Save The Last Dance For Me −3−
それぞれの思いを胸にみんなが見つめる中、オスカルはゆっくりと顔を上げた。それはその場にいた誰もが――そう、ドミニクでさえ、ドキリとするほど美しく魅惑的だった。
「悪いが先約があるんだ。」
かしましい男たち、女たちに華やかな笑顔を振りまきながら、オスカルは立ち上がった。
「行くぞ、アンドレ!」
まるで戦場に赴くかのように勇ましくアンドレを促し、その腕をひっつかむとフロアに向かう。
「お、おい、オスカル。どうするつもりなんだ?」
「踊るに決まっている!準備はいいか、アンドレ!!」
雄々しい言葉にはそぐわない艶やかな微笑を浮かべ、オスカルはアンドレに向き直った。ふたりを待っていたかのように、恋人達のための優美な音楽が流れ出した。
酔っぱらいには逆らわない方がいい。ともかくここは彼女の言うとおりにしよう。望んでいた形とは少し違うが、オスカルと踊れるのだ。文句は言うまい。アンドレは恋人に向かって腕をさしのべた。
が、次の瞬間、彼はもちろん、どうなることかと息を潜めていた店中の客すべてが度肝をぬかれた。オスカルはアンドレの手を取り、彼の腰をぐいっと引き寄せると、いとも優雅に踊り始めた。
それは、男のためのステップだった。
驚いたアンドレだったが、とっさに女性パートを受け持ち、オスカルに合わせた。こういうところはさすがだと、オスカルがにんまり笑う。
いったい何を考えているのかと理解に苦しむアンドレだったが、ふと、思いが過去へと遡った。オスカルが宮廷に出仕する前、よくこうしてダンスの練習をやらされた。
オスカルは、絶対に女性のパートを踊らなかった。男として生きようと、一生懸命背伸びしていたあの頃のオスカルを微笑ましく思い出しつつ、巧みなリードを続ける彼女に小声で尋ねた。
「どういうことだ?」
「どうって?」
「パートが違っているだろうが。」
「ふん!」
「ふんって、おまえねぇ・・・」
「今日はこれでいいんだ!!」
言葉の調子とは裏腹に、婉然とした微笑みでオスカルが答える。
「今日はって、何だよ?」
「うるさい!黙って嬉しそうに踊ってろ!!」
「・・・・」
まったく酔っぱらいの考えることは訳がわからないよとそっと心で呟いて、アンドレはため息をついた。今夜だけで、優に一月分のため息をついたに違いない。そんな彼を見て、オスカルの顔から微笑みが消えた。
「おまえ、あきれているんだろう?」
すこし上目遣いに尋ねるオスカルから、いつもの――アンドレとふたりで過ごす時の彼女が顔を覗かせる。思わず口元のほころんだアンドレに、拗ねたようなオスカルの声が届いた。
「だって仕方ないだろう?わたしはこの方が得意なんだから・・・。女性パートには慣れてない。苦手なんだ。下手くそなダンスは、ぜったいに見られたくなかったんだ!」
突然アンドレの足が止まった。オスカルの瞳に、あんぐりと口を開けた恋人の顔がうつった。間の抜けたその様子に彼女が眉をひそめると、アンドレはまいったなと小さく呟き、深く俯いてしまった。
まいった、ほんとうにまいった。カウンターパンチでノックダウンだ。
カッコ悪いところは見せたくない――恋のライバルに向けたオスカルの意地が、なんと可愛く、いじらしいんだろう。それが自分を巡ってのことであれば、なおさらだ。
誰も見ていなければ、抱きしめてキスして・・・ああ、そんなのじゃとても足りない!
オスカル、本当におまえって・・・。
アンドレは、もう一度深いため息をついた。今度は幸せすぎて、思わずついたため息だった。
俯いたままのパートナーを、いったい何なのだとオスカルが訝しげに覗き込んだ次の瞬間、おもむろにアンドレが顔を上げた。そのまなざしに、こぼれんばかりの愛情を見て取り、オスカルの頬がほんのり薔薇色に染まる。
「まったくおまえって、とんでもないヤツだな。」
今までオスカルにとられていた手をそっと外しながら、アンドレが囁いた。
「は?」
「思いもよらない武器を懐に隠してる。油断ならない姫君だ。」
そう言ってオスカルの手をとると、アンドレは、腰にまわされた彼女の腕を自分の肩に導き、その細い腰を力強く引き寄せた。
「!アンドレ?」
「パートナーチェンジだ、オスカル。衛兵隊のジャルジェ准将のお相手はもう終わり。これから先は、おれは愛する人と踊りたい。」
満面の笑顔でそう告げると、アンドレはダンスを再開した。それは優雅ではあるが力強く、愛しい人を守り、導くためのステップだった。
それまで華麗にリードを続けていたオスカルだったが、ためらうことなくそのパートをアンドレに譲ると、すっかり彼に自分を委ねた。今はそうすることが、とても自然に思えたのだ。
男の格好をしているだとか、隊員達の前だとか、そんなことは取るに足りないちっぽけなことだった。大切なのは、彼の気持ち、そして何より自分の気持ちなのだ。
自分だけに微笑みかけるまなざし、ふわふわと浮き立つ体をしっかりと支えてくれる腕、すべるようにリードしてくれる頼もしいステップ。これらすべてが自分だけのものだと思うと、今まで心にひっかかっていた小さなトゲがするりと抜け落ちていった。それが嫉妬に他ならないと認めると、自分にもそういう感情があったことに、思わず微笑みがこぼれた。
愛しい笑顔をすくい取るように、アンドレの大きな手が彼女の頬にそっと触れる。オスカルが、何かを待ちわびるように瞳を閉じると、アンドレはさらに彼女を引き寄せ、耳に息が触れる距離で囁いた。
「残念だけどキスはお預けだ、オスカル。連中の前でこれ以上見せつけると、おれの命の保証はないからな。」
からかうような彼の言葉に、オスカルははじかれたように目をあけ、軽く睨んだ。
が、すぐに何かを思いついたのか、そのサファイアがきらりと光った。
「おまえなんて、少しくらい痛い目に遭うといいんだ。」
オスカルはにっと笑い、アンドレに取られている手を離すと、彼の首に腕をまわした。何をするんだと目を丸くしたアンドレに
「休暇明けは覚悟しておけ。何が起きても、私は知らないぞ。よくよく気をつけておくことだな。」
そう言って微笑むと、彼の頭を引き寄せ優しくキスをしたのだった。
しんと静まりかえっていた店が、どよめいた。
「たいちょおぉぉぉ!!!」
「アンドレ〜、くぉぬぉヤロー!!」
「ウソだ、誰かウソだと言ってくれ〜!!」
隊員達の叫び声が乱れ飛ぶ中、唇を離し、ウインクしてみせるるオスカルに、
「どうしてくれる?おまえのせいだ。この責任はとってもらうからな。」
微笑みながら、アンドレは小さくキスを返した。さらに高まるどよめきと、オスカルの楽しげな笑い声が彼の胸を温かくした。
「あ〜あ、やってらんねぇよな・・・」
「怪しい怪しいとは思ってたけどな・・・・」
「ううう、たいちょお〜・・・」
「泣くなよ、おれも泣きたくなってくるだろーがー」
今夜はふたりのおごりだと、微笑んで寄り添いながら恋人達が帰ったあと、衛兵隊B中隊第一班は、一同失恋のヤケ酒をあおっていた。
3人の女の子、ブリジット、カトリーヌ、ドミニクは、毒気を抜かれたのか、言葉もなくぼんやりとしていた。
「まぁ、落ち着くところへ落ち着いたってことだ。」
アランが班長らしくそう言った。
「だいたい、あの人がおめぇらの手に負えると思うのか。あれに付き合ってられるのは、アンドレくらいなもんだ。みんな災難に遭わずにすんだと、そう思うこったな。」
多少の胸の痛みはあるものの、アンドレに頼り切ったオスカルのまなざしを目にしては、そう言わざるを得ないアランだった。
「おめえさんもな、ドミニク。隊長には、ちょっとやそっとじゃ太刀打ちできないよ。惚れた相手が悪かったんだ。そう思ってあきらめな。」
「わかってたのよ。」
気の毒そうに言うアランに向かって、ドミニクは意外なほど明るい声で答えた。
「わかってた、アンドレがどんなにあの人を好きなのかって。わかってるけど、
ちょっと困らせてみたかったのよ。アンドレも、あの人も・・・。」
「・・・女って、こわいな・・・・・」
「うふふ、いいじゃないの。これでますますふたりは仲良くなれたんだし。雨降って地固まるっていうやつね。」
笑って答えながらドミニクは思う。そうよ、最初からわかってた。アンドレが踊りたいのは、あの人だけだって。あの人のために、いつだって最後のダンスはとっていたんだって・・・。
店は再び落ち着きを取り戻し、楽しげな音楽が流れ出した。ドミニクは、アンドレが置いていったワイングラスを取り上げると、彼の唇が触れたところから、底に少しだけ残っていたワインを飲み干した。それから元気よく立ち上がり、小さな白い手をさしのべた。
「アラン、踊りましょう!今夜はわたしに付き合ってね。わたしの新しく始まるダンスに。」
「おーし、とことん付き合うぜ!思う存分踊って忘れちまいな!!おめぇらも、シケたツラしてんじゃねぇよ。あのふたりのおごりだってんだ。おらおら、朝まで飲んで騒ごうぜ!!」
アランの威勢のいい声が、ドミニクの背中を押してくれる。
アンドレ、隊長さん、ごめんね。それからお幸せに・・・。
今しがたそこで踊っていた恋人たちに思いを馳せながら、ドミニクは小さく呟いた。
陽気な笑い声と音楽がその声を包んでそっと隠してくれた。
Fin.
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