琥珀の思い出



その日のオスカルは人生最悪なほど、運に見放されていた。クリスマス・イブだというのに・・・。

「オスカルさま。まぁ・・・おいでは明日だと伺っておりましたが・・・。」
オスカルの姉クロティルドにクリスマスはうちで過ごさないかと誘われ、24日クリスマス・イブに、パリにあるクロティルドの嫁ぎ先を訪れ、その家の侍女が困惑した様子でオスカルにそう告げた。
「え?明日?」
「ええ、クロティルド様はご一家でヤカールの別邸においででございます。明日はオスカルさまをお招きして盛大にクリスマスとお誕生日のお祝いをなさるので、午前中にはお戻りなる、とおっしゃってらっしゃいましたが・・・。」
「確か、24日とお聞きしたのだが・・・。」
25日のクリスマスと24日のクリスマス・イブ、きっとどこかで伝言ミスがあったに違いない。身内でのこと、文書の招待状がきたわけではなかった。
「申し訳ございません。急なことでなんの準備もございませんが、どうぞ。」
留守を預かる侍女が中へ招き入れる。
オスカルは躊躇した。
クロティルドとその夫がクリスマスに館を留守にする・・・。
これは使用人達に一時のクリスマスの休みを与える意図もあってのことに違いない。
突然、自分がここへ宿泊すればその心遣いも水の泡というものだ。
「いや、ならばまた明日出直してくるとしよう。」
オスカルはマントをひるがえした。
侍女は一言、二言ひきとめていたが、自分の家ではない。主人が不在の今は強くひきとめるわけにもいかずオスカルを見送った。
クリスマスに使用人達を少しでも休ませたい・・・。
これはジャルジェ家でよくオスカルの両親がしていたことだった。姉はそれを引き継いでいるのだろう。自分と同様に・・・。
オスカルは溜息をついた。
御者を休ませたい一心でクロティルドの屋敷についた時、馬車は帰してしまっていた。
アンドレとばあやをゆっくりさせてやりたい・・・。
そんな理由で供もつけずに一人で来た。
「これもまた一興か・・・。」
そうつぶやくと一人今来た道を家路に向かって歩き出した。
幸い今年はあまり雪も降らず、足元も悪くない。星空は見えないが、家につくまで天気はもつだろう。
たまにはこうやって一人だけで考え事でもしながらゆっくり歩くのも悪くはない。
ジャルジェ家までゆっくり歩けば3〜4時間かかるだろうが、そんな時間も普段の殺人的な忙しさを思えば一人だけの贅沢な時にも思えた。
オスカルは楽観して一人で歩き屋敷に戻ることにした。
歩き始めてすぐに頭をよぎるのはやはり仕事のことだった。
王太子姫殿下づきの近衛仕官になって、早、2年、忙しさは他人には想像すらできないであろう。
24時間、いつ何時アントワネットの身に何が起こるかわからない。気の休まる時はなかった。女性であるが故に男性にはできないプライベートなところまで入り、アントワネットを護衛し、ある時は話し相手として慰めもした。
アントワネットも誠実なオスカルを慕い、信頼していた。
そんなオスカルをやっかみ心よく思わない輩はどこにでもいる。
下らぬ貴族の連中が何を言おうが気にもならない。だが、軍隊内部のこととなると、話は別だ。それが行き過ぎれば自分の果たすべき職務にも支障をきたす。
―――女のくせに―――
こんなことばは聞き飽きた。
士官学校に入学した時、近衛隊に入隊した時、オスカルをよく知らぬ者は必ずといっていいほど、このことばで彼女を侮蔑する。
オスカルの実力を見せ付けられ、やがてはその口を閉じていくのだが、それでも執拗に嫌がらせをしてくる連中もいる。
「くっそぉ....!ギルマンのヤツめ!!」
今日の宮廷でのできごとを思い出し、思わず毒づいた。


「やぁ、ジャルジェ君。今日もあいかわらずお美しいねぇ。」
意地悪く彼女をいつも揶揄してくる。
無視しよう。
心に固く決めていた。
こんな輩をいちいち相手にしていてはこっちのレベルまで下がるというものだ。
通りすぎようとした時、肩をぐいとつかまれた。
「まぁ、待てよ。そんなに邪険にしなくたっていいじゃないか。僕達は同じ軍隊の仲間だ。そうだろう?」
オスカルをからかうようにのぞきこむ。
「何の用だ?」
ぎろりと睨む。
「そんなに睨むなよ。同じ大尉同士、仲良くやろうよ。ほら、カフスに泥がついているよ。そのままアントワネット様のところへ行ってはいけないよ。」
え?とオスカルは思わず自分の袖口を見た、その時!
ギルマン大尉はちょっとしたその隙をついてオスカルの手首を後ろ手にねじりあげた。
「あうっ!!」
いきなり、おもいっきり腕をねじりあげられ、その痛さに声をあげる。
ギルマンはそのまま、片手でオスカルの腕を背中でねじりあげ、もう片方の手で彼女の肩を壁に押し付けた。
「なにをするッ!!」
オスカルは壁に押し付けられ身動きがとれない。
「ふふん、どうしたんだい?素手でだって男に勝てる自信があるんだろう?」
オスカルを力まかせにぐいぐいと押さえつけ、意地悪くそう言う。
一週間前にオスカルはギルマンと素手でやりあったのだ。
―――素手では勝てっこないさ。―――
剣や銃で決してオスカルに敵わないギルマンは悔し紛れにそう言った。
ならば勝負だ、とオスカルが挑む。
リズムのあるすばやい動きと、ほんの一瞬の隙を見逃さずついてくる体重をのせた鋭いパンチにギルマンはあえなくノックアウトされた。
皆の前で思いっきり顔面にパンチをくらい気絶させられたのを、余程恨みに思っていたのに違いない。
「腕力でも男に勝てるんだろう?ほらほら!ほどいてみろよ。」
「卑怯者ッ!!」
更にきつくねじりあげられる腕の痛さにオスカルは顔をゆがめ、なんとか振りほどこうと抵抗を試みる。
「女はね、男の力で組み伏せられて喜んでりゃいいのさ。」
肩を押さえつけていた手を、壁とオスカルの身体の間へもぐらせ、胸へと移動させようとした。
「......!!」
嫌悪感に背筋が凍る。
「おやめ下さいッッ!!」
異変に気がついたアンドレがかけつけた。
思いっきり体当たりでギルマンを突き飛ばす。
「貴...様!従僕の分際で!!」
ギルマンはいつもアンドレにも執拗にからんでくるのだ。
ねじりあげられたオスカルの右腕はしびれたような痛さにすぐには動かせなかった。
それでも、きっと睨みつけ臨戦態勢に入る。
「こらっ!!そこで何をしている!!」
彼らの上官であるラクロ中佐の怒鳴り声がした。
3人はいずまいをただした。
「どうしたんだ?君達」
ラクロ中佐が近づいてくる。
アンドレは後ろへ控え、オスカルとギルマンは敬礼した。
「いえ......、何でもありません......。」
オスカルは悔しさに青い顔をしながらもそう答えた。
ラクロ中佐をオスカルは影ながら慕っていた。
彼は決して彼女を女性扱いしない。そしてオスカルの実力を認め、様々なことでアドバイスもしてくれた。
彼のことばなら、どんな厳しい助言も素直に聞けた。
いきなり腕をねじりあげられて、身体を触られそうになった.....。
そんなこと言えるわけもない。
オスカルは唇をかんだ。
ラクロ中佐はチラリとギルマンを見た。
「何でもありません。」
しれっと答える。
はらわたが煮えくりかえりそうだった。
こんなヤツと争うのはやめよう。
こんなヤツを相手にすれば自分自身のレベルが落ちる。
こんなヤツは無視するだけだ。
心の中でそう固く誓った。
だから、だから....!
ラクロ中佐の前でこんなヤツと争うところなど見られたくない。絶対!!
自分はこいつとは違うんだ!!
何度もそう言い聞かせ唇を噛み締める。
「そう...か.....。では、部署につけ。」
そう言い、中佐はその場を離れようとした。
その時、ギルマンが中佐にわざと聞こえるように声をあげた。
「ジャルジェ君、気にすることはないんだよ。僕に腕力で負けたからってね。君、そりゃ自然のことさ、女なんだから...。そんなに怒らないでくれたまえよ。」
カッと頭に血がのぼった。
それでも堪えた。震えるほど、こぶしを握り締めて....。 


「くそおおおっ!!やっぱり殴ってやればよかった!!」
オスカルは吠えるに空に向かって叫んだ。
やっぱり殴ってやればよかったんだ!!殴って、この前のように完膚なきまでに打ちのめして、人間のクズ!!二度と私に触るな!!と言い放って・・・!!
そうしてやればよかった!!
今日、我慢したことをオスカルは激しく後悔していた。
空にむかって叫んで、やっと回りを見渡す余裕ができた。
寒い・・・・。
いつのまにやら雪が降り出していた。
「まずいな・・・・。積もりそうだ・・・・。」
オスカルは歩調を速めた。
そうしている間にも雪足はどんどん速くなり、みるみる回りを真っ白に染めていった。
足場も悪くなり、早く歩こうとしても思うように足がすすまない・・・。
まずい・・・・。
辻馬車でもひろうべきだった・・・。
オスカルは回りを見回すが家明かり一つ見えない。
クリスマス・イブではパリ市内だって辻馬車などめったに走ってはいない。ましてやパリとベルサイユを結ぶとはいえ、途中はなにもない田舎道である。人っ子一人通る気配はなかった。
この時、始めてオスカルは自分が今いる状況の危険性に気がついた。
さんざん通り慣れた道だと、安心しきっていた。
だが、その見慣れた筈の道がまったく違う顔をみせていた。
姉上の屋敷に戻ろうか・・・・?
いや、ここからでは、どちらでもかわりはない。
とにかく今は歩くしかない。
早く、一刻も早く、この吹雪を避けられる場所に入らなければ・・・。
オスカルはもどかしそうに足をすすめる。
マントも濡れ、ブーツに氷のような冷たい水がしみだし、髪の毛は雪がはりつき凍りだしていた。
指先の感覚はとっくにない。
すでに膝近くまで積もった雪の中、一歩、一歩と歩んでいくが、そんな努力がむなしいほどになかなか前には進めない。
雪は完全な吹雪となってオスカルを襲った。
「だめだ・・・。視界すら遮られる・・・。」
ここはどのあたりなのだろう?本当にジャルジェ家へ向かって歩いているのだろうか?
自分の愚かさを呪いながらも時として意識が朦朧としてくる。
その度に、死ぬかもしれない!という激しい恐怖が自分を目覚めさせてくれる。
どこかに、とりあえず、吹雪を避けなければ・・・。
見回してみるが、何もない。
途方にくれて、また一歩、一歩と歩きだした時、何かに足をとられて、ころんでしまう。
「.....つぅ.......!」
雪の下に隠された、とがった石に思い切り向うずねを打ってしまった。
痛さのあまり立ち上がることもできない。
それでも吹雪は容赦なく彼女の頬をなぶった。
帰り着けないかもしれない・・・・!
改めて“死”ということばと供に恐怖が襲う。
「負けるものかっ!!」
なんとか立ち上がろうとしたその時、何か音が近づいてくるような気がした。
それは吹雪の音にかき消されながらも次第にはっきりしてくる。
ようやくそれが、馬に乗った人が近づいてくる気配なのだ、とわかってきた。
そしてそれが現実のものとして目の前に、吹雪のベールを脱いで現れた。
「どうなさいました?」
オスカルを発見し驚く紳士の声がする。
「あ.....。」
何かを言おうとした。
うまく声が発せられない。
オスカルはそのまま気を失った。


暖かい....。
なんて、暖かいんだろう......、ここは.....。
心まで包みこまれるような暖かさ。
何もかも、悩みを忘れて眠れるような.....。

....?
どこ?

オスカルはフッと目を覚ました。
パチパチと暖炉で薪が燃える音がする。
自分が柔らかなベッドで暖かい清潔な毛布にくるまり横たわっているのがわかった。
ここは....?
見たことのない部屋だった。
オスカルはそっと上半身を起こした。
「おお、気が付かれましたか。」
穏やかそうな声に、驚きその声の方を見る。
そこには豊かな白い髭をたくわえた優しげな白髪の紳士がたっていた。
「どうです?ご気分は?大丈夫ですか?」
心配そうにオスカルを見る。
「こ...、ここは...。」
「覚えておられますか?吹雪の中、道で倒れているあなたをみつけた。」
ああ、とオスカルは瞳を見開く。
「あなたが助けて下さったのですか?」
「本当に通りかかってよかった。さぁ、もう少しゆっくりお休みなさい。今、熱いショコラを持ってこさせましょう。アシル!」
紳士の声に「はい!」と行儀のよさそうな少年の返事がドアの外から返ってきた。
「お呼びですか?クロードさま。」
利発そうな男の子がドアを開け入って来た。年の頃は11か、そこらだろう
か....。
「ジャルジェ様に熱いショコラをお持ちしなさい。」
はい、と人なつこい笑顔を残し少年は出て行った。
「な....何故、私の名前を.....?」
オスカルが驚いて聞いた。
「あなた様は軍人でいらっしゃいますでしょう?よく手入れのされた剣をお持ちだった。
いかにフランス広しと言えど女性の軍人など、あなた様の他におられましょうか?金髪の美貌の近衛兵は有名ですからな。」
優しげにオスカルを見つめてそう答えた。
オスカルはその時始めて自分が自分の物でない衣類に包まれていることに気がつき、はっとして胸のところで毛布を握り締めた。
「申し訳ない。私があなたを着替えさせました。この屋敷には私と先ほどのアシルしかいないのです。あなたの服はぐっしょり濡れていて着替えさせなければ肺炎を起こすところでした。」
「い...いえ....。」
瞬時にオスカルは耳たぶまで赤くなるのを感じる。
「男と言えども、この通りの老いた身、それに私は医師をしております。どうかお許しください。」
「お医者様であられますか。」
オスカルはもう一度驚いて彼を見た。
「ええ、申し遅れました。私はクロード・エミリアン・ド・アベラール。先ほども急
患があり、それで出かけておったのです。」
「あ..あ、それでクリスマス・イブの夜に....。それで私も命拾いをしたと言うわけですね。」
紳士はにっこり微笑んだ。
その時、アシルがショコラを持って入ってきた。
「さぁ、これを飲んで、それからこの薬を。少し熱が出てきたようだ。もう一度、ゆっくりよくお休みなさい。」
クロードはオスカルにショコラを渡し、毛布を彼女の腰までしっかり引き上げさせ、椅子にかかっていたショールを彼女の肩にかけた。
オスカルはただ黙ってされるがままになっていた。
それがたまらなく心地良かった.....。


次に目が覚めた時は大分、日が高くなってからだった。
風邪をひいたのだろうか、なんとなく身体が重い、にも関わらず、どこか安心した安らかな心持ちで目覚めた。
「いけない!クロティルド姉上に!」
がばと飛び起き、屋敷の主を探そうと扉を開ける。
その音にアシルが気づき台所からひょっこり顔をだした。
「あ!ジャルジェ様!」
少年がかけよる。
「お目覚めでしたか。すぐにアベラール先生をお呼びします。どうぞ、お部屋で休んでらして下さい。あ.....と、朝食はオートミールでよろしいですか?それともカフェ・オ・レをお持ちしましょうか?」
人懐っこい笑顔をオスカルに向ける。
「あ...あ、すまないね。すっかり世話をかけてしまった。朝食はいらない、私の服を用意して貰えるだろうか?」
「はい、ただいま。」
子どもらしい笑顔を絶やさぬまま、アシルは用足しに行く。
オスカルはもう一度部屋に入りベッドにこしかけた。
すぐにアベラールが入ってきた。
「おお、ジャルジェ様、お目覚めになられましたか。ちょっと失礼.....。」
アベラールは手のひらをオスカルの額にあてる。
「少々、熱があられるようだ。もう少しこのまま休まれた方がいいのだが....。
お屋敷へは連絡致しましょう。」
「それは困ります!」
思わずオスカルが大きな声をあげた。
はっとしてアベラールとアシルがオスカルを見る。
「いえ.....、あの.....、申し訳ない.....。昨晩のことは...、
その...家のものに報せたくないのです。きっと心配する。昨日、私は皆を休ませたい一心で供も連れずに出かけ、あのようなことになったのです。こんな事が知られればアンドレが...、皆がどれだけ責められるか...。 」
オスカルが口ごもる。
半分、本当で半分、嘘...。
こんなことが知られれば、従者をしなかったアンドレがどれだけ責められるかわからない。
クロティルド家の侍女、先に帰した御者、皆が叱られる。
けれど、理由はそれだけではない。
雪が降り出したのにも気づかず危機管理を怠った昨夜の不始末はできたら誰にも知られたくなかったのだ。
アベラールはゆっくり微笑んだ。
「わかりました。それでは昨晩あなたは急患で外に出た私をここへ送り届けてくれたことに致しましょう。そのまま吹雪が強くなったので我が家にお泊りいただいた...。それならば皆が責めを負うことにはなりますまい。」
「いえ、そのような...、それではあなたのお立場が...。」
アベラールは再び微笑んだ。そしてゆっくり首を横に振った。
「全く構いませんよ。もし、あなたと出会う時間が少しずれていたなら、きっと本当にそうなっていたに違いない。」
オスカルは少し頬をそめた。
そして恥ずかしそうにうなずいた。
アベラールは自分の心の奥に隠しているもう一つの理由を知っているのではないか、と感じたからだ。
こんな恥ずかしい不始末を知られたくないという、精一杯見栄をはって背伸びする自分。
人には知られたくない自分。
それを見透かされたような、そんな気がした。
それでもいいか....。
そう思える自分が不思議でもあり、くすぐったいような嬉しさを覚えた。

オスカルはアシルにクロティルドのところへ行き、本日は伺えなくなったと伝えてくれるように頼み、この特別な日を始めてあった老紳士のもとで過ごすことにした。
言われるがままに大人しく薬をのみ、少し食べなければいけない、と注意されるのを素直に聞きオートミールに口をつけ、そしてもう一度眠った。
毛布を優しくかけられると魔法にかかったように安らかな眠りが彼女をつつんだ。

次に目覚めた時はあたりは暗くなっていた。
大したものはありませんが...、とオスカルをダイニングに招き入れた。
「さぁ、シャンパンを抜きましょう。オスカル殿、あなたの誕生日に。」
老紳士がとっておきのシャンパンを手にする。
「どうして今日が私の誕生日だと...?」
「さぁ...、どこで聞いたのか覚えがないが...、ジャルジェ大尉は有名ですからきっとどちらかのお宅で噂話しを耳にしたのだと思います。さ、さ、どうぞ。」
アベラールはオスカルのグラスにシャンパンを注いだ。
アシルを交えてクリスマスとオスカルの誕生祝いのディナーをとった。
始めてあった人達なのに、どこか心から癒されるような不思議な思いでオスカルはくつろいだ。
アベラールは博識だった。
オスカルの話を興味深く聞き、そして自分のことも語った。
話はどれも興味深く、オスカルは時間も忘れて話し込んだ。
「それではお若い頃はずっと外国にいらしたのでね。」
「はっはっは!放蕩息子だったのですよ。失恋したのがきっかけでフランスを離れたくなったのです。おかげで財産もすっかり使い果たしてしまった。」
穏やかな紳士の力強さも感じた。
オスカルはどんどんこの人物に惹かれていった。
「おお、いけない、つい楽しくてこんなにおしゃべりを...。医者失格ですな。
さぁ、もう休まなければ。もう一晩ゆっくり休めばきっとよくなられる。」
「もう、大丈夫です!もっと話していたい!」
子どものようなわがままを言ってみる。
「いけませんよ。年寄りの医者は頑固ですからな。言うことを聞いた方が身のためだ。」
そんな風に優しく叱られるのも嬉しかった。
ベッドに入ってもまるで子どもの頃のようにウキウキした気持ちでいた。嬉しくて眠れそうにないような....、けれどもすぐに眠りに落ちた。幸せを抱いた子どものように.....。
オスカルはここで二晩めを過ごした。

次の日の目覚めはさわやかだった。
今日は早々に屋敷に帰らなければならない。午後からは宮廷に伺候する予定だ。アントワネットも待っていることだろう。
ギルマンともまた顔をあわせなければならないし、明日の王太子ご夫妻の観劇の護衛についてもラクロ中佐と話し合い準備をしなければならない。
今まで通りの多忙な日常の全てが待っている。
オスカルはダイニングへ入っていった。
「アベラール先生、本当にお世話になりました。この通り身体もすっかり元通りです。その上、今までにないようなくつろいだ楽しいクリスマスと誕生日を祝って頂いた。なんとお礼を申し上げてよいやら....。」
オスカルは心からの礼を告げる。
「いや、楽しかったのは私の方だ。あなたのようなすばらしい客人を迎えて過ごすことができるなど思ってもみなかった。」
「とんでもない、あなたは私の命の恩人です。改めてお礼に伺います。」
「お礼など不要ですよ。」
「でも!」
「また、遊びに来て下さい。もしよろしければ、いつでも....。」
オスカルの顔が輝いた。
「はいっ!」
元気よく答える。
そんな自分が我ながらおかしい。
アシルがスープを運んできた。
「さぁ、少しでもいいからお食べなさい。身体をよく温めてからおいきなさい。」
席につこうとしたオスカルの目がふいにクリスマス・ツリーにとまった。
「これは...、めずらしい飾りですね。昨日は気が付かなかった。」
オスカルは興味深げにツリーの元へ行く。
「外国の十字架...ですか?」
「そうです、それはロシアで買ったもの。その隣の木でできた...、そうそう、それはハンガリーで買いました。そっちのそのガラスの十字架はイタリアで。」
好奇心で目を輝かせるオスカルにアベラールは一つ一つ説明をしていった。
ふいにオスカルは十字架でないふつうのペンダントに目がとまった。
不思議なセピア色の石。
気泡を閉じ込めたような、まるで生きていたかのような神秘的な石...。
裏返してみると刻印がしてある。C&M。 
それを手にとり、しばし見入った。
「.....琥珀です....。」
老紳士は少しためらったように答える。
「若い頃、恋人と永遠の愛を誓うために交換したのです。二人で同じものを持っていようと...。悠久の時を閉じ込めた琥珀のように、私達の愛も永遠にこの石に閉じ込めようと....。」
オスカルははっとしてアベラールを見た。
「身分違いを反対され、添い遂げることはできませんでした....。それで、このフランスにいることがつらくなり、長いこと外国暮らしをしたのです...。」
「.....そうでしたか.....。」
オスカルがそっと答える。
大切な琥珀....、そっと手を離し元通りツリーに預けようとしたその瞬間。
オスカルの身体に電流が走った。
頭の中に幼い頃のシーンがフラッシュ・バックする。

―――琥珀...、これは琥珀....。悠久の時を閉じ込めた石...。永遠の愛
の証として交換した私の宝....―――

突然、蝋人形のように固まってしまったオスカルを驚いたように見つめる。
「ど...、どうなさったのです?オスカル殿。」
声をかけられ、オスカルはやっと我にかえった。
「あ......、いえ...、な、なんでもありません。すみません。」
オスカルは慌てて取り繕った。
―――琥珀....、琥珀....、永遠の愛を閉じ込めた石....。―――
頭の中では幼き日に聞いたそのことばが鳴り止まない。
―――あれは....、あれは....、誰?母上....?まさか....、まさ
か...、アベラール先生の恋人とは.....!―――
その後どのようにアベラール邸を後にしたかオスカルは覚えていなかった。