんな彼の心配をよそに、お嬢様方のおしゃべりは続く。
「アンドレの住んでた村のことも聞いていたのよ。」
「大きな森や、素敵な野原があったんですって。」
「ぶどう園もあって、ワインを作ってるんだそうよ。」
「アンドレのおかあさまはね」
「姉上っ!!!」
黙って姉たちのおしゃべりを聞いていたオスカルが、突然怒鳴った。
「アンドレ、来い!行くぞ!!」
勢いよく立ち上がり、あっけにとられているアンドレの腕をつかむと、あたりのものを蹴散らして、走り出した。お気に入りの人形が犠牲になったカトリーヌが泣き出し、ジョゼフィーヌもそれに付き合った。泣き声に振り向いたオスカルの《い〜〜〜だ!》にオルタンスは怒鳴り、マリー・アンヌとクロティルドは顔を見合わせ、ため息をついた。

「ちょ、ちょっと待ってよ、オスカル!」
いきなり平和の輪から引きずり出されたアンドレは、自分の腕をひっつかんでいる彼女の手をふりほどいた。振り向いたオスカルは、唇をぎゅっと引き結び彼を睨んでいたが、大きく息を吸い込むと、大声で怒鳴った。
「言わなくてもいいんだから!」
「???????」
「だから!言いたくないことは、言わなくてもいいって言ってるんだ!!」
言いたくないことって何だ?アンドレは、首をひねった。何の話をしてたっけ?お屋敷のことと、自分の誕生日と・・・。別にイヤな話じゃないよな。ああ、村の話と、それから・・・。
オスカルが怒り出す前の会話を思い返し、アンドレはあっと小さく声をあげた。
「オスカル、もしかして、気にしてくれた?」
オスカルが、急に困ったような顔でそっぽを向いた。彼の感は的中のようだ。こういうとき、オスカルは素直にそうだと言えないんだ。
「心配してくれたんだね、かあさんのこと。」
「・・・・・だって、イヤだろう?思い出すの・・・。」
そっぽをむいた横顔から、小さな声が聞こえる。ここに来て間もない頃、アンドレが亡くなった母を思い出し泣いているのを、オスカルは何度も見かけていたのだ。姉たちの無神経さが許せなかった。

ああ、だからぼくはオスカルが好きなんだ―――むすっとしているオスカルを見ながら、アンドレは思う。少し回り道をして見せてくれる優しさ。それがとても嬉しい。
小さな明かりがともったようで、胸の中が暖かくなった。

「ねぇ、オスカル。少し誤解してるよ。」
彼女の様子をうかがいながら、アンドレが声をかけた。
「確かにぼく、泣いてばかりいた。ここに来てすぐの頃はね。」
そのとおりだと、オスカルが頷く。
「かあさんに会いたかった。死んだなんて、思いたくなかった。それは今も変わらない。でもね、前みたいにかあさんを思い出すだけで涙がでることはなくなったよ。」
「・・・ホント?」
「うん、ホント。今はね、かあさんのこと、話したり思い出したりしたい。・・・・・忘れてしまわないように。」
思いがけない彼の言葉に振り向くと、黒い瞳が微笑んでいた。自分ひとりの思いこみだったのだろうか。オスカルの胸がチクンと痛んだ。
「ぼく、ぼく、アンドレがつらいと思ったんだ。あんなふうに、姉上たちにいろいろと聞かれて。だから・・・。アンドレが母上のことを話したいなんて、知らなかったんだ。」
すまなさそうに言うオスカルが、とても可愛く見える。彼女を可愛いと思うなんて初めてだった。それまでは、強くて凛々しくて、少しおっかない存在だったから。

アンドレは、俯いているオスカルをのぞき込んだ。
「ね、だから聞いてくれる?かあさんのこと。」
「ぼく?」
「うん、ぼく、オスカルに聞いて欲しい。・・・あ、イヤだったらいいけど・・・。」
オスカルは慌ててぶんぶんと首をふった。
「聞く!聞きたい!!ぼく、もっともっと、アンドレのこと知りたい。アンドレの好きなものや、やりたいこと、行きたいところ。生まれた村のことも、母上のことも!」
「ぼくも知りたいな、オスカルのこと。いろんな話が聞きたいよ。おかしいな。いつも一緒にいるのに、知らないことがあるなんて。言葉で言わないとわからないことって、たくさんあるのかもしれないね。」
それを聞いたオスカルの顔がぱっと輝いた。
「そうだ、アンドレ。これからはいっぱい話をしよう!ぼくたち、何でも言い合えるようになるんだ。だって友達なんだもの。いいか、どんな小さなことでも、ふたりの間で秘密はなしだからな!」
小さな手で握手をかわすと、それを合図に長い長いおしゃべりが始まったのだった。


―――そうだった、そんなことがあったっけ。
「ごめん。」
急に素直になった彼女に、今度はおやおやと眉を上げて見せるアンドレだったが、その殊勝げな様子に思わず笑みがこぼれた。
「どういたしまして。」
やはりさらりと流すと、あの頃と同じ愛らしい笑顔が返ってきた。
「ということだから、オスカル。帰るぞ、片づけろよ。」
アンドレは、ちらばった書類を集めると、トントンとそろえだした。
「なんだって?寝ぼけてるのか?」
「違うよ。俺たち、最近会話が少ないなと思って。たまには早く帰って、じっくりと話し合おうじゃないか。」
会話が少ない?こんなに長い時間一緒にいるのに?
オスカルの怪訝そうな表情に、アンドレはくすくす笑った。
「あれ、それ、これで足りる会話だろう?」
ああ、そうだった。さっきフランソワに言われたばかりだ。でも・・・
「屋敷に戻ったら、そんなことはないだろう?」
「いや、ここのところ帰る時間が遅いからな。話をするより、もっと有意義に時間を使ってると思うぞ。」
何てことを言うんだ―――オスカルの頬が再び赤く染まる。
「だから、今日はこれで帰ろう。書類は明日でも間に合うさ。久しぶりにおまえの秘密を聞かせてもらおうかな。」
「わ、私はおまえに秘密なんて持ってないぞ!!」
ムキになって言い返した。
「いいや、俺の知らないことがきっとあるはずだ。第一、今日のおまえが俺のことをどんなふうに思っているのか、俺はまだ聞いていない。時間をかけて、ゆっくりと聞かせてもらうからな。」
机をはさんでアンドレが笑っている。いつもは穏やかな瞳が悪戯っ子のように輝いているのを、オスカルは見逃さなかった。
なんだ、やっぱり有意義な時間になるんじゃないかと、オスカルは心の中で思う。けれど、いつもより長い時をその時間に当てるのも悪くないだろう。上目遣いに彼を軽く睨んでから、彼に負けない悪戯っ子の顔で答えた。
「わかった、アンドレ。おまえがイヤだ、もういいっていうくらい話してやる。その
代わり、いいか?おまえも私に秘密は無しだぞ!」