「追憶」 1-2
「ふざけんな!! じゃあ、あんたならなれるのか?!ええ?!
あんたならなれるというのか、ア、アンドレの!アンドレ・グランディエ
の代わりに!」
今になってそんな言葉が思い起こされ、改めてジェローデルの心をつきさ
す。
――そう、なれる筈がない。誰にも。誰もアンドレの代わりになどなれる筈
がないのだ。――
ジェローデルの心は今や苦々しいもので満ち溢れていた。
「代わり...?アンドレ・グランディエの...?もちろん、なれませ
ん。」
「あったりまえだ!!誰にも!誰にも代わりになんてなれる訳がな
いんだ!」
フランス衛兵隊士の一人が顔をまっかにして怒鳴った。
「おい!こんなやつと話す必要はない!!革命委員会にひっぱって
こうぜ!!」
「しかし!」
ジェローデルは大きな、しかし冷静な、声でフランス衛兵隊士らを制し
た。
「しかし、私ならできます。彼女を元の温室に戻すことが...」
「なんだと!!」
兵士達の怒りはおさまらない。ジェローデルはかまわず続けた。
「あなた方はわかっていないようだ。彼女が貴族である、という事
が。」
「た、隊長は貴族じゃないよ!!そ、そりゃ昔はそうだったかもしれな
いが!」
「そうだ、そうだ!隊長は自ら捨てたんだ。俺たちの目の前で!ラ・コ
ンテスの称号を!」
そうだ、そうだ、と兵士達がいきまく。
「だが、彼女は貴族だ。」
ジェローデルはきっぱり言い切った。
「彼女、オスカル・フランソワがベルサイユという温室で咲いていたバ
ラである事は変えようのない事実だ。温室のバラは荒れた地で咲く事
はできない....。」
「うるせえっ」
「むかつくヤローだ!腐った宮廷ならよくて、俺達の所じゃだめだって
いうのかよ!!第一隊長はそんなヤワじゃないよ!」
「そうだ!隊長はそんな弱い人間じゃない!」
ジェローデルは詰め寄る兵士を一瞥し、つづけた。
「そう、確かに.....。彼女は強いひとだった。アンドレ・グランディエ
が傍らにいれば、です。だが、彼はもういない...。」
「だからアンドレが死んじまった事はどうしようもねぇんだよ!あんた
にも!
俺達にも!だ!」
「あなた方は考えた事があるのですか?貴族としての彼女を?」
ジェローデルはさらに静かに毅然とつづけた。
「貴族として彼女が何を経験し、何を当たり前とし、どんな人間とつき
あい...。
あなた方にとってマリー・アントワネット王妃は仇であり、ただの憎む
べき敵であったかもしれない...。しかし、オスカル・フランソワ彼女
にとってもそうだったと思うのですか?」
この男は何を言いたいんだと兵士達の顔に困惑の色が拡がった。
ジェローデルはつづける。
「彼女は...マリー・アントワネット王妃はあなた方が思っているよう
な冷酷な女性ではなかった。そう、あなた方が敬愛するオスカル隊長
が敬愛しその忠誠心を捧ぐに相応しい方だった....。」
「だから、それは昔の!」
抗議する兵士を無視してつづける。
「二人の間には主従関係以上のものがあった。ジャルジェ准将が女
性であった事もあってか、アントワネット様は隊長に特別な信頼をお
き、そう、二人はある種の親友であったともいえる....。この事はシャトレ夫人もよくご存知
の筈だ。」
「話をすりかえんなよ!!」
別の兵士が我慢できずに声をあげる。
「あなた方をアベイ牢獄から救い出しだのは一体誰だと思っているのです?」
「そ、そりゃ、隊長とベルナールが....」
今度はジェローデルが兵士の言葉を遮る。
「アントワネット様です。」
きっぱり告げる。
「あなた方はアントワネット様と隊長の友情に救われたのです....。あの
時、隊長もなんのお咎めもなく、その部下達も釈放された.....。ベルサ
イユでも評判だった。ジャルジェ准将でなければありえない話だ...と。
いいですか?アントワネット様はご自身の立場よりも隊長を選ばれたので
す.。あの非常時にすら。それほど二人の絆は深いものがあった。回りの人間
には立ち入れぬ程...。」
兵士達の顔が一様に曇る。
「そのアントワネット様が処刑された....しかも自分はそれに荷担した。
裏切りという形で……この事が隊長自身をどれだけ苦しめたかあなた方に想像
できますか?彼女の父が追われ、母が追われ、姉妹が、友が、革命により大切
なものや人を失い苦しんでいる。隊長がどんな気持ちでいたか、どんなに苦し
んでいたか、あなた方は考えた事があるのですか?」
「か、考えたさ!考えた事くらいあるよ!!だけど、もうどうしようもねぇん
だ!サイは投げらた!隊長はその命を革命にかけたんだ!!」
「そう、彼女は自分の全てを捨て自分の命を革命にかけた。最愛の人を失って
も彼女は革命に生きようとした。なのに..!それなのに!!」
ジェローデルは拳をにぎりしめ、肩は怒りのあまり震えだした。
「その革命が民衆が!パリが彼女に与えたものは一体なんです!!?断頭台へ
の招待状ですか!!?」
感情をあらわにしないジェローデルが声を震わせて怒鳴った。
兵士達も言葉を失った。
「だ、だけど、だけど、あれは間違いだったって、すぐ。」
やっとの思いで一人の兵士が口を開く。
「そうだよ!ベルナールがちゃんと革命委員会に話してくれて...。」
ジェローデルの眼光は鋭く兵士達を睨みつける。
なまくらなウラナリ貴族、ジェローデルをみた時、兵士達は皆そう思った。
まさかこんな激しさを秘めているとは誰にも想像できなかった。
「間違い...。」
はきすてるようにつぶやく。感情を剥き出しにした事を悔いるかのように頭を
ふり視線をそらす。兵士達に背を向けたその姿は、自分を律しようとする気高
さとその自分自身を失う程のオスカルへの愛の深さとがぶつかりあっているか
のようだった。
やっとの思いで静かな口調を取り戻しつづけた。
「そう、確かにこの前はベルナール・シャトレがもみ消した....。だがこ
の次もそういくだろうか?」
兵士達は再び言葉を失う。
「今、パリは狂っている......。
この次彼女が処刑リストにその名を載せたなら、誰も庇う事などできはしない
でしょう...。」
暗い空気が皆をつつむ。
「俺達がまもるよ!!」
兵士達も必死だった。このままでは隊長を奪われてしまう。
「そうだ、俺達が守るよ!命に代えたって!隊長を処刑だなんて!させ
ない!!」
ジェローデルが返す。
「もと、近衛連隊長で王妃様の信任のもっとも厚かった伯爵将軍の令
嬢....。しかもその父親は最後まで熱心な王党派だった人....。
悪い事に彼女は国王ご一家がパリへ移される時もヴァレンヌの時も王家が直接
関わる時はその出動を拒否している.....。もちろん......。彼女
が国王様に、王妃様に、銃を向ける事などできる筈がないのだか
ら......。
この狂ったパリで彼女にスパイ容疑が掛けられるのはもはや当然の
事.....。次にはベルナール・シャトレの力を持ってしても庇うのは無理
だ....。
それに、私には....。」
ジェローデルは静かに兵士達の方を向いた。
「あなた方は彼女が女性であるという事すらわかってないように見える。」
この一言にはジェローデルに押されっぱなしだった兵士達も激怒した。
「なっなに言ってやがんだ!!しっ知ってるよ!!そんな事!!」
そう、知っている。だから、だからこそ、彼女の警護がむずかしかったのだ。
彼女に必要なプライバシーを残し尚且ついつも片時も目を離さずに守る。この
アンドレは何気なくやっているように見えた事がいかにむずかしいかを兵士達
は嫌と言うほど知っていた。そして、うまくやり切れなかった事も....。
アンドレの代わりになれない、だからこそ、今彼女は心を閉ざし、物言わぬ人
形になってしまったのではないか。兵士達の自分自身への憤りがジェローデル
に向けられる。
「おい!だからこんな奴と話す必要はないってんだ!!早く委員会に連れてこ
うぜ!」
「そうだ、そうだ!!なに言ってやがんだ!!貴様こそ!貴様こそ第一級の指
名手配のおたずね者のくせによぉ!ええ?もと近衛連隊長さんよぉ!」
「おい!アラン!!なんとか言ってくれよ」
兵士の一人が彼らのリーダーともなるアラン・ド・ソワソンに助けを求める。
当のアランは初めからじっと腕ぐみをしたまま、だまってジェローデルの話を
聞いていた。
そんな騒然とした兵士達を静まらせた一言を発したのはアランでもジェローデ
ルでもなかった。
「おれ!そいつの言ってる事......!正しいと....!思う!!」
声を震わせながら、しかしはっきりと、言い切った。
兵士達は驚きのあまり一瞬言葉をなくしその言葉を発した者を見つめた。
――確か、フランソワ.....そう、彼もまたフランソワという名だっ
た。.....フランソワ・アルマン....。彼がいなければもしかしたらオスカ
ル嬢を連れ出す事はできなかったかもしれない.....。――
ジェローデルは再びその思考をフランソワ・アルマンの言葉に戻した。
「フランソワ!!」
咎めるように彼の名を呼ぶ。
しかし、フランソワは構わずつづけた。
「俺....そいつの....言ってる事.....正しいと.....思
う....。」
なにいってんだよ、と詰め寄る仲間達にもう一度大きな声を上げた。
それは彼の悲鳴にも似ていた.。
「おれ!...おれ!知らなかったんだ!!知らなかったんだ!!隊長が女
だって事!!.....あ....あの時まで!!」
ジェローデルはそこまで思い出し、つらさのあまり我に帰る。
目の前の美しい妻をみつめる。
自分の事ならいい。自分のつらい事なら耐えられる。しかし最愛のオスカル・フラン
ソワの悲壮には耐えられない。
ジェローデルはオスカルの隣りに移り強く彼女を抱きしめた。
「オスカル嬢.....。」
苦しげに彼女の名を呼ぶ。
「私が、私が守って差し上げます!もう、二度と!二度と決して誰もあなたを傷つけ
られぬよう!!命に代えても!!」
もう一度強く抱きしめる。彼女の不幸を思うと苦しいほどの愛おしさがこみ上げてく
る。その愛は彼自身さえ傷つける。その血を流す事が唯一彼に今出来る事だった。
馬車はいつの間にか城についていた。
御者は到着を告げかけ、中の様子に気づき止めた。何も知らぬ陽気なイタリア人の御
者にはただ微笑ましい夫婦愛としか映っていないのであろう。
明るいイタリアの空はだまって二人を包んでいる。
悲しみを知ってか、知らないでか......。
―――― 第一部 完 ――――