Save The Last Dance For Me −1−
その夜、オスカルははしゃいでいた。
明日からは久しぶりの休暇でのんびりできるし、高価ではないけれどワインも食事もおいしいし、何よりも向かいの席からは、暖かなまなざしが自分だけを愛しげに見つめてくれている。これ以上の幸せがあるだろうか。
珍しく早く帰宅できたので、久しぶりにふたりでパリに繰り出した。
堅苦しい軍服を脱ぎ捨てラフな格好でいたことは、オスカルから隊長の顔を取り去るのに一役買っていた。アンドレが連れてきてくれた店は、適度に賑やかで適度に品があって大層居心地がよく、恋人同士が楽しく食事をするには、もってこいだった。フロアでは、何組かの男女が笑いさざめきながら踊り、その軽やかな音楽がオスカルの気持ちを一層引き立てていた。
傍目には仲のよい親友のようなふたりだが、少しばかり注意してみれば、親友に注がれる以上の視線が絡み合っているのが容易に見て取れた。男同士にしか見えないふたりではあったが、華やかな美貌の青年と、物静かで整った顔立ちの青年が楽しげに杯を酌み交わしているのはなかなかいい眺めだったので、店の客達も、微笑ましい気分でふたりを目の端に留めていた。
「アンドレ、おまえ、こんないい店を知っていたんなら、もっと早くわたしを連れてきてくれればよかったのに。ひとりだけいい思いをしていたなんて、ずるいぞ。」
文句をいいながらも、オスカルの顔からは微笑みが絶えない。
「前に隊の奴らと来たんだよ。いつかおまえと・・・と思っていたんだけど、なかなか時間がとれなかったろう?」
「うん、そうだな。ふふ、大車輪で働いてよかった!今日のわたしは、素晴らしく働き者だったぞ。」
「ああそのとおりだ。大嫌いなデスクワークもがんばったものな。いつもこうなら、おまえの机に書類の山ができることなんてないのにな。」
からかい気味のアンドレの口調も、どことなしに甘さを含んでいるようで、オスカルは見つめられることが不意に気恥ずかしくなった。
「アンドレ、そんなに見つめたら、まわりがヘンに思う・・・」
そう言う彼女のまなざしこそが、艶やかに恋する喜びを謳っているとアンドレは思うのだが、人は自分の事には案外気がつかないものだ。オスカルもまた例外ではないらしいと、恥ずかしそうにしている恋人が、アンドレは微笑ましくてならない。
「思いやしないさ。」
アンドレはそう答えて、グラスのワインを飲み干した。
「あ、ずるい、おまえだけ!わたしももう一杯。」
恋するまなざしを瞬時に投げ捨て、オスカルはワインのボトルに手をのばしたが、彼にやんわりと遮られた。
「オスカル、いいかげんにしておけ。」
「やだ!」
「あのなぁ、おまえ、どれだけ飲んだと思ってるんだ?」
アンドレはテーブルに並んだ空き瓶を眺めて、ため息をついた。
「明日は朝から遠乗りに行きたいって言ってたじゃないか。起きられなくても知らないぞ。」
「大丈夫だってば。こんなに楽しい気分で飲んでるのに、水をさすなよ。ホントにおまえって、心配性なんだから。」
唇をとがらせて、でもその心配性はわたし専属なんだと、オスカルはにっこりした。
自分だけを見つめ、守り、心配してくれる男がいるというのは、なんて心が暖かくなるものなんだろう。愛される喜びに酔う心とワインの酔いとが交ざり合い、思わずこぼれた微笑みだったのだが、アンドレはそう解釈してはくれなかった。
「可愛く笑ってみてもダメなものはダメなの!」
笑顔で籠絡されるものかと少しきつく言い渡したつもりのアンドレだったが、その様子はどう見ても、子どもを“メッ”と叱る母親のようでしかなかった。オスカルは、子ども扱いされたことと、トンチンカンな彼の解釈に少しばかり腹がたった。こうなったら、意地でも飲んでやる!
何度か、飲む、ダメのやりとりが続いたが、結局、折れたのはアンドレだった。
「もう!これ一杯で何が何でもお終いだからな!!」
ため息混じりに彼がワインを注いでくれるのを、オスカルは満足そうに眺めていた。
たとえどんなにつまらない事でも、勝負に勝つのはいい気分だ。流れてくる陽気な音楽に、思わず足で拍子をとった。アンドレはそれに気づくと、そっと彼女の手を握り囁いた。
「オスカル、おれたちも踊ろうか?」
突然の彼の言葉に、オスカルの瞳はまん丸くなった。が、すぐに不機嫌な顔でイヤだと言った。
「わたしは、女同士で踊りたくなんかないし、おまえが他の女と踊っているのを見るなんて、まっぴらごめんだ!!」
彼女の答えにきょとんとなったアンドレが、突然笑い出した。
「誰が誰と踊るって?おれはおまえに、おれと踊っていただけないでしょうかって言ってるんだよ。」
今度は自分がトンチンカンだったことに気づいて、オスカルは赤くなった。
「バッ、バカを言うなよ!」
「おれは至極真面目だよ。」
「だって男同士でなんて踊れないだろう!?」
「おまえは女じゃないか。」
口元に笑いを留めたまま、けれどアンドレの彼女を見つめる瞳には真実が宿っていた。
「おれはおまえと踊りたい。おまえの手をとって、おまえを抱いて踊ってみたいと、そう思っているよ。」
アンドレの真剣なまなざしに、オスカルの胸は疼いた。一度だけドレスを身に纏い、アンドレとは違う腕に抱かれ踊ったことを、小さな痛みとともに思い出したのだ。彼はまだあの時のことで傷ついているのだろうか。今では彼女の心の中は、彼以外の男性が入る場所なんて、針の穴ほども無いというのに・・・。
オスカルは頬を染めたまま、潤んだ瞳でアンドレを見つめた。そして、小さな声で呟いた。
「いつか・・・」
「アンドレ?アンドレじゃないの!」
澄んだソプラノが、オスカルの声をかき消した。ぎょっとしたふたりが振り向いた先には、華やかな女性たちと見覚えのある顔が並んでいた。
「おお、アンドレ〜!」
「うわっ、隊長も一緒だぜ!!ラッキ〜♪」
どやどやと店に入ってきたのは、衛兵隊B中隊第一班の面々だった。
「お久しぶりね、アンドレ。会いたかったわ。」
「この頃ちっとも来てくれないのね。」
「ほんとよ。すっかりお見限りなのね。つまんないわ。」
いっせいにアンドレを取り囲んだ3人の女性が口々に話し出し、恋人たちの甘い時間はあっけなく終わりを告げた。
とびきり美しいと言うのではないが、優しい曲線に形取られ、あでやかに化粧を施した、いわゆる色っぽい女性たちがアンドレにまつわりついているのを、オスカルはあっけにとられて見ていたのだが、自分を取り戻すに連れ、だんだんとその眉がつり上がってきた。いったい何なんだ、これは!!
一方アンドレは、さーっと血の気の引く音を聞いたと思った。みるみる険しくなるオスカルの顔に、日頃のポーカーフェイスはどこかへ吹っ飛んでしまった。「ああ」「うう」と訳の分からない返事をする彼の眉間には、深い皺が刻まれた。何だってこんなところにこいつらが現れるんだ!!
「よっ、色男!モテモテじゃないか。すみにおけないぜ。」
ニヤニヤ笑いながら声をかけてきたのは、アランである。
今日は給料日で、隊の連中とパリに繰り出したのだが、途中でなじみの店の女たちとばったり出会った。一緒に飲もうとこの店にやってきたのは全くの偶然で、恋人たちの一時をじゃまするつもりなど毛頭なかったのだ。けれどそういう気はなかったにしろ、今のこの状況はかなりわくわくしてしまうもので、顔がにやけてしまうのは仕方がないアランなのだった。
アランとは別の理由で顔のひもがほどけてしまったのは、ジャン、ラサール、フランソワ以下第一班の連中である。明日からしばらく会えないと思っていたあこがれの隊長に、こんなところで思いがけず巡り会えるなんて!これを幸運と言わずして何と呼ぼう。神様、感謝します!!彼らは心で十字を切ると、隊長の隣の席めがけて突進した。
ああ、最悪だ――自分のまわりでさえずっている女たちと、オスカルのまわりで席争奪戦を繰り広げる男たちに、アンドレは頭を抱えた。急激に加速する頭痛と戦いながら、この状況を打破すべく頭をフル回転させる。
ヘタな言い訳はかえってまずい。オスカルのことだ。さらに臍が曲がっていくに違いない。ここは何も言わないに越したことはない。第一、よく行く店の女たちだってだけで、特別な関係ではないんだから。とにかく落ちつけと心で繰り返しながら、アンドレはなかばやけくそで腹をくくった。
「オスカル、紹介するよ。ブリジット、カトリーヌ、ドミニク。こいつらとよく行く
店の女の子たちだ。こちらはフランス衛兵隊隊長、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将。おれたちの上司だよ。」
女の子たち――その言い方が何となくおもしろくない。どうせわたしには縁のない言葉なんだ。おれたちの上司っていうのも気にくわない。けれど、ここでやけを起こすほどわたしは子どもではないのだ。さっきの“メッ”を、しつこく引きずるオスカルは、怒鳴りつけたいのをグッと我慢し、数多の貴婦人を虜にしてきた笑顔で、3人の〈女の子たち〉に微笑んだ。
「はじめまして、マドモアゼル。オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェです。どう
ぞお見知りおきを。」
そう言うと、ひとりづつ手を取り、その甲に挨拶のキスをした。その様子は優雅で洗練されていて、女性をうっとりさせる条件を完璧に備えていた。今までこれで頬を染めない貴婦人はいなかったのだ。それが証拠に見よ。今や、ブリジットとカトリーヌは、瞳にハートを浮かべてオスカルを見つめているではないか。悪いな、アンドレ。
わたしの勝ちだ。
そういう問題ではないのだが、どうしても勝ち負けに拘ってしまうオスカルだった。
しかしアンドレの横にぴったり寄り添うように座った女性、ドミニクだけは違っていた。オスカルに軽く会釈した彼女がうっとりと見つめたのは、アンドレだった。彼女の瞳のハートは、アンドレだけに向かっていた。
ここに至って、オスカルの華々しい記録はついに終わりを告げてしまった。ことの意外な成り行きに、アランがヒュゥッと口笛を吹いた。アンドレの頭痛は、最高潮に達していた。
「ねぇ、どうして最近来てくれないの?」
ドミニクが甘えるようにアンドレに尋ねるのを横目で見ながら、オスカルは自分の忍耐と戦っていた。平静を装いつつ、しっかりとドミニクを観察する。
可憐な野の花を思わせる彼女は、オスカルと同じブロンドの髪、瞳は大きく淡い青で、春の空を思わせた。小さな白い手はふっくらと女らしく、遠慮がちにアンドレの腕に掛けられている。細い腰が、形のいい豊かな胸をさらに強調していた。優しい卵形の顔を傾けアンドレに話しかける様子は、オスカルから見ても愛らしく、男なら誰だって受け止めてやりたくなるにちがいないと思われた。
恋のライバルをつぶさに観察しながら、だけど・・・とオスカルは思う。自惚れかも知れないけれど、わたしの髪の方がちょっとばかり豪華な気がする。瞳だってサファイアのようだと言われているんだ。彼女に見劣りすることは無いはずだ。色の白さには自信がある。それに腰の細さなら負けっこない。アンドレが、いつも細くて折れてしまいそうだと言ってくれるから。む、胸だって、コルセットで整えてドレスを着れば、わたしもそれなりになるはずだ。ボリュームがあればいいってもんじゃない。
ひとつひとつチェックをいれては、よし、勝ったと心で呟く。オスカルは、そうやってどうにか自分を抑えていた。本当は、わたしのアンドレにさわるな、見るな、話しかけるなと叫びたいのだが、部下達の手前、さすがにそれはできそうにない。かといって落ち着いてかまえてもいられないので、グラスのワインを一気にあおった。その見事な飲みっぷりに、ブリジットとカトリーヌはさらにうっとりとなり、ジャンとラサールがすかさず、空いたグラスを満たした。慌てたのはアンドレである。
「こ、こら、オスカル。さっきので最後だって言っただろう?」
「うるさいっ!いちいちわたしにかまうなっ!!」
「まぁ、怖い。アンドレ、あなた、いつもこんなふうに叱られてるの?可哀相に。」
ドミニクの発言は、火に油を注いでしまった。キッと睨んだオスカルの視線を、ドミニクが発止と受け止める。可憐な野の花は、実はたくましい雑草でもあったのだ。ふたりの視線がぶつかりあい、激しく火花を散らした・・・かのように、アンドレには思えた。衛兵隊B中隊第一班が、ごくりと唾を飲んだ。
|