「追憶」 2-2



   「なんだ、男かよ」
    無遠慮にオスカルをじろじろ見る。オスカルがあきらかに自分達とは違う人
   種であることを嗅ぎ取っていた。
   「おい、こいつ貴族じゃねえのか?」
   「貴族様がこんな所に一人でいるかよ。」
    そう言いながらもオスカルの持つある種の貴族的な雰囲気に気づかない筈も
   なかった。それは男たちにとって格好のウサばらしの対象となるものだった。
    オスカルは自分の指先がつと冷たくなるのを感じた。女としての本能的な恐
   れを感じた。無言で席をたち、出口の方へ歩いていった。出口にたどり着くに
   は嫌でも男達とすれ違わなければならない。男達は既にかなり酔っ払っている
   ようだったが、その嫌な臭いは安酒だけのものではなかった。男達の体臭、そ
   れはオスカルの女性としての本能的な恐怖心を更に強めた。
    オスカルは足早にそこを立ち去ろうとした。
   「まぁ、待てよ。なにもそんなに急ぐこたぁねぇだろ。」
    一人の男がオスカルの腕をつかんだ。
    オスカルの氷のような瞳が男を射るように睨みつけた。
   「放せっ」
    それはかえって男達を刺激した。
   「けっ!なんでぇ、上品ぶりやがってよ!」
   「まぁ、まぁ、そうつんけんすんなよ、一緒に飲もうぜ。」
    一人の男がオスカルを後ろからはがいじめにするように捉えた。白い絹のブ
   ラウス越しにオスカルの華奢な柔らかい体の感触が伝わる。ふと、その男が奇
   妙な顔をした。
   「お.....い、こいつ.....こいつ、女だ。」
   「ええっ?!」
    男達はますます無遠慮にオスカルの顔をみつめる。その目はみるみる脂ぎっ
   てくる。
    ひとりは乱暴にオスカルの胸をわしづかみにした。
   「へへっ、本当だ。こいつ女だぜ。」
   「こりゃいいや。神様もたまにゃ粋なことをなさるってもんだ。今夜は楽しい
   夜になりそうだ。」
   「おまけにこんな美人、見たことがないぜ。」
   「やめろ!放せ、放せっ!!」
    オスカルはなんとか振り払おうと必死に抵抗した。しかし、それはかえって
   男達の欲望を刺激するだけだった。3人の男の力にはなす術もなかった。男達
   に引きずられ、祭壇の前に連れて行かれ、あっけなく押し倒された。男達に押
   さえつけられた腕が、足が、どんなにあがいても、決して自由にはならなかっ
   た。
    もう一度男達はゆっくり、舐めまわすようにオスカルを視姦した。彼らの獲
   物がいかに極上で、これから、どれ程の快感を自分達が得られるのか、確かめ
   るように舐めまわす。唇を、喉元を、胸元を、順に視線を這わせ、その感触を
   喰らいつく前に想像してみる。男達の息はどんどん荒くなっていった。
    今まで軍人として彼女は様々な危険に出会った。命の危険を感じたことさえ
   少なくなかった。しかし、今感じるこの危機感はそのどれにも勝るものだ っ
   た。
    オスカルの嫌悪感と恐怖心は今までかつて味わったことのないほど、ふくれ
   あがっていた。止めようと思っても全身が小刻みに震えるのを止める事ができ
   なかった。こんな男達の前で震えたりしたくなかった。女である自分をさらす
   ことこそが屈辱だった。  
    しかし、どうしようもなかった。
   「や....やめろ....は....はなせ.......。」
    やっとの思いでそう言った。
   「へっ、やめろ、はなせ、ときたもんだ。」
   「やめてぇ、はなしてぇ、って言えねぇのかよ。」
    男達は更に残酷に獲物の恐怖をあおるようにからかい、楽しむ。
   「まぁ、いいってことよ。時間はたっぷりあるんだ。オレたちで女らしーく、
   してやろうぜ。」
    そういうと、いきなりオスカルのブラウスの胸元を裂いた。
   「やっ!!」
    言葉にならない叫びがもれる。
   「やめろっ!やめろっ!!はなせっ!」
    声の出し方を思い出したかのように必死になって助けを求めだす。なん と
   か男達の動きを阻止しようと、必死に抗う。しかし、それはただ、男達のなか
   で翻弄され、もがいているだけに過ぎなかった。オスカルの抵抗は、まるで背
   中からピンで刺されて捕らわれた蝶の羽が痙攣したように震えるかのごとくで
   あった。あっという間にブラウスは破られ、下着をはぎとられ、白い胸があら
   わになった。
   「すげぇ、こんな白い肌、見たことがないぜ。」
   「そこら辺の安娼婦とは訳が違う。」
    男達もまた、いままで経験した事がないほど昂ぶっていた。ただ、ひたすら
   飢えを満たすかのように、オスカルの肉体を餌食にしていった。
   「アンドレ!アンドレェェ!!」
    恋人の名を呼び助けを求める声が空しく教会に響いた....。
    何故、何故、こんな事になってしまったのだろう?最愛の男性アンドレを
   失った。これ以上の不幸はありえない筈だった。一体これは悪魔のタチの悪い
   ジョークだろうか?自分は今、その恋人の前で犯されようとしているのだ 。
    銃でなくてもいい、せめて、せめて、剣を持っていたなら、剣がなくとも、
   きちんと、食べ、寝ていたなら。彼女なら、いつもの彼女であったなら或いは
   男達の暴力を制することができたのかもしれない。そもそも、いつものオスカ
   ルであったなら、簡単に女だと見破られる事はなかったのだ。今のオスカルは
   あまりに弱っていた。まるで傷ついた小動物のように.....。 何故、軍
   服を着ていなかったのだろう?何故、こんな無防備な姿でいたのだろう?いく
   ら悔やんでももう遅すぎた。
    彼女はアンドレに会いにくるのに、軍服を身につけることも剣を携えること
   も好まなかったのだから.......。
    男達の目が、手が、舌が、オスカルの侵さざるべき肉体を這いまわり、翻弄
   する。その身体がたちまち唾液でぬらぬらと光ってくる。頭からばりばりと骨
   を砕かれながら、食べられていくのがわかるような、嫌悪感の中、しだいにオ
   スカルの意識は朦朧としていった。
    けだものはその獲物のもっとも美味な部分を味わおうとその手を腹をすべら
   せ、キュロットの下へともぐりこませようとする。しかし、思いのほか身体に
   密着したその衣服がそれを阻み、いらいらさせられる。
   「おい、早く下も脱がせちまえ!!」
   「へへっ、わ、わかってるよ。い、今.....。ちっ!う、うまく、手
   が....。」
    男の声はうわずっていた。興奮のあまり手が震えていた。
    バンッッ!!
    男達が入って来た時より、更に乱暴に、ドアを蹴破るように開ける音が し
   た。
    今日、3番目の教会の訪問者であった。しかし、男達はそれにすら気付かぬ
   ほど、興奮しきっていた。
   「だ、だめだ手が.....。」
   「い、いいから破いちまえ。早く脱がせろ。も...もう!」
    オスカルにむらがる野獣は興奮の極みに達していた。その時怒声が教会に響
   き渡った.....。
   「貴様らッ!!そこでなにをしているッ!!」
    男達はハっとして入り口をみた。

    ロザリーと別れたフランソワ・アルマンは走った。自分の力の限り。恐ろし
   い程の動悸が彼を襲う。それでも全力で走るのをやめなかった。例え心臓が破
   れても走るのをやめるわけにはいかなかった。
    遠くに教会の十字架がみえてくる。なお、自分を鞭うつように走る。十 字
   架....生贄の象徴がその意味の通りに悲しげに見えた。オスカルの愛馬が
   つながれているのが見えてくる。いつもは輝かしい程の名馬が今はたよりなげ
   に見えた。
    ただ夢中でドアを蹴破るように開けた。いつもの席に隊長が座り、静か に
   祈っている姿をみるために.....。
    はたしてそこにオスカルの姿はなかった。教会には誰もいないかのように見
   えた。しかし次の瞬間フランソワは祭壇の前に、捉えた獲物にむらがる男達を
   見つけた。
   「だ、だめだ手が.....。」
   「い、いいから破いちまえ。早く脱がせろ。も...もう!」
    それは決して起きてはならない事.....彼が想像した最悪の事態であっ
   た。
   「貴様らッ!!そこてなにをしているッ!!」
    フランソワは自分でも驚く程の怒声をあげていた。
   ふりむいた男達は3人。大柄で屈強な、いかにもケンカ慣れしていそうな連中
   であった。
    フランソワは猛者で通るフランス衛兵隊の中ではどちらかといえば異質な方
   だった。性格も穏やかで優しく、ケンカは嫌いだったし、お世辞にも強いとは
   いえなかった。
   ――とてもかないそうにない。――
    瞬時にそう悟ったが、引くつもりなど微塵もなかった。
   ――なんとか!なんとか俺がやられる前に隊長を逃がさなければ...
   ..!!――
    フランソワは恐ろしいほどの形相で男達を睨みつけた。
    そんなフランソワを見ての、男達の言葉はあまりに意外なものだった。
   「やべぇ!!フランス衛兵だ!!」
    男達はフランソワの軍服を見て驚き慌てふためいた。
   「へへっ、なんでもねぇ、なんでもねぇんでさ。」
    男達はおどけたようにフランソワにあいそ笑いをしながら、そそくさとこの
   場から逃げ出そうとした。
   ――フランス衛兵?俺が?俺がフランス衛兵だからこいつら逃げるのか?――
    フランス衛兵隊、自分達が勇敢に華々しい活躍を遂げる事ができるのは隊長
   がいるから....。それは誰の目にも疑いようのないことだった。しかし、
   その衛兵隊長を陵辱しようとしながら、一兵士である自分を見てこの男達は逃
   げ出そうとしている....。呆然とするフランソワの横を通りぬけ男達はほ
   うほうのていで教会から出て行った。
    男達が出て行き、フランソワはやっと、我に帰った。慌ててオスカルのもと
   に走りよろうとし、はっとしてその足を止めた。オスカルの真っ白い裸体が彼
   の目に焼きついた。
    それは祭壇の前にあって、壮絶なまでに美しかった。決して邪まな気持ちか
   らではない。ただ、神々しいまでのその裸体は近寄りがたく、又、目をそらす
   事もできなかった。
   「.....うっ.....」
    苦しそうなオスカルのうめき声に再び我にかえり、上着を脱ぎながらオスカ
   ルに駆け寄った。
   「た...隊長!隊長!しっかりして下さい!!」
    自分の軍服でオスカルを包んだ。気を失っているオスカルを抱き起こし袖を
   通させた。
   「隊長....!すみません、すみません!俺が、俺がお側を離れたばか り
   に!!ああ、隊長!!」
    オスカルを抱き上げた彼はまたショックを受けた。
   ――か...軽い......!!――
    彼が抱き上げた“隊長”はあまりにも、以外な程の軽さで空気のようにふわ
   りと持ち上がった。驚きのあまり自分の腕の中にいる“隊長”をみつめた 。
    フランソワの軍服を身にまとった彼女はあまりに小さく見えた。フランソワ
   は衛兵隊の中でも決して大柄な方ではない。むしろ小柄な方といえた。しかし
   彼女の柔らかな身体はそのフランソワの硬い軍服の下で泳いでいるようだ っ
   た。袖口からは白く細い指先がやっとのぞき、硬い襟は柔らかな彼女の頬をつ
   つくようにかぶさっていた。
   ――こ.....これは......これは....コノヒトハ、イッタイダ
   レダ......?――
    フランソワはただオスカルの蒼白い美しい顔をみつめた.....。
   「うっ......」
    苦しそうなうめき声を喉もとから漏らし、オスカルの意識が戻ろうとした。
    ふいに彼女は自分が、自分に覚えのない男の腕の中にいる事に気がついた。
   「いッ....嫌ッ!!はなせっ!!はなしてッッ!!!」
    猛烈に暴れだし、その腕からのがれようとした。フランソワは咄嗟に力を込
   め、オスカルが床に落ちぬよう、その激しい動きを封じようとした。そしてそ
   れも又以外な程あっさり彼の思うようになった。
   「隊長、隊長!落ち着いてください!俺です!フランソワです!!フランソワ
   ・アルマンです!!」
    オスカルはその声と腕が決して暴力的でないことに気づき、しだいに我にか
   えっていった。
   「隊長!フランソワです!俺...俺....すみません、すみません。 俺
   が、俺が!!」
   ――俺が悪かったんです!――
    フランソワはそう言いたくてことばにならなかった。
    オスカルは状況を理解していった。と、同時に身体の力が抜けていった。ま
   た、はっきり意識が戻るほどに、たった今味わったばかりの恐怖を思い出す事
   にもなった。
    ゾッとするほどの嫌悪、屈辱、怒り、そしてどうしようもないほどの恐 怖
   心。オスカルの身体は小刻みに震えだし、それを止めることはできなかった。
   フランソワは自分の腕の中で震えるオスカルを抱きしめた。すっぽりと自 分
   の腕で包み込める華奢な身体は、その肩にかけられた軍服とはあまりに不似合
   いで、軍服が重そうにみえた。
   ――この人は....、この人は.....、一体誰だ?――
    激しい自責の感情とともに彼は混乱した。
    彼の知っているオスカルは、彼の知っているオスカルは、強い人だった 。
    いつも、先頭にたち、指揮をとり、颯爽と馬にまたがる彼女は、どの男 よ
   り、男らしく、どの指揮官より、軍人らしく、どんな戦闘においても信頼し、
   安心してついていけるような、そんな将校だった。彼女はいつも大きく見 え
   た。どんな時でも自分達兵士を助けてくれる、誰よりも頼れる上官だった 。
    自分の隊長が女性であることは知っていた。十分過ぎるほどわかっているつ
   もりだった。それ故に反抗したことさえあった。そういった時を経て築き上げ
   た絆は誰も間に入ることが出来ないほど深く強く、それ程お互いをよく理解し
   ていると思っていた。
    しかし、それは全くの過ちだったのではないか?自分は一体隊長の何を理解
   しているといえたのだろう?
   ――――この人は、この人は....、一体誰なんだ?俺の知っている隊長な
   のか?あの大きな隊長なのか? ......違う、違う!この人
   は........!!......ただ、男の暴力に怯え、子ウサギのよう
   に俺の腕の中で震えているだけではないか?...こ......
   この人は!!――
   ――この人は....、女だ.....!――
    彼は初めてそのことに気付いた。いや、“初めてそのことを知った”、と気
   付かされたのだ。

「お、俺....、知らなかったんだ.....、知らなかったんだ。隊長が女だっ
てこと、知らなかったんだ。知らなかったんだ!......」
 フランソワは激しく泣き出し、言葉にならなくなった。
 そこにいる誰もがあまりに重い鉛のような空気にのまれ、言葉を失った。
 フランソワはなんとか泣くのをやめようと必死になっていた。彼は今、その時
何がおきたのか全てを皆に伝えるのが自分の義務であると知っていた。苦しげになん
とかつづけようとした。
「隊長、震えていた。だけど......だけど.....泣かなかった。泣かな
かったんだ。俺、泣いてほしかった。声をあげて、わんわん泣いてくれたならまだよ
かったんだ!!」
 彼の懺悔のような語りは更につづいた。

    オスカルはその瞳に涙を一杯ため唇を噛みしめていた。震える肩が
   いかにもか弱そうにみえた。くっ、くっ、と喉から苦しげな音がもれた。オス
   カルはなんとか、泣くまいと苦しい自分との戦いをしていた。
    オスカルはゆっくり、しかしはっきりとフランソワの胸を押し、彼の腕から
   離れることを伝えた。フランソワは彼女を静かに下ろした。彼女は教会の椅子
   に座り、部下に背中を向けた。その肩が震えだした。しかし泣き声をあ
   げることは決してなかった。オスカルは、今起きたこと全てを消し去ってしま
   いたかった。こんなにも無防備で弱い女である自分を部下の前でさらすべきで
   はなかった。
    “泣いてはいけない”、男として育てられ、女でありながら軍隊に身をおい
   てきた彼女は知らず知らずのうちにこんな悲しい自制心を身に付けていた の
   だ。
   ――この人は.....、この人はいつも、いつもずっとこうやって泣いてき
   たのだろうか?――
    フランソワは胸をつかれた。
   ――何故....?――
   ――....この人はこんな時に思い切り泣くことも許されてこなかった
   のか? 女として一番つらい目に会った時でさえ、声をあげて泣く自由も な
   かったのだろうか?――
    同情心.....、そんな生易しいことばで表現できるような感情では な
   かった。彼女があまりに哀れで、ただその痛みが自分の胸を切り裂くようで、
   たまらずにこの儚げな女性を抱きしめたくなった。そして彼はそれを実行 に
   移した。
    オスカルはびくっと身体をこわばらせた。
   「隊長、どうか、どうか、我慢なんてしないで.....。泣いて....。
   泣いてください!思い切り!お、俺の胸でよければ!どうか、どう
   か.....!!」
    大それたことをした......。そうも思う。しかし、その時フランソワ
   は本気でこの女性の抱えてきた苦しみを代わりに背負ってやりたいと思った。
   自分の上官であるこの女性を守ってやりたいと本気で思ったのだ。
    フランソワの腕はあまりに暖かくやさしかった。
    それはかの黒い瞳の恋人を思い出す程に......,。
    うっうっ、としだいにオスカルの口元から嗚咽がもれだした。細い肩がいよ
   いよ激しく震え、嗚咽は更に大きくなっていった。ついにはフランソワの胸に
   しがみついて泣き崩れた。
    自分の胸で幼子のように泣きじゃくるオスカルはひたすら小さく、繊細なガ
   ラス細工のようにも、かわいらしい少女のようにも思え、守られるべき存在で
   あることを訴えているかのようだった....。

    ようやく、なんとか表面上は落ち着きを取り戻し、オスカルが教会をでたの
   は既に深夜に近い時間だった。二人は無言であった。シャトレの家までの道の
   りは随分遠くに感じられた。
    フランソワは苦しい思いに耐えていた。オスカルの涙、悲しみは鋭い刃のよ
   うに彼をきりつける。己を責めつづけないではいられなかったのだ。
    彼女を一人にしてこんな思いをさせたことはもう取り返しがつかなかった。
   しかし、激しい自責の念はそれだけが理由ではなかった。彼女が、オスカルが
   女性である、という事を知らないでいた、そのことが酷く彼を責めさいなんで
   いた。まるで、今夜、彼女を蹂躙し、傷つけたのが自分であるかのような錯覚
   をおこすほどに.....。
    今までいかに彼女に甘えてきていたか、思い知らされる気がした。出動に際
   し、戦闘中に、アベイ牢獄で、彼ら兵士達は彼女に頼りきっていた。
    そしてなにより、彼女が衛兵隊に移ってきたばかりのことが、思い出さ れ
   た。
    彼女が女であるという理由で反抗し様々な嫌がらせをした。そう、まるで今
   しがたの男達のように、その身体の自由を奪い、彼女を強姦するぞ
   と脅したことさえあるのだ。
    しかし、それさえも実は彼女が女性であると知らなかったから、やって し
   まった事であると今気付いた。あの時でさえ、彼らはオスカルに甘えていたの
   だ。
    女だから腹がたったのではない、もともと貴族の上官に腹をたてていた の
   だ。それをぶつけるのに彼女は格好の、女であるという理由をもっていた。貴
   族であるという怒りをぶつけるなど、一番、的外れな相手とも知らずに。
    もし、あの時この人が女性であると知っていたなら、泣いて自分を主張する
   自由もない、儚い女性なのだと知っていたら、あんな酷いことができるわけは
   なかったのだ。
   ――この人は、あの時もこうして誰にも悟られぬように声をころして一人で泣
   いていたのだろうか?――
    そう思うとやり切れなかった。到底、自分を許すことなどできなかった。今
   夜、彼女を襲った男達と自分とが重ねあわされてならなかった。
   「隊長、許してください!どうか、どうか、許してください!」
    搾り出すような声で独り言のように詫びることしか、今のフランソワにはで
   きなかった。

    シャトレの家に着き、裏口にまわった。誰も起こしたくなかった。もち ろ
   ん、こんな哀れな姿を誰にもみせるわけにはいかなかった。
    ドアの前で背中をむけたまま、消え入りそうな声でオスカルが言った。
   「..今夜のことは...誰にも....どうか.....。」
    泣きはらした顔が痛々しかった。
   「わかりました。誰にも、誰にも言いません。絶対。」
    力を込め必死に頷いた。
    誰にも知られたくない、これが女性としての恥じらいでそう言っている の
   か、それとも隊長として誰にも心配をかけたくないという責任感で言っている
   のか、フランソワにはわからなかった。しかし、彼女の望むことならどんなこ
   とでも叶えてやりたいと思った。
   「す、すまないが、今晩は帰ってほしい.....。明日、ジャンが交代しに
   来るまでに朝、戻ってきてくれないか.....。」
    力なく、2つ目の希望を彼に告げた。今夜の出来事を知る自分から少しでも
   遠ざかりたいのだろうか?それとも...。フランソワの胸は再びちりりと痛
   んだ。
   「はい。」
    そう答えるしかなかった。
   「た......助けて、くれて、......あ...ありがとう....
   ........。今夜の.....こと...は...君の..責任で は
   ないから.....。どうか、もう、気にしないで...ほしい....。」
    そう言うと振り返り、なんとか平静な顔をみせようとした。しかし、それは
   うまくいかなかった。優しいフランソワの瞳を見ると、かつて同じように優し
   さをたたえて見つめてくれた黒い瞳をその中にみいだし、思わず涙が溢れるの
   を感じる。くっと顔を慌ててそらし、すまない、と告げる。
   「隊長!」と、フランソワはたまらずに彼女を呼び、歩み寄った。
   「すまない....すまない.....。もう一度、もう一度だ
   け....。」
    オスカルはフランソワの胸に顔をおしつけ、声を殺して泣いた。
    彼は彼女を優しく抱きとめ、そっとその柔らかな髪をなでた。
    それはほんの短い時間だった。オスカルはこんどこそ、と踏ん切りをつける
   ように突き放すように、フランソワから離れ、「すまないが、君の軍服は明日
   まで借りておく。」と、事務的な口調で彼に告げ、足早にドアの中に消えた。
   心臓を二つに裂かれたのではないかと思う程、胸が痛んだ。彼は暫く、その場
   を離れることができなかった。

    次の朝、約束通り、朝早くシャトレ家に戻ったフランソワは居間に丁寧にた
   たまれた自分の軍服をみつけ、また、たまらない切なさに襲われた。彼はその
   軍服を思わず抱きしめた。彼女の残り香があるようだった。それは涙の匂いだ
   ろうか...。
    ジャンが交代の時間になりやってきて、初めてオスカルは自室から出て き
   た。その顔色はますます青白く悲壮にみえたが、ジャンにも、他の誰にもそれ
   がわからないようだった。それほどに、オスカルはいつもと変わりなく、 い
   や、いつも以上に気丈に振舞っていたのだから...。そんなオスカルはあま
   りに痛々しく、彼女を見るのが今のフランソワにとっては耐えがたいほどつら
   かった。