「追憶」  
―――第二部―――


1793年
パリ
「おれ!そいつの言ってる事......!正しいと....!思う!!」
フランソワ・アルマンの叫びがシャトレ家の居間で響き渡った。

ベルナール・シャトレの家は革命以来、実質フランス衛兵隊の本部のようになってい
た。
オスカルの警護や、非常事態に備え、普段から常に2〜3名の兵士が、居間に詰めて
いた。
何かの非常時にはここから、全員に命令が伝達された。
そして今日、兵士達にとって晴天の霹靂ともいえる非常事態が起こり、ここ、シャト
レ家に集まったのだ。
それは彼らの敬愛する、ただ一人隊長と認める人物、オスカル・フランソワの近衛隊
時代の部下だという男が現れたことにであった。

「おれ!...おれ!知らなかったんだ!!知らなかったんだ!!隊長が女
だって事!!.....あ....あの時まで!!」
ジェローデルもアランも、そこにいた男たち全員の顔が硬直した。
フランソワは一体何を言い出すつもりなのだろう。
皆の心に不吉な思いが溢れた。
「フランソワ.....。」
やっとの思いで兵士の一人が彼の名を呼ぶ。
フランソワが震えているのは長い事、自分一人の胸の中にしまっておいた事が今、堰
を切った濁流のように流れ出したからだった。そのあまりに重く苦しい物に彼の心は
押しつぶされそうだったのだ。
「み、皆….、覚えているだろう.....?アンドレが死んで、隊長もバスティー
ユで瀕死の重傷を負って.....、それでも、奇跡的に一命をとりとめた後の隊長
の事を.....。」
「お、覚えてるさ。アンドレが守ってくれたんだって皆で喜んだじゃないか」
兵士の一人が相槌をうつ。重苦しい雰囲気から少しでも逃れたかったのだろう。
「隊長、見ているだけで痛々しかったよな。」
「普段は変わらずに振舞っていたけど、隊長、あまり食事もしなくなって、それによ
く眠れないようだったよな.....。本当、痛々しかった。」
「よく、アンドレが眠っている墓地がある教会に一人でいってた.....。」
――教会――、それをキーワードにフランソワの肩は更に激しく震えだした。
「覚えているか!?あの頃!皆、俺を笑ってたよな!?」
フランソワは涙をとめることができず、必死になって語りだした。
「お、俺があまりに隊長を心配しすぎるって。神経質になりすぎるって。」
ああ、と兵士の一人が思い出し、フランソワの後をとった。
「まるで、箱入り娘の父親のようだ、いや、それよりひどいって皆で話してたよ
な。」
「覚えてるさ。俺なんか隊長が着替えている間、ここでお茶飲んでただけで、すっ
げー怒られたんだぜ。お前に。一時も隊長から目を離すなって。」
「俺も覚えてる。ラサールもさすがに怒ってたよな。『隊長の着替えをのぞいてろっ
てことか!!』ってさ」
「俺なんて小便に行ってただけで怒られたんだぜ。」
ははは、と皆が笑った時、再びフランソワが口を開いた。怒声だった.....。
「だけど!!!」
「だけど!!俺は真剣だった!!どんなに皆に笑われても構わなかった。隊長が心配
で、心配で....。あ....あの時...、あの時、いや、俺が悪いんだ。俺
が....!俺が隊長の側を離れたから!!」
フランソワは再び泣き出し、言葉がつづかなくなった。
「ど、どうしたんだよ....。おまえ...。」
兵士達は皆、とまどい、不安げな表情でフランソワをみつめた。
ジェローデルもアランも顔は蒼白だった。

   その日の当番兵はフランソワだった。特に変わったことのない一日だった。
   フランソワの弟が朝から熱を出した。その事がなんとなく彼を落ち着かせな
   かった。
   「フランソワ」
   オスカルに声をかけられたのに彼は気づかなかった。
   「フランソワ・アルマン!」
   もう一度大きな声で呼びかけられ、やっと彼は気づいた。
   「あ、す、すみません、隊長。な、なにか?」
   「一体どうしたのだ、今日は?」
   「いえ、なんでもありません。すみません。なんでもありません。」
   彼は上の空だった自分を恥じ、なんとか取り繕おうとした。しかし、オスカル
   がそれを許す筈がなかった。問い詰められ、弟が熱を出し、それが今朝か
   らずっと気になっている事を彼は白状した。
   「なんだ、そんな事か....。」
   オスカルは彼をつつみこむように微笑んだ。
   「もっと、早く言えばいいのに....。」
   フランソワは、オスカルの微笑みにみとれた。
   ――聖母の微笑み――、そんな言葉が彼の頭をよぎった。
   彼女の微笑みに何度兵士達は勇気づけられた事か、
   ――男の隊長ではできない芸当だよな.....。――
   フランソワはふとそんな思いを抱いた。
   自分は大丈夫だからもう家に帰れ、というオスカルに初めは反対した。
   「本当にいいんだ。もう、雑務もない。私もキャゼルヌの教会に行くつもり
   だ。」
   このオスカルの一言はフランソワを動かした。
   キャゼルヌの教会というのはパリ市街のはずれにある古びた無人の教会だっ
   た。その裏の墓地にアンドレは埋葬されたのだ。オスカルは時間があればそこ
   へ行き、一人祈っていた。大抵は兵士が一人教会の外で彼女の護衛を務めてい
   たが、そんな時オスカルは決まって早くきりあげ、教会から出てくるのだっ
   た。フランソワはその事に気づいていた。
   ――隊長も一人になりたいのかもしれない.....。――
   それでは、と遠慮がちに礼をいい、フランソワは出て行こうとした。
   ああ、ちょっと待て、とオスカルに呼び止められた彼は白い小さな包みをわた
   された。ジャルジェ家の紋章が入っていた。中には薬が入っていた。彼女が出
   動の際持ってきたわずかな荷物の中のひとつだった。
   「ばあやが...、アンドレの祖母が心配性で私に持たせたのだ。役にたつだ
   ろう。」
   オスカルは笑った。
   「い、頂けません!こんな高価な物!!」
   フランソワは慌てて包みをオスカルに返そうとした。
   「いいのだ。持っていってやれ。私には必要ない。」
   オスカルは無理に包みを受け取らせた。
   ――私には必要ない――
   そんな一言が妙にフランソワの心にひっかかった。
   後ろ髪を引かれる思いだった。しかし、病気の弟の事も同様に気になった。フ
   ランソワは何度もシャトレ家を振り返りながらも帰途についた。
   家に戻ると、何の事はなかった。弟はすでにかなり元気を取り戻し、兄の帰り
   にはしゃいでいた。ただの風邪だったようだ。高価な薬を使う必要もなさそう
   だった。
   「兄ちゃん、今日は仕事じゃないの?うちにいるの?遊んでくれる?」
   弟は無邪気にまとわりついた。
   ――隊長は今日はもういいと言ってくれたんだし....。――
   戻るか、家にいるか迷った。嬉しそうな弟の顔をみていると、このまま家にい
   たいと思った。しかし、どこか奇妙な違和感が彼の心の中に、まるで小さなト
   ゲのように居座っていた。
   「ごめんよ。今日はまだお勤めがあるんだ。お前の様子が気になったから帰っ
   て来たんだ。隊長が帰っていいと言って下さったからね。だけど元気な所を見
   れたから戻らなけりゃ。明日には帰ってこれるから。」
   がっかりした弟の顔を見るのはつらかったが、フランソワはオスカルのもとに
   戻る事にした。
   シャトレの家が近づいてきた所で偶然ロザリーに出会った。
   「あら、フランソワ、オスカルさまと一緒ではなかったの?」
   ロザリーは不安げな目で彼を見た。
   「あ、ああ、実は....。」
   フランソワは事情を説明した。
   「そう、そうだったの....。ううん、ただ、ちょっとこの頃パリは物騒だ
   から......。さっきもタチの悪そうな人たちがキャゼルヌの方へ歩いて
   行くのを見たものだから気になって.....。ああいう人たちってよく無人
   の教会をねぐらにしたりするでしょう?オスカルさま教会においでのようだっ
   たから.....。」
   ロザリーの話を聞きフランソワの顔は蒼白になった。
   心の中の違和感ははっきりとした不安感となり、彼をおそった。
   「あっ!フランソワ!」
   ロザリーの声はもう耳にはいらなかった。彼は夢中でキャゼルヌに向かって駆
   け出していた。

   フランソワを早々に帰したオスカルは一人教会に向かった。
   かびの臭いのする古びた教会のドアを開けると同時に彼女の瞳に涙が溢れ出し
   た。
   皆の前では冷静な指揮官を装っていた。しかし、心の中はいつも耐え切れない
   ないほどのアンドレへの慕情と悲しみで溢れ返っていた。一人になりたかっ
   た。いつでも一人でいたかった。そして自分の感情を押さえることなくただ泣
   いていたかった。
   泣いても、泣いても、もう、彼女を優しく抱きしめてくれる恋人はいなかっ
   た。どんな時も決して彼女からそらす事のなかった優しい黒い瞳ももうないの
   だ。
   今までは耐えられた。どんなつらい事があってもいつも自分は守られていた。
   その自信がどれほど自分の支えになっていたか、アンドレを失いあらためてど
   うしようもないほど強く感じさせられていた。自分の性を乗り越えるつらさも
   悲しさも、ただ一人常に自分を見つめ理解してくれる男性がいる、その事だけ
   で耐える事ができたのではないだろうか?今、彼を失った彼女にできる事はひ
   たすら皆の前で強い自分を演じ、こうして一人きりになった時、涙を流す事、
   それだけだった。それだけが唯一、女性であり軍人である自分を確認する術で
   あった。
   激しい孤独感に苛まれた。
   「アンドレ....アンドレ....」
   繰り返し、繰り返し亡き恋人の名を呼びオスカルは弱々しく涙を流しつづけ
   た。
   ばんっ!
   そんな悲しい静寂は荒々しいドアを開ける音によって破られた。
   「おおっとぉ、先客か?」
   見るからに下卑た感じの大柄な男達が3人、教会に入って来た。